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16.未遂
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数日後。
最近は坂本も春名の姿も見かけることはなくなった。
(やっぱりわざとだったんだろう)
春名はともかく、坂本の挑発的な言動が不快だった。
アパートに戻ると、コンクリートの段差に腰を下ろした春名がいた。
その姿を見て、不快ではないが苛立ちを覚えてしまった。以前なら、彼女の姿を見ると少し胸が高鳴ったが、修羅場に遭遇して、真実を知ってしまってからはすっかりなくなってしまっていた。
駐輪場に自転車を止め、無視を決め込もうとしたが、祐輔を見た春名が立ち上がって声をかけてきたため、そうもいかなくなってしまった。
「最近は目もあわせてくれないよね」
と、彼女は歩み寄ってきた。
そういえば、出くわすと彼女は自分に何か話しかけたそうな素振りではあった。
(どうでもいい)
「鈴木君」
「誤解を招くようなことをしてはいけませんよ」
と祐輔は冷ややかに言った。
「坂本さんが、いい気はしないと思いますけど」
知らないところで男と会うなんて、世間の男子はいい気はしないはずだ。
(あ、そっか。僕は男として見られてなかったんだった)
つい忘れがちになるその言葉をふいに思い出した。
「もう、望遠鏡の代償は十分果たしてもらいましたよ。僕も、もう代償は果たしましたよね? 僕に構う必要……ないでしょう?」
存外冷たい声音に、自分で驚いたが、春名も一瞬怯んだらしかった。
街灯に照らされた春名の顔が強ばっている。
「最初はそうだったかもしれないけど、途中からは、そんなつもりで鈴木君に会ってたわけじゃないよ」
「そうですか」
目を合わせず、部屋の鍵を開け、入った。
春名はまだ何か言いたそうだったが、ドアで遮っても押し入ってくることはなかった。出会った頃の彼女なら、きっと強引に上がり込んできただろうに。
「…………」
ドアスコープを覗くと、彼女はしばらく立ち尽くしたあと、くるりを向きを変えた。
思わずドアを開ける。
「寒かったでしょ……どれくらい待ってたんですか。とりあえず、どうぞ」
声をかけると、春名はふにゃりと笑って、頷いた。
「……うん」
「どうぞ」
「ありがとう。……バイトは?」
「今週はありません。生徒達が期末テストなんで」
「そう……」
寒いのでとりあえず、と、祐輔の部屋に春名を上がらせた。
「簡単に男の部屋になんて上がっちゃいけないですよ」
と言ったあと、
「あー、そういえば僕は男として見られてないんでしたっけね」
と、つい嫌味が口から出てしまった。
「なんでそんな意地の悪いこと言うの? 鈴木君は前はそんなこと言わなかったのに……」
春名の声音は寂しそうで、悲しそうだった。
ズキリと胸が痛んだが、罪悪感だったのか……わからない。
「前から言ってますけどね」
(その度にあなたはヘラヘラ笑って茶化してたじゃないか)
ローテーブルの前に腰を下ろした彼女を見たあと、祐輔は湯を沸かした。そしてヒーターの電源を入れ、春名に温まるよう勧めた。
「ありがと」
「で、どれくらい待ってたんですか」
「三十分くらいかな……」
「何か用ですか」
「用がないと来ちゃいけない?」
「はい」
「…………」
友達ですらないのに、用がないのに会うなんて変でしょう、とぼそりと呟いた。春名に聞こえたどうかはわからない。
「話したくて学校で待っても、いつも……邪魔されるし」
(え……?)
