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17 大掾。追い詰められる
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春虎が府中城に帰り着いたのは、とっぷりと陽が落ちた亥の刻(午後七時頃)であった。
小川道より城に向かったのだが、逃げ出した商人の集団に道を塞がれ、国府瀬川沿いへの迂回を余儀なくされたのだ。
商人らは独自の耳を持っている。
城に逃げ込まないところを見ると、国主となった佐竹の進撃に大掾は対抗できず、府中もろとも灰燼に帰すと危惧してのことだろう。
煌々と炊かれた篝火に大手門が浮かび上がる。
松明を持った武者が春虎を出迎えた。
どうにか戦仕度は整ったようだ。
府中城は台地の西側先端に築かれた城で比高は十一間(約二十メート)、赤土むき出しの斜面となっており、下は葦原や沼地の先に国府瀬川が沿うように流れ香澄の海に続いている。
川の名が示すように常陸国府が置かれた地で、城郭は川の上流より一の郭、二の郭、三の郭と横並びに建っており、一の郭と二の郭の北側に三つの出丸を設け防御としていた。
国府瀬川沿いの南以外は深堀で囲んでいて、東の三の郭に大手門大手門があった。
町人街は街道を挟んだ東側で、これも八町(八百八十メートル)も進めば台地は終わり湿地に行き着く。
北側には国分寺や尼寺があり門前町を造っていた。
府中城は、鉄砲の無い時代の造りで、国府であったため東西南北に街道が貫き、防御も薄く戦には不向きの城だった。
春虎は二の郭の廊下を踏み鳴らし大広間に入った。
烏帽子に紺糸縅の甲冑に纏った清幹を上座に、岡見、益戸、中内、香田、磯丸、宝部の六人の重臣が見取図を真ん中に置いて車座に取り囲んでいた。
「左近将監、足労であった。竹原はどうだ」
重臣らの眼が一斉に春虎に注がれる。
春虎はゆっくりと清幹の脇に座り込んだ。
清幹の眼が悲しい色を浮かべる。
その位置は大掾家家老竹原四郎左衛門義国の席だった。
「竹原城は落ちた。四郎叔父の生死は解らぬ」
春虎の言葉に清幹は笑みを浮かべた。
「なあに四郎左衛門のことだ、今宵にでも府中にくるわ」
無理な作り笑いだ。
大掾家当主が家臣らを前に弱音を見る訳にはいかない。
清幹は叔父の教えの通り尊大な御屋形を演じているのだ。
春虎はそれに倣い大将を演じようと思った。
「佐竹の兵は意外に少ない。占領した城に兵を留め置いたためだ。竹原は不意を突かれたため落ちたのだ。佐竹など恐れるに足りん」
春虎は重臣ら見廻し拳を振り上げた。
「そのとおりだ! 佐竹をよしと思わぬ者らが必ず兵を挙げる。南方衆とてわからぬぞ」
岡見が同調して拳を突き出す。
西の太田や梶原、北の宍戸などの佐竹の有力家臣を数に入れていない。
しかし、誰も異議はない。
わずかな可能性も追い詰められた身には救いになるのだろう。
「軍議に戻ろう」
清幹の一声に、皆、声を発し畏まった。
大掾の兵数は約七百、半日してはよく集まった方である。
在地の地侍まで沙汰を出すことが出来なかったが、岡見城代は春虎の命令通り外城の空にし、志筑城主益戸も家臣を引き連れ府中城に入っている。
近在の地侍も駈け参じ、まずまずの兵数になっていた。
「敵は竹原城を落とし油断しております。佐竹軍に夜襲を掛けましょうぞ」
香田、中内が府中領の外れの佐竹の先兵隊に夜襲を申し立てた。
物見の報せでは佐竹軍は竹原城を落とし南方衆と合流すべく、竹原城の東の高台に夜陣を構えたらしい。
春虎は面白いと思った。
敵は地侍の茂助が夜盗と勘違いした佐竹軍だ。
兵数は三、四十ほどで孤立している。
夜襲とはいえ初戦を制すれば、参陣を決めかねている地侍らへの影響は大きいはずだ。
「よし、夜襲を許す。後方に兵を置き回り込まれるのを防ぐことを忘れるな」
清幹がチラリと春虎を見たが、命じたのは香田と中内だった。
言い出しっぺを外したら臍を曲げる恐れがあるのだか仕方がない。
春虎は無言で肯いた。
「益戸は二百率い小川口。岡見は二百五十を率い水戸口及び宍戸口。磯丸、宝部は出丸にて柿岡口を見張れ。本陣は三の郭に置く」
