伝えたい、伝えられない。

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43.引越後

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 無事に引越を終え、創平、真緒、そして助っ人の山岡は荷物を運んだだけの雑然とした部屋で一息ついていた。
「山岡、ほんとありがとな。助かった」
『ありがとうございます』
「いいよ~、二人のためなら」
 疲れているはずなのに山岡は笑っている。
 二リットルのペットボトル麦茶をごくごく飲み、彼は「うまい」と言っている。
「夜は真緒の実家で、ごちそうになる予定だけど、山岡も行くよな?」
「は? なんで?」
「なんでって……真緒のご両親が三人で来てくれって」
「いや、なんで俺」
「引越の手伝いをしてくれたからだと」
「いやいや、俺が行く意味わかんない」
『両親が山岡さんも連れてくれるようにと』
「俺はただ荷物運んだだけの男よ?」
 山岡は遠慮をしているのか、胸の前で手を大きく振った。
「手伝ってくれたし」
「俺、このあと会社にトラック返しに行くし。可愛い妻と可愛い娘が待ってるから帰らせていただきます」
 そうか、と創平は残念な表情を見せた。真緒も悲しげな表情だ。
「なーんて、今日里佳子が実家にいるんだ。里佳子と遙を迎えに行きたいし、気持ちはありがたいんだけど、ほんとごめん」
 遥、というのは年末に生まれた彼らの娘だ。 
 無理して手伝ってもらって悪かった、と創平と真緒は頭を下げた。
「礼はまた近いうちにするから」
「いいよ、気にすんな。二人には遥の出産祝いただいたし。出来ることならするから、遠慮なく頼れよ」
 家電や大きな家具の設置をしてくれた後、山岡は会社のトラックに乗って帰って行った。
 二人で山岡に感謝し、後日改めて礼をすることを決めた。
「あとは俺たちでできそうだからな」
『はい』
 二人とも荷物が多いわけではなかったし、足りないものはこれから買いそろえて行く予定だ。
 とりあえず当面使わないようなものは後回しにし、食器や衣類はそれぞれが所定の場所にしまった。
「一段落したら、真緒の実家、行こうか。無事終わったって伝えないとな。真緒も今日はこっちじゃなくて実家だろ」
 真緒は今夜は新居で過ごさず、実家に泊まることになっている。明日はいつも通りに出勤し、ここに帰ってくる予定だ。創平は一人ここで生活を始める。
「汗流して、着替えてから行こう」
『はい』

 真緒の実家に行き、引越が終わったことを伝えると、彼女の両親は労ってくれた。
「それとすみません、もう真緒さんから連絡があったと思いますが、山岡は奥さんと子供さんを迎えに行かないといけないらしくて。こちらにはお邪魔できないと話していました」
「ええ、真緒から連絡がありました。山岡さんにもお手伝いしていただいたのに申し訳ないですね。でも生まれたばかりのお子さんが一番でしょうし、またの機会に」
 真緒の父親は、山岡に申し訳ないと言っていた。母親のほうも済まなさそうな顔をしている。
(俺も申し訳ないって思ってるし……)
 つくづく彼はいいヤツだと思う。
 こんな性格の悪い自分と、ずっと友達でいて、同じ会社で働いて、腹が立つことも多々あるだろうし、耐えられない時には爆発してぶつかるわけだが。
「では、いただきましょうか。妻がたくさん用意しましたので、創平君もたくさん食べてください」
「ありがとうございます」
 真緒と親しくなるにつれて、彼女の両親は創平のことを名前で呼んでくれるようになっていた。認めてもらえたようで、なんだかくすぐったかった。
 時々真緒の家で食事を御馳走になっていたが、いつも「もてなし地獄」だ。
 娘の彼氏とは好かれないものだと思っていたが、好意的だし、いろんなものを勧めてくれる。もう食べきれないと言っても、食べさせてくれるし、車で来ていると言っても酒を勧めてくれる。うちに泊まればいい、と父親のほうは言ってくれるのだ。
(なんか……すごい、居心地いいんだよな)
 自分の実家より、過ごしやすかった。
『お母さん、このおにぎりと唐揚げ、少し包んでもいい? 松浦さんに持って帰ってもらいたい。おにぎりは明日の朝まで持つよね?』
「そうね、すぐに冷蔵庫に入れてもらえれば」
 真緒が、食事に出されて食べきれずに残ってしまったものを、帰り際に包んで持たせてくれた。
「創平君、帰ったらすぐに冷蔵庫に入れてくださいね。明日の朝くらいまでなら大丈夫と思いますから」
「ありがとうございます」
「あと、こちら、お蕎麦。明日にでも茹でて真緒と食べてください」
「あの、ありがとうございます、何から何まで……」
「いーえ、真緒がこれからもお世話になるんですから。たまには、また食事しに来てくださいね」
 倉橋家の玄関先で、深々と頭を下げた。
 そして真緒の両親と真緒が、見送ってくれた。
 真緒だけ、
『そこまでお見送りしてくる』
 と、創平の車まで見送りに来てくれた。
「真緒、お疲れさん。ゆっくり休めよ、明日仕事だし」
『松浦さんも』
 車に乗り込み、エンジンをかけた。
 昼間は暖かくなってきたが、夜は少し肌寒さが残っている。
 窓を開け、真緒に顔を見た。
「じゃあ、また明日」
『はい、また明日』
 真緒は手を振った。
 創平は少し挙動不審気味に周囲を見渡したあと、真緒の唇に自分の唇を合わせた。
「おやすみ」
『……おやすみなさい』
 真緒は驚いたようだが、嬉しそうに笑った。
 真緒の家付近ではキスはしたことがない。誰が見ているかわからないからだ。
「それじゃあな」
『はい』
 真緒の頭を撫で、車を発進させた。
 彼女は創平の車が角を曲がるまで見送ってくれたのだった。
 
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