偽調教師と狼王子

ミ度

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第二章

2-2.経過報告※

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 通された部屋の四方の壁には、大小様々な鏡が飾られていた。どの鏡も見事な意匠だ。

「ヴィルフレート様はどうぞこちらに」

 ヴィルフレートがマリエッタに案内されたのは壁際の一画だった。

「こちらに立っている間は相手に知覚されることはありません」
「わかった」
「それでは、私は部屋の外で待機しております」

 マリエッタが退出する。
 ハルキはヴィルフレートの斜め前方、最も大きな鏡の前に立っている。彼が目を閉じながら大きく深呼吸しているのを、ヴィルフレートは鏡越しに見つめる。

 ハルキが目を開けた瞬間──彼の気配が変わった。「クロ・エジェ」の演技に入ったのだ。人の良さを感じる温かみが表情から消え去り、柔和だが油断ならない雰囲気をまとう。ヴィルフレートの身体に緊張が走る。昨夜、自分を犯しぬいた男がそこに立っていた。ざわつきかけた心を、ヴィルフレートは理性によって落ち着かせた。

 調教師が鏡の前に手をかざす。小石を投じられた水面のような波紋が鏡面に広がる。波紋が引いていくと、鏡の中に男の姿が現れた。金と銀で刺繍された豪華な衣装を身にまとい、荘厳な玉座に座る壮年の男だ。

「ご機嫌麗しゅう、皇帝陛下」

 よく通る声で「クロ・エジェ」は歌うように言って、優雅にお辞儀をした。
 ヴィルフレートの腕を組む手に力がこもる。怒りを抑え込みつつ、仇の顔をまっすぐ睨みつけた。まだ平和だった頃、皇帝には何度か会ったことはある。あの頃よりかなり老け込んでいる。顔は頬が痩けて土気色だが、目にだけ異様な生気が満ちている。

 ……それにしても……。

『僕が今からやりとりする相手は皇帝です』

 と、事前にハルキから伝えられてはいたが、こうして側近を挟まずに皇帝直々に調教師の相手をするとは意外だった。「クロ・エジェ」という存在の異質さを感じさせられる。

「ヴィルフレートを捕らえたそうだな」
「はい。さっそく昨夜から調教を開始しました。調教の様子をご覧になられますか?」
「ふむ……見てみたい」
「承知いたしました」

 パチン。調教師が指を鳴らした。

「……ッ!」

 ヴィルフレートは息を呑んだ。何故なら、皇帝を映す正面の鏡以外の全鏡に、昨夜の調教の一部始終が映し出されたからだ。調教師に組み敷かれ、犯される自分の姿が……。最悪なことに、再現されたのは映像だけではなかった。

『っふ! ……うぅっ……! くっ……ンうぅッ!』

(これは……これが、私の声か……?)

 パンッパンッと肌のぶつかり合う音に混じるうめき声は、ときおり甘く上擦っていた。
 誰よりも憎い相手に、何度も気をやっている姿を見られ、はしたない声を聴かれている──覚悟していたとはいえ、あまりの屈辱に身体が震える。
 しかし、ヴィルフレートは皇帝から目を逸らさなかった。
 皇帝の表情は、それはそれは愉しげに歪んでいた。黒革の手袋をはめた手で顎髭を撫でさすりながら、ヴィルフレートの痴態をニヤニヤと眺めていた。
 調教映像の再生が終わると、皇帝が調教師に訊ねた。

「……それで? 貴様から見てヴィルフレートはどうだ?」
「まさに最上級の素材です。身体はとても敏感で、ほんの少し手を加えてやるだけで淫らな大輪を咲かせましょう。それでいて、その精神は気高く、非常に堅牢……」
「調教期間は3ヶ月間であったな」
「はい。3ヶ月で、この世にふたりといない、従順かつ淫乱な素晴らしい性奴隷に仕上げましょう」
「1ヶ月でどうにかしろ」
「おや……」