気のせいではなかった。春名が自分に何か言いたげだったのは。話しかけたくて、工学部の教育棟の近くで待っていたということがわかった。そして「邪魔をする」のが坂本だということも。
(けど、坂本さんとは付き合ってるわけだろ……)
意味分からんわ、と祐輔は不快な表情を作った。
(でも、用はないわけでしょ)
何がしたいんだ、と春名を見下ろした。
それからは、湯が沸くまでは祐輔から話しかけることはしなかった。春名も祐輔に話しかけることはなかった。
「はい、ココアです。コーヒーのほうがいいかもしれませんけど、ないんで」
「ありがとう。ココア……好きだから、嬉しい」
春名の唇から「好きだから」という言葉を訊いて、ドキリとした。
(この感覚……)
以前にも感じたことがあった気がする。
(……なんだっけ、忘れた)
「温まったら、送りますから」
「いいよ、そんなに遠くないわけだし」
「暗くなってるのに、女性を一人で歩かせられませんよ」
「……前もそんなこと言われたね」
「そうですっけ。僕が不服なら、坂本さんを呼んだらいいとは思いますけどね」
「…………」
そうだよ彼氏に迎えに来てもらえばいい、と祐輔は言いそうになる。
「あの人、バイト行ったから来ないよ」
「ふうん……」
「だから、今日は邪魔されないと思って、鈴木君のところに来た」
(なんで……)
話少し聞いて欲しいと春名は言い、祐輔の承諾も得ないまま話し出した。
「坂本君に別れたいって言った」
「付き合ったばっかりじゃないんですか?」
「うん……お試しでいいからって。友達みたいな間柄だったし、やっぱり無理かなってそう言ったけど……別れたくないって」
坂本が一方的に好意を持っていて、前の彼氏と別れたと聞いてアプローチをしたのだろう。祐輔に確認を取りにきたくらいだ。
(別れようかと思う、って言っておきながら、手放したくないのか)
いちいち鼻につく質問をしてきた男だ。
「あの人は、わたしを好きっていうより」
「?」
「ただ、ヤりたいだけなんだと思う」
「…………」
ストレートな言葉に、祐輔はどう反応したらいいのか困ってしまった。
「もうすぐクリスマスだし、そういうことする相手を探してるだけなのかなって気がして」
「……好きだからじゃないんですか?」
「なんとなくわかるよ」
確かに自分の周囲や友人達のなかにも、クリスマスイブにキメると言っている者がいる。つまりはそういうことだ。
(童貞を卒業したい、ってしきりに言うやつもいるしな……)
世間で言う草食男子の自分にはわからないが。
(そういうもんなのかな)
クリスマスに一人でいるのがおかしいのだろうか?
(そんなことないはずだけどな)
「手近なわたしなら、すぐできそうって思っただけなんだろうと」
「そんなことはないと思いますけど……」
自分を挑発しくるような男だ、挑発に失敗したようだが。
「なんでだって責められて、好きな人がいるから、って言ってもあんまり納得してくれなくって」
「好きな人……」
それで自分の所に来たのだろう。
春名の好きな相手が自分だと思い込んで。
(そんなわけないだろ……男として見られてないっての)
「……うん。ちょっと、困ってる」
「そうですか」
「でも、なんとかしてみるけど」
「…………」
祐輔に何か言ってもらいたかったような素振りだが、黙っているしかなかった。何も言えないし、何も出来ないのだ。
「飲んだら教えてください、送りますから」
「……うん」
それからは黙り込んでしまった。
(好きな人……、その場しのぎの狂言? ほんとに好きな人がいる……? いるなら、その人になんとかしてもらうとか……)
自分がそんなことを考えてやる義理はないのだと、首を振る。
(好きな人……いるのか……)
ドキドキと心音が早くなるのがわかった。
(春名さんに好きな人が出来た……なんか、苦しい)
とても嫌な気持ちになるのは何故だろう。
春名に好きな人がいても別に自分には関係ないはずなのに。
(なんか、痛い……。それに、すごく嫌だ……)
無言の空気が流れ、時間も過ぎていった。
「じゃあ……帰るね」
送るというと、春名はまた拒んできた。
「駄目だって言ってるでしょ。今までだって僕は送ってきたでしょう」
「けど、いつも迷惑かけてきたし」
(自覚あるんだ)
「送ることは迷惑じゃないですよ」
行きましょう、と玄関に向かおうとする祐輔を、彼女は押しのけた。
「!」
よろめいて尻餅をついた祐輔が目を丸くさせると、春名の顔が紅潮し、顔を背けた。
だがすぐに、
「ごめん!」
と祐輔に手を差し出し、申し訳なさそうな表情を見せた。
ふざける姿や、強気な彼女しか見たことがない祐輔は、まじまじと春名を見上げる。
「ごめんね……」
膝を付き、祐輔の顔を覗き込んできた。
顔と身体が熱くなっていくのを感じた。
(こんな、至近距離……駄目だ……今、顔を見たらいけない……)
胸がドキドキするのを止められない。
鼓動が速くなる、というのはこういうことなのだろうか。
そして、口から何かの感情が溢れてきそうだった。
「……っ」
祐輔はゆっくりと立ち上がろうとした。
春名も同じように立ち上がる。
春名は祐輔と目を逸らすことはなく、ゆらゆらとした目で真っ直ぐに見ていた。
(なっ……んで僕を見る……!)