また、春虎を見たが、首肯する暇を与えず、
「大将は、左近将監とする。よいな!」
重臣らに異存はない。
一斉に声をあげ、頭を下げた。
「豊王丸と惣部殿はどうした?」
重臣らが勇んで広間を出いく。
春虎は二人だけになるのを待ち、気になっていたことを聞いた。
「本館で休ませた。虎兄ぃ、叔父上は、もう‥‥」
頭を垂れ、声を震わせた。
豊王丸の話を聞けば叔父が生きていないのは容易に察しがつく。
重臣らの前では虚勢を張ったが、父親とも慕った叔父の死は相当応えているようだ。
それは春虎も同じだった。
「叔父上のことは戦が終るまで忘れろ。それが大掾一族の宿命だ。奮い立て!」
春虎は自分にも言い聞かせていた。
滅亡の危機に感傷に浸る暇はない。
「香田、中内、見事である。首を城外に晒せ」
「ははっ」
首取帳に証人としての名を記し、香丸、中内を労った。
夜襲は半分成功、半分失敗である。
三、四十と踏んだ敵の数が誤りだったのだ。
二百を超える佐竹兵が駐屯していた。
それでも香田は攻撃を仕掛け、兜首三つを捕ったが、敵の反撃で味方にかなりの負傷者が出ている。
初戦の勝ちにこだわり損害を講じたわけだが、それでも大掾軍は沸き立った。
まだ夜も明けぬ寅の刻(午前三時ごろ)、三の館を本陣とした清幹から使いが来た。
広間の真ん中には泥だらけの甲冑武者が二人、それを取り囲むように、清幹、雪、豊王丸、栗原惣部衛門の四人がいた。
泥だらけの武者は竹原の重臣たちだった。
「叔父の最期を報せるため、俺を呼んだのではあるまい」
春虎は非情に徹する。
涙にくれる雪や豊王丸、惣部衛門を見れば叔父義国が戦死したのは嫌でもわかる。
正室も側室も綾姫も自害したのだ。
胸の奥にドロドロとした熱いものが湧いてきて叫びたくなる。
雪や豊王丸を抱きしめ、ともに泣けたらどんなに楽だろう。
しかし、感情を押し殺し、大掾家大将の役を演じなければならない。
「佐竹の鉄砲についてだ。途方もない威力らしい」
清幹も感情を押し殺し、御屋形に徹する。
「鉄砲?」
「五尺(約一・五メートル)超える大きな筒で、足軽二人が担いでおりました。その威力たるや城門の閂を一撃でへし折るほど。竹束などでは防ぎようがありませぬ」
二人の重臣は口惜しそうに目を伏せた。
「大鉄砲だ。上方では城攻めに使われているそうだ。威力は凄いが弱点はある」
春虎は事も無げに言ってのけた。
神谷に聞いた覚えがある。
二十匁玉(直系三六・八ミリ)を撃ちだす威力は二十本の竹束をも粉砕するのだという。
酒の席の笑い話だと思っていたが、本当にあったのだ。
なら、神谷に教えられた弱点も嘘ではないのだろう。
誠に頼りない根拠であるが、言われた方は希望を見出す。
大将の言動とはそういうものだ。
「おお、御存じでしたか。将監様がおらば佐竹に屈することも無かった」
知っていたからといって、勝てるわけではない。
だが、武者らは眼に光を取り戻し佐竹に復讐を誓った。
「存分に働け。佐竹など恐れるに足りず」
春虎は二人に声を掛け、清幹に目線で合図を送った。
「竹原四郎左衛門および竹原衆には北口を任す。豊王丸、そなたが今より四郎左衛門だ。叔父の名を落とすなよ」
豊王丸も惣部衛門も武者らも驚きはない。
影武者になるのを当然の如く受け入れた。
義国は自分の死を隠す事を命じていたのだ。
最後の最後まで大掾家を考えた叔父義国に頭が下がる。
豊王丸には気の毒だが、それほど、叔父竹原四郎左衛門名は大掾において重要なのだ。
義国が生きている。
それだけではせ参じる地侍の数が違う。
清幹について豊王丸改め四郎左衛門主従が広間を出て行き、雪だけが残った。
「惨いと思うがこれが今の大掾だ。後がないほど追い詰められている。御台を頼むぞ」
優しい言葉ひとつかけてやれない自分がなさけない。
逃げるように広間をでた。
春虎は持ち場につくと直ぐに伝令を益戸、岡見に送った。
大鉄砲に備えるためだ。
「あんなもんは、目方が重うて小回りがきかん。射線上を避け突きかかればどうにでもなるだら。ただ、変わった使い道があるのよ。昨今流行っておるのはそのせいだら」
