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42 要撃してみよう
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もうすっかり陽が高くなった時刻だけれど、森の中は薄暗い。
少し草地が開けた前の大きな木の下、蹲った一頭のヤギがキイキイと鳴いている。
いかにも心細げに、自分の哀れな運命を知り嘆くように。観察している耳目に、居立たまれなさが耐えがたくなってきそうだ。
他の獣や鳥たちの声や気配は、ない。静まり返った木立の中に、ヤギの細い声だけが染み通っていく。
昨日父が一帯を見て回ったところ、狼魔獣出没の影響だろう、他の獣類も鳥類もすっかり姿を消しているらしい。だからこの声と匂いを辿って近づくのは、限られているはずだ。
しばらくそんな、静寂の中を悲しく掻き擦る音声が続く。
その末。
「来た」
父が、囁いた。
耳を澄ますと、木々の間に枝を折り草をかき分ける音が聞こえてきている。
すぐに、巨大な茶色の獣が姿を現した。ほとんど周りの小さめの木々をなぎ倒しそうにして、確かに巌牛を超える巨体だ。
キイイイーー
ヤギが、恐怖に駆られた高声を上げる。
紛れもない狼魔獣が、牙の隙間からぺろりと舌を覗かせる。
ますます、ヤギの声が高まる。
「済まない」
低く、父が呟いた。
見る間に魔獣の足が速まり、大きな口が家畜に噛みついていた。
バリ、と骨の折れる音が響き、口の脇から血が滴り落ちる。
ゆっくりと満足げに、咀嚼が続く。
一度、呑み込み。その目が閉じ、開き。
「オータ!」
「おう!」
呼びかけと同時に、あたしは魔獣の左目前にレンズを出現させた。
遅れず、父が光を放つ。
ギィアアアアーーーー!
瞬間、狼魔獣の口に咆哮が上がった。
光は、正確にその目を射貫いたようだ。
あたしたちは間髪を容れず、次の動作に移る。
「あい、オータ」
「おう!」
斜め下向きという初めての経験だけど、あたしが何とか風の道を作り。
乗った木の太枝を揺すりながら、父が火球を飛ばす。
これも正確に、魔獣の頭部に炎が炸裂した。
ますます大きくその口から号哭が上がり、巨体は地面に顔を擦りつける。
素速く、父は木の上で位置を移動した。
「舌を噛むなよ、イェッタ!」
「あい!」
思い切り木の幹を蹴り、父は宙に跳び出していた。
背中のあたしにとって、生まれて初めての高みからの落下だ。
でも、恐怖はまったくない。父の背中で、危険などあるはずがないのだから。
両手で大剣を下向きに構え、魔獣の巨大な頭部の上に。すべての体重を乗せて、剣先はその後頭部に突き刺さった。
ギィアアアアーーーー!
森全体を震わせそうなほどの、咆哮。
父が脇に降り立つ。ややしばらく待って、狼魔獣の巨体に動きは失われていた。
「やった……」
「おう、大成功だ」
父の汗まみれの笑顔が、肩越しに振り返る。
昨夜、さんざん相談討議した、作戦だった。
あの狼魔獣には、父の大剣も兵士の槍も通用しないだろう。おそらく兵が三名追加されても、無理だ。
いちばんの理由は、魔獣の動きの速さだ。
森から牧場の柵まで、ひと息に駆け抜けたという。
兵士の槍に対して左右に全身を揺らしながら、それでも目に留まらないほどの勢いで襲いかかったらしい。
ふつうの人間の武力では、対しきれないだろう。
前後左右の動きが激しくては、レンズも水も使えない。風の道も、間に合わない。
これでは対抗できない、諦めて魔獣の蹂躙を隠れてやり過ごすしかないか。
そう、さんざん検討を加えた。
石造りの建物に籠もれば、あの突進は耐えるかもしれない。
牧場のギード父娘は昨日、石の蔵に隠れて難を逃れたという、
ヤギたちは牧舎に入れて隠したが、木造だったので壁を破壊されて一頭を奪い去られた。前日の外に出していたときと比べて狭い分、他に数頭撥ね飛ばされて脚を折るという被害が出た。
その体験を鑑みて、人間は石の建物で助かることができそうだ。
しかしこれが、いったい何日続くのか。
すべてのヤギを隠す建物はないので、被害は続くことになる。
話は戻って。
何とか魔獣を撃退できないか、と考える。
「動きを止めれば、いいんじゃ?」
「うん?」
思いつきを口にすると、父は首を傾げた。
止まったところに陰からレンズを使う、それが最も有効と思われる。
問題は、どうやって動きを止めるかだ。
しばしの間、父は腕組みで考えた。
「獲物に食らいつくときは、足を止めるか」
「それ!」
森に囮のヤギを繋ぎ、木の上で待ち伏せする。それが最も安全で確実なのではないか。あの巨体で、高い木の上には登れないだろう。
囮は可哀相だけど、脚を折って先が長くないというヤギを譲ってもらう。村のみんなで金を出し合って買い取る形にできるだろうか。
