偽調教師と狼王子

ミ度

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第一章

1-2.囮の狼姫

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 悩みの種はもうひとつ。
 それは、この邸宅のゲストルームに監禁されている少女の存在だ。
 朝食を済ませた後、ハルキは彼女に会いに行った。
 窓際の椅子に腰かけ物憂いげに外を眺めていた彼女は、調教師の存在を認識すると、可憐な表情を一瞬にして険しくさせた。監禁されている身なのだから無理もない。

「おはようございます、シルヴィア様」

 背後に控えるマリエッタに怪しまれないように、ひとまずクロ・エジェらしい挨拶をする。
 少女の名前はシルヴィア。ファウナピアという国の王女様だ。透き通るような白い肌、腰まで伸びる艶やかな黒い髪、紺碧の瞳を持つ美少女。髪色と同じ尖った獣耳とふわふわの長い尻尾は、誇り高い狼獣人の証である。
 彼女は昨夜、アイマード帝国の使者によって連れてこられた。

「おや、我が家の朝食がお気に召しませんでしたか?」

 テーブルに置かれた朝食はまったくの手つかず状態。昨夜の記憶によれば、彼女は昨日も何も食べてないはずだ。この様子では、水さえ口にしていないかもしれない。

「何が入っているかわからぬものを口にする気はありません」

 凛とした声でシルヴィアは言った。見た目はハルキと同世代くらいだが、同級生たちとはまとうオーラが全然違う。これが王族というものなのだろうか。思わず圧倒されそうになったが、ハルキはクロ・エジェを演じ続けた。

「怪しいものなど何一つ入っていませんよ。シルヴィア様なら匂いでお分かりなはず」
「……」
「しかも野菜は我が家で採れたもの、果物は市場で買った最も新鮮なもの、肉は今朝マリエッタが狩ってきた鳥を使用しています。せめてスープだけでもお召し上がりになりませんか?」
「けっこうです。他に用がないのなら出て行って」

 全身で拒絶し、全身で警戒しているシルヴィアに、ハルキは内心困り果てていた。
 こちらに敵意はないことを彼女に伝えたい。むしろ、彼女を助けたいと思っている。
 クロ・エジェの記憶によれば、ファウナピアは二年ほど前に、隣国であるアイマード帝国に侵攻を受けて滅ぼされた。今は戦禍を生き残った第一王子ヴィルフレート――シルヴィアの兄が反乱軍のリーダーとなり、帝国軍と戦っている。

(この子たちは被害者だ)

 なんとかしてシルヴィアをここから逃がしてやりたいが、まずは彼女にこちらの話を聞いてもらえなければ始まらない。

「マリエッタ、席を外してくれ」
「よろしいのですか?」
「仮にシルヴィア様がボクを突き飛ばしてこの部屋から出たとしても、キミが屋敷にいる限り、彼女は逃げられないからね」

 シルヴィアは昨夜、屋敷からの脱出を試みてマリエッタに取り押さえられている。力でマリエッタに敵わないことは彼女も十分理解しているはずだ。
 執事が退出すると、ハルキは早々にクロ・エジェの仮面を脱いだ。

「……僕に君をどうこうする気はない。だから、少しは何かお腹に入れてほしい」
「……」
「ごはんに変なものは何も入ってない。ほら……」

 小さくちぎったパンにスープをつけて口の中に放ってみせた。
 シルヴィアは戸惑っているようだった。ある程度予想できた反応だ。

「君はずっと気を張ってる。このまま飲まず食わずじゃ倒れてしまう」
「それなら、今すぐわたくしを解放しなさい!」
「それはできない。君をここに連れて来た帝国の連中が、外で見張ってる」

 屋敷の外で息を殺す人間たちの魂の気配を、クロ・エジェの身体は感知している。自分がレーダーになったようなおかしな感覚だ。

「外から中の様子は見えないし、この会話ももちろん連中には聞こえない」
「……どうして、そのようなことをわたくしに教えるのですか」
「今から僕が話すことを、君に少しでも信じてほしいから」

 ハルキは自分が「クロ・エジェ」と魂が入れ替わった異世界の者であると告げた。
 それから、帝国軍が彼女をクロ・エジェに預けた目的を……。

「君は囮なんだ。君のお兄さん……ヴィルフレートを捕まえるための」

 シルヴィアの美貌が強張った。

「君がボク……じゃない、『クロ・エジェ』に捕まってるって情報は、すでに反乱軍に届いている。えっと……君がここに連れてこられたのは、『君を調教して従順な性奴隷にしてから皇帝の妃にするため』ってことになってる。お兄さんたちは、きっと今日中にはこの屋敷を見つけるだろう」
「なんてことっ」
「クロ・エジェの計画はこうだ。君の命を交渉材料にお兄さんの身柄を拘束して……その……」
「な……なんですか、言ってください……!」
「クロ・エジェの本当の調教対象は、君のお兄さんなんだ。皇帝は、お兄さんを自分のお妃にしようとしてる」

 紺碧色の双眸が見開かれる。それから、口を押さえて身体を折り曲げた。肩が小さく震えている。
 おぞましい計画だ。ハルキも記憶を辿って気分が悪くなったが、ヴィルフレートの妹である彼女ならなおさらショックだろう。

「シルヴィアさん、お兄さんがここに来たら、一緒に反乱軍のもとへ戻るんだ」
「え?」
「屋敷は帝国の連中に見張られてるから、僕が転送術で君たちを逃がす」

 シルヴィアが顔をあげた。表情には困惑と不安の色が浮かんでいる。

「それと……君に謝りたいことがあるんだ」
「……?」
「昨日の夜、クロ・エジェは君の魂の記憶を覗いたんだ。お兄さんとの交渉で、自分が有利に進められるように」

 上位の魔族は、魂を知覚できるだけでなく、対象の記憶を覗くことができる。そこから手に入れた情報で、相手を精神的に揺さぶるのだ。悪魔祓いをテーマにした映画で見られる、当人しか知りえないトラウマを、悪魔が指摘し、利用し、相手を嘲笑い、恐怖させるように……。悪辣な能力だ。

「君の……君たちの痛みを勝手に覗いてしまって、すまない」

 シルヴィアの記憶が、ハルキの脳裡にフラッシュバックする。

 炎に包まれる王都、民の悲鳴、幽鬼の雄叫び。
 城内に流れ込んできた帝国軍が、すぐそこまで迫っていた。
 父はすでに戦地で倒れた。誰よりも強く、優しかった父は、もういない。
 ――あなたたちは逃げなさい。
 母は子どもたちに告げた。
 自分も城に残って死ぬまで戦うと主張した兄に、母は妹を守れと告げた。
 シルヴィアは生まれてはじめて、兄が涙を流しているのを見た。

「……泣いているのですか……?」

 シルヴィアの声で、ハルキは自分の頬が濡れていることに気づいた。慌てて袖で涙を拭う。

「ご、ごめんっ、気にしないでくれ。ごはん、食べてくれたら嬉しいな。僕がいたら食べづらいと思うから、もう出て行くよ」

 早口に言って、ハルキはゲストルームをあとにした。

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