金蝶の武者 

ポテ吉

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28 雪。出戻る 

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 結局、森の中の隠れ家に行くことは無かった。
 一年後母の再婚が決まり雪も竹原城をでた。

 再婚相手は母の里の豪農で、一族に繋がる人だった。
 母の実家は北の宍戸氏に仕え、館を構えた土豪であったが、母が高友に輿入れしたあと江戸氏に攻められ領地を失い、宍戸城下に移り住んでいた。
 当時、宍戸氏は独立を保っていたが、一族の長小田氏は頼りにならず佐竹に接近し、高友が落城した頃には佐竹に臣従していた。
 母が竹原城に逃げ込んだのも実家を頼れなかったからだ。

「もう、武家はほとほと嫌になりました。里で余生を過ごしたい」
 主筋の母を迎えた義父は別棟を建て雪も部屋を与えられた。
 夫婦というより客のような生活だった。
 多分、大叔母と伯父が相談して体の弱い母を里に戻すため再婚の形を取ったのだ。
 母の里は江戸氏の支配から佐竹に変わっていて、百姓に嫁ぐ事にしなければ戻れなかったのだろう。

 六年ほど何不自由のない生活を送り母は逝った。
 義父には感謝しかない。
 喪が明けると宍戸の伯父が引き取りたいと伝えてきた。
「大叔母の側に行きたい。侍女として仕えらせませぬか」
 伯父に頼み込んだ。
 竹原城にいけば虎兄ぃ様に会えるかもしれない。
 一度たりとも忘れたことは無い。
 日が経てば経つほど思いは強くなる。押さえる事は出来なかった。

 半年後、大叔母より迎えが来た。
 侍女ではない。養女として迎えてくれたのだ。

 七年ぶりに戻った竹原城は、江戸氏との戦いで養父の義国との対面さえまともにできないほど慌ただしかった。
 水戸の江戸氏には和睦の証として糸姫が側室に入っている。
 それでも戦になるのだ。
 雪も養女となった以上政略結婚を覚悟しなければならなかった。

「雪様。将監様がお見えになります。三の郭に見に行きましょう」
 綾が珍しくはしゃいだ声をだし雪を呼びに来た。
 府中城からの軍勢は竹原城の大手門で合流して国境に向うという。
 将監とは府中の兵を率いて来る大将で、剛勇を誇る武者らしい。

「府中から兵士が? では、御屋形様も‥‥」
 御屋形様御出陣なら虎兄ぃ様もいるはずだ。
 雪は胸の高鳴りを憶えた。

「御屋形様の御出陣はありませぬ。さっ、早う。早う」
 虎兄ぃ様はいるのか。
 従妹の綾なら知っているはずだが、聞く暇など与えぬ行動力である。
 舌打ちが思わず出た。
 仕方なしに雪は綾の後を追った。

「来ましたよ。来ました」
 三の郭の土手の上には侍女や下働きの者達が大勢いた。
 女の方が多いのは、将監を一目見ようとしているのだ。
 隊列は山蔭から大手門に伸びて来る。
 林のような長槍隊の後ろに向い蝶の大旗が翻り、騎馬武者の前立てが陽の光を浴び煌めいた。

 黄色い喚声が上がった。
 将監というのはこの騎馬武者のようだ。
 前立ては金の揚羽蝶。雪の目は釘付けになった。
「虎兄ぃ様⁉」
 見間違いではない。
 眉間に寄せた皺も昔のままだ。

「しょ、将監様とは、三村の寅寿丸様ですか?」
 隣りで胸の前で手を組み食い入るように見ている綾に話しかけた。
「三村左近将監春虎様。雪様が城にいた頃もいらしゃったわ。お会いしてないかしら」
 紅潮した顔をむけ綾が言ったが、雪は言葉が出なかった。

「父上が最も頼りする侍大将よ。戦での活躍知らなかった?」
 雪は他領の百姓の屋敷にいたのだ。
 府中大掾の戦は聞こえて来るが、武者の話しは聞かなかった。
 例え聞いても優しい寅寿丸と結びつかなかったかもしれない。

 母の話を真に受けていたのだ。
 寅寿丸は百姓家で育ったためか、礼儀も作法も疎かで府中城でも寺でも問題ばかりおこし、竹原城に預けられたと言っていた。
「寅寿丸様は、大掾家の一族とはいえ大した御役には就けないわ」
 元服して外城に入ったものの家臣はおらず、外城の三の郭を与えられただけが証左だとも言った。

 雪は母と三日も口を聞かなかったが、日が経つと、何時しか母の言葉を信じていた。
 それの方が都合がよかったのだ。
 廃家になった娘が虎兄ぃ様の側にいられるわけがない。
 役に就いていなければ、わずかな望みがあると思った。

