星恋月夜(ほしこいづくよ)

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11.修羅場

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 ドアポストを覗くと、小さな紙袋がそこにあった。触れるとふにふにと柔らかい。急いで開封すると、そこには、以前春名の頭を冷やすために使ったハンドタオルが入っていた。
(春名さん!?)
 慌ててドアを開け、春名の姿を探した。
 薄暗くなった周囲のなかで、姿を見つけると、
「春名さん!」
 声をかけると、彼女が振り返った。
「ま……待ってくださいっ……春名さんっ!」
 慌てて彼女を追いかけた。
 アパートの敷地を出るところだったので、すぐに掴まえることができた。
「追いかけてこなくても……」
「春名さん、これ……わざわざ……」
 ハンカチを右手で振ると、
「うん、借りっぱなしだったからさ」
 と、はにかんだ顔で春名は言った。
「ありがとう」
「いえ、ハンカチくらいは……」
「そうはいかないよ。借りっぱなしだったもん。お土産だけ渡してハンカチ返してなかったよ」
 いいのに、と祐輔は言うが、春名は首を振った。
「今日、誰か一緒なんでしょ。邪魔したら悪いから、行くね」
「えっ、あのっ」
「女の子なんでしょ。野暮なことはしないから安心して」
「なっ……ちが……」
 投げやりな風の春名の言葉に、祐輔は妙に焦ってしまい、踵を返した春名の肩を掴んだ。
「先輩なんです、高校時代の。だから疚しいことはなくて」
「……じゃあね」
「あの、だから」
 必死で弁明をしようとする自分が恥ずかしかった。
 なんで弁明しているんだろう、と。
「前に話した高校時代の先輩とばったり会って……」
 春名の頬がぴくりと動いた。
「そう」
「だから、別にそういう変なことはなくて」
 春名に誤解されたくない、その感情が溢れてきた。
「祐輔君、わたし帰るよ」
「え?」
 振り返ると、部屋から出てくる美幸の姿があった。
(また名前で呼ばれた……)
 違和感しかなかった。
「わたしがいると、なんだかお邪魔みたいだし?」
 そこにいるのは美幸だが、祐輔の知っている美幸ではない気がした。
「美幸……」
 春名の口から、彼女の名前が洩れた。
(えっ!?)
 また春名のほうを振り返ると、彼女の視線は祐輔ではなく美幸を見ていた。
「へえー……まさかこんなところで、あんたと会うなんて思わなかった」
(えええっ!?)
 聞いたことのない口調の美幸に、一瞬たじろぎ、双方を見やった。
 美幸は春名に近づいていく。
(どういうこと!? 二人は知り合い!?)
 春名に美幸の話をしたことはあった。
 美幸に春名の話をしたことがあっただろうか。
(いや、ない……。いや、親しくしている女の子の話は会った時にしたことはある。今日も少しだけ……でも素性は言ってない)
「それはこっちの台詞よ」
「ふうん……」
 二人は祐輔など目に入らないかのように、対峙していた。
 まずい雰囲気だと言うのは、さすがの祐輔にも感じ取れる。
(な、なんか修羅場……?)
 まさか自分を巡って、などというのはあり得ないだろう。
(なんで? 知り合い? どういうこと?)
「あんたは、人のものばっか盗むよね」
(盗む?)
「わたしの後輩まで手出すんだね」
「は? 鈴木君はあんたのものじゃないでしょ」
「ふうん、その気もないのにちょっかいかけてる時点で、汚らしいと思うけど」
「鈴木君の知り合いだったってのは偶然よ」
「どうだか?」
 美幸は春名を睨み付けながら言った。春名も怯まずに応戦している。
(どういうこと……二人が知り合いってのまではわかったけど……どういう関係……)
 なんとかこの場を収めないといけない、というのはわかり、どうしようかと息を呑んだ時だった。
 ガチャリ、と音がした。
 祐輔の部屋のドアではない。
 隣の部屋のドアが開き、祐輔たちと同じ年頃の男女が出て来た。
 ここは単身アパートで学生が多い、大学生であろうということはわかった。
「直輝……」
「直輝?」
 春名、美幸の順に口から誰かの名前が呟かれた。
(え……)
 二人の視線は、祐輔の隣の部屋から出てきた男性に注がれている。
 彼は春名たちを捉えて動きを止めた。
「どうかした?」
 彼の隣に寄り添う女性が、男性を見上ている。
 男性の表情は驚きに満ちているが、それよりも恐怖のようなものがあるように祐輔には思えた。
 そして、その場が凍り付いてると感じた。
 異様な空気だった。
「へえー……」
 口を開いたのは美幸だ。
 そして、一歩一歩、直輝と呼んだ男性に近づいて行く。
「その子が本命? それともあの女?」
 美幸は顎で春名をしゃくった。
「それとも他にまだまだいるの」
「……えっと」
 口ごもる男性に、
「どういうこと?」
 隣の女性が怪訝な顔をした。
「ま、もう今更どうでもいいんだけど」
 美幸は吐き捨てるような言い方をした後、直輝と呼んだ男性の左頬を引っぱたいた。
「!」
 祐輔は目を見開いて驚いた。
(えっ、美幸さん……!?)
 目の前で何が起こっているのか、考えてもまだよくわからない。
 この男性と、春名と美幸の三人が顔見知りであるということは察することができた。そしてなんとなく、恋愛が絡んでいるということも。
「何するの!」
 直輝の隣の女性が悲鳴のような声を上げる。
 直輝は左頬に手を当てた。
 美幸がひっぱたいたのだ。
「あの女に寝取られたのかと思ってたら、二股だったんだよね。そうかと思えば、実はどっちもあんたにはセフレだってわけでしょ」
「……そんなつもりは」
 怯んだ彼だったが、眉を八の字にして美幸を見返している。ひっぱたかれるとは思わなかったのか、怯えている。
「直輝、どういうこと?」
 隣の女性は困惑した表情だが、少し怒りをにじませ始めていた。
(あ)
 春名が祐輔の前を通り過ぎ、つかつかと彼に歩み寄ると、頬に当てていた手を掴んで引き離すと、拳を振り上げた。
「いっ……!」
 振り上げた拳は直輝の頬を打ち、彼は背後に尻餅をついた。
「嘘つき」
「ご、ごめん」
「誰に言ってるの?」
 春名がぼそりと言う。
「二人に……美幸と……あ……」
「わたしに? ふざけないでよ。もてあそんでおいて」
 尻餅をついた直輝を三人の女性が見下ろしていた。
「弄んでなんて……ちゃんと俺は二人とも好きだし……」
 はあああ、と隣にいた女性が声を上げる。
「ちょっと直輝、説明して」
 手を貸して立ち上がらせようとしたが、直輝は自ら立ち上がり、女性たちを見返した。
「あーあ」
 意表をつくような言い方だった。
(え?)
「あーめんどくさ」
「は?」
 一緒にいた女性が眉を吊り上げた。美幸と春名も眉間に皺を寄せ、彼を見ている。
「もうバレたからもうどうでもいいか。おまえら三人とも、適当に遊んでやっただけだよ。春名はギャーギャーうるさいからめんどくさくなるし、プレゼントでもしとけば静かになるけど。山本も、気が強いばっか、束縛ばっか、めんどくさいんだよ」
 山本、というのは美幸の苗字だ。
「おまえも」
 今度は、傍の女性に視線をやる。
「おまえはまあ、別に今のところ不満はないけど。性欲発散するにはちょうどいいしな……」
 恐らくまだ言いかけたところであっただろう、言い終わらないうちに直輝はその女性の拳に寄って吹き飛んだ。
 派手な尻餅をついた。
「いってー……」
「これくらいじゃ収まらないけど。……じゃあね」
 彼女は言うや否やその場を立ち去った。春名たちを睨むのも忘れなかった。
「最低。この子と二股どころじゃなかった」
 美幸は、持っていたバッグで直輝の頭をはたいた。
「いって……」
「あー時間無駄にした。あんたももう一発くらい殴れば?」
 美幸は春名に向かって言い放った。
 春名が困惑気味に美幸を見返していたが、意を決したように直輝に近づいた。