 ヴィルフレートの背中に冷たい汗が伝う。
 皇帝打倒に向けた情報の伝達や人員の配置、武器の調達、協力者たちへの根回し……1ヶ月の準備期間では短過ぎる。

「3ヶ月の調教を1ヶ月でやれと……? 陛下、それは何故でしょうか」
「情勢が乱れている。獣共にばかり構ってはいられぬのだ」

 二年前の戦争では、帝国側も決して無傷では済まなかった。
 しかも、ヴィルフレート率いる反乱軍との戦いでは立て続けに撤退を余儀なくされている。これに勇気づけられた属国領内では、独立の機運が高まっている。

 このまま反乱軍との戦いが長引けば、帝国は内部から瓦解する危険があった。帝国側からすれば最悪のシナリオである。

「陛下……失礼ながら、政事などというくだらない理由で、ボクとの契約を破られては困ります」

 この発言にはさすがのヴィルフレートもぎょっとした。調教師は皇帝に対して、暗に「おまえの事情など知ったことか」と言ったのだ。殺されてもおかしくはない。だが、その後ろ姿は相変わらず優雅であり、怯えの気配は欠片もない。
 一方、案の定と言うべきか、皇帝が表情を険しくさせた。

「……契約ではなく『命令』だ」
「いいえ。ヴィルフレート様の調教は『契約』です。鏡にも記録は残っています。……ですが、こちらの提示する期間がご不満とおっしゃるなら……非常に……非常に不本意ですが、ボクはヴィルフレート様の調教の栄誉を、他の者にお譲りしましょう」
「なに?」

 思わず皇帝と同じ台詞を言いかけて、ヴィルフレートは寸でのところで踏み止まった。
 この男はなんてことを言い出すのか。
 もし皇帝が、その意見を採用したらどうするつもりなのか。

 だが、ヴィルフレートの不安は現実のものにはならなかった。

「薬物や魔術を使って傀儡にするなら二流三流の調教師にも務まるでしょうが、ヴィルフレート様の知性と品性が損なわれ、陛下のお望みの性奴隷とはほど遠いものが出来上がる」
「……」
「精神力の極めて強いヴィルフレート様には暗示の類は効かないでしょう。それでも無理に暗示をかけようとすれば、精神が崩壊し、物言わぬ人形となってしまう」
「……」
「ああ、それと……調教の途中で自害される危険性もありますね。ファウナピアの王は、すべての獣人の王……陛下はすでに先王を亡き者にしていらっしゃる。その上王子まで殺してしまえば、獣人族は決して陛下に従わない。その血が枯れ果てるまで、陛下の首を狙い続けるでしょう」
「……」

 皇帝の思惑が少しずつ見えてくる。皇帝は正気のヴィルフレートを従わせることで、間接的に獣人族全体を支配下に置こうとしているのだ。性調教するのは、色狂いにすることで、謀叛の心配もない都合の良い駒にするためだろう。

 皇帝に対する激しい怒りが、改めて湧き起こってくる。
 そして、ヴィルフレートは新たに決意する。
 ──私は決して貴様の思い通りにはならない。
 そうなるくらいなら死んだ方が民たちのためになる。

「あのお方を、陛下の望み通りの性奴隷に仕込める者は、ボク以外にいませんよ」
「──二週間後に経過を報告しろ。記録は毎日残せ」
「おや、ずいぶん日を開けるのですね」
「貴様と話していると、貴様の父親を思い出して気分が悪くなる……」

 皇帝の声には、不敵な調教師への忌々しさが滲み出ていた。

「……3ヶ月だ。もし調教がうまくいかなければ、貴様の命はないと思え」
「調教師の誇りにかけて、必ずやり遂げてみせましょう」
「フン……貴様は、余の寛大さと、自身の血統に感謝すべきだぞ。アスモデウスの息子よ」

 調教師が恭しくお辞儀をし、正面の鏡に波紋が広がる。
 波紋がおさまると、皇帝の姿は消え去り、目の前のモノを映し出すありふれた鏡面に戻っていた。
 ハルキの身体がぐらりと傾いた。
 ヴィルフレートはすぐさま駆け出し、青年を抱きとめた。

「ハルキ……!」

 彼は気を失っていた。顔は青ざめ、汗でびっしょり濡れている。

(アスモデウスの息子だと……!?)

 アスモデウス──その名は、魔族の世界を統べる七王のひとりだ。

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