モナムール

葵樹 楓

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うるさい子

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 それからというもの、ラムールは度々、手紙を届けにやってきた。

 フランツブルグの領地から伯爵の屋敷までは、なかなかの距離があるのだが、そんなこともお構いなしに、手紙は届く。

 疲れないのか、と聞いてみたこともあった。しかし、ラムールは決まって、そんなことはない、と言うのだ。

 ラムールはいつも楽しそうだ。そんな印象を、彼女は抱いていた。

 もはや彼にできないことはないのではないかとも思えてしまう。それほどに何もかも完璧にこなすのだ。彼女はそれに憧れ、尊敬していた。

 しかしそれと同時に、ほんの少しばかりの嫉妬心をもった。

 もしも自分に彼ほどの器量があれば。何事も楽しんで臨むことができさえいれば。

 そんなことを考えては、自らに渦巻く嫉妬心を睨み、頭を抱えるのだった。

(私は何なの。奥様にはいつも怒られるし、口下手だし、普通の家事しかできないじゃない。情けない、情けない…)

 いつしかそんな考えをしてしまい、ラムールの存在が、憧れであると同時に、疎ましい、しかし、嫌いではないという曖昧なものとなってしまっていた。

 それが胸のつかえとなって、呼吸するのすらも難しくしているのにも気づかずに。


 その日は朝から大雨が空気を覆っていて、虫も息がつかないような土砂降りであった。

 こんな日ですら、夫人は出かけるつもりらしい。

 朝から髪がまとまらないだの、化粧乗りが悪いだのと愚痴を言いながら、早々に支度を済ませて、またしても聞いたことのない貴族の家へと、馬車を用意させていた。

 夫人が出かける際は、誰かしらの召使いが門の前まで見送らなければならないという、暗黙の了解がある。

 そのため、召使いたちの間で、誰が見送りに行くのかという論争になっていた。

「アタシ、嫌よ。この服、ようやく買い替えたんだから」
「だからって、ワタクシも嫌よ。どうしてあの嫌味な夫人のためにこんな雨の中に出なきゃいけないの」
「おい、お前はたしか、まだ見送りに行ってないんじゃなかったか」
「勘弁してくれよ。雨は嫌いなんだ」

 召使いが使用を許可されている傘は使い古されているため、ボロボロで、この日のような大雨では使いものにならないのである。この土砂降りの大雨の場合、確実に濡れてしまう。

 そんなことを話しているところに、運悪く、マシェリーが近くを通りがかってしまった。

 ほかの召使いたちが、彼女を見つけると、エサを見つけた家畜のように一斉に話しかけによって来る。

「ねえ、アナタたしか、奥様にフェルムって呼ばれている子よね」
「え…。ええ、そうだけど…」
「アナタ、今は手が空いてるでしょ? 奥様のお見送りに行ってくれない?」

 彼女は首を振った。

「ごめんなさい。今はちょっと…奥様の部屋の掃除があるから」

 すると召使いたちは薄ら笑いを浮かべ、嘲笑するようにして彼女に詰め寄る。

「ええ? 別にいいでしょ。ちょっと行くだけよ。ね、お願い」
「本当にごめんなさい。それに今日は、ちょっと失敗して、奥様に怒られてしまったばかりだから…」

 そう言って断ろうとするが、召使いたちは引き下がろうとせず、むしろ意地の悪いような表情をして言った。

「そんなこと、どうだっていいわよ。アタシたちだって忙しいのよ」
「な、いいだろ? 行ってきてくれよ」

 それでもイエスと言わないマシェリーに、どんどんと強引な態度になっていく。

「あー、そう。…ねえ、やっぱり奥様はネーミングセンスがあるみたいね。だってこの子、さっきから言い訳ばっかりして、うるさいんだもの」
「そうね。だから奥様にも怒られてしまうのではなくって?」
「ま、いい機会じゃん。見送りする時についでに、謝罪でもしてくれば? 奥様の機嫌が直るかもよ」
「それ、名案だな。そうと決まったら、早く行って来いよ。奥様も、もう馬車にご乗車された頃かもしれないぜ」

 この意地汚い召使いたちは、このように強く出れば、マシェリーが反抗することが出来ないと知っていた。

 だからこうして、小さくなって黙っている彼女に、こうも薄汚く命令するように言っているのである。

「いいから、黙って行きなさいよ!」

 一人の召使いが手を振り上げた。

 そろそろ手を出される。その恐怖に震えながら、マシェリーは逃げるようにして庭先へと向かって行った。

 背中に、気色の悪い笑い声を受けながら。

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