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 発情期であった。それも時期外れで、変則的で、意識のない賢木を見た時、安房野は大層慌てていたらしい。
 詩空の快癒の宴の途中で、顔を赤くして、発熱している賢木に愛仁がいち早く気がついてくれた。彼はどうやら、賢木が風邪を引き、突然体調を崩したと思ったようだ。
 橘の屋敷に着く頃には意識がなかったが、本格的な発情はまだ始まっていなかったことが幸いした。
 発情期は、身体が発情に支配されてしまうので、とても辛いし、心もずっと誰かを求めていて、寂しくて、虚しくて仕方ない。
 大の大人が泣きながら自分を慰めなければならないほどである。
 けれども、今回はなぜか安心感を覚えていた。意識を無くす前、激痛に苛まれながら、愛仁に縋り、愛仁は賢木の手を取ってくれたからかもしれない。
(守ってやる、という言葉に安心感を覚えて、それに身体も反応したのかもしれません)
 普段なら、発情期の際、誰かに縋るだとか、絶対にそんなことはしないだろう。だが、龍角も痛くなり、意識が朦朧として、どうにかしたくて、ついつい愛仁に迷惑をかけてしまった。
 安房野が言うには、橘の屋敷に着いた時、賢木の龍角から色が消えかかっていたらしいが、透咲角のように背景が透けるほど、色は抜けていなかった。
 愛仁は賢木の龍角の変化について、気がついていたのか、気がつかなかったのか、わからない。賢木を奥の部屋に入れ、安房野に託すと、何も言わずに去ってしまったからだ。
 今は発情期の四日目だ。熱や発情もある程度収まり、気だるい身体を持て余しながら、奥の一室で過ごしている。
 半身を起こす。微熱があり、寒気がしたので、上衣を羽織った。
 枕元に置いてあった手鏡で確認すると、龍角はまだ透明だった。澄んだ水のように後ろの木の柱を歪ませている。
 これが黄雷角に戻らないと、職場にも復帰できないし、愛仁にお礼も言いに行けない。それに突然帰ってしまったので、詩空たちにも謝罪をしなければならない。
 それにしてもあの激痛は何だったのだろう。発情期が来ても、龍角に激痛が走るなんていうことは今まで、一度もなかった。発熱で頭痛がすることはあるが、あそこまで酷いこともなかった。
 賢木はもう一度、龍角に恐る恐る触れてみた。またあの激痛がしたら怖いからだ。
 指先に触れる透咲角はひんやりと冷たい。しかし痛みはなく、安心した。そのまま指先を滑らせていくと、何かに引っかかった。 
「あれ?」
 いつもと違うものがあることに気が付き、賢木はそこをつまむ。
 普通、龍人の龍角は側頭部に一つずつの、一本角だ。人によって、外側に反れていたり、上を向いていたりとか、巻角だったりだとか、そういう違いはあるが、基本は一本角なのである。
 二叉や三叉に別れていることは決してない。
 なのに、賢木の龍角の外側に何か突起のようなものが生えている。
「前までこんなもの、なかったのに……」
 身体の見知らぬところにおできを見つけたような気持ちだ。気味が悪くて、もう片方の龍角も確認する。やはり同じ場所に突起が生えていた。
(激痛の正体はこれ……?)
