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2 媚薬と運命の相手
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彼がフローラの家で療養し始めて五日が過ぎた。
魔女の薬のおかげか、肩や腕の怪我はほとんど癒えて、彼は湖のほとりで素振りをしている。
あとは足の怪我がもう少し癒えれば、この森を自力で抜けることができるだろう。
「そろそろ朝ごはんですよー」
「ああ、今行く」
最初こそ金の瞳に圧倒され緊張していたが、フローラは段々と人間が家にいることに慣れてきていた。というのも、回復してきた彼がベッドでゆっくりすることを嫌い、フローラに付いてまわるからだ。
「この人形は何だ?」
「そ、それは、母の趣味で……」
「では、裸で髪の毛だけ生えてる緑の人形も……母上の趣味か?」
「い、いいえ。それは祖母ですね……」
祖母と母と三人で暮らしていた家には、それぞれの趣味の物で溢れている。平家の小さな家なので、所狭しと色んなものが飾られ収納された雑多な雰囲気が、彼には大変珍しいらしい。
祖母は旅人から他国や遠方の品を譲ってもらい、飾るのが好きだった。母は夢見がちな乙女だったので、可愛いものをとにかく集めていた。
その結果、隣国の木で作られた不気味なお面と可愛らしいふわふわウサギの人形が一緒に並んで飾られていたりするのだ。
彼は、薬の調剤に使うすり鉢や天秤、大量の薬瓶、乾燥させた薬草にも興味津々だ。フローラが薬を調合する姿をじっと見学するのも好きだった。
「全て魔法で作るのかと思った」
「いいえ。こうして薬草をすり潰して、必要な材料を混ぜて調合しています。魔法を込めるのは少しだけ」
「何故?」
「効きすぎる薬は毒ですよ」
フローラが小さな魔法を使うたび、「今のは魔法か?! どんな魔法だ?」と目を輝かせた。
最初は警戒心を露わにしていたし高圧的な貴族なのだろうと思っていたけれど、日が経つにつれ、好奇心旺盛で心優しい努力家な青年だと分かってきた。
毒が抜け、身体が動くようになると、家事のほとんどを手伝うと申し出てくれた。その上で日々の鍛錬も忘れない。身体が完全に回復すれば、戻るべき場所に戻り戦えるよう必死に努力している様子だった。一方で、魔女であるフローラに対して、敵に盛る毒だとか、相手を呪う道具などを要求することはない。高貴な身分なのは変わりないが、そうした誠実な姿勢にどんどん惹かれていった。
「この森は他の魔法を跳ね除ける陣でも敷かれているのか?」
「はい。祖母がここに住まうようになった時に、そういった特別な結界魔法をかけていると聞いています」
「そうか」
彼が安心した顔を見せた。怪我をしていたし、やはり誰かに命を狙われる立場なのだろう。
しかし詮索してはいけないと思い、フローラは何も聞かなかった。
「結界のせいでお迎えの方もここを見つけられないかもしれませんし、傷が癒えたら近くの村までお送りします」
「助かる。何もかも甘えてしまってすまない」
「いいえ」
彼との別れ。
想像するだけで、軋むように痛むこの胸は、やっぱり何かの病なのかもしれない。
*
翌朝は雨が降った。森は霧が立ち込めたように見通しが悪くなる。冬の雨は冷たく体を冷やす。傷口が完全に塞がっていないので、外での鍛錬は禁止だと伝えると、レオは大人しく家の中で剣の手入れをしている。フローラは薬を調合したり、繕い物をして過ごした。
二人はなんとなく同じ空間で、それぞれの作業をしながら、ぽつりぽつりと話をする。
「森は……静かだな」
「そうですね。雨だと、特に」
「……ここで一人で暮らすのは、恐ろしくないのか?」
「結界魔法があるので危険な人は近寄れませんし、祖母と母と暮らした家なので、手放すことはないと思います」
「寂しくはないか?」
「母が亡くなってからはしばらく寂しい気持ちもありました。でも、……今は大丈夫です」
なんとなく、勝手にクロ様のことを言ってはいけない気がして、「大丈夫」とだけ答えた。今、フローラが寂しくないのは、間違いなくクロ様のおかげだ。母が亡くなってからは特に、フローラを気にかけてくれている。
「魔女殿はこうして傷付いた人間を介抱することがよくあるのか?」
「いいえ、貴方が初めてですよ」
「そうか。それならばよかった」
ほっとした様子の彼にドキッとした。
「魔女殿」
金色の瞳を真っ直ぐこちらに向け、そして意を決したように、口を開く。
「私のことを、『レオ』と呼んでくれるだろうか」
名前を明かしてくれた。
たとえそれが愛称だけだったとしても、嬉しい気持ちがじわりと胸に染み出す。
フローラは特別な呪文を唱えるように、大事にその音を発音する。
「レオ……様」
音にすると恥ずかしい。そわそわするこの気持ちは何というのだろう。レオがこの家にきてから、フローラの心は全く落ち着かない。早く平穏な日々に戻りたいと思うのに、レオと一緒にいたい、とも思うのだ。
「レオでいい」
「……レオ」
「ありがとう」
頬をバラ色に染めて美しく笑う彼を、もっと見たいと思った。この気持ちに名前を付けて良いのだろうか。そう考えながらフローラも、自分の名を呼んでほしいと望んでしまった。
「わ、私は、フローラと」
「フローラ」
「は、はい」
