伝えたい、伝えられない。

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7.関心

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 季節は、気がつけば短い秋の終わりになり、冬の足音が聞こえてくるようだった。
 彼女が入って半年はとうに過ぎており、会社にすっかり馴染んでいるようだ。
「倉橋さんの彼氏って、あの青葉建設の社長の息子?」
「いや、違うと思うよ」
「ふーん、そうか」
 山岡との世間話は移動の車中が多い。たまには飲みに行ったりすることはあるが、だいたいの情報はここで得る。
「真緒ちゃんには彼氏はいないよ?」
「なんで断言?」
 山岡の言い切ったような言葉にに、首を傾げる。
「いや、断言してるわけじゃないよ」
「前にいるっぽいこと言ってなかったっけ。知ってるような感じだったから」
「うーん、たぶん、いないとは思う。青葉の御曹司は絶対にないな。相手は真緒ちゃんを狙ってるぽいけど。自分の立場になってよ。こっちの話はきいてもらえても、彼女の話はうまく理解できるかわからないよな?」
 山岡が障碍者を下に見ているのか、と感じてその発言にむっとしたが、
「その辺の男じゃダメだろうな。俺なら理解したいから必死になるだろうけど。……彼女の恋人になる男は、よっぽど彼女を理解できる器のでけぇヤツじゃないかなって思うよ。まあ、真緒ちゃんならあんなに可愛いし、彼氏がいないとも限らないけどねー。あー、もしかしたら……いるかもなあ」
 と、山岡はにやにや笑う。
(どっちなんだよ)
 山岡の言うことは、自分の考えたことと異なっていた。
 彼女を決して下に見ているわけではなかった。
 真緒と、真緒の恋人をリスペクトする言い方だった……いるかどうかはわからないが。
「ふーん、そっか……」
「なに、倉橋さん狙ってんの」
「ちげーよ」
 いきなり何言うんだよ、と間髪を入れずに否定し、山岡を睨む。
「だいたいあの子は……」
「あの子は?」
「いや……あ」
「言いかけたことは言えよ、気持ち悪いな」
 言おうか言うまいか悩んだが、創平は口を開いた。
「あの子は、山岡に気があるんじゃないのかなって思うことがあってさ……」
「ない」
 スパッと山岡は否定した。
「え」
「ないな。絶対にない。俺は結婚してるんだぞ」
「うん、倉橋さんも知ってるだろうけど」
「俺に気があったら、あんなに話したりできないよ。あの子は引っ込み思案だし、とても話せるような子じゃないと思うよ。好きな相手には緊張するようなタイプだと思うし」
「そうなのかな」
「うん。初恋の人のことを思ってたらしいし」
「初恋……」
 じゃあうちの会社には相手はいないってことか、と一人考える。
「安心しろ、真緒ちゃんを落とすのに躊躇うようなライバルはこの会社にはいないぞ」
「いや、落とすとかそういうことじゃないし」
「え、真緒ちゃんのこと気に入らない?」
「そういうことじゃなくて……」
 そもそも俺は好かれてもないし、と口ごもる。
「あ、そっか。そういえばおまえ、ギャルみたいな彼女いたな。忘れてた」
 山岡が思い出したように言う。
「……とっくに別れたけど」
「ん!? 同棲してなかったっけ」
「してねえよ、相手が勝手に転がり込んでただけ。それに、男できたから別れるって」
「うわぁ……」
 山岡は苦笑した。
「まあ別に未練もなんもないし。勝手に居座られてたから、いなくなってせいせいしたけど」
「居座られて……っていうけど、いい思いもしたんだろ」
「……まあ、否定はしない」
 最初は身体の関係から始まったが、見た目がケバケバしいイメージとは違い、居座られても家事や炊事をしてくれたし、献身的に世話をやいてくれる女だった。でも、自分の歪んだ性格に嫌気をさして、好きな人が出来たからと言って出て行ったのだった。
「別れたなら真緒ちゃんに告白できるな」
「なんで俺があの子に告白する前提なんだよ。てか好きな前提っておかしくないか」
「そうだな。ま、何にせよ、おまえは真緒ちゃんは釣り合わないよな」
「俺のほうかよ」
「うん。おまえに、じゃなくて、彼女に、で間違ってないとおもうけど? あの子くらいいい子には、いい男が隣にいてくれないとな」
 なんか腹立つ、と思うが言い返すことができない。
 元の彼女たちにも幾度も言われてきたことだ。
「真緒ちゃんの恋人になる人ってどんなヤツかなあ、しっかり見定めないと」
「小舅かよ」
「うん、そんな感じ。俺らのアイドルに相応しい相手じゃないとな」
「アイドルって……」
(まあ、ほんと普通にしてれば可愛いし。男がいてもおかしくないとは思うけど)
「今はいないけど、まあそのうち出来るだろうしな」
「さっきは難しいって言ってたのにか」
「言ったけどさ。ま、そのへんの男じゃ無理だねって話なだけで。あー、やっぱ青葉建設の御曹司なら、真緒ちゃんに釣り合うかもな」
 山岡の言葉に、以前事務所に来た青葉建設の社長の息子の顔を思い出した。
(あの男か……)
「真緒ちゃんに本気みたいだし」
「あーそうだったな」
「社会的地位もあって、きっと金もあるだろうしな。顔も悪くない」
「…………」
 精一杯関心がないふりをする創平だった。


