灰被りの聖女

彩峰舞人

文字の大きさ
10 / 16

白のキャンバス

しおりを挟む
「これから色々と忙しくなるな」

 剣を鞘に戻しながら言うカイルの声はどこか弾んでいるように聞こえた。

「変な人。これから私たちが行くところはタイニアだっていうのに」

「ある意味ここだって似たようなもんじゃねぇか」

 カイルは謁見室の方角に目を向けながらフンと鼻を鳴らした。

「早速明日には王都を離れるつもりだが問題ないか?」

「私は問題ないけどカイルこそ大丈夫なの?」

 孤児だったユアとは違いカイルは他国にも名が知れ渡るジェミニ家の当主。勝手気ままが許されるはずもないと今さらながらにユアは心配してしまう。

「もしかして俺の家のことを心配しているのか?」
「当たり前だよ。だって王様に散々喧嘩を売ったご当主様がそのまま旅に出たら残された家の人たちに迷惑がかかるでしょう」

「どうやら気を遣わせてしまったようだな。だが俺も考えなしに動いているわけじゃない。ユアが心配することはなにもないさ」

 カイルから透明な微笑を向けられたユアは慌てて顔を逸らしてしまう。

(私ったらなにを焦ってるんだろう?)

 自分でとった行動の意味がわからず、ユアは内心で首を傾げる。
 次に思ったのは今の態度でカイルが気分を害したのではということだった。

「──俺の顔に何かついているのか?」

「え? あ、ううん。何もついていないよ」

 慌てて両手を振るユア。
 カイルは首を捻りながら、

「ところで荷物は結構あるのか?」

「え?」

「荷物だよ荷物。それなりの量があるなら家の者に使いを出して運ばせるぞ」

「ああ、私の荷物のことね。ありがとう。でも大丈夫、一人で運べる量だから」

「なら今すぐ取りに行くぞ」

「え? 一緒に行くの?」


 驚いて聞けば、カイルは呆れたような表情で口を開いた。

「当たり前だろう。護衛はもう始まっている」

「あ、うん。……じゃあ、じゃあ行こっか」

 たどたどしく返した後、カイルと共にユアは自室へと向かう。途中すれ違う官吏《かんり》や警備兵たちは、ユアとカイルが共に歩く姿を見て、一人の例外もなく怪訝な顔を覗かせていた。

「──すぐに準備するから」
「ああ」

 カイルは向かい側の壁に体を預けて腕を組む。

 部屋に入ったユアは閉じたばかりの扉にもたれかかると、肺の中の空気を絞り出すようにして息を吐いた。

(朝起きたときはいつもと変わらない耐えるだけの日常が始まると思っていたのに……)

 そう思いながらカーテンすらない灰色にくすんだ部屋を見回す。
 ほとんど物が置かれていない部屋でユアが目を止めたのは古い机。

 机に歩み寄ったユアは、引き出しを開けて中に入っているネックレスを手に取った。

(アルフォンス……)

 脳裏に浮かぶのはサンゼンイン・シズカの手に恭しく口づけするアルフォンスの姿。
 自然とネックレスを握る力が強くなる。

(私のこと愛しているって言ってたくせにッ!!)

 ネックレスを床に叩きつけようとして振り上げた手は、結局振り下ろされることはなかった。

(もしかしたら王様の命令で仕方なく……ふふふっ。私ったら本当に馬鹿ね。まるで女神様でも見るようなアルフォンスの姿を見せられたっていうのに……)

 ユアは自嘲し、ノロノロとした足取りで衣装棚に移動すると、わずかな着替えを淡々とカバンに詰め込んでいく。そして、聖衣に手をかけたところで動きを止めた。

(もうこれを着る必要もない。だけど……)

 確認するまでもなく私服と呼べるものは一着しかない。どうするか考えたのち、聖衣を手早くカバンに詰め込んだ。

(あとは……)