羞恥で一層顔が熱くなる。
(今の僕は……)
春名を見るとおかしくなりそうだ。
(見ないでくれ……!)
顔を背けた途端、不覚にもまたよろめいてしまい、
「……うぉっ」
「わっ……」
双方は小さく声を上げた。
春名が祐輔の手をがっちり掴み、倒れるのを制してくれた。
「……す、みません、ありがとう、ございます……」
「ううん」
先程までココアを飲んでいたはずなのに、彼女の手は冷たかった。
(なんで……こんなに手が冷たいんだ……)
立ち上がったというのに、彼女は手を離さなかった。
「あの、手を……」
「えっ、ああ、ごめん」
すぐに離してくれた春名だったが、何が言いたげな様子で、小さく口が開いた。
「すみませんでした。行きましょう」
「え……」
祐輔はまたも遮った。
「じゃあ、ここまでですね」
春名のアパートの近くまで来ると、祐輔は淡々と言った。
「ありがとう」
春名は祐輔のほうに向き直り、じっと見つめた。
(もう……早く消えないと、とんでもないことを言ってしまいそうだ……)
「それじゃ……」
「あの、鈴木君、わたしね……」
言いたいことがあって、と彼女は言った。
一度は背を向けた祐輔だったが、聞いたことのない彼女のか細い声に振り向いた。
「本当は……」
(春名さんの……好きな相手が……僕のはずなんて、ないんだ……)
春名に一歩近づき、彼女を見下ろした。
外灯の下、彼女が自分を見上げる表情が見えたが、瞳はまた、寂しげで悲しげなものだった。祐輔に何か言いたいのを再三遮られているからだろうか。
(もう、無理だ……)
自分の気持ちを隠せない。
気づかないふりをするのはもう無理だった。
「今から独り言をいいます」
「えっ?」
「僕は冴えない男で、気も弱いし、うだつのあがらない男で、女子から見てもパッとしてない男です。女子からは男とすら思われない、そんな自分が、人に好かれる人気のある女性を好きだなんて……そんな身の程知らずなこと言えませんよ」
一気に言ったあと、喉をごくりと鳴らした。
遠回しの、告白だった。
春名は黙ってそれを聞いていた。聞いていたというより、祐輔は一気に言ったことで、何を言われたのかわかっていないのかもしれない。
はっと我に帰った祐輔は春名から目を逸らし、
「今のは独り言ですから……忘れてくださいね……」
と、一歩下がって俯いた。
「嫌だよ」
祐輔が一歩下がったのに、春名が近づいてきた。
「それって……わたしを……」
「独り言ですから」
「言おうと思ったのに、鈴木君が言ってくれるなんて思わなかった」
春名は、息がかかるほどの距離にまで身体を寄せてきた。
(!?)