 今日も現場が午前と午後は別で、創平たちは一度昼に事務所に戻った。
「お疲れ様です-」
「戻りましたー」
 応接スペースに立っていた真緒が振り帰り、お疲れ様です、と口を動かして頭を下げた。彼女はお盆を抱えたままだ。来客者にお茶を出したのだろう。
 小夜子はいない。
「あっ、もう昼か」
 声がしたのでそちらを見やると、人がいた。
 見覚えがあった。
「ごめんね、長居しちゃって」
 男性は手話を交えて真緒に言った。真緒は笑いもせず、手話で「大丈夫です」と伝えていた。
(あ、青葉建設の御曹司……古川一真、だっけ)
 真緒を狙っているらしいという噂の男性だ。
「倉橋さん、さっきの件……」
 男性に声をかけられ、途端に彼女の表情が暗くなるのが見えた。
 男性は手話で何かを伝え、
「考えてみてください」
 と言った。
 創平には何を伝えているかはわからない。
 右手で親指を人差し指を開き、顎の下からそのまま下に閉じながら下げる仕草をした。指でピストルや鉄砲を表す時にする形で、何かをつまむ指の動きのように見えた。
(この手話は、何回か倉橋さんがやってるのを見たことあるな……)
 何だかもやもやした。
 男性の手話を記憶して、あとで調べようと頭にしっかり入れる。
「それじゃ、失礼しました」
 彼は真緒に頭を下げたあと、山岡と創平にも頭を下げる。
「どうも」
 創平も頭を下げ、彼は事務所を出て行った。
 真緒は、応接テーブルの湯飲みを下げると、給湯室へと向かった。
「あ、あの、倉橋さん」
「?」
 真緒を呼び止め、創平はポケットからなにやら取り出した。
「これ、あげる」
「!」
「コンビニでお茶買ったら、ついてた。倉橋さん、これ集めてるっぽかったからどうかなって。あ、でももう持ってる分なら捨ててくれていいし」
 コンビニで販売されているお茶のおまけだ。
 真緒は首を振る。
『持っ……てないです』
 手話で答えながら、
「う、うー、れ……うあ……あっ」
 彼女は一生懸命言葉を発した。
 呻くような声は、まるで喉に風が通っているかのようで、上手く発せられないのだとわかった。
 何を言っているかを聞くことはできないが、嬉しい、と伝えようとしていることは充分に伝わってきた。
「無理にしゃべんなくていいから、喉、痛めるよ」
 真緒は嬉しそうに、何度も何度もお辞儀をした。
 よほど嬉しかったらしい。
 古川一真への対応とは全く違った。


 創平は二階の休憩室で、先程買ったコンビニ弁当を広げた。山岡は愛妻弁当だ。
 真緒は一階の事務所の自分の席で食べているようだ。
「倉橋さんになんかあげたの?」
「ああ、うん、このお茶のおまけ。倉橋さんが集めてるみたいだったから」
「ふーん……」
 ストラップのついたクマのマスコットだ。
「なんでそんなとこ見てんだろうなー」
 と山岡が笑う。
「な、なんだよ」
「いつもは炭酸なのに、今日はお茶だったのはそういうことか」
「別に。たまにはいいだろ、お茶でも」
「お茶なら倉橋さんが入れてくれるにのにね。まぁいいですけど? 倉橋さんが集めてるって、よく知ってるなって思って」
 山岡がニヤニヤと笑う。
「……なんかムカつくな」
 注意深く見るようになって、真緒がそのキャラクターを好きであることに気づいたのだ。文房具や雑貨に、そのキャラクターのものが多い。
 机の上に、お茶のおまけが並んでいるのも見かけた。
「俺は使わないし、あげてもいいだろ」
「はいはい。そういうことにしとくかー」
「それより」
 と話を遮って、創平はさっきの手話の意味を尋ねようか考えた。
「山岡はさ、結構手話わかるんだよな?」
「いや、全然。でも里佳子の影響かも。里佳子が手話に目覚めてさ。倉橋さんの話をしたら興味持って」
「奥さんって看護師だろ。介護士じゃなくて」
「うん、里佳子の病棟は必要になることはないらしいけど、同僚とか友達に手話できる人がいるんだってさ。必要だからできるようになった人もいるし、必要な環境で育ってきた人もいるって」
 山岡の妻は看護師で、きっと忙しいはずだ。勤務も夜勤や早朝もあるだろう、自分たちよりはかなり不規則だ。しかしその忙しい合間に手話を学習しているという。
「真緒ちゃん、うちに来て里佳子と手話やってるよ?」
「そうなの!?」
 山岡の妻と親しくなっていることは初耳だった。
「何、おまえもやる?」
「いや……別にいい……」
「わかったら倉橋さんともお近づきになれんじゃねぇの」
「そんなやましい気持ちはねえよ」
「そう?」
「ま、まあ、前も言ったけど、知ってて損はないかなって思っただけ」
「成長したねえ」
「うるせぇよ」
 古川一真の手話の意味を尋ねそびれる創平だったが、山岡がにやにや笑っていることには気づかなかった。
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