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07.M(加藤緑)①.別れの予感
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加藤緑にとって、両親は理想的な夫婦だった。
結婚してから20年近くになるが、夫婦喧嘩をしたことがない。
もちろん、意見が違ったり、議論に発展したりすることはあっても、1度も喧嘩にはならなかった。
互いに納得するまで話し合う、という信頼関係で結ばれていたからだろう。そ
こが理想的なのだ。
今夜、羽賀宅から帰ったあとも、母の恵美が映画を観たいと言い出し、父の正樹もちょうど見たかったんだ、と笑顔で承諾した。
緑は、
「こんな可愛い娘をほったらかしにして、自分たちだけで遊び呆けるなんて、不良親」
と冗談で言いながら、笑顔で見送った。
今でも、脳裏にはあの眩しいほどの両親の笑顔がはっきりと残っている。
なのに、死んだ?
緑は不思議でならない。
霊安室に駆けつけた緑は、ストレッチャーの上で顔に白い布をかけられたまま横になっている遺体を、傍から見下ろしていた。
悲しいというより、唖然。
ついさっきまで一緒に、羽賀太陽のバースデーパーティーを楽しんでいたというのに、とても信じられない。
それに、唖然とするにはもうひとつ理由があった。
それはストレッチャーを挟んで、反対側に立つ背の高い男の存在である。
藤堂慎一という母の兄、つまり叔父らしい。
“らしい”とは妙な話だが、緑も初対面だった。
しかも、母から叔父がいると聞かされたのは数時間前の、映画に出かける直前のことである。
ついさっき、 藤堂から叔父だと自己紹介されたときも、理解するのに少し時間がかかったほどた。
見知らぬ叔父との突然の出会いが気持ちを緊張させ、集中力を欠く原因になったのだろう。
そんな緑の集中力が一気に高まった。
叔父の手が、遺体の顔にかけられている白い布を取ってみせたからだ。
そこに現れたのは、確かに両親の冷たそうな白い顔だった。
初めて現実的に両親の死に直面した緑は、愕然と立ち尽くすしかない。
まるで悪夢の中に落とされた迷い子のように、逃げ出すことも、泣くこともできなかった。
そのときだった。
突然、あ、と緑の意識が覚醒した。
正気を取り戻した緑は 、思わずドア口に視線を向ける。
廊下から靴音が聞こえてきたからだ。
清寂の中、キュッ、キュッと、ゴムと床の擦れる音を響かせながら近づいてくる。
緑にはわかっている、というより、他に考えられない。
勢いよくドアが開き、誰かが駆け込んできた。
ハッハッと荒い息を吐き、倒れそうになった体をなんとか自力で持ちこたえようとしている。
「太陽……」
と口から転げ落ちた途端、緑は全身の力が抜けたようによろめいた。
あっ、と反射的に緑の体を抱き止めてくれたのは、太陽だった。
「 緑、ぼくが一緒だから。ずっと一緒だから……」
「うん……うん……」
何度も頷くうちに、やっと流れ出した涙が強がりという重りを流してくれた。
♢ ♢ ♢ ♢
翌朝、緑は大人への階段を一段だけだが、上がった気がした。
それは緑にとって高い高い一段である。
もちろん、両親の死が原因だが、それだけではない。
自分はまだまだ子どもだと気づいた、いや、気づかされたからだ。
女子は男子に比べ早熟だし、個人的にも無邪気な太陽を守りたいからしっかりしなければならないと、いつも思っていた。
両親が死んでも一人で生きていける、それくらいの強い気持ちを持っているつもりだった。
でも、現実的に女子中学生がひとりで生きていくどころか、生活するだけでも、いろんな面で厳しいと思い知らされた。
叔父から一緒に住もうと提案された緑は、初めて島を出る決心をした。
太陽に電話したのは、1時間前。
話した内容は島を出ることだけ。
太陽が驚いてなにも言えないのをいいことに、さよならと言って受話器を置いた。
未だに、太陽から折り返し電話はかかってこない。
まだ、唖然としたままなのだろう。
すべて予想どおり、というより、そうなることを願っていた。
止められたら嬉しいけど、やはり辛い。
今の自分には、相反する両方の気持ちをうまく処理できる自信がない。
だから、とりあえず嬉しい方は切り捨てることにした。
期待した分、落ち込みも強くなるから。
やはり、大人だと思っていた自分は、まだまだ子どもだったのだ、と思い知らされた。
と同時に、緑はふと気づいた。
そういえば、太陽は自分を子どもだと認めていた。
ということは、太陽の方が大人なのだろうか?
結論が出る前に、出発の時間がきてしまった。
玄関のドアの鍵を閉めた緑は、自宅前の車道に出た。
見慣れた道だ。
いつもと違ってるところといえば、一台の黒いバンが停まっているくらいである。
叔父の車だ。
それにしても、体が痛い。
3個のバッグを、それぞれ腕、肩、背中で運んでいるからだ。
だからといって、文句は言えない。
そもそもが、当座の生活に必要な自分の荷物である。
それに、叔父も同じように3個のバッグを持ってくれているのだから。
黒いバンの後部座席のドアを開けた緑は、車道の遠くをじっと見つめた。
それは羽賀宅の方角だった。
一瞬のつもりだったが、本人の自覚より長かったのだろう。
先に運転者席に座っていた叔父が、さっ、と視線で助手席を示し、急《せ》かしてくる。
「……はい」
そう答えた緑が3個のバッグを後部座席に置き、助手席に乗り込もうとした、ちょうどそのときだった。
「緑-っ」
誰かの叫び声が聞こえてきた。
結婚してから20年近くになるが、夫婦喧嘩をしたことがない。
もちろん、意見が違ったり、議論に発展したりすることはあっても、1度も喧嘩にはならなかった。
互いに納得するまで話し合う、という信頼関係で結ばれていたからだろう。そ
こが理想的なのだ。
今夜、羽賀宅から帰ったあとも、母の恵美が映画を観たいと言い出し、父の正樹もちょうど見たかったんだ、と笑顔で承諾した。
緑は、
「こんな可愛い娘をほったらかしにして、自分たちだけで遊び呆けるなんて、不良親」
と冗談で言いながら、笑顔で見送った。
今でも、脳裏にはあの眩しいほどの両親の笑顔がはっきりと残っている。
なのに、死んだ?