 ベッドの枕元に置かれている絵本をカバンに入れて荷造りが完了する。

 ネックレスを机の引き出しに戻したユアは、最後に2年間過ごした部屋を見回して静かに扉を閉めた。

「──随分と早かった……荷物はその小さなカバン一つだけか?」

「うん。このカバン一つだけ。身軽でしょう?」

 両腕を伸ばしながら一回転して微笑むと、顔を顰めたカイルは無言でユアからカバンを奪い取った。

「あっ」
「行くぞ」
「ちょっ、自分で持つから返して」

 大家の当主様に荷物持ちをさせるなどさすがに気後れしてしまう。
 だがカイルにカバンを戻す気はさらさらないらしく、問答無用で先を歩いていく。

 カイルの様子は何だか怒っているように見えた。歩く速度もさっきとは比べ物にならないほど早く、時に距離が開き過ぎないよう小走りになりながらユアはカイルの後に続いていく。

 廊下と並行して連なる窓から見える空は、朝と同様に鉛色で満たされていた。

 カイル足はどうやら王宮から出る最短ルートを進んでいるようで、程なくしてユアが昼食時に利用する中庭に出た。

 自然とユアの視線は一際大きな木の下に置かれた長椅子に流れていく。

 日々冬の香りが濃さを増していくこの時期に、中庭で食事を摂ろうとする酔狂人はユア以外には誰もいない。見慣れた景色もざわめく葉の音も全て置き去りにして、ユアは中庭を通り抜けていく。

 再び王宮内に足を踏み入れると、先を見通すことができないほどの長い廊下が続いている。ちょうど仕事が始まる時間と重なったようで、廊下は官吏たちでごった返していた。

 ここの官吏たちは他人に興味がないのか、二人の姿を目にしても気にも止めないのはありがたかった。

 官吏たちは足早に左右均等に配置された扉の奥へと消えていく。

 長い廊下を通り過ぎ、さらにいくつかの廊下と階段を経由しながら、やがてユアは目的地である大扉を視界に収めた。

(この扉を抜けたらもう……)

 いよいよ王宮の外に出ようというそのときに、ユアの足は自分の意思とは無関係にその動きを止めてしまう。
 そんなユアの異変にカイルはいち早く気付いた。

「どうした?」

「王宮から出るのは初めてでちょっと怖いのかも」

「それは本当か」

「うん。王宮から一歩たりとも出てはいけないって宰相様からきつく言われていたから……だから外に出るのがちょっとだけ怖いのかも。ここに連れて来られたときも窓にカーテンがかかった馬車に乗せられていたから王都の街並みを見ることはなかったし。私がまともに知ってるのは灰被りの街とあとは戦場くらいだから……」

 たははと笑っていると、カイルからひと際大きな舌打ちが聞こえてきた。

「……もしかして怒ってるの?」

「ああ。何も見えていなかった俺自身にな」

 言葉の意味がわからず困惑するユアの肩へ、厚く大きな手が力強く置かれた。

「怖がる必要なんてどこにもない。ユアの側には常に俺がいる。堂々としていればいいんだ。──開門!」

 カイルが門兵に向けて声を張り上げれば、彼らは慌てて跳ね橋を下ろす作業を始めた。

「これからは顔を上げて真っ直ぐ前だけを見ろ。ただ耐えるだけの日々はもう過去のものだ。ユアのキャンバスは未だ真っ白のまま、これからいくらでも鮮やかな色に染めることができる」

「ありがとう……ところでいつも女性にはそんなことを言ってるの?」

 不安を紛らわせようとしてくれているのだろう。
 笑んで言えば、カイルは無言のまま濁りのない綺麗な青い瞳をユアに向けてきた。

「えっと……その……」

 急速に顔全体に広がる火照りを感じながら口籠もっている間にも、けたたましい金属音を奏でながら巨大な跳ね橋が下りていく。

 それからしばらくユアはカイルの顔をまともに見ることができなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、すれ違いの末に離れ離れになった夫婦の物語。 再会したとき、二人が選ぶのは「離婚」か、それとも「再構築」か。 妻を一途に想い続ける夫と、 その想いを一ミリも知らない妻。 ――攻防戦の幕が、いま上がる。

処理中です...