役目を終えたはずの巫女でした

豆腐と蜜柑と炬燵

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第5章

王宮診療所での日々

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――最初の出勤
 王宮診療所に配属が決まった日のことを、
 エルンスト・ハイネ先生は、少し間を置いてから口にした。
「ここではね、
 君をただの“医療者”として迎えるつもりだ」
 穏やかな声だった。
「それで、構わないかな」
 私は、その場で頷いた。
「はい。
 それでお願いします」
 特別な立場を設けないこと。
 巫女としてではなく、看護師として扱うこと。
 指示系統も、責任の所在も、すべて通常どおり。
 その条件は、事前に上を通して共有された。
________________________________________
 初出勤の朝。
 私が足を踏み入れたのは、第1診療所だった。
 王宮内に三つある診療所の中で、
 ここが一番規模が大きい。
 入院区画と処置室を備え、
 さらに奥には手術室まである。
 建物の入口には、強固な結界が張られていた。
 その内側には、常に一名の騎士が待機している。
 特別師団が持ち回りで担当し、
 移動時はクロト・ヴァルハルトがつくことも多いが、
 診療所に常駐する担当は別だ。
 この時間、詰所にいたのは、
 男性の騎士だった。
 人の出入りはあるが、
 外来を受け持つ第2、第3診療所ほどの騒がしさはない。
 それぞれが自分の役割を理解し、
 必要なことだけを淡々とこなしている。
 ここが、王宮診療所の中枢なのだと、
 自然に分かった。
________________________________________
「今日から入る、桜ね」
 第1診療所の処置室前で、
 ベテランの看護師、マルタ・シュナイダーが
 手元の記録から顔を上げた。
「はい。よろしくお願いします」
「聞いてるわ。
 看護師として、でしょ」
「ええ。それで」
「了解。
 じゃあ、いつも通りいくわよ、桜」
 処置室の中には、
 準備を進めている看護師のロッテ・フィッシャーと、
 器具を確認している医師の姿があった。
 特別な紹介はない。
 そのことが、むしろありがたかった。
________________________________________
 朝の申し送りは、第1診療所全体で行われた。
 処置室の一角に集まり、
 入院中の患者と、当日の対応予定を確認する。
 エルンスト先生が、全体を一度見渡す。
「桜は、第1診療所付きになる」
 声は低いが、柔らかい。
「立場は看護師だ。
 特別扱いはしないよ」
 念を押すように続ける。
「判断は、これまで通り医師が行う。
 それから――」
 一瞬だけ、こちらを見る。
「無理をさせない判断も、
 こちらの責任だ」
 誰も異を唱えなかった。
 それで十分だと、全員が分かっている。
________________________________________
 処置室へ戻る途中、
 廊下で、若い医師見習い――
 ユリウス・カーンが、少し緊張した様子で声をかけてきた。
「あの……今日から、よろしくお願いします」
「こちらこそ。
 まだ全然分からないことばかりなので、
 いろいろ教えてください」
「はい、桜さん」
 ユリウスは、ほっとしたように頷いた。
________________________________________
最初に声をかけてきたのは、マルタだった。
「桜、まずは病棟から行きましょう」
そう言って、処置室の外へ歩き出す。
第1診療所の入院区画は、奥に長い。
左右に並ぶ病床を、マルタは迷いなく見ていく。
「基本は三十床。
 今は二十床が埋まってるわ」
歩きながら、さらりと説明が入る。
「内科の患者さんが多い。
 あとは、騎士が二人。
 どちらも一時は重症だったけど、
 今は回復に向かってる」
視線の先で、包帯を巻いた騎士が体を起こしていた。
病床の間隔は広めだが、
壁際には、使われていない簡易ベッドが折りたたまれている。
「戦闘があって、騎士が一気に運ばれてきたら、
 ここからどんどん出すの」
私の視線に気づいて、マルタが言った。
「空いてる部屋にも入れるし、廊下だって使う。
 三十床は、あくまで普段の話ね」
淡々とした口調だった。
「今は、まだ余裕があるわ。
 だから今日は、流れを覚えて、
 今いる患者の把握をして」
そう言って、最初の患者のもとへ向かう。
「お体の具合はどうですか?」
私は、ゆっくり声をかける。
マルタは横で脈を取り、熱を測り、
必要なところだけを短く指示する。
「次は体位交換ね。補助に入って!」
マルタは、近くにいた介助人の一人に声をかけた。無駄がない動きだった。
誰が何をするか、言葉にしなくても通じている様子だった。
