結局上手くいくカップルたち短編集

流音あい

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ep4『未練、霧散後、不採用』前編

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 夜の十時を過ぎた頃、インターホンが鳴った。こんな時間に一体誰が。辰人たつとがドアを開けると、そこには明らかに不機嫌な様子の友人が立っていた。
「ゆかりちゃん? どうしたの」
 彼女は靴を脱いで住人を押しのけると、どかどかと部屋に上がり込んできた。短い廊下を進んで寝室までたどり着くと、勝手にベッドを占拠する。顔をそむける背中からは鼻をすする音がした。
「またアイツと何かあったの?」
「うるさい。あっちいって」
「ここ俺の部屋なんだけど」
 答えない彼女にため息を吐く。
「俺はどこに寝ればいいわけ?」
「勝手にすればいいでしょ」
「じゃあそのベッドでゆかりちゃんと一緒に寝るよ」
「好きすれば」
 とりあえず布団はめくらず、隣に横になる。掛け布団ひとつ隔てていても彼女の温度が伝わってくる。そのまま暫し黙っていると、彼女が口を開いた。
「カレが他の女とキスしてた」
「元カレでしょ。もう別れてるんだから」
「でもまだ一週間よ」
「もう一週間だよ。っていうかそういうやつだから別れたんでしょ」
「謝ってきたら許してあげるつもりだったのに」
「あっそ。それでなんで俺のところに来たわけ」
「アンタがいつでも来ていいって言ったじゃない」
「言ったけど」
「いいわよ、迷惑なら帰るから。アンタも他の女の方がいいって言うならさっさと帰ってあげるわよ」
 ベッドから勢いよく立ち上がった彼女の手を、辰人が掴んで引きとめる。
「そんなこと言ってないよ」
「迷惑なんでしょ」
「そうじゃないって」
「なんで来るんだとか言ったじゃない」
「俺に会いたかったとかいう返事を期待したからね」
 手を引っ張ると、彼女はすんなり腕の中におさまった。そのまま両腕で包み込む。
「わざわざ元カレに会いに行ったの?」
「そうよ。いつもの立ち飲み屋。カレがよく行ってるから今日もいるかなって思って行ってみたら案の定。それでもう別の女口説いて腰抱いてキスまでしてた」
「アイツはそういうやつなんだって」
「カレのこと知らないでしょ」
「ゆかりちゃんの話だけでもよくわかるよ。毎日浮気ばっかじゃん」
「毎日じゃないわよ」
「そうかもね。でも女途切れたことないって自慢してるようなヤツなんでしょ」
「だってかっこいいもん」
 はあ、と辰人のこれ見よがしの嘆息に、ゆかりは唇を尖らせた。
「ところで、これは浮気じゃないんだ?」
 腕の中におさまって抵抗しない彼女に聞いてみる。今まで触れることは許さなかったのに、今日はそれが嘘のようにおとなしい。
「だって別れてるもの。アンタもそう言ったじゃない」
「言ったけど。じゃあこのまま、俺はゆかりちゃんのこと抱いてもいいんだ?」
 できるだけ熱っぽく言いながらその瞳をのぞき込む。今まで何度も好きだと伝えていたが、浮気はしないとずっと拒否されていた。彼氏が浮気するなら君もすればと誘ってみても、彼女は一度も頷かなかった。本気の誘いを冗談だと思っていたのか、わかっていてかわしていたのかは知らないが。
 別れたと聞いたときには即行で口説いたけれど、頑固な彼女のことだ。どうせすぐには無理だろうと、あまり期待はしなかった。焦らなくても、きっとそのうち時期がくる。それを待つつもりだった。
「いいわよ別に。アンタと寝たところで好きになれるかどうかはわからないけど」
「やっぱ手厳しいなあ」
「今頃カレがあの女とヤってるとか想像するくらいなら、他の男の玩具になってる方がマシだもの」
「うーん、そういう認識はちょっと悲しいんだけど」
「アンタだってヤレれば誰でもいいんでしょ」
「そんなこと言ってないじゃん。俺はゆかりちゃんの元カレとは違うよ」
「でも思ってるんでしょ」
「思ってないよ。一度も考えたことない」
「嘘ね。会うたび口説いてきたじゃない。私が手っ取り早くヤレそうだと思ったからでしょ」
「違うよ。ゆかりちゃんが好きだからだよ」
「彼氏いるって言っても口説いてきたじゃない。この遊び人」
「ゆかりちゃんが好きだからだってば」
「浮気させようとするのは浮気が平気だからでしょ」
「ゆかりちゃんが、彼氏が浮気ばっかするっていうからだよ」
「私は浮気する男は御免よ」
「まだ好きなくせに」
「そうよ。悪い?」
「なのに他の男に抱かれようとしてるなんて浮気じゃん」
「もう別れてるんだからいいのよ。でももういいわよ、そんなに嫌なら帰るわ」
「嫌じゃないってば」
「嫌なんでしょ。抱きたくないんでしょ」
「抱きたいに決まってんじゃん。他の男の代わりなのが癪だけど」
「代わりじゃないわよ。アンタとカレは違うもの。ただのストレス発散よ。サイドバッグみたいなものよ」
 売り言葉に買い言葉。彼女が泣きながら言うので、どうにも怒る気がしない。
「まあ、とにかく落ち着いてよ。今日は泊まっていっていいから」
「言われなくても泊まるわよ。アンタのベッドで寝てやるんだから」