 ぱんっ

 小気味いい音がした。 
 春名が、座ったままの直輝の頬を打った音だった。
(僕が叩かれた時より強い音……)
「早く消えてよ」
 美幸が言うと、直輝は、
「言われなくても消えるわ。クソみたいな女どもが」
 と悪態をつき、慌てて立ち上がった。
 駐車場内にある自分の車に乗り込むと、エンジンを吹かしながら去っていった。
(僕はどうしたら……)
 ぽかんとして彼を見送った。
「鈴木君、見苦しいところ見せてごめん」
 ふいに美幸に話しかけられ、祐輔は戸惑いながらも頷いた。
「い、いえ……」
「わたしは、鈴木君が思ってるようないい先輩じゃないから」
「えっ……」
「鈴木君たちの学年の後輩たちは、わたしに憧れてくれてたみたいだけど」
「そうですよ」
「でも、そういうのはもう昔の話」
「…………」
 そう言われても憧れの先輩でしかない、と言いかけた祐輔に、美幸は辛辣なことを言い放ったのだった。
「鈴木君と付き合う気ないし」
「えっ!」
 何の話だと思ったが、少し前に「付き合ってみる?」と冗談を言われたそのことを指しているのだとわかった。
 美幸は祐輔に近づき、耳打ちをするように、
「あの子もやめたほうがいいと思うけどね。人のもの欲しがる女だし。鈴木君があの子を好きだっていうなら止めないけど、一応忠告しておくね」
 そう言った。
「それじゃあね」
「…………」
 唖然とする祐輔を見やり、立ち去ろうとした美幸だったが、春名の前に立ち、
「泥棒猫」
 と頬をはたいた。
「ひいっ」
 祐輔は小さく悲鳴を上げてしまった。
 今日は何度人が叩くのを、叩かれるのを見ただろう。
「これでチャラにしてあげる。あんたもわたしも可哀想だしね」
 そう言うと、さっさと立ち去って行ったのだった。
 取り残されたのは、祐輔と春名だった。
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