金蝶の武者 

ポテ吉

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29 春虎。目覚める

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 暗闇の中、女が幼子の手を引かれ走っていた。
 幼子が手を振り払い戻ろうとした。
 赤々と燃え上がる山が見えた。
 城が燃えているのだ。

 ああ、またいつもの夢だ。

 女は幼子を抱きかかえ、真っ暗な道を必死に走る。
 幼子は五歳の春虎だ。
 返せ、戻せと泣き叫んでいた。

 泣くな。久美を困らせるな。
 泣いたところでどうにもならぬ。戻ったところで何もできぬ。

「源爺。なんでわたしだけ生き残った。寅寿丸は何のために生きておる」
 五歳の春虎の言葉に名主の源左衛門の顔が歪んでいる。

 やめろ。源爺が困っていよう。

「お虎様は名門大掾様の武士。立派な武士にならなければなりませぬ」
 
 無茶を言うな。
 立派な武士とは何だ? 戦に負けなければいいのか。

「わたしは立派な武士となるため生きているのだな」
 
 無駄だ。
 立派な武士を目指したところで、佐竹には敵わぬ。
 大掾は滅ぶ。
 城は落ち清幹は‥‥
 違う。清幹が生きている限り大掾は滅んではいない。
 そうだ。清幹は結城にいる。
 俺を待っている。 

「将監様! 将監様! 奥方様、将監様がお気づきなられましたぞ」
「源爺?」
 年老いた源左衛門の顔が眼の前にあった。
 
「虎兄ぃ様! よかった。凄い熱で五日も目を覚まさぬ時はどうなることかと」
 雪が駆け寄り額に手を当て、涙を浮かべている。
「い、五日⁉」
 ぼやけていた意識がはっきりしてきた。
 小屋に入った後、意識を失ったのだ。

「結城に向わねば。館林に行くのだ」
 声がかすれた。起き上がろうとすると激痛が走った。
 頭も手も足も全身が痛い。
 見れば手足に白布が巻いてある。

 頭からむせ返るほどの薬草の匂いが鼻をついた。
「落ち着いて下さい。今は傷を治す事だけ考えてください」
 雪が水を椀に入れ口に含ませてくれた。
「清は、すでに結城に着いているはずだ。急がなければ」
 痛みをおして立ち上がった。
 身体は動く。
 無理をすれば歩く事もできる。
 源左衛門と雪が顔を伏せた。無言である。
「着物をくれ。もう大丈夫だ」
 
「どうした? 源爺。お雪」
 炉の薪が爆ぜた。
「悪い噂が、流れております」
 源左衛門が絞り出すように言った。

「悪い噂‥‥?」
 源左衛門が身を乗り出したのを雪が制した。
 雪は居住いを正し顔を向けた。
「御屋形様、御台所様。府中の寺でご自裁なされたと、まことしやかに流れております」

「寺? 叔父上の寺か⁉ いや、それはおかしい。寺は外城の近くだ。南側だぞ」
 撤退に際し益戸隊が小川口に火をつけた。
 佐竹が消し止め多数の兵士が入り込んでいる。
 小川口より南側の叔父の寺などに行けるわけがない。

 隠れていた宮田で佐竹兵に見つかったのか。
 いや、御台所と子を連れて下人に扮しているのだ。
 斬られることはあっても腹を斬る暇などないはずだ。

「清に逃げられた佐竹の流言ではないのか」
 二人は目を見合わせた。
「源爺。大変でも調べてくれないか」
 戦が終ってまだ五日では、佐竹の警戒は解かれていない。
 だが、領地の百姓なら城下に入れるかもしれない。

「すでに与平が行っております。与平なら知り合いも多い」
「そうか。与平とおきぬが里に戻っているのだな」
「はい。それに倅の名を使えば城下に入れます」
「無理はさせるな。名主とはいえ佐竹が何もしねえとは限らねえ」
「はい」
 源左衛門が出て行くと、すぐにおきぬの声が聞こえてきた。
 春虎は首を傾げた。

「ん。なんだ、外にいたのか。いるなら入ってくればいいのに」
「申し訳ありませぬ」
 真っ赤になったお雪が頭を下げた。

「虎兄ぃ様。水汲みなど雪がやります」
「なに。もう大丈夫だ。痛みも消えたぞ」
 三日が経った。
 頭の傷が若干疼くものの動くには支障がない。
 小屋に籠っていては脚が萎えるような気がして、山を登ったり降りたりして鍛えていたのだ。
 水汲みもいい鍛錬だった。

「なあ。お雪。虎兄ぃ様と言うのも‥‥ ん。ちっと。その。なんだ」
 汲んできた水を甕にあけ、椀ですくって喉を潤した。
「‥‥ はい。と、殿」
 雪は耳まで真っ赤になった。
 助けられた時、左近将監の妻と名乗った雪は、面と向かうと虎兄ぃ様と昔ながらの呼び方をしていた。
 夫婦の契りを結んだ今も変わらない。
 もう兄ではない。夫なのだ。
 春虎は雪を見つめた。
「お雪」
「殿」
 春虎の手が雪に伸びた時、外で枯れ葉を踏む音が聞こえた。

「お虎様。げ、源左衛門です。よ、よろしいですか」
 春虎は無粋な奴だと顔を顰めた。
「おう。どうした」
 戸替わりの粗朶木の束が開けられた。
 源左衛門と与平が立っていた。
「よ、与平も入れてよろしいですか」
「与平が戻ったか。入れ。入れ」
 二人の項垂れた様子に嫌な予感がした。

「今しがた与平が戻りましたので、お連れしました」
 平伏した源左衛門が絞り出すような声を出した。
「そうか。清は死んだか」
 二人はぎょっとして顔を上げた。

「御屋形様は寺にて御自害致しました。御台様、若様、侍女の皆様。旅立たれました」
 源左衛門は涙を浮かべた。

「教えてくれ。なぜ清は寺で腹を切ったのだ。わかるか」
「御屋形様は、志筑に向かう途中の宮田で引っ返したそうです。しかし、城には戻れず、近くの寺に入り自刃されました」
「戻った⁉ 城に戻ろうとしたのか」
「はい。召し放された小者の話しでは、宮田で燃える城を見て残念だと申されたそうです」
「残念と、申したのか⁉ 他には?」
「なにも。ただ一言、残念だと」

 その夜春虎は寝付けなかった。
 清幹の最後の言葉が頭から離れなかったのだ。
 源左衛門や雪は、城が落ちのが、残念だと受け取ったようだが、春虎には清幹が自分に向けた言葉のような気がして仕方がなかった。

 清幹は大掾当主の念が残り、引き返すにあたり残念と漏らしたのだ。
 無念にはなれない自分を自嘲したのだ。
(俺の意地も残念なのか)
 春虎はいつまでも闇を睨んでいた。


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