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30 春虎。逃げる
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春虎は寝ることができなかった。
どのくらい経ったのだろうか、突然小さな火が灯った。
明りの中で蠢く雪が見えた。
「な、何をする!」
短剣が煌めき黒髪が地に落ちた。
雪は涙を流し俯いた。
雪はひとり生き残ってしまったことを詫びて、御台や侍女に髪を捧げたのだと言った。
春虎は叫び出したくなるのを堪えた。
雪が黒髪を捧げたように、自分もやらねければならない。
犬死になろうと大掾の意地をみせるため、佐竹に斬り込むのだ。
そうしなければ死んでいった者達顔向けできない。
残念 ──
清幹の最後の言葉は自分に向けたものだ。
(叔父っまならどうする。俺はどうしたらいい)
春虎はいつまでも闇を睨んだ。
御台所。侍女。大伯母。綾姫。‥‥
雪の知る女は皆死んでしまった。
自分一人が生き残っている。
しかも、夢にまで見た春虎の妻として生きている。
心咎めで一杯だった。
雪は落とした黒髪を懐紙で包み、春虎の様子を窺がった。
闇を睨んだまま一言も発しなかった。
「街道のみならず、河口にも関を設け取り締まっておりますぞ」
源左衛門は厳しい口調で春虎に詰め寄り、何度も首を振った。
「源爺。曲げて頼む」
雪に気付いた春虎は話を止めた。
源左衛門はちらりと雪を見て無言で立ち去った。
夕方、源左衛門が濁酒を持ってまた訪れたが、中には入らず春虎に渡すと頭を下げ帰って行った。
二人とも何も話をしなかった。
ただ、源左衛門の悲哀に満ちた眼を見た時、すべてが分った。
春虎は平家大掾一族の武人である。
おめおめと落ち延びつもりはないだ。
「雪もお連れ下さい。浄土に御一緒致します」
春虎にしがみつき哀願したところで許すとは思えなかった。
春虎がいなくなれば、生きているつもりはない。
ひと時であったが、思いは遂げられた。
あとは春虎とともに、皆の所に行ければいい。
春虎の妻として生を終わらせたい。
雪の最後の願いだった。
次の日、春虎はあらぬ方向を凝視し終止上の空であった。
春虎が大声を出したのは夕餉のあとだった。
「お雪。俺は決めたぞ!」
器を片付けていた雪は身構えた。
「雪もお連れ下さい。妻として共に戦いとうございます」
雪は春虎の前に膝を折った。
「死ぬのはやめた。俺は逃げる」
雪は耳を疑った。
「情けねえだろうが、一緒に逃げて欲しい」
春虎が雪の眼を見てニコリと微笑んだ。
その夜、囲炉裏の近くにかわらけを二つ置き二人は並んだ。
「御屋形様、四郎叔父。仰せの通り春虎は雪を娶りました」
春虎は一礼すると奧のかわらけに濁酒を注ぎ、かわらけを取り口に運んだ。
「清、念が消せねえなら俺について来い。面白れぇもんいっぺえ見せてやる」
雪は見た。
囲炉裏の向こうに御屋形様と義父と常慶和尚がいる。
三人は笑顔で肯いている。
雪は手を合わせ涙を零した。
どのくらい経ったのだろうか、突然小さな火が灯った。
明りの中で蠢く雪が見えた。
「な、何をする!」
短剣が煌めき黒髪が地に落ちた。
雪は涙を流し俯いた。
雪はひとり生き残ってしまったことを詫びて、御台や侍女に髪を捧げたのだと言った。
春虎は叫び出したくなるのを堪えた。
雪が黒髪を捧げたように、自分もやらねければならない。
犬死になろうと大掾の意地をみせるため、佐竹に斬り込むのだ。
そうしなければ死んでいった者達顔向けできない。
残念 ──
清幹の最後の言葉は自分に向けたものだ。
(叔父っまならどうする。俺はどうしたらいい)
春虎はいつまでも闇を睨んだ。
御台所。侍女。大伯母。綾姫。‥‥
雪の知る女は皆死んでしまった。
自分一人が生き残っている。
しかも、夢にまで見た春虎の妻として生きている。
心咎めで一杯だった。
雪は落とした黒髪を懐紙で包み、春虎の様子を窺がった。
闇を睨んだまま一言も発しなかった。
「街道のみならず、河口にも関を設け取り締まっておりますぞ」
源左衛門は厳しい口調で春虎に詰め寄り、何度も首を振った。
「源爺。曲げて頼む」
雪に気付いた春虎は話を止めた。
源左衛門はちらりと雪を見て無言で立ち去った。
夕方、源左衛門が濁酒を持ってまた訪れたが、中には入らず春虎に渡すと頭を下げ帰って行った。
二人とも何も話をしなかった。
ただ、源左衛門の悲哀に満ちた眼を見た時、すべてが分った。
春虎は平家大掾一族の武人である。
おめおめと落ち延びつもりはないだ。
「雪もお連れ下さい。浄土に御一緒致します」
春虎にしがみつき哀願したところで許すとは思えなかった。
春虎がいなくなれば、生きているつもりはない。
ひと時であったが、思いは遂げられた。
あとは春虎とともに、皆の所に行ければいい。
春虎の妻として生を終わらせたい。
雪の最後の願いだった。
次の日、春虎はあらぬ方向を凝視し終止上の空であった。
春虎が大声を出したのは夕餉のあとだった。
「お雪。俺は決めたぞ!」
器を片付けていた雪は身構えた。
「雪もお連れ下さい。妻として共に戦いとうございます」
雪は春虎の前に膝を折った。
「死ぬのはやめた。俺は逃げる」
雪は耳を疑った。
「情けねえだろうが、一緒に逃げて欲しい」
春虎が雪の眼を見てニコリと微笑んだ。
その夜、囲炉裏の近くにかわらけを二つ置き二人は並んだ。
「御屋形様、四郎叔父。仰せの通り春虎は雪を娶りました」
春虎は一礼すると奧のかわらけに濁酒を注ぎ、かわらけを取り口に運んだ。
「清、念が消せねえなら俺について来い。面白れぇもんいっぺえ見せてやる」
雪は見た。
囲炉裏の向こうに御屋形様と義父と常慶和尚がいる。
三人は笑顔で肯いている。
雪は手を合わせ涙を零した。
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