春風秋雨

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【孝太郎×香穂編】

1.再会(前編)

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 十月。
 季節は秋になっていた。

 幼馴染の彩織と付き合いだして、わずか五ヶ月程度でフラれた。それが、今年の五月ごろの話だ。
 彼女は、同じ幼馴染で親友の健輔が好きで、健輔も彼女が好きだから……フラれたというより、最初からわかりきってたことだったのかもしれない。
(俺は彩織も健輔も好きだし。二人がちゃんと気持ちが通じ合ったならいいか)
 悔しいけどしょうがない、と自分に言い聞かせて、サッカーに打ち込んできた。
 俺にはサッカーがあるし。
 孝太郎は、彩織と別れてからは恋人はいない。
 モテないことはないのだが……どうもその気になれない。
 今までずっと彩織だけを見てきた。
 なのに、フラれたからと言って次の女の子を見つける気にもならないし、正直……彩織以上の女の子がいないと心が動かなかった。モテないわけではないのだから、と自意識過剰なことを思うのだが、足を踏み出せない。だからと言って彩織に未練があるわけでもない。
 そのうちそのうち、と周囲にも自分にも言い聞かせて……秋になっていた。


 今日は実家に帰る所だった。
 月に一度くらい実家に戻っている。
 特に何かあるわけではないが、両親が顔を出せと言うのだ。
 帰っておかないと、母親がアパートに来るというから、それなら自分が戻ることにした。母親が来るのは面倒だ。あれこれ口を出されるのが目に見えている。そのかわり、夏休みや正月も、サッカー部の練習や試合があるので、滅多に帰らないよと伝えている。
 電車で二時間程度なので、そんなに苦ではないが。
 部活を終えて直接に電車に乗ったので、ジャージのままだ。
 金曜日の夜は、酒臭い会社員たちが多い。
 市内の大きな駅に着き、今度はバス乗り場へと向かう。
 家から駅が近ければいいが、バスに乗らなければいけないのが少々面倒だった。
「ちょっと……! 離してよ!」
「いいじゃん、飲みに行こうよ」
 バスを待っていると、スーツを着た会社員風の三人の男性が、一人の若い女性に絡んでいる。
 どちらも酒が入っている様子だ。
(うわー、タチ悪そう……)
「いーやーだ。帰るんですから、離して。人を呼びますよ!」
 女性の手を一人が引っ張り、両脇から男性二人が抱えようとしている。見ようによっては、男性三人が女性にいかがわしいことをしようとしているように見える。というかそれでしかない、と孝太郎には思えた。
 過ぎゆく人たちは、それを横目で見て足早に過ぎ去っていく。
 孝太郎もそれに倣うつもりだった。
 女性はぶんぶんっと手を振り払い、孝太郎の立っているバス停に向かって走ってきた。
「もうすぐバスが来るから! 着いてこないで」
「バス乗らなくても送ってくからさ。ねっねっ」
 ちょっともうっ、と女性は、こともあろうに孝太郎の後ろに隠れた。
「うわっ」
 ぎょっとする孝太郎だった。
「ちょっと兄ちゃん、どきな」
「おねーちゃん、一人で飲んでるなんて寂しいだろ。俺たちが付き合ってやるって言ってんだよ」
 前からも後ろからも酒の匂いがぷんぷんする。
 うえーっ、と孝太郎は吐き気を催す、を通り越して、もう今すぐにも吐いてしまいそうになった。
「ちょっと。この人、嫌がってるんだから、もうやめたらどうですか。大の大人が、しかも男三人がかりで。みっともないですよ」
 孝太郎は口を出した。
 そうだそうだ、と孝太郎の後ろで女性が小さく叫んだ。
「ガキはすっこんでろ」
 男の一人が、孝太郎を突き飛ばした。
 しかし孝太郎は、並大抵のことでは身体が動かなかった。何せ毎日鍛えているのだから。
「おじさん、その『ガキ』相手に暴力はやめてくれませんか?」
 努めて冷静に言ったつもりだ。
「はぁ? なんだこいつ。青臭いやつが。口出すなっつーの」
 孝太郎は背後の女性を庇う様に立った。
「…………」
「…………」
 しばらく睨み合うことになった孝太郎と男たちだ。
「うっ、気持ち悪っ」
「へっ?」
 と孝太郎が振り返ると、女性は口元を押さえ、男性三人に向かって足を進めた。
「わっ」
「あぶねっ」
「こっち来るな」
 その様子を見た男たちはその場を後ずさりした。
 女性はくるりと向きを変え、見つけた排水溝に向かってしゃがむと、頭を突き出し、嘔吐している様子だった。
「あ……」
 先ほどまでしつこく絡んでいた男性たちは、そのままいなくなってしまった。
 自分たちに吐かれてはたまらない、とでも思ったのだろうか。一瞬彼らに向かって歩み寄り、吐く素振りは見せたが、彼女は結局そうはしなかった。
「あの、大丈夫ですか……」
 孝太郎は女性に近づくと、傍らで声をかけた。
 女性は、うえーうえーと言いながら戻し続けている。
 相当飲んでいるらしいと思えた。
 しかも男たちに絡まれて、胃が揺れたのだろう。