入院患者の対応をそつなく、しかし着実にこなしていると、
処置室から呼び出しが入る。
「次は処置室ね。
 桜、ついてきて」
「はい」
私は、マルタの半歩後ろを歩く。
まだ分からないことばかりだ。
だから、きちんと教えてくれる先輩がいることに、
自然と胸が緩んだ。
________________________________________
マルタの後に続いて処置室に入ると、
空気が少し張りつめていた。
病棟よりも音が多い。
器具の触れ合う音、短い指示、布が擦れる気配。
「桜、ここで先生の補助に入って」
マルタに呼ばれて、横につく。
処置台の上には、若い騎士がうつ伏せに横たわっていた。
背中の鎧はすでに外され、
肩甲骨の下から腰にかけて、布が大きく切られている。
「魔物との交戦中に、爪で引き裂かれている」
簡潔な説明だった。
一本ではない。
深さの違う裂創が、斜めに走っている。
縁は荒く、汚れも残っていた。
エルンスト先生が、慎重に傷を確認する。
「骨には届いていない。
 呼吸も安定している」
一瞬、騎士の背に手をかざし、
すぐに判断を下す。
「麻酔は使わない。
 疼痛緩和で十分だ」
「はい」
その言葉で、処置室の空気が定まった。
「ユリウス。
 疼痛緩和を」
「……はい」
ユリウスが一歩前に出る。
深く息を整え、短い詠唱を口にした。
淡い光が、騎士の背中を包む。
意識はそのままに、
痛みだけが、少し遠のいていく。
治す魔法ではない。
耐えられる程度まで、和らげるだけのものだ。
騎士の肩から、ふっと力が抜けた。
「……助かります」
「効果は長くありません」
ユリウスの声は、まだ少し硬い。
「今のうちに進めよう」
エルンスト先生はそう言って、
視線を再び傷へ戻した。
私は、マルタの動きを見ながら、
器具の準備を手伝う。
手順は、日本と大きくは変わらない。
「声かけ、お願い」
マルタに言われ、騎士の顔を見る。
「これから洗います。
 疼痛魔法が効いていると思いますが、
 我慢できない痛みがあったら、必ず言って下さいね」
騎士は短く息を吸い、頷いた。
洗浄が始まると、
背中の筋肉がわずかに強張る。
私は、そっと肩に手を置く。
「頑張りましょうね」
魔力は使えない。
だから、できるのは声と手だけだ。
「縫合に入る」
エルンスト先生の一声で、流れが切り替わる。
一針ずつ、確実に。
裂けた皮膚が、少しずつ寄せられていく。
出血は多かったが、
想定の範囲内だった。
「終わりだ」
その言葉に、
騎士は深く息を吐いた。
「数日は入院で。
 おそらく熱が出る。
 痛み止めの薬草を飲んで、しっかり休みなさい。
 退院の時期は、明日の様子を見て決める」
「分かりました」
騎士はそう答えると、ゆっくりと上体を起こした。
顔色はまだ冴えないが、足取りはしっかりしている。
「歩けそうね」
マルタが短く確認する。
「無理はしないで。ベッドまで行きましょう」
そう言って、近くにいた介助人の一人に視線を向けた。
「部屋まで誘導をお願い。途中で辛そうだったら、すぐ休ませて」
「はい」
介助人が騎士の横につき、腕を差し出す。
騎士はそれを借りて立ち上がり、深く一度、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「今日はもう休んで」
マルタはそう返して、患者に向けるときの穏やかな笑みを浮かべた。
---
午後の診療が落ち着いたころ、入口に立つ護衛の顔ぶれが入れ替わっていた。
昼休憩を挟んでの交代。
その午後のかかりとして配置についたのが、リーゼだった。
「サクラ様。午後の護衛を引き継ぎました」
形式通りの敬礼。
けれど、声は穏やかだった。
それから数時間後。
「サクラ様、十六時です。
 本日の診療所での勤務は、ここまでとしてください」
「分かりました。ありがとうございます」
私は病棟と処置室の方へ向き直り、軽く頭を下げた。
「本日はここまでになります。お先に失礼します」
「お疲れさまでした」
「また明日」
短い言葉が返り、現場はすぐ次へと進んでいく。
診療所を出ると、リーゼが半歩後ろについた。
午後の担当が、そのまま居室まで送る。
それは、すでに取り決められている流れだった。
「このまま、お部屋までお送りします」
「お願いします」
回廊を歩きながら、リーゼは周囲への警戒を怠らない。
それでも歩調は、私に合わせて落とされている。
「本日も、無理はなさっていませんか」
「はい。大丈夫です」
「それでしたら、安心しました」
部屋の前で、リーゼは足を止めた。
「ありがとうございました、リーゼ」
「またお会いできて、うれしく思います」
リーゼはそう言って一礼した。
扉が閉まるまで、騎士としての姿勢を崩さずに。

部屋に入ると、私はようやく息を吐いた。
それは、今までのため息とは違い、
胸の奥に静かに満ちる、充足感に近いものだった。
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