「フローラ……良い名だ」
彼と別れる未来が数日後には訪れるのだとしても、今だけはもっと側に。
魔女の薬のおかげか、肩や腕の怪我はほとんど癒えて、彼は湖のほとりで素振りをしている。
あとは足の怪我がもう少し癒えれば、この森を自力で抜けることができるだろう。
「そろそろ朝ごはんですよー」
「ああ、今行く」
最初こそ金の瞳に圧倒され緊張していたが、フローラは段々と人間が家にいることに慣れてきていた。というのも、回復してきた彼がベッドでゆっくりすることを嫌い、フローラに付いてまわるからだ。
「この人形は何だ?」
「そ、それは、母の趣味で……」
「では、裸で髪の毛だけ生えてる緑の人形も……母上の趣味か?」
「い、いいえ。それは祖母ですね……」
祖母と母と三人で暮らしていた家には、それぞれの趣味の物で溢れている。平家の小さな家なので、所狭しと色んなものが飾られ収納された雑多な雰囲気が、彼には大変珍しいらしい。
祖母は旅人から他国や遠方の品を譲ってもらい、飾るのが好きだった。母は夢見がちな乙女だったので、可愛いものをとにかく集めていた。
その結果、隣国の木で作られた不気味なお面と可愛らしいふわふわウサギの人形が一緒に並んで飾られていたりするのだ。
彼は、薬の調剤に使うすり鉢や天秤、大量の薬瓶、乾燥させた薬草にも興味津々だ。フローラが薬を調合する姿をじっと見学するのも好きだった。
「全て魔法で作るのかと思った」
「いいえ。こうして薬草をすり潰して、必要な材料を混ぜて調合しています。魔法を込めるのは少しだけ」
「何故?」
「効きすぎる薬は毒ですよ」
フローラが小さな魔法を使うたび、「今のは魔法か?! どんな魔法だ?」と目を輝かせた。
最初は警戒心を露わにしていたし高圧的な貴族なのだろうと思っていたけれど、日が経つにつれ、好奇心旺盛で心優しい努力家な青年だと分かってきた。
毒が抜け、身体が動くようになると、家事のほとんどを手伝うと申し出てくれた。その上で日々の鍛錬も忘れない。身体が完全に回復すれば、戻るべき場所に戻り戦えるよう必死に努力している様子だった。一方で、魔女であるフローラに対して、敵に盛る毒だとか、相手を呪う道具などを要求することはない。高貴な身分なのは変わりないが、そうした誠実な姿勢にどんどん惹かれていった。
「この森は他の魔法を跳ね除ける陣でも敷かれているのか?」
「はい。祖母がここに住まうようになった時に、そういった特別な結界魔法をかけていると聞いています」
「そうか」
彼が安心した顔を見せた。怪我をしていたし、やはり誰かに命を狙われる立場なのだろう。
しかし詮索してはいけないと思い、フローラは何も聞かなかった。
「結界のせいでお迎えの方もここを見つけられないかもしれませんし、傷が癒えたら近くの村までお送りします」
「助かる。何もかも甘えてしまってすまない」
「いいえ」
彼との別れ。
想像するだけで、軋むように痛むこの胸は、やっぱり何かの病なのかもしれない。
*
翌朝は雨が降った。森は霧が立ち込めたように見通しが悪くなる。冬の雨は冷たく体を冷やす。傷口が完全に塞がっていないので、外での鍛錬は禁止だと伝えると、レオは大人しく家の中で剣の手入れをしている。フローラは薬を調合したり、繕い物をして過ごした。
二人はなんとなく同じ空間で、それぞれの作業をしながら、ぽつりぽつりと話をする。
「森は……静かだな」
「そうですね。雨だと、特に」
「……ここで一人で暮らすのは、恐ろしくないのか?」
「結界魔法があるので危険な人は近寄れませんし、祖母と母と暮らした家なので、手放すことはないと思います」
「寂しくはないか?」
「母が亡くなってからはしばらく寂しい気持ちもありました。でも、……今は大丈夫です」
なんとなく、勝手にクロ様のことを言ってはいけない気がして、「大丈夫」とだけ答えた。今、フローラが寂しくないのは、間違いなくクロ様のおかげだ。母が亡くなってからは特に、フローラを気にかけてくれている。
「魔女殿はこうして傷付いた人間を介抱することがよくあるのか?」
「いいえ、貴方が初めてですよ」
「そうか。それならばよかった」
ほっとした様子の彼にドキッとした。
「魔女殿」
金色の瞳を真っ直ぐこちらに向け、そして意を決したように、口を開く。
「私のことを、『レオ』と呼んでくれるだろうか」
名前を明かしてくれた。
たとえそれが愛称だけだったとしても、嬉しい気持ちがじわりと胸に染み出す。
フローラは特別な呪文を唱えるように、大事にその音を発音する。
「レオ……様」
音にすると恥ずかしい。そわそわするこの気持ちは何というのだろう。レオがこの家にきてから、フローラの心は全く落ち着かない。早く平穏な日々に戻りたいと思うのに、レオと一緒にいたい、とも思うのだ。
「レオでいい」
「……レオ」
「ありがとう」
頬をバラ色に染めて美しく笑う彼を、もっと見たいと思った。この気持ちに名前を付けて良いのだろうか。そう考えながらフローラも、自分の名を呼んでほしいと望んでしまった。
「わ、私は、フローラと」
「フローラ」
「は、はい」
「フローラ……良い名だ」
彼と別れる未来が数日後には訪れるのだとしても、今だけはもっと側に。
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