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31 人見高義。飽きる
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「太郎様。太郎様。よろしいですか。太郎様」
戸口の声に目が覚めた。
この地で自分を太郎と呼ぶのは、掻き集めた領地の百姓兵だけだ。
人見太郎左衛門高義は眠い目を擦りながら起き上がった。
炉の火は消え隙間だらけの板壁から冷たい風が吹き込んできた。
高浜入り江の漁師の納屋を陣屋として十日になる。
「なんだ。俺は寝たばかりだぞ。何のようだ」
高義は不機嫌な声を上げた。
藁の中に潜って寝ているためか、背骨がこわばり痛い。
それに加え直垂の中に藁が入り込み肌に刺さり気持ちが悪かった。
屋根があるだけ兵士らよりはましだと我慢していたが、十日も続くと軽んじられているように思え馬鹿らしくなっていた。
「佐竹の足軽らが船を出せと。漁師を捕らえると息巻いております」
(どこまでも、舐めくさりおって。足軽風情が何様のつもりだ!)
人見家は、今でこそ衰退しているものの歴とした武家で、香澄の海の周辺に盤踞する南方三十三館に数えられる家柄だ。
寄親の島崎安定の奨めにより大掾清幹討伐に出陣したのだが、佐竹の待遇はおそろしく悪かった。
高浜入り江の警備。聞こえはいいが佐竹の足軽十人と己の手勢十人で国府瀬川河口の入り江を護り固める役務だったのだ。
戦となれば漁師も引きこもり船を出す者はいない。
警備などする必要のない地に留め置かれた。
それに加え佐竹の山尾という足軽頭が不愉快な存在で、五日目に府中にいったまま戻って来ない。
高義の兵は家人三人の他、領地の百姓が七人と名主程度の兵力である。
そのためだろう佐竹の足軽からも下に見られている。
高義は直垂に陣羽織をひっかけ外にでた。
家人二人が神妙な顔で待っていた。
「漁師が怪しいとはどういうことだ。銭でもばら撒きながら漕いでいるのか」
高義の冗談に二人はクスリとも笑わない。
「川で呼び止めたのを無視したそうで。まあ、怪しいと言えば確かに怪しいのですが」
「なにが、怪しい?」
「まあ、ご覧いただければ」
納屋を離れ入り江に降り立つと、小さな小舟が一艘、流れに逆らいながら浮いていた。
佐竹の足軽たちが寄せろ、寄せろと喚いているが決して近づいては来ない。
櫂を漕ぐ男は中々の偉丈夫で笠の隙間から見える顔は鼻筋が通りなかなかの美形である。
小さな背が男に寄り添うように蹲っていた。
(こりゃ、大掾の落人だ)
高義は一目で看破した。
百姓にしては品位がありすぎるのだ。
なにより櫂の使い方が微妙に腰高でぎこちない。
山育ちの佐竹兵にはわからないだろうが、香澄の海に育った高義らは一目見れば漁師ではないことがわかってしまう。
(さあて、どうするか)
高義は佐竹兵を押し分け前に出た。
大掾清幹は自刃して果てたとは聞いている。
今更、大掾方の侍の一人、二人見逃した所でどうってことはないはずだ。
人見の家も大昔から鹿島についたり、小田についたり、大掾にもついて生き延びて来た。
いまは島崎に付き従い、佐竹に伝手を求めている。
(明日は我が身か。おお、やだ。やだ)
高義は心底そう思った。
「おい、人見太郎左衛門だ。何を獲りに行く」
手を振って話しかけた。
足軽らが怪訝な顔で振り向き見ている。
「へい。出島辺りで、ごろんぱ(ハゼ類の稚魚)でも、と」
「ほうか。なら、東崎の湊近くがよいぞ。形の良いのが採れるらしい。さあ、行け」
漁師は深々と頭を下げ、へいと返事を返した。
「何を勝手な! まだ改めもしておらぬぞ」
足軽小頭が食って掛かきた。
職務に忠実なのではない。
難癖をつけ銭をたかるのがいつもの手なのだ。
「分をわきまえよ。ワシの改めが不満なら山尾殿を呼んでまいれ!」
小頭は頭を下げ渋々引き下がった。
頭など呼びに行けるはずがない。
山尾は上役にべったり貼り付き府中から離れる気はないのだ。
「あのぉ、お侍さまに一言申し上げます」
漁師の男の声だ。
「ああっん。まだ居たのか。あっ!」
高義は振り返った途端、背中を電流が走った。
漁師の眼ではない。
紛れもなく武士の眼、しかも戦場では絶対に出会いたくないもののふの眼だ。
「府中には甘い蜜を出し誘い込んで刺す毛虫が湧いております。くれぐれもご注意くだされ。刺されては取り返しがつきませぬぞ」
高義は靄に消える小舟を暫く見ていた。
(甘い蜜? 毛虫とは佐竹義重の前立てか? あの落人は何を含ませた。さて?)