神谷がいった弱点は、鉄砲の重さが足枷になるというものだった。
叔父義国は、鈍重ではあるが威力抜群の攻城戦用の大鉄砲を知らなかった。
兵の少なさを補うため城内に誘い込み、格好の標的になってしまったのだ。
知っていれば二の郭、三の郭に火をつけ、一の郭に籠るような戦い方はしなかったはずだ。
(一の郭が燃えたのは‥‥ まさか)
天辺の一の郭が炎上しているのを確かに見た。
見間違いではない。
春虎が登った木からは二の郭、三の郭は見えない。
恐らく神谷が言っていた変わった使い方をしたのだ。
どう防げばいい。春虎は考えたが、急に馬鹿らしくなった。
もしかすると、神谷も知らない武器を持っている可能性もある。
考えたところでどうしようもない。
(やりようがねえ。金山持ちはいいわな。次から次へと新しい武器が買えてよ)
春虎は大鉄砲などという代物をひょいと買える佐竹の資金力が羨ましくなった。
常陸国で鉄砲が戦場で使われるようになったのは、二十一前の永禄十二年(一五六九年)の小田氏治と佐竹義重と戦であった。
終始優勢であった小田氏治が、鉄砲の掃射に驚き軍容を崩し大敗を喫した。
その時、真壁幹氏の使用した鉄砲の数は、わずか八挺と言われている。
織田信長と本願寺顕如が数千の鉄砲を駆使し戦う一年前の事だ。
と、いって常陸国だけが鉄砲の普及が遅れていたわけでは無い。
かの、関東管領上杉謙信でさえ天正三年(一五七五年)の軍容は、兵数五千五百九人対し鉄砲数は三一六挺、槍数三千六百と比べればいかに少ないかわかる。
土豪、地侍はどうかは知らぬが大領主らは鉄砲の威力や簡易性を知っていた。
それでも、弓、槍に拘ったのは鉄砲が高価な武器だからだ。
領民の年貢に頼る従来からの領主にはなかなか手の出ない代物だった。
それに、武者にとって鉄砲は迷惑な武器だ。
雑兵風情が名うての豪勇を簡単に撃ち殺せるのだ。
敵の高名な兜首をあげ、功名、恩賞を得る武者にとっては生活を脅かす兵器だ。
撃たれる立場なら、どこの馬の骨ともわからぬ小者に撃ち殺されるなど屈辱でしかない。
こうした利害関係が一致し、西の戦場で鉄砲が絶大な効果を発揮するまで、関東では卑怯な武器と蔑まれていた。
鉄砲を買う金が無い領主の詭弁である。
しかし、佐竹は領内に鉱山をもち、その豊富な資金で鉄砲を買い込み勢力拡大していった。
要は、常陸国で一番の金持ちが台頭したのだ。
その佐竹が卑怯な騙し討ちにさえ飽き足らず、最新の兵器まで用意して大掾を根絶やしにするため襲撃したのだ。
(見せしめに殺されてたまるか)
明るくなる東の空を睨み、春虎は気合を入れた。
小川道より城に向かったのだが、逃げ出した商人の集団に道を塞がれ、国府瀬川沿いへの迂回を余儀なくされたのだ。
商人らは独自の耳を持っている。
城に逃げ込まないところを見ると、国主となった佐竹の進撃に大掾は対抗できず、府中もろとも灰燼に帰すと危惧してのことだろう。
煌々と炊かれた篝火に大手門が浮かび上がる。
松明を持った武者が春虎を出迎えた。
どうにか戦仕度は整ったようだ。
府中城は台地の西側先端に築かれた城で比高は十一間(約二十メート)、赤土むき出しの斜面となっており、下は葦原や沼地の先に国府瀬川が沿うように流れ香澄の海に続いている。
川の名が示すように常陸国府が置かれた地で、城郭は川の上流より一の郭、二の郭、三の郭と横並びに建っており、一の郭と二の郭の北側に三つの出丸を設け防御としていた。
国府瀬川沿いの南以外は深堀で囲んでいて、東の三の郭に大手門大手門があった。
町人街は街道を挟んだ東側で、これも八町(八百八十メートル)も進めば台地は終わり湿地に行き着く。
北側には国分寺や尼寺があり門前町を造っていた。
府中城は、鉄砲の無い時代の造りで、国府であったため東西南北に街道が貫き、防御も薄く戦には不向きの城だった。
春虎は二の郭の廊下を踏み鳴らし大広間に入った。
烏帽子に紺糸縅の甲冑に纏った清幹を上座に、岡見、益戸、中内、香田、磯丸、宝部の六人の重臣が見取図を真ん中に置いて車座に取り囲んでいた。
「左近将監、足労であった。竹原はどうだ」
重臣らの眼が一斉に春虎に注がれる。