(虎兄ぃ様は、立派な大将になられてしまわれた)
 嬉しくもあったが、悲しくもあった。
 叶わない夢を追い続けていたのだ。
 せめて一度でいいから話をしてみたい。
 (また、子ども頃のように城に来いと言ってくれるかもしれない)

 軍列は大手門前で竹原勢と合流し、そのまま国境に向かってしまった。
 雪は春虎の背を目で追ったが、すぐに後続の兵士の背旗で見えなくなった。
 戦が終れば竹原城に戻って来るはずだ。
 雪はその日を待った。

 だが、江戸氏との戦が終っても、春虎の府中勢は街道で別れ城には来なかった。
 半年後、また江戸氏と戦になったが、合流場所は国境であったため会えなかった。

「雪様、秋草を摘みに行きましょう」
 小田原の北条が滅び、常陸は佐竹氏が支配者になった大変なときだった。

 府中城に入っていた義父が戻ってきていたが、大掾の領地の話しはまだなかった。
 上から下まで竹原城の人々が不安に思っているときに花摘みなどしていていいのだろうか。
 雪は迷ったが綾に無理矢理連れ出された。
 綾は何故だか綺麗な小袖を着ていて、大手門前の湿地で草花を採り森の方にはいかなかった。

 しばらく草花を探していると川の方から単騎の侍がきた。
 烏帽子、狩衣姿だ。
「いらっしゃったわ」
 雪は大手門に向かって来る侍を凝視した。
 虎兄ぃ様だった。
 綾は義父から虎兄ぃ様が来ることを聞いていたのだ。
 だから、着飾って花摘みを理由に大手門で待っていたのだ。

 綾は駆け寄り親しげ話していた。
 雪はどうしていいかわからず、離れた場所で虎兄ぃ様を見ていたが、思わず名を呼んでしまった。

「お雪か!」
 名前を呼ばれて涙が出るほど嬉しかった。
 変わらない虎兄ぃ様がいた。

「雪様ずるい。将監様を知っていたのね」
 綾には怒られたが気にならなかった。
 虎兄ぃ様が今宵忍んでくる。
 戯言でも夢見心地だった。

 だが、その日虎兄ぃ様は出奔してしまった。
 義父と衝突したのだろうか、理由は明かされなかった。
 虚しい日々が続いた。

 義父は国主となった佐竹との交渉で府中城に行ったきりだった。
 噂では大掾は佐竹に臣下し領地は安堵されるらしい。
 そうなれば臣下の証として証人入れが行われる。
 輿入れの形をとられるのが体のいい人質なのも知っている。

 大掾の一族には年頃の娘は竹原城にしかいない。
 義国の三女綾と義娘のわたしだけだった。
 望んで城主の養女になったのだ。
 誰に輿入れされようと文句は言えない。
 虎兄ぃ様に見捨てられたとの思いが覚悟を決めさせた。

 春虎が出奔してひと月後、ついに府中城の養父に呼ばれた。
 佐竹一族との婚儀の話しが持ち上がったのだと予想はついた。

(佐竹に嫁げば、二度と虎兄ぃ様に会えない)
 仕方がない事だと思いながらも、春虎を考えてしまう。
 覚悟が揺らぐ。
(いっそ、尼になろうか)
 尼寺に入れば府中を離れなくて済む。
 いつかは虎兄ぃ様に会えるかもしれない。
 だが、義父の顔に泥をぬる。
 それに尼になれば綾が代わりに輿入れととなる。
 恩を仇で返してまで我を通し待ったところで、虎兄ぃ様に会わせる顔がない。
 諦めるしかないのだ。
 雪は自分に言い聞かせた。

 府中城の広間に通され、雪は初めて御屋形様に対面した。
 恐る恐る顔を上げると脇には義父義国がいた。

「雪。輿入れが決まったぞ」
 養父の声に眼の前が真っ暗になった。
 やはり佐竹に嫁がされる。
「輿入れ先は、三村左近将監春虎。三村城の再建も決まった。雪は御台について大掾の作法を習うのだ。春虎は出奔したのではない。大掾のために働いている。手紙もよこさぬ馬鹿ぶりだが、いずれ戻って来る」

 雪は耳を疑った。
 義国の言葉に頷く事さえ出来なかった。

「其方の話しは将監から聞いていたが、嫌か?」
 呆然としていたためだろう、
 御屋形様が顔色を変え聞いて来た。

「ゆ、雪は虎兄ぃ様をお慕いしておりました。夢のようです」
 正直に言った。
「そうか。ではよいのだな」
「はい」
「父を失った悲しみを紛らせてくれたのは虎兄ぃだった。雪も同じか」
「はい」
 優しい目だった。

「虎兄ぃの嫁になろうとも、一の子分はわたしだからな。雪姫は二番目だ」
 去り際の御屋形様の言葉にこらえていた涙があふれた。

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