確かに不可解な戦であった。
佐竹義宣が関白豊臣から常陸一国を拝領し国主となり、国人衆はみな佐竹に臣従するしか生き残る道はなかった。
御多分に漏れず大掾も臣下を申し出て、許されたはずである。
その大掾が謀反を企てたのだ。しかも対面の儀の日にである。
寄親の島崎安定も臣下の儀に立ち会うと自慢げに言っていたが、謀反となり戦になった。
どう考えても大掾に勝算があったとは思えない。
行き当たりばったりで謀反に及ぶ者はいないだろう。
(負けるというのは無残なものだ。捨て言葉のひとつも吐きたかっただろ)
高義は敗残兵の負け惜しみと解した。
戸口の声に目が覚めた。
この地で自分を太郎と呼ぶのは、掻き集めた領地の百姓兵だけだ。
人見太郎左衛門高義は眠い目を擦りながら起き上がった。
炉の火は消え隙間だらけの板壁から冷たい風が吹き込んできた。
高浜入り江の漁師の納屋を陣屋として十日になる。
「なんだ。俺は寝たばかりだぞ。何のようだ」
高義は不機嫌な声を上げた。
藁の中に潜って寝ているためか、背骨がこわばり痛い。
それに加え直垂の中に藁が入り込み肌に刺さり気持ちが悪かった。
屋根があるだけ兵士らよりはましだと我慢していたが、十日も続くと軽んじられているように思え馬鹿らしくなっていた。
「佐竹の足軽らが船を出せと。漁師を捕らえると息巻いております」
(どこまでも、舐めくさりおって。足軽風情が何様のつもりだ!)
人見家は、今でこそ衰退しているものの歴とした武家で、香澄の海の周辺に盤踞する南方三十三館に数えられる家柄だ。
寄親の島崎安定の奨めにより大掾清幹討伐に出陣したのだが、佐竹の待遇はおそろしく悪かった。
高浜入り江の警備。聞こえはいいが佐竹の足軽十人と己の手勢十人で国府瀬川河口の入り江を護り固める役務だったのだ。
戦となれば漁師も引きこもり船を出す者はいない。
警備などする必要のない地に留め置かれた。
それに加え佐竹の山尾という足軽頭が不愉快な存在で、五日目に府中にいったまま戻って来ない。
高義の兵は家人三人の他、領地の百姓が七人と名主程度の兵力である。
そのためだろう佐竹の足軽からも下に見られている。
高義は直垂に陣羽織をひっかけ外にでた。
家人二人が神妙な顔で待っていた。
「漁師が怪しいとはどういうことだ。銭でもばら撒きながら漕いでいるのか」
高義の冗談に二人はクスリとも笑わない。
「川で呼び止めたのを無視したそうで。まあ、怪しいと言えば確かに怪しいのですが」
「なにが、怪しい?」
「まあ、ご覧いただければ」
納屋を離れ入り江に降り立つと、小さな小舟が一艘、流れに逆らいながら浮いていた。
佐竹の足軽たちが寄せろ、寄せろと喚いているが決して近づいては来ない。
櫂を漕ぐ男は中々の偉丈夫で笠の隙間から見える顔は鼻筋が通りなかなかの美形である。
小さな背が男に寄り添うように蹲っていた。
(こりゃ、大掾の落人だ)
高義は一目で看破した。
百姓にしては品位がありすぎるのだ。
なにより櫂の使い方が微妙に腰高でぎこちない。
山育ちの佐竹兵にはわからないだろうが、香澄の海に育った高義らは一目見れば漁師ではないことがわかってしまう。
(さあて、どうするか)
高義は佐竹兵を押し分け前に出た。
大掾清幹は自刃して果てたとは聞いている。
今更、大掾方の侍の一人、二人見逃した所でどうってことはないはずだ。
人見の家も大昔から鹿島についたり、小田についたり、大掾にもついて生き延びて来た。
いまは島崎に付き従い、佐竹に伝手を求めている。
(明日は我が身か。おお、やだ。やだ)
高義は心底そう思った。
「おい、人見太郎左衛門だ。何を獲りに行く」
手を振って話しかけた。
足軽らが怪訝な顔で振り向き見ている。
「へい。出島辺りで、ごろんぱ(ハゼ類の稚魚)でも、と」
「ほうか。なら、東崎の湊近くがよいぞ。形の良いのが採れるらしい。さあ、行け」
漁師は深々と頭を下げ、へいと返事を返した。
「何を勝手な! まだ改めもしておらぬぞ」
足軽小頭が食って掛かきた。
職務に忠実なのではない。
難癖をつけ銭をたかるのがいつもの手なのだ。
「分をわきまえよ。ワシの改めが不満なら山尾殿を呼んでまいれ!」
小頭は頭を下げ渋々引き下がった。
頭など呼びに行けるはずがない。
山尾は上役にべったり貼り付き府中から離れる気はないのだ。
「あのぉ、お侍さまに一言申し上げます」
漁師の男の声だ。
「ああっん。まだ居たのか。あっ!」
高義は振り返った途端、背中を電流が走った。
漁師の眼ではない。
紛れもなく武士の眼、しかも戦場では絶対に出会いたくないもののふの眼だ。
「府中には甘い蜜を出し誘い込んで刺す毛虫が湧いております。くれぐれもご注意くだされ。刺されては取り返しがつきませぬぞ」
高義は靄に消える小舟を暫く見ていた。
(甘い蜜? 毛虫とは佐竹義重の前立てか? あの落人は何を含ませた。さて?)
確かに不可解な戦であった。
佐竹義宣が関白豊臣から常陸一国を拝領し国主となり、国人衆はみな佐竹に臣従するしか生き残る道はなかった。
御多分に漏れず大掾も臣下を申し出て、許されたはずである。
その大掾が謀反を企てたのだ。しかも対面の儀の日にである。
寄親の島崎安定も臣下の儀に立ち会うと自慢げに言っていたが、謀反となり戦になった。
どう考えても大掾に勝算があったとは思えない。
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