あたしとしては乳離れまであの仲間のヤギに頼っていたので、なかなか複雑な心境だ。
うちにいたヤギはその後牧場にまた買い取ってもらい、天寿を全うしたはずだけど。どうしてもあの同居者を連想してしまう。
それでも背に腹はかえられない、負傷したヤギには犠牲になってもらおう。
そうした相談を村長とともに牧場長に持ちかけ、了承を得た。
そしてすぐこの朝、可哀相なヤギを木に繋いで敵が現れるのを木の上で待ち伏せた、という次第だ。
他の人にレンズのことは話さないけど、強い火で先制するということで父はあたしを背負ってここに赴いた。
一人で一撃に仕留めるしか勝ち目はない、と話して他の者は伴わない。
最悪魔獣が熱《いき》り立って暴れ出てくる可能性も考え、ケヴィンとイーヴォが牧場の脇に控える。もしもの場合二人は鳴子を鳴らして村民に避難を促し、自分たちはすぐ牧場の蔵に逃げ込む、という計画にした。
森を出ると、ケヴィンとイーヴォが駆け寄ってきた。
魔獣の声を聞き、それが静まったので成功と知り、寄ってきたという。
父が首尾を告げ、ケヴィンには村へ、イーヴォには牧場へ、報告に走ってもらう。
草むらに腰を下ろして父が一息ついていると、すぐにイーヴォとギード父娘が牧場から出てきた。三人を連れて、森の現場へ案内する。
「本当にでかかったんだねえ」
「よく仕留めたもんだ。ライナルトには、本当に助けられた」
「ギードが出してくれた、このヤギのお陰だな」
「ああ。可哀相なことをしたが、立派に役に立ってくれたな」
父娘は何とも言えない顔で、半分食われたヤギの死骸に目をやっていた。
こいつは牧場に持ち帰って埋めてやろう、とギードが呟いている。
そうしていると、村の者たちががやがやとやってきた。年寄りと子どもを除くほとんどが来たようだ。
皆、頭が焦げて首裏を刺し貫かれた魔獣の巨体を見て、震え上がっている。牧場の二人とケヴィン以外、実際目にするのは初めてなんだ。
「本当に、凄えでかさだ」
「こんなのが村のあっちに入ってきたら、大変なことになったねえ」
「また、ライナルトに助けられたなあ」
「何とか策が填まって、運がよかったとも言えるな」
「ああとにかく、本当に助かった」
魔獣の胸を切り開き魔核を取り出して、死骸は穴を掘って埋めようと、みんなで協力して動き出す。
ヤギの死骸はギードにイーヴォが協力して、牧場に運んでいった。
少し草地が開けた前の大きな木の下、蹲った一頭のヤギがキイキイと鳴いている。
いかにも心細げに、自分の哀れな運命を知り嘆くように。観察している耳目に、居立たまれなさが耐えがたくなってきそうだ。
他の獣や鳥たちの声や気配は、ない。静まり返った木立の中に、ヤギの細い声だけが染み通っていく。
昨日父が一帯を見て回ったところ、狼魔獣出没の影響だろう、他の獣類も鳥類もすっかり姿を消しているらしい。だからこの声と匂いを辿って近づくのは、限られているはずだ。
しばらくそんな、静寂の中を悲しく掻き擦る音声が続く。
その末。
「来た」
父が、囁いた。
耳を澄ますと、木々の間に枝を折り草をかき分ける音が聞こえてきている。
すぐに、巨大な茶色の獣が姿を現した。ほとんど周りの小さめの木々をなぎ倒しそうにして、確かに巌牛を超える巨体だ。
キイイイーー
ヤギが、恐怖に駆られた高声を上げる。
紛れもない狼魔獣が、牙の隙間からぺろりと舌を覗かせる。
ますます、ヤギの声が高まる。
「済まない」
低く、父が呟いた。
見る間に魔獣の足が速まり、大きな口が家畜に噛みついていた。
バリ、と骨の折れる音が響き、口の脇から血が滴り落ちる。
ゆっくりと満足げに、咀嚼が続く。
一度、呑み込み。その目が閉じ、開き。
「オータ!」
「おう!」
呼びかけと同時に、あたしは魔獣の左目前にレンズを出現させた。
遅れず、父が光を放つ。
ギィアアアアーーーー!
瞬間、狼魔獣の口に咆哮が上がった。
光は、正確にその目を射貫いたようだ。
あたしたちは間髪を容れず、次の動作に移る。
「あい、オータ」
「おう!」
斜め下向きという初めての経験だけど、あたしが何とか風の道を作り。
乗った木の太枝を揺すりながら、父が火球を飛ばす。
これも正確に、魔獣の頭部に炎が炸裂した。
ますます大きくその口から号哭が上がり、巨体は地面に顔を擦りつける。
素速く、父は木の上で位置を移動した。
「舌を噛むなよ、イェッタ!」
「あい!」
思い切り木の幹を蹴り、父は宙に跳び出していた。
背中のあたしにとって、生まれて初めての高みからの落下だ。
でも、恐怖はまったくない。父の背中で、危険などあるはずがないのだから。
両手で大剣を下向きに構え、魔獣の巨大な頭部の上に。すべての体重を乗せて、剣先はその後頭部に突き刺さった。
ギィアアアアーーーー!