緑は不思議でならない。
霊安室に駆けつけた緑は、ストレッチャーの上で顔に白い布をかけられたまま横になっている遺体を、傍から見下ろしていた。
悲しいというより、唖然。
ついさっきまで一緒に、羽賀太陽のバースデーパーティーを楽しんでいたというのに、とても信じられない。
それに、唖然とするにはもうひとつ理由があった。
それはストレッチャーを挟んで、反対側に立つ背の高い男の存在である。
藤堂慎一という母の兄、つまり叔父らしい。
“らしい”とは妙な話だが、緑も初対面だった。
しかも、母から叔父がいると聞かされたのは数時間前の、映画に出かける直前のことである。
ついさっき、 藤堂から叔父だと自己紹介されたときも、理解するのに少し時間がかかったほどた。
見知らぬ叔父との突然の出会いが気持ちを緊張させ、集中力を欠く原因になったのだろう。
そんな緑の集中力が一気に高まった。
叔父の手が、遺体の顔にかけられている白い布を取ってみせたからだ。
そこに現れたのは、確かに両親の冷たそうな白い顔だった。
初めて現実的に両親の死に直面した緑は、愕然と立ち尽くすしかない。
まるで悪夢の中に落とされた迷い子のように、逃げ出すことも、泣くこともできなかった。
そのときだった。
突然、あ、と緑の意識が覚醒した。
正気を取り戻した緑は 、思わずドア口に視線を向ける。
廊下から靴音が聞こえてきたからだ。
清寂の中、キュッ、キュッと、ゴムと床の擦れる音を響かせながら近づいてくる。
緑にはわかっている、というより、他に考えられない。
勢いよくドアが開き、誰かが駆け込んできた。
ハッハッと荒い息を吐き、倒れそうになった体をなんとか自力で持ちこたえようとしている。
「太陽……」
と口から転げ落ちた途端、緑は全身の力が抜けたようによろめいた。
あっ、と反射的に緑の体を抱き止めてくれたのは、太陽だった。
「 緑、ぼくが一緒だから。ずっと一緒だから……」
「うん……うん……」
何度も頷くうちに、やっと流れ出した涙が強がりという重りを流してくれた。
♢ ♢ ♢ ♢
翌朝、緑は大人への階段を一段だけだが、上がった気がした。
それは緑にとって高い高い一段である。
もちろん、両親の死が原因だが、それだけではない。
自分はまだまだ子どもだと気づいた、いや、気づかされたからだ。
女子は男子に比べ早熟だし、個人的にも無邪気な太陽を守りたいからしっかりしなければならないと、いつも思っていた。
両親が死んでも一人で生きていける、それくらいの強い気持ちを持っているつもりだった。
でも、現実的に女子中学生がひとりで生きていくどころか、生活するだけでも、いろんな面で厳しいと思い知らされた。
叔父から一緒に住もうと提案された緑は、初めて島を出る決心をした。
太陽に電話したのは、1時間前。
話した内容は島を出ることだけ。
太陽が驚いてなにも言えないのをいいことに、さよならと言って受話器を置いた。
未だに、太陽から折り返し電話はかかってこない。
まだ、唖然としたままなのだろう。
すべて予想どおり、というより、そうなることを願っていた。
止められたら嬉しいけど、やはり辛い。
今の自分には、相反する両方の気持ちをうまく処理できる自信がない。
だから、とりあえず嬉しい方は切り捨てることにした。
期待した分、落ち込みも強くなるから。
やはり、大人だと思っていた自分は、まだまだ子どもだったのだ、と思い知らされた。
と同時に、緑はふと気づいた。
そういえば、太陽は自分を子どもだと認めていた。
ということは、太陽の方が大人なのだろうか?
結論が出る前に、出発の時間がきてしまった。
玄関のドアの鍵を閉めた緑は、自宅前の車道に出た。
見慣れた道だ。
いつもと違ってるところといえば、一台の黒いバンが停まっているくらいである。
叔父の車だ。
それにしても、体が痛い。
3個のバッグを、それぞれ腕、肩、背中で運んでいるからだ。
だからといって、文句は言えない。
そもそもが、当座の生活に必要な自分の荷物である。
それに、叔父も同じように3個のバッグを持ってくれているのだから。
黒いバンの後部座席のドアを開けた緑は、車道の遠くをじっと見つめた。
それは羽賀宅の方角だった。
一瞬のつもりだったが、本人の自覚より長かったのだろう。
先に運転者席に座っていた叔父が、さっ、と視線で助手席を示し、急《せ》かしてくる。
「……はい」
そう答えた緑が3個のバッグを後部座席に置き、助手席に乗り込もうとした、ちょうどそのときだった。
「緑-っ」
誰かの叫び声が聞こえてきた。
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