 賢木は手鏡を枕元に置き、布団に素早く潜った。
 何だか誰にもこの突起を見せたくなかった。 龍角が二叉に別れようとして、角や頭に激痛が走ったのだろうか。
(わかりません……、そもそも私だって、透咲角のこと自体、一般常識程度にしか知らないのに)
 調べてみたことはあるが、やはり発情期があること、男性でも妊娠ができること、古代の透咲角の龍人は何かしら不思議な力を持っていたこと等々、一般的な常識程度のことしかわからなかった。
(そういえば、生贄……、斎宮の話……)
 家にある古文書で、安房野に調べてもらったが、透咲角の龍人を生贄にしたという話はなかった。生贄という血生臭い話のため、もしかしたら、伏せられているのかもしれないが。
 ただ何かの古文書の挿絵に二叉に龍角が別れている透咲角の龍人がいた気がする。生贄ではなく、国の凶事を祓うため、力を使い、そのまま亡くなった、と記されていたのを思い出した。
 賢木は被っていた布団から顔を出す。そして立ち上がる。長い間、横になっていたからふらつきながらも歩き、几帳の隙間から外を見た。
 雨が降らない日が都でもずっと続いている。強すぎる日差しに安房野が毎日世話をしている花々の中にも枯れてしまうものが出てきた。
(二叉の彼は確か……、雨を自在に降らすことができるとかそんなこと書いてあった気がしますね)
 賢木は雲一つない空に向け、両手をかざした。久々の日差しが痛い。
「えい! 雲よ、集まりなさい! 雨よ、降れ!」
 しばらく続けていたが、雲が集まってくる気配も、雨の降る気配もなかった。
 まあ本当にできるなんて、信じていたわけではないが。
 熱ではない熱さで頬を染めながら、賢木は頭を縦にゆっくりと振る。
(まあ元々は平凡な黄雷角ですし、私にそんな大それた力なんてないのでしょう)
 もしあったら、『斎宮として湖に捧げられてしまうかもしれない』という詩空の不安を少しでも和らげることができるのかもしれないが、今の感じだと無理そうだ。
 斎宮を捧げるよりも、都の備蓄を貧民に開放したり、医師や薬師を疫病が酷い地域に派遣したりするべきだろう。
 宴が始まる前からも、愛仁が忙しくしていたのはその調整をしていたからだ。
 愛仁は様々な部署に顔を出し、困りごとや問題を聞き、それを解決したり、時には他の部署の力を借りて、精力的に動いているらしい。
 夜も残り、必要な部署同士を会わせて、計画を練っているとのことであった。
 現実はその方向に動いている。だから、斎宮なんて生贄が復活するわけがないのだ。不安にかられた三流役人の噂だろう。
 賢木がうーん、と伸びをした時、部屋の外から安房野に声をかけられた。
「賢木様、お加減はいかがですか? 冷たいお水をお持ちしましたよ」
「体調は程よくって感じです。まだ微熱がありますね」
 賢木が返事をすると、安房野は部屋に入ってきた。手には盆を持っている。
「だいぶ顔色が良くなりましたね。今回は発情というよりも、頭痛が酷そうでした」
「ええ、そうですね……、いつもとは少し違っていました」
 いくら相手が安房野とは言え、女性に発情の時の話をするのは恥ずかしい。
 透咲角は男性でも子が産める。そのため、発情期になると、精を求めて、後孔が疼くのだ。愛液を垂らし、そこで自慰をしないと、発情がなかなか治らない。
 だが今回は発情というよりも、発熱、頭痛、龍角痛が酷く、それどころではなかった。一応、発情もしていたが、何度か前で発散させると、狂おしい劣情は治ってしまった。
 賢木は布団に戻り、そのまま半身を起こす。
「まずはこれを。鎮痛剤と、解熱剤です」
 渡された丸薬二つを、湯呑みに入れられた水で一気に飲み干す。 
「あと、これが届けられました」
 安房野から手渡されたのは文だった。夕焼けのような淡い橙が滲んでいる色紙だ。柑橘系の香りがして、賢木は爽やかな気持ちになる。
「どなたからの文ですか?」