森全体を震わせそうなほどの、咆哮。
父が脇に降り立つ。ややしばらく待って、狼魔獣の巨体に動きは失われていた。
「やった……」
「おう、大成功だ」
父の汗まみれの笑顔が、肩越しに振り返る。
昨夜、さんざん相談討議した、作戦だった。
あの狼魔獣には、父の大剣も兵士の槍も通用しないだろう。おそらく兵が三名追加されても、無理だ。
いちばんの理由は、魔獣の動きの速さだ。
森から牧場の柵まで、ひと息に駆け抜けたという。
兵士の槍に対して左右に全身を揺らしながら、それでも目に留まらないほどの勢いで襲いかかったらしい。
ふつうの人間の武力では、対しきれないだろう。
前後左右の動きが激しくては、レンズも水も使えない。風の道も、間に合わない。
これでは対抗できない、諦めて魔獣の蹂躙を隠れてやり過ごすしかないか。
そう、さんざん検討を加えた。
石造りの建物に籠もれば、あの突進は耐えるかもしれない。
牧場のギード父娘は昨日、石の蔵に隠れて難を逃れたという、
ヤギたちは牧舎に入れて隠したが、木造だったので壁を破壊されて一頭を奪い去られた。前日の外に出していたときと比べて狭い分、他に数頭撥ね飛ばされて脚を折るという被害が出た。
その体験を鑑みて、人間は石の建物で助かることができそうだ。
しかしこれが、いったい何日続くのか。
すべてのヤギを隠す建物はないので、被害は続くことになる。
話は戻って。
何とか魔獣を撃退できないか、と考える。
「動きを止めれば、いいんじゃ?」
「うん?」
思いつきを口にすると、父は首を傾げた。
止まったところに陰からレンズを使う、それが最も有効と思われる。
問題は、どうやって動きを止めるかだ。
しばしの間、父は腕組みで考えた。
「獲物に食らいつくときは、足を止めるか」
「それ!」
森に囮のヤギを繋ぎ、木の上で待ち伏せする。それが最も安全で確実なのではないか。あの巨体で、高い木の上には登れないだろう。
囮は可哀相だけど、脚を折って先が長くないというヤギを譲ってもらう。村のみんなで金を出し合って買い取る形にできるだろうか。
あたしとしては乳離れまであの仲間のヤギに頼っていたので、なかなか複雑な心境だ。
うちにいたヤギはその後牧場にまた買い取ってもらい、天寿を全うしたはずだけど。どうしてもあの同居者を連想してしまう。
それでも背に腹はかえられない、負傷したヤギには犠牲になってもらおう。
そうした相談を村長とともに牧場長に持ちかけ、了承を得た。
そしてすぐこの朝、可哀相なヤギを木に繋いで敵が現れるのを木の上で待ち伏せた、という次第だ。
他の人にレンズのことは話さないけど、強い火で先制するということで父はあたしを背負ってここに赴いた。
一人で一撃に仕留めるしか勝ち目はない、と話して他の者は伴わない。
最悪魔獣が熱《いき》り立って暴れ出てくる可能性も考え、ケヴィンとイーヴォが牧場の脇に控える。もしもの場合二人は鳴子を鳴らして村民に避難を促し、自分たちはすぐ牧場の蔵に逃げ込む、という計画にした。
森を出ると、ケヴィンとイーヴォが駆け寄ってきた。
魔獣の声を聞き、それが静まったので成功と知り、寄ってきたという。
父が首尾を告げ、ケヴィンには村へ、イーヴォには牧場へ、報告に走ってもらう。
草むらに腰を下ろして父が一息ついていると、すぐにイーヴォとギード父娘が牧場から出てきた。三人を連れて、森の現場へ案内する。
「本当にでかかったんだねえ」
「よく仕留めたもんだ。ライナルトには、本当に助けられた」
「ギードが出してくれた、このヤギのお陰だな」
「ああ。可哀相なことをしたが、立派に役に立ってくれたな」
父娘は何とも言えない顔で、半分食われたヤギの死骸に目をやっていた。
こいつは牧場に持ち帰って埋めてやろう、とギードが呟いている。
そうしていると、村の者たちががやがやとやってきた。年寄りと子どもを除くほとんどが来たようだ。
皆、頭が焦げて首裏を刺し貫かれた魔獣の巨体を見て、震え上がっている。牧場の二人とケヴィン以外、実際目にするのは初めてなんだ。
「本当に、凄えでかさだ」
「こんなのが村のあっちに入ってきたら、大変なことになったねえ」
「また、ライナルトに助けられたなあ」
「何とか策が填まって、運がよかったとも言えるな」
「ああとにかく、本当に助かった」
魔獣の胸を切り開き魔核を取り出して、死骸は穴を掘って埋めようと、みんなで協力して動き出す。
ヤギの死骸はギードにイーヴォが協力して、牧場に運んでいった。
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