 気持ち悪くなっても仕方ないのではないだろうか。
 飲酒の経験はないし、そもそも飲酒できる年齢に達していないので、孝太郎にはわからないのだが。
 女性の背中をそっとさすった。
「あ、ちょっと待ってて下さいね」
 孝太郎はすぐ近くの自動販売機に行き、ペットボトルのスポーツドリンクを買った。普段なら持ち歩いているのだが、今日は帰省するために持ってきていなかった。
 女性の元に戻ると、ハンドタオルと飲料を差し出した。
「これ、飲んでください」
「うえ……?」
 虚ろな目で彼女は振り向いた。
「落ち着いたら、飲んでください」
「ありがとう……」
 女性はそっと受け取ってくれた。
「飲めば、少しは楽になると思いますよ」
「うん、ありがとう……」
 彼女はゆっくり立ち上がり、タオルも受け取った。
(ん……?)
 孝太郎は彼女に見覚えがあった。
 既視感だ。
(誰かに似てる……誰だったっけ……)
 ど忘れしている気がした。
 すごくよく知っている人な気がするのだ。
 なのに、
(誰だったっけ……)
 と考えないといけない状況だ。
(いや、こんな酔っ払いの知り合いはいないし、誰かと似ているだけ)
「ん……美味しー……」
 落ち着いたら、と言ったのに、彼女はすぐにキャップを開けてスポーツドリンクを飲んでいた。
「冷たくて美味しい」
 彼女は薄く笑った。
「ほんと、ありがとー……」
 彼女は力なく幸太郎に向かって倒れこんだ。
「なっ……なんだ……なんだよ……」
 尻餅をつき、彼女を受け止める。
 少しスポーツドリンクがこぼれた。ペットボトルを奪うと、慌てて栓を締める。
 彼女は泥酔しているせいか、意識が薄い様子だ。しかも先程よりも、だ。
 これは「酩酊」という状態なのだろうか。
「あの……大丈夫ですか……」
「…………」
 駄目だった。
 もう彼女は目を閉じていた。
「まさか、意識失ったんですか……」
 とりあえず、彼女を近くにあるベンチになんとか座らせる。
 誰も手を貸してくれる気配はなかった。
 そうこうしているうちにバスが来た。
「あ、バス、どうしよ」
 これに乗って帰りたいが……この人を置いていくわけにはいかない。だからと言って連れていくわけにもいかない。
 取りあえず、この便に乗るのを諦めた。
 しばらくして、何度か腕を叩いてみるが、彼女は目を開けない。
 置いていくわけにもいかないし、彼女が目を覚ますことを願ったが、それも虚しく……最終のバスが来てしまった。
「やべ、どうしよう……。あの、すみません、すみません」
 彼女を揺すってみたが、駄目だった。
(おいおい、俺、帰れねえ……)
 そして、最終のバスは行ってしまった……。
 タクシーで帰るしかない。
「お姉さん」
 こんなところで寝てたら風邪引きますよ、とため息をついた。
 どこか休む場所を探そうか。
(あー、なんで俺がこんなこと)
 同級生たちが、泊まるところがない時に、男同士でラブホテルに泊まったと話していたことを思い出した。また合コンで気の合った女の子とホテルに行き、一泊したが、そんなに高くなかったと話を聞いた。真実はわからないが。
 やましい気持ちはこれっぽっちもないんだ、と孝太郎は誰に言うわけでもなく心のなかで叫んだ。
(この辺に無かったかな)
 と、周囲をきょろきょろした。
(てか、そもそもこの人、一人なの? 誰か連れいないの?)
 大きく溜め息をついたあと、気合いを入れて彼女をなんとか背中に負ぶった。
 今はバッグが邪魔で仕方がない。リュック型のバッグだ。さっきまでは背中にあったが、彼女をおんぶするために、前に抱えている。
(見つからないな)
 ……ラブホテルは見つからない。
 駅前というだけあって、その類の建物はないのだろう。行ったことはないが、そういう建物はもう少し町外れにあるというイメージがある。
 ただし、ビジネスホテルは何件か点在した。
 仕方ない、と孝太郎はビジネスホテルのロビーへ向かった。
 週末のビジネスホテルは少し高めかもしれないが、背に腹は代えられない。
「あのう、予約してないんですが、一部屋空いてますか」
「少々お待ちくださいませ」
 運よく空いていた。
 いちばん安い部屋を頼んだ。
「ツインですか」
 と聞かれたが、
「いえ、シングル一室で」
 と孝太郎が答えると、従業員に怪訝な顔をされた。
「自分は泊まりません。この人だけです」
 背中の女性を示すと、男性職員は納得した様子で、
「かしこまりました」
 と言ってくれた。
 空きがあるらしく、宿泊手続きをしたあと、自分はすぐに帰るのだということを伝えると、部屋のキーをくれた。
 すぐ帰るからということで、バッグを預け、彼女を部屋に連れていく。
 彼女のバッグを机におき、靴を脱がせ、そのままベッドに寝かせて布団をかけた。
 そして、キーも机に置くと、孝太郎は静かに部屋を出た。
 ロビーに戻り、
「精算は今します」
 宿泊代は、財布の中身の殆どをさらっていった。
(トホホ……)
 自分のバッグを受け取ると、一礼をして孝太郎はホテルを後にした。