「近衛美邑(このえのみむら)様でございます」
 安房野の言葉に賢木は眉間に皺を寄せてしまった。
 近衛家と言えば、上級貴族の一つであり、龍帝陛下の覚えもめでたい。その中で美邑と言えば、内務省の若い幹部である。妾腹ながら、近衛家は美邑が継ぐのではないか、と噂されるほどの人物だ。
 もちろん、賢木は会った事もなければ、喋ったこともない。名前を聞き、大変優秀な人物だ、という印象しか湧かない。
「何なんでしょうね? 私、会ったことも、喋ったこともありませんよ、近衛様なんて」
 文を開け、書いてある歌を読み、賢木は驚愕した。
『朝、起きて黄色い朝焼けの空を見ると、貴方の龍角を思い出します。願わくば、星の輝く夜空を見て、私の漆黒の龍角を思い描いていただきたいです』
 賢木は目を見開き、安房野の方へと顔を向ける。
「こ、恋文、恋文ですよ、これ!」
「存じております、家人など使わず、わざわざ近衛様ご自身がお届けなさったのですから」
 安房野は眉間を押さえ、頭を振った。これ以上、余計な頭痛の種を増やさないでくれ、とでも言いたげな表情だ。  
 美邑はあの宴にいた。美邑の甥が招待されていたので、付き添いで来ていたのだ。 
 挨拶などはしていないが、ちら、と名前が聞こえてきたのは覚えている。
(やはり目立ってしまっていたのですね……、ていうか何故地味な私に恋文なんて……)
 美邑は妻帯者のはずだ。だが煌安帝国では妾を持つことは許されている。上級貴族で財産があり、金銭的にも余裕のある者ほど、正妻だけでなく、妾を囲っていることが多い。
 正妻とはあくまで家を繁栄させるための契約のようなもの。妾を持ち、その者達と恋愛の駆け引きやドキドキを味わう、という者もいる。
 賢木の考え方とは全くの逆だ。ふん、と鼻を鳴らし、文をまとめる。 
「この浮気男、後でがつんと書いてやりましょうか?」
 安房野の顔が少し曇った。
「余計なことを書くと、悪目立ちをしますから、やめてくださいね。ちょっと待ってくださいましね、もうお一方からも賢木様宛に文が届いているのですよ」
 そうして、今度は艶やかな紫色の文が手渡された。文からは夏の花の香りがした。そして、その中には嗅ぎ慣れた甘い香りが混じっている。
「皇太子殿下からでございますよ、こちらは使用人の方からでしたが」 
 安房野から手渡される。
 手紙を見て、不用意に胸が跳ねた。そして、賢木は緊張する。いつも、何か用事がある時、愛仁は白い目のきっちり揃った上等な紙で賢木に文を寄越す。
 このような色のついた香紙で、文を送られたことなど一度もなかったのだ。
 何だろう、胸が高鳴ってきた。こんな色紙や香紙なんて、普通は親しい間柄の人や、愛しい人に文を送るときにしか使わない。
(自分は何を期待しているのでしょう……?)
 その時、ふとあの宴の時に愛仁に対して感じた『愛しい』という気持ちを賢木は思い出した。
「あ……」
 自覚をしてしまったら、もう止まらない。
 賢木は文を開く。一層甘い香りが鼻腔をくすぐる。
(好き、なんだ……、愛仁様のことが)
 だからいつもとは違う紙で、文が来たことに喜んでいる。これはきっと何か用事があって、賢木に文を送ったものではなくて、愛仁の個人的なことが書かれているのだろう。
 賢木は一文字、一文字、吟味するように文章に目を通す。
 体調を崩していることを心配していること、この前の宴で無理をさせてしまって、申し訳なかったこと、賢木の体調が良くなったら、ゆっくり二人で、何の気兼ねもなく、会って食事をしたり、話をしたり、花や月、空など自然を眺めたいことが書かれていた。
 いつものように教本のような、お手本のような字だ。しかし愛仁の優しさに触れたことのある賢木はこの字を見ても、お世辞や社交辞令で愛仁が文を送ってきたのだと感じることはない。
 彼は本当に賢木を心配して、この文を送ってくれたのだ。
 そう、友人として。