彼女は祐輔を見上げ、二人は自然と目が合う。
「…………」
背伸びをした彼女の顔が近づいてきた。頬に手を添えられ、これから何が起こるのかを察した。
(なっ……)
咄嗟に、目を閉じた春名の唇に掌を当てた。
目を開けた春名が、驚いている。
「どうして……」
「駄目です」
そっと春名を押しのけ、祐輔はそっぽを向いた。
「……今は駄目です」
「今は?」
「今は、駄目です」
「……わかった」
春名の身体が離れた。
(頬が……特に熱い……)
「人の彼女には手を出せませんから。帰ります」
くるりと踵を返そうとすると、
「待って」
と、背中に彼女がぶつかってきた。
「うおっ……」
ぶつかってきたと思ったが、彼女は祐輔の背に抱きついてきたのだった。
「なっ……」
坂本に比べたら、肉のついていない薄っぺらい自分の身体は、男性としては華奢だ。そんな自分の身体にしがみつくなんて、と気まずく思った。
「これくらいは許して」
腰から腹に手を回され、背中に彼女の頭が乗せられるのを感じた。
ややあって春名がそっと離れ、目を合わせずに立ち去った。
最近は坂本も春名の姿も見かけることはなくなった。
(やっぱりわざとだったんだろう)
春名はともかく、坂本の挑発的な言動が不快だった。
アパートに戻ると、コンクリートの段差に腰を下ろした春名がいた。
その姿を見て、不快ではないが苛立ちを覚えてしまった。以前なら、彼女の姿を見ると少し胸が高鳴ったが、修羅場に遭遇して、真実を知ってしまってからはすっかりなくなってしまっていた。
駐輪場に自転車を止め、無視を決め込もうとしたが、祐輔を見た春名が立ち上がって声をかけてきたため、そうもいかなくなってしまった。
「最近は目もあわせてくれないよね」
と、彼女は歩み寄ってきた。
そういえば、出くわすと彼女は自分に何か話しかけたそうな素振りではあった。
(どうでもいい)
「鈴木君」
「誤解を招くようなことをしてはいけませんよ」
と祐輔は冷ややかに言った。
「坂本さんが、いい気はしないと思いますけど」
知らないところで男と会うなんて、世間の男子はいい気はしないはずだ。
(あ、そっか。僕は男として見られてなかったんだった)
つい忘れがちになるその言葉をふいに思い出した。
「もう、望遠鏡の代償は十分果たしてもらいましたよ。僕も、もう代償は果たしましたよね? 僕に構う必要……ないでしょう?」
存外冷たい声音に、自分で驚いたが、春名も一瞬怯んだらしかった。
街灯に照らされた春名の顔が強ばっている。
「最初はそうだったかもしれないけど、途中からは、そんなつもりで鈴木君に会ってたわけじゃないよ」
「そうですか」
目を合わせず、部屋の鍵を開け、入った。
春名はまだ何か言いたそうだったが、ドアで遮っても押し入ってくることはなかった。出会った頃の彼女なら、きっと強引に上がり込んできただろうに。
「…………」
ドアスコープを覗くと、彼女はしばらく立ち尽くしたあと、くるりを向きを変えた。
思わずドアを開ける。
「寒かったでしょ……どれくらい待ってたんですか。とりあえず、どうぞ」
声をかけると、春名はふにゃりと笑って、頷いた。
「……うん」
「どうぞ」
「ありがとう。……バイトは?」
「今週はありません。生徒達が期末テストなんで」
「そう……」
寒いのでとりあえず、と、祐輔の部屋に春名を上がらせた。
「簡単に男の部屋になんて上がっちゃいけないですよ」
と言ったあと、
「あー、そういえば僕は男として見られてないんでしたっけね」
と、つい嫌味が口から出てしまった。
「なんでそんな意地の悪いこと言うの? 鈴木君は前はそんなこと言わなかったのに……」
春名の声音は寂しそうで、悲しそうだった。
ズキリと胸が痛んだが、罪悪感だったのか……わからない。
「前から言ってますけどね」
(その度にあなたはヘラヘラ笑って茶化してたじゃないか)
ローテーブルの前に腰を下ろした彼女を見たあと、祐輔は湯を沸かした。そしてヒーターの電源を入れ、春名に温まるよう勧めた。
「ありがと」
「で、どれくらい待ってたんですか」
「三十分くらいかな……」
「何か用ですか」
「用がないと来ちゃいけない?」
「はい」
「…………」
友達ですらないのに、用がないのに会うなんて変でしょう、とぼそりと呟いた。春名に聞こえたどうかはわからない。
「話したくて学校で待っても、いつも……邪魔されるし」
(え……?)
