【R18】若衆歌舞伎の花、檻に憧れる

ましゅまろ

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白無垢を脱いだ朝

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初秋のある朝、
離れの部屋には、千弥の姿がなかった。

白無垢が畳まれ、
襖の前には、ひとつの封筒が置かれていた。

筆跡は、かつて舞台で台本を写していたあの柔らかい手によるもの。

その表に書かれた、たった四文字。

「御主様へ」



二日前、千弥は春海とふたたび会っていた。

今度は屋敷の裏庭ではなく、
夜の寺の境内、無言の石灯籠の前だった。

「……本当に、まだ間に合うんだ」

春海が言った。

「お前の名前を待ってる座がある。
千弥という役者が、戻ってきたと知ったら、
舞台が、劇場が、きっと息を吹き返す」

「……怖いんだよ」

「何が?」

「御主様を……裏切ることが」

春海は真剣な眼差しで、千弥の手を取った。

「違う。“お前自身を裏切る”ことの方が、もっと怖いはずだ。
舞台を、芝居を、あんなにも愛していたお前が……
黙ったまま檻に沈んでいくなんて、俺には見ていられない」

千弥は、震える手をそっと重ねた。
そして、静かに頷いた。

「……明け方に、出る」



そして、夜が明けた。

松平正典が屋敷に戻ったのは、
ちょうど朝の光が離れの障子を滲ませ始めた頃だった。

誰もいない部屋。
整えられた布団、用意された朝餉。

ただ、机の上に一通の手紙だけがあった。

正典は無言でそれを手に取り、封を切る。

そこにあったのは、短い言葉だった。



御主様へ

生きていて、
御主様のものになれて、
私はほんとうに幸せでした。

けれど、
それでも、どうしても、
私は――演じるために生まれてしまったようです。

この身体が、心が、
どうしても、舞台を、芝居を求めてしまうのです。

御主様に壊されるように抱かれた夜も、
それでもどこかで、“演じている自分”を感じていたのです。

御主様を、
私は愛しておりました。

それでも、
私は芝居を選びます。

申し訳ありません。
ありがとうございました。

千弥



読み終えた正典は、しばし手紙をじっと見つめたまま、微動だにしなかった。

やがて、小さく笑った。

「……そうか。ついに、“檻”を出たか」

そして一歩、障子に近づき、
わずかに空を見上げた。

「行け。
お前の選んだ道が、お前を輝かせる場所であることを――
この私が、誰よりも願ってやる」



その日、京の芝居座・天雅座では、
“ある役者”の名が密かに台本に記された。

その名は、
「千弥」

紅を引き、
扇を持ち、
再び花道に立つ彼の姿は――

誰よりも艶やかで、
誰よりも悲しく、
そして、誰よりも自由だった。
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