(……あの人、やっぱりどこかで会ったことある気がするんだよな)
 やはり思い出せなかった。
 それより、自分はどうやって家に帰ろう。
 バスはない。
 タクシーに乗るとしても、お金が足りるかどうか……といったところだ。
(仕方ない、歩くか)
 トレーニングだと思って歩こう。
 孝太郎はてくてくと実家までの道のりを歩くのだった。


 実家についたのは真夜中だった。
 家族はもう寝ていた。
 静かに家に入り、入浴を済ませて眠りについた。
 そして翌朝はすぐにやってきたのだった。
 なんだか一階が騒がしい。
 バタバタバタ……と階段を上がってくる足音が遠くで聞こえた気がした。
「孝太郎! 孝太郎!」
「んー……」
 母親がノックをして入ってくる様子が窺えた。
「んー……まだ寝かせて……」
 しかし孝太郎の頭はぼんやりしている。
「寝てるわ……」
 パタン、とすぐドアが閉まり、母親が降りていく足音がした。
「ごめんね、帰りが遅かったみたいでまだ寝てるの」
「いえ、大丈夫です。それならこれをお返ししておいて下されば」
「あら、孝太郎が?」
「はい、ちょっと、昨夜助けてもらって……。たぶんそれで帰りが遅くなったんだと思うので。申し訳ないです」
 母親は何か女性と話をしている様子だった。
(誰だろう……)
 孝太郎は再び夢の中に戻っていくのだった。

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