気のせいではなかった。春名が自分に何か言いたげだったのは。話しかけたくて、工学部の教育棟の近くで待っていたということがわかった。そして「邪魔をする」のが坂本だということも。
(けど、坂本さんとは付き合ってるわけだろ……)
意味分からんわ、と祐輔は不快な表情を作った。
(でも、用はないわけでしょ)
何がしたいんだ、と春名を見下ろした。
それからは、湯が沸くまでは祐輔から話しかけることはしなかった。春名も祐輔に話しかけることはなかった。
「はい、ココアです。コーヒーのほうがいいかもしれませんけど、ないんで」
「ありがとう。ココア……好きだから、嬉しい」
春名の唇から「好きだから」という言葉を訊いて、ドキリとした。
(この感覚……)
以前にも感じたことがあった気がする。
(……なんだっけ、忘れた)
「温まったら、送りますから」
「いいよ、そんなに遠くないわけだし」
「暗くなってるのに、女性を一人で歩かせられませんよ」
「……前もそんなこと言われたね」
「そうですっけ。僕が不服なら、坂本さんを呼んだらいいとは思いますけどね」
「…………」
そうだよ彼氏に迎えに来てもらえばいい、と祐輔は言いそうになる。
「あの人、バイト行ったから来ないよ」
「ふうん……」
「だから、今日は邪魔されないと思って、鈴木君のところに来た」
(なんで……)
話少し聞いて欲しいと春名は言い、祐輔の承諾も得ないまま話し出した。
「坂本君に別れたいって言った」
「付き合ったばっかりじゃないんですか?」
「うん……お試しでいいからって。友達みたいな間柄だったし、やっぱり無理かなってそう言ったけど……別れたくないって」
坂本が一方的に好意を持っていて、前の彼氏と別れたと聞いてアプローチをしたのだろう。祐輔に確認を取りにきたくらいだ。
(別れようかと思う、って言っておきながら、手放したくないのか)
いちいち鼻につく質問をしてきた男だ。
「あの人は、わたしを好きっていうより」
「?」
「ただ、ヤりたいだけなんだと思う」
「…………」
ストレートな言葉に、祐輔はどう反応したらいいのか困ってしまった。
「もうすぐクリスマスだし、そういうことする相手を探してるだけなのかなって気がして」
「……好きだからじゃないんですか?」
「なんとなくわかるよ」
確かに自分の周囲や友人達のなかにも、クリスマスイブにキメると言っている者がいる。つまりはそういうことだ。
(童貞を卒業したい、ってしきりに言うやつもいるしな……)
世間で言う草食男子の自分にはわからないが。
(そういうもんなのかな)
クリスマスに一人でいるのがおかしいのだろうか?