 賢木は文をぼうっと眺めながら、安房野に話しかける。
「どちらも、お返事は後日でも構いませんよね?」
「ええ、体調が悪いので、返事は遅れる、とお二方には伝えてあります」
 さすが安房野だ。賢木は美邑からの文だけを安房野に渡し、愛仁からの文は自分の枕元に置いた。
「薬を飲んだら眠くなってきました。まだ微熱と気怠さが続いているので、もう一度寝ますね」
「わかりました、何かあればすぐに呼んでくださいませ」
 一礼すると安房野が下がっていく。賢木は布団に入り、身体を横向きにして、枕元の、愛仁からの文を眺めている。すると次第に視界がぼやけてきた。
 賢木が愛仁に抱いている思いは、決して友人に向けるものではない。恋愛感情だ。
 好きな人ができたら、もっと発情期は狂おしいものになるのではないか、と危惧していた。だが実際は愛仁の優しい言葉に安堵し、発情はいつもよりも酷くなかった。まあ頭痛や龍角痛が酷かった、というのもあるかもしれないが。
 つう、と涙が鼻筋を横切っていく。
(友人で良いじゃないか、目立ってもいいじゃないか……)
 いっそのこと、透咲角の持ち主だと公表してしまおうか。賢木の素性は徹底的に調べられ、出生の秘密がわかるかもしれない。実父や実母もわかるかもしれない。
 何か都合の悪い事実があっても、愛仁が守ってくれるかもしれない。
 そう、友人として。 
 賢木は布団を涙で濡らす。愛仁が賢木に抱いている感情と、賢木が愛仁に抱いている感情は明確に違う。
 同じ『愛しい』でも、種類が違えば思いはすれ違ってしまうのだ。
 仮に透咲角だと世間に公表して、何か問題が起こり、愛仁が助けてくれたとしたら、賢木の愛しさはもっと先を望んでしまうだろう。
 この発情期の際、共にいてほしい、賢木の身体に触れてほしい、とあさましいことを考えてしまう。
 愛仁の愛しさがどの程度までなのかわからないが、発情に苦しむ賢木を見て、愛仁は賢木を抱いてくれるかもしれない。彼は色事に長けているだろう。賢木の身体に触れ、発情を鎮めてくれるかもしれない。
 そうしたら、次に賢木が望むものは彼の心だ。
 彼自身や、彼の心を自分だけのものにしてしまいたい、と強く願ってしまうだろう。
 けれどいずれ龍帝となる彼は賢木だけのものにしておくことはできない。秘密を抱えた賢木が彼のそばに居続けることはできない。
 なのに賢木は愛仁を求めてしまうのだろう。
(なんと……、欲深くて、あさましいのでしょう……)
 賢木は目を瞑る。恋とは、恋愛とはもっと綺麗で、情熱的で、互いを慈しむ美しいものだと思っていた。
 それなのに、今の賢木は怒りとやるせなさに支配されている。自分勝手な考えで、愛仁を責めてしまいたい気持ちに駆られていた。
 こんな思いをするなら関わりたくなかった。恋なんてしたくなかった。
(もう本当に関わるのはよしておきましょう……、感情の起伏がおかしくなって、愛仁様の前でみっともない自分を見せたくありません)
 愛する人のことだけを考え、その人のためなら命をかけられる恋がしたい、と思っていた。だが実際は自分の自己中心的な思いしか感じられない。愛仁が欲しい、愛仁に触れてもらいたい、愛仁にも賢木のことだけを見ていてほしい、賢木だけを愛してほしい、と自分のことばかりだ。
(お返事と共に服と髪飾りをお返ししなければいけませんね……)
 枕元の文から甘い香りが漂ってくる。身体が熱くなってきた。これは覚えがある。いつもの発情だ。
 だめだ、もう寝てしまおう、と思っても、一度、身体に火がついてしまうと、なかなか寝付くことができない。
 賢木は罪悪感を覚えながらも、下肢に手を伸ばし、愛仁に触れられていることを考えながら、自慰行為をしてしまう。
 精を吐き出し、終わった後に覚えたのは、ただただ虚しさだけであった。
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