 元カレに未練たらたらの彼女を好きになってしまったのは、半年前。辰人は友人と立ち飲み屋を訪れていた。
 離れた席から聞こえてきた笑い声。そちらを向けば楽しげに笑う彼女の横顔が見えた。
 お、美人。そのときはそんな些細な気持ちだった。けれど目が離せなかった。じっと見つめていると、ふいにこちらを向いた彼女と目が合った。その瞬間で落ちていた。
 当時彼女はまだあの男と付き合っていた。辰人は友人としての位置を手に入れ、冗談めかして口説き続け、他の男といちゃつく彼女に耐えながら、虎視眈々と機会を待っていた。そうしてその日は突然やって来た。彼女が恋人と別れたのだ。しかも相手の浮気で。この機を逃す手はなかった。
 傷心の彼女が誰かと付き合う前に。その痛みにつけこむ形になっても構わない。機会をうかがう辰人の元に、彼女は自ら飛び込んでき。腕を広げる彼の手中に。
 求めるものがただの慰めであれ、サンドバッグであれ、それを与えることで彼女が手に入るなら、辰人にためらいはなかった。

「新しい彼氏作った方が早く忘れられると思うよ」
「でもまだアイツのこと好きだもん」
 勢いのままに肌を重ねた二人は、辰人のベッドでまどろんでいた。
「軽い気持ちで付き合ってみればいいじゃん俺と。そのうち忘れるよ。時間が解決してくれるって」
「アンタもそうだった?」
「俺は引きずったことないからなぁ。それくらい好きになったこともないし」
「やな感じ」
「しょうがないじゃん。そこまで好きになれなかったんだから。好きになろうとしてなれるもんじゃないでしょ」
「そうね。でも今アイツから連絡きたらそっちいっちゃう自信ある」
「ふーん。でも連絡くる可能性あるの?」
 彼女が黙り込む。
「ないならとりあえず付き合ってみちゃいなよ俺と。ね?」
「……まあ、暇だし、別にいいけど」
「よし。じゃあデートしよ。元カレと行ってないとことかさ」
「そんなのない」
 彼女の背中に手を回す。その素肌の感触は、手に入れた証。
「じゃあ俺と一緒に回って全部上書きしちゃおう。全部俺との思い出の場所にしちゃえばいいよ」
 まだふてくされている彼女だが、デートには賛成してくれた。やはり気晴らしは必要だ。彼女の身体に両腕を巻き付けても抵抗はされない。受け入れているというよりは諦めているだけだろうが、今はそれでも良かった。今後彼女の心も手に入れればいいのだから。



「ねえ」
「うん?」
「アイツから電話来た」
「え、誰?」
「元カレ」
 幾日もデートを重ね、順調に交際する日々を送っていたある日のこと。またしてもその日突然訪れた。
「知らない番号だったから最初は出なかったんだけど、何回か来たから出てみたら、元カレだった」
 やっと笑ってくれるようになったのに。やっと恋人感が出てきたのに。そろそろ元カレを忘れた頃かと思っていたのに。辰人の中で言葉に出来ない思いが駆け巡る。
 彼女はまだアイツに思いがあるのだろうか。突然の連絡は彼女にとって待ち望んだものなのだろうか。表情をみてもわからなかった。
「それで……なに、会おうって?」
「いや、話しただけ」
「そっか」
「うん」
 数か月前の彼女なら、辰人と付き合いながらも元カレからの連絡を待っていたかもしれない。デート中、彼女は度々スマホを取り出しては元カレとの写真を見せ、その時の思い出を語っていた。そうして涙する彼女の肩を抱き、慰めながらも次第に甘えてくる彼女の変化が楽しかったので、辰人にとってもそれは苦い思い出ばかりではなかった。
 けれど今は、もうすぐ同棲する話まで出ているというのに、このタイミングで電話がくるなんて。もうアイツからの連絡もなければ会うこともないと、きっと彼女も思っていたはずだ。それなのに。ようやく吹っ切れたと思った矢先の、アイツからの電話。
「何話したの」
「大したことは何も。最近どうしてるとか、そんな感じ」
「へえ。で、なんて答えたの」
「別に何も。普通だよ、普通にやってるよって」
「俺のことは言った? 付き合ってる人がいるとか」
「言ってない。聞かれなかったし、向こうもどうかわからなくて」
「そっか」
 事実かどうかはわからない。それよりも気になるのは、次に連絡が来た時に彼女がどうするか。一度連絡が来た以上、また連絡が来ないとも限らない。もし彼女の心が揺れているのなら、そのとき彼女はどうするだろう。
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