春虎はゆっくりと清幹の脇に座り込んだ。
清幹の眼が悲しい色を浮かべる。
その位置は大掾家家老竹原四郎左衛門義国の席だった。
「竹原城は落ちた。四郎叔父の生死は解らぬ」
春虎の言葉に清幹は笑みを浮かべた。
「なあに四郎左衛門のことだ、今宵にでも府中にくるわ」
無理な作り笑いだ。
大掾家当主が家臣らを前に弱音を見る訳にはいかない。
清幹は叔父の教えの通り尊大な御屋形を演じているのだ。
春虎はそれに倣い大将を演じようと思った。
「佐竹の兵は意外に少ない。占領した城に兵を留め置いたためだ。竹原は不意を突かれたため落ちたのだ。佐竹など恐れるに足りん」
春虎は重臣ら見廻し拳を振り上げた。
「そのとおりだ! 佐竹をよしと思わぬ者らが必ず兵を挙げる。南方衆とてわからぬぞ」
岡見が同調して拳を突き出す。
西の太田や梶原、北の宍戸などの佐竹の有力家臣を数に入れていない。
しかし、誰も異議はない。
わずかな可能性も追い詰められた身には救いになるのだろう。
「軍議に戻ろう」
清幹の一声に、皆、声を発し畏まった。
大掾の兵数は約七百、半日してはよく集まった方である。
在地の地侍まで沙汰を出すことが出来なかったが、岡見城代は春虎の命令通り外城の空にし、志筑城主益戸も家臣を引き連れ府中城に入っている。
近在の地侍も駈け参じ、まずまずの兵数になっていた。
「敵は竹原城を落とし油断しております。佐竹軍に夜襲を掛けましょうぞ」
香田、中内が府中領の外れの佐竹の先兵隊に夜襲を申し立てた。
物見の報せでは佐竹軍は竹原城を落とし南方衆と合流すべく、竹原城の東の高台に夜陣を構えたらしい。
春虎は面白いと思った。
敵は地侍の茂助が夜盗と勘違いした佐竹軍だ。
兵数は三、四十ほどで孤立している。
夜襲とはいえ初戦を制すれば、参陣を決めかねている地侍らへの影響は大きいはずだ。
「よし、夜襲を許す。後方に兵を置き回り込まれるのを防ぐことを忘れるな」
清幹がチラリと春虎を見たが、命じたのは香田と中内だった。
言い出しっぺを外したら臍を曲げる恐れがあるのだか仕方がない。
春虎は無言で肯いた。
「益戸は二百率い小川口。岡見は二百五十を率い水戸口及び宍戸口。磯丸、宝部は出丸にて柿岡口を見張れ。本陣は三の郭に置く」
また、春虎を見たが、首肯する暇を与えず、
「大将は、左近将監とする。よいな!」
重臣らに異存はない。
一斉に声をあげ、頭を下げた。
「豊王丸と惣部殿はどうした?」
重臣らが勇んで広間を出いく。
春虎は二人だけになるのを待ち、気になっていたことを聞いた。
「本館で休ませた。虎兄ぃ、叔父上は、もう‥‥」
頭を垂れ、声を震わせた。
豊王丸の話を聞けば叔父が生きていないのは容易に察しがつく。
重臣らの前では虚勢を張ったが、父親とも慕った叔父の死は相当応えているようだ。
それは春虎も同じだった。
「叔父上のことは戦が終るまで忘れろ。それが大掾一族の宿命だ。奮い立て!」
春虎は自分にも言い聞かせていた。
滅亡の危機に感傷に浸る暇はない。
「香田、中内、見事である。首を城外に晒せ」
「ははっ」
首取帳に証人としての名を記し、香丸、中内を労った。
夜襲は半分成功、半分失敗である。
三、四十と踏んだ敵の数が誤りだったのだ。
二百を超える佐竹兵が駐屯していた。
それでも香田は攻撃を仕掛け、兜首三つを捕ったが、敵の反撃で味方にかなりの負傷者が出ている。
初戦の勝ちにこだわり損害を講じたわけだが、それでも大掾軍は沸き立った。
まだ夜も明けぬ寅の刻(午前三時ごろ)、三の館を本陣とした清幹から使いが来た。
広間の真ん中には泥だらけの甲冑武者が二人、それを取り囲むように、清幹、雪、豊王丸、栗原惣部衛門の四人がいた。
泥だらけの武者は竹原の重臣たちだった。
「叔父の最期を報せるため、俺を呼んだのではあるまい」
春虎は非情に徹する。
涙にくれる雪や豊王丸、惣部衛門を見れば叔父義国が戦死したのは嫌でもわかる。
正室も側室も綾姫も自害したのだ。
胸の奥にドロドロとした熱いものが湧いてきて叫びたくなる。
雪や豊王丸を抱きしめ、ともに泣けたらどんなに楽だろう。
しかし、感情を押し殺し、大掾家大将の役を演じなければならない。
