星恋月夜(ほしこいづくよ)

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1.最悪な出会い

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 祐輔はいつものように自転車を走らせていた。
 しかし、その日はいつもと違った。
「事件」が起きてしまったのだ。
 ──目の前に、女の子が飛び出してきたのだ。
「うわあああああああああああ!」
 悲鳴に似たような、驚きと恐怖が入り交じった、しかしドラマや漫画で見かけるような綺麗な悲鳴ではなく、きっと情けない声を出していたに違いなかった。
 と同時に自転車はスライドし、祐輔自身は自転車から飛ばされ、掛けていた眼鏡も飛んで行ってしまったのだ。
 その時の祐輔は、前かごに乗せている大事なもののことを咄嗟に思った。自転車よりも眼鏡よりもそちらのほうが大事なのだ。
 眼鏡無しでは、視界がぼやけているが、大事な「望遠鏡」の在り処はぼんやり見えた。飛んで行った眼鏡より、自分の全身の痛みより、飛び出して来た女の子より……「望遠鏡」のことを考えた。
 よたよたと望遠鏡に近づき、ケースを開けて中を覗き、そっと触れると、どうやら大丈夫のようだった。
(よかった……、じゃ次は眼鏡……眼鏡、眼鏡……)
 優先順位を判断し、地を這うように、ようやく手探りで眼鏡を探し当てると。
 眼鏡は、無残にも柄がパッキリ折れていた。
 顔を近づけ目を凝らすと、取り敢えずレンズは割れていない様子だ。
「あー……」
 祐輔がつぶやくと、それをかき消すように、彼女が言った。
「ちょっと!」
 そこでようやく女の子の存在を思い出した祐輔だった。
 事故の時は、どちらが悪いかはともかく、相手のことをまず考えなければいけなかったのに。
(怪我していたら大変。相手が悪いのはわかり切っているけど、自転車も交通事故と同じだ。過失傷害罪も過失致死罪も事例はあるんだからな)
 望遠鏡のことを考えすぎてしまっていた。人としてまずい、と祐輔は反省した。
「……大丈夫ですか?」
 ぼんやりではあるが、仁王立ちで祐輔と対峙している様子に、相手に怪我はないのかなと思った。
「大丈夫か、じゃないわよ、前見てないの!?」
 いやそれはこっちの台詞、と祐輔は言い掛けたが、
「飛び出してきたのはそっち……」
「あんたねえ!」
 彼女はそれすら遮った。
(僕はちゃんと視界の範囲は見ながら走ってたし、急に陰から出てきて左右確認なしに飛び出してきたのは相手のほうだ。止まるに止まれない状況にあった)
「あんたのせいで、スカートが破れちゃったじゃないのよ! どうしてくれんのよ!」
「……は?」
 すごい剣幕で、座り込んでいる祐輔に詰め寄ってきた。祐輔はゆっくりと立ち上がり、相手を見下ろした。
(スカート?)
「どうしてくれる…って、それを言いたいのは僕のほうですよ。突然飛び出してきておいて、いきなりそれはないんじゃないんですか? 僕のほうだって、あれこれ壊れてるんですよ」
 祐輔はできるだけ冷静に言ったつもりだった。
 しかし、祐輔の冷静さとは裏腹に、彼女は激昂したように捲くし立ててくる。
「自転車のほうが過失あるでしょ!」
 どんな表情なのか、眼鏡のない祐輔にははっきりとは見えなかったが、相当な形相に違いなかった。
 彼女の怒号に、近所の人たちがちらほら顔を出した。
 家の外に出て、様子を見に来る者もいた。
 野次馬が集まり始めたら面倒だと祐輔は思ってしまった。
「眼鏡なんてどうでもいいじゃない! だいたいちゃんと運転しないあんたが悪いんでしょ! 弁償する気がないんだったら……」
「はあ……?」
 呆れて閉口する祐輔の一方で、彼女はきょろきょろと周囲を見渡した。
 何をするかと思いきや、祐輔の足元の望遠鏡を両手でがしっと掴んだ。
 掴んだというより、奪い取ったと言うほうが相応しいかもしれない。
「あっ……!」
 少なくとも、祐輔には「奪われた」に違いなかった。
「これ、もらうわ」
「そ、それは……!」
 祐輔は女の子に掴み掛かった。野次馬からしたら、男子が女子に暴力を奮うように見えたかもしれない。
「返せ!」
「返せ? じゃ、このスカート、弁償して! 大切なスカートなんだから! その辺の安物と違うのよ!」
「それはこっちの台詞だ! 僕の眼鏡を壊しておいて、望遠鏡まで強奪するつもりか? そんなの泥棒だろ!」
「なんとでも言えば?」
「そんなに大事な服なら着なきゃいいじゃないか! 部屋にでも飾ってろ!」
 彼女は、ぐっと言葉をつまらせた。
 祐輔は力いっぱい奪い返そうとするが、彼女の力もなかなかのものだった。ケースに入った望遠鏡を持ったまま、彼女は祐輔を振り飛ばした。
 二人の間に、ほんの少しだが実距離が生まれた。
 どうにかして取り返そう、そう考えた時だった。
 つかつか、と彼女は祐輔に歩み寄り、一瞬鬼のような形相を見せた。
 眼鏡をかけていない祐輔にも、それはわかった。
 かと思うと……。

パシッ!!!

 小気味のいい音が響いた。
 途端、祐輔の左頬に痛みが走り、思わず左手で押さえた。
「……痛っ、何するんだっ」
「これくらいで済ませてあげるんだから、ありがたいと思いなさいよ!」
 いたたた……、と祐輔はさらに左頬を押さえる。
「ふんっ」
 彼女の捨て台詞のような鼻息が聞こえ、ザッザッ、と彼女の足音が遠のいて行った。
 もう「追いかける」という思考さえ生まれなかった。
 彼女は宣言どおり、祐輔の大事な望遠鏡を奪って去っていった。
 どこの誰かもわからない女の子に。
 この際「女の子」なんて可愛い呼び方は不要だと思った。
(あの女………………!)
 普段は温厚だと言われる祐輔だったが、その時の彼には「憎悪」が渦巻いていた。
 残されたのは、壊れた眼鏡と、倒れた自転車……そして、呆然とした祐輔と、野次馬たちだけだった。

   ***

 望遠鏡は、祐輔の大切な物だった。
 お年玉をためて、そして、高校一年生の夏休みに自分で買ったものだった。
 星や空を眺めることが好きな祐輔は、どこへ行くにもそれを持ち歩き、大学に入ってからも、持ち歩ける時は持ち歩いていた。受験勉強の合間に、星を眺めては心を癒し、模試の結果が思わしくなかった時も、望遠鏡を覗いて……過ごしてきた。
 志望の大学に入ることができてからも、ずっと一緒だったのに。

 あの女の子が持って行ってしまって、祐輔はどうすることもできなかった。眼鏡の壊れた自分には、どんな子だったのか、はっきりとは思い出せない。
 思い出せないというより……正直見えていなかった……。鬼のような形相だったのはわかる。
 おそらく同じくらいの年端だとは思われた。制服でないところを見ると、高校生や中学生ではなかったとは思う。もしかしたら女子高生かもしれないが、中学生ではなさそうだ。
 ──アルバイトと奨学金で大学生活をしている祐輔には、眼鏡の修理ですら痛い出費だ。心の拠り所の望遠鏡もない。新しい望遠鏡をすぐに買えそうもない。
(どうしようものかな……)
 祐輔はため息をついた。
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