「佐竹の鉄砲についてだ。途方もない威力らしい」
清幹も感情を押し殺し、御屋形に徹する。
「鉄砲?」
「五尺(約一・五メートル)超える大きな筒で、足軽二人が担いでおりました。その威力たるや城門の閂を一撃でへし折るほど。竹束などでは防ぎようがありませぬ」
二人の重臣は口惜しそうに目を伏せた。
「大鉄砲だ。上方では城攻めに使われているそうだ。威力は凄いが弱点はある」
春虎は事も無げに言ってのけた。
神谷に聞いた覚えがある。
二十匁玉(直系三六・八ミリ)を撃ちだす威力は二十本の竹束をも粉砕するのだという。
酒の席の笑い話だと思っていたが、本当にあったのだ。
なら、神谷に教えられた弱点も嘘ではないのだろう。
誠に頼りない根拠であるが、言われた方は希望を見出す。
大将の言動とはそういうものだ。
「おお、御存じでしたか。将監様がおらば佐竹に屈することも無かった」
知っていたからといって、勝てるわけではない。
だが、武者らは眼に光を取り戻し佐竹に復讐を誓った。
「存分に働け。佐竹など恐れるに足りず」
春虎は二人に声を掛け、清幹に目線で合図を送った。
「竹原四郎左衛門および竹原衆には北口を任す。豊王丸、そなたが今より四郎左衛門だ。叔父の名を落とすなよ」
豊王丸も惣部衛門も武者らも驚きはない。
影武者になるのを当然の如く受け入れた。
義国は自分の死を隠す事を命じていたのだ。
最後の最後まで大掾家を考えた叔父義国に頭が下がる。
豊王丸には気の毒だが、それほど、叔父竹原四郎左衛門名は大掾において重要なのだ。
義国が生きている。
それだけではせ参じる地侍の数が違う。
清幹について豊王丸改め四郎左衛門主従が広間を出て行き、雪だけが残った。
「惨いと思うがこれが今の大掾だ。後がないほど追い詰められている。御台を頼むぞ」
優しい言葉ひとつかけてやれない自分がなさけない。
逃げるように広間をでた。
春虎は持ち場につくと直ぐに伝令を益戸、岡見に送った。
大鉄砲に備えるためだ。
「あんなもんは、目方が重うて小回りがきかん。射線上を避け突きかかればどうにでもなるだら。ただ、変わった使い道があるのよ。昨今流行っておるのはそのせいだら」
神谷がいった弱点は、鉄砲の重さが足枷になるというものだった。
叔父義国は、鈍重ではあるが威力抜群の攻城戦用の大鉄砲を知らなかった。
兵の少なさを補うため城内に誘い込み、格好の標的になってしまったのだ。
知っていれば二の郭、三の郭に火をつけ、一の郭に籠るような戦い方はしなかったはずだ。
(一の郭が燃えたのは‥‥ まさか)
天辺の一の郭が炎上しているのを確かに見た。
見間違いではない。
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恐らく神谷が言っていた変わった使い方をしたのだ。
どう防げばいい。春虎は考えたが、急に馬鹿らしくなった。
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考えたところでどうしようもない。
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それでも、弓、槍に拘ったのは鉄砲が高価な武器だからだ。
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それに、武者にとって鉄砲は迷惑な武器だ。
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撃たれる立場なら、どこの馬の骨ともわからぬ小者に撃ち殺されるなど屈辱でしかない。
こうした利害関係が一致し、西の戦場で鉄砲が絶大な効果を発揮するまで、関東では卑怯な武器と蔑まれていた。
鉄砲を買う金が無い領主の詭弁である。
しかし、佐竹は領内に鉱山をもち、その豊富な資金で鉄砲を買い込み勢力拡大していった。
要は、常陸国で一番の金持ちが台頭したのだ。
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