(そんなことないはずだけどな)
「手近なわたしなら、すぐできそうって思っただけなんだろうと」
「そんなことはないと思いますけど……」
自分を挑発しくるような男だ、挑発に失敗したようだが。
「なんでだって責められて、好きな人がいるから、って言ってもあんまり納得してくれなくって」
「好きな人……」
それで自分の所に来たのだろう。
春名の好きな相手が自分だと思い込んで。
(そんなわけないだろ……男として見られてないっての)
「……うん。ちょっと、困ってる」
「そうですか」
「でも、なんとかしてみるけど」
「…………」
祐輔に何か言ってもらいたかったような素振りだが、黙っているしかなかった。何も言えないし、何も出来ないのだ。
「飲んだら教えてください、送りますから」
「……うん」
それからは黙り込んでしまった。
(好きな人……、その場しのぎの狂言? ほんとに好きな人がいる……? いるなら、その人になんとかしてもらうとか……)
自分がそんなことを考えてやる義理はないのだと、首を振る。
(好きな人……いるのか……)
ドキドキと心音が早くなるのがわかった。
(春名さんに好きな人が出来た……なんか、苦しい)
とても嫌な気持ちになるのは何故だろう。
春名に好きな人がいても別に自分には関係ないはずなのに。
(なんか、痛い……。それに、すごく嫌だ……)
無言の空気が流れ、時間も過ぎていった。
「じゃあ……帰るね」
送るというと、春名はまた拒んできた。
「駄目だって言ってるでしょ。今までだって僕は送ってきたでしょう」
「けど、いつも迷惑かけてきたし」
(自覚あるんだ)
「送ることは迷惑じゃないですよ」
行きましょう、と玄関に向かおうとする祐輔を、彼女は押しのけた。
「!」
よろめいて尻餅をついた祐輔が目を丸くさせると、春名の顔が紅潮し、顔を背けた。
だがすぐに、
「ごめん!」
と祐輔に手を差し出し、申し訳なさそうな表情を見せた。
ふざける姿や、強気な彼女しか見たことがない祐輔は、まじまじと春名を見上げる。
「ごめんね……」
膝を付き、祐輔の顔を覗き込んできた。
顔と身体が熱くなっていくのを感じた。
(こんな、至近距離……駄目だ……今、顔を見たらいけない……)
胸がドキドキするのを止められない。
鼓動が速くなる、というのはこういうことなのだろうか。
そして、口から何かの感情が溢れてきそうだった。
「……っ」
祐輔はゆっくりと立ち上がろうとした。
春名も同じように立ち上がる。
春名は祐輔と目を逸らすことはなく、ゆらゆらとした目で真っ直ぐに見ていた。
(なっ……んで僕を見る……!)
羞恥で一層顔が熱くなる。
(今の僕は……)
春名を見るとおかしくなりそうだ。
(見ないでくれ……!)
顔を背けた途端、不覚にもまたよろめいてしまい、
「……うぉっ」
「わっ……」
双方は小さく声を上げた。
春名が祐輔の手をがっちり掴み、倒れるのを制してくれた。
「……す、みません、ありがとう、ございます……」
「ううん」
先程までココアを飲んでいたはずなのに、彼女の手は冷たかった。
(なんで……こんなに手が冷たいんだ……)
立ち上がったというのに、彼女は手を離さなかった。
「あの、手を……」
「えっ、ああ、ごめん」
すぐに離してくれた春名だったが、何が言いたげな様子で、小さく口が開いた。
「すみませんでした。行きましょう」
「え……」
祐輔はまたも遮った。
「じゃあ、ここまでですね」
春名のアパートの近くまで来ると、祐輔は淡々と言った。
「ありがとう」
春名は祐輔のほうに向き直り、じっと見つめた。
(もう……早く消えないと、とんでもないことを言ってしまいそうだ……)
「それじゃ……」
「あの、鈴木君、わたしね……」
言いたいことがあって、と彼女は言った。
一度は背を向けた祐輔だったが、聞いたことのない彼女のか細い声に振り向いた。
「本当は……」
(春名さんの……好きな相手が……僕のはずなんて、ないんだ……)
春名に一歩近づき、彼女を見下ろした。
外灯の下、彼女が自分を見上げる表情が見えたが、瞳はまた、寂しげで悲しげなものだった。祐輔に何か言いたいのを再三遮られているからだろうか。
(もう、無理だ……)
自分の気持ちを隠せない。
気づかないふりをするのはもう無理だった。
「今から独り言をいいます」
「えっ?」
「僕は冴えない男で、気も弱いし、うだつのあがらない男で、女子から見てもパッとしてない男です。女子からは男とすら思われない、そんな自分が、人に好かれる人気のある女性を好きだなんて……そんな身の程知らずなこと言えませんよ」
一気に言ったあと、喉をごくりと鳴らした。
遠回しの、告白だった。
春名は黙ってそれを聞いていた。聞いていたというより、祐輔は一気に言ったことで、何を言われたのかわかっていないのかもしれない。
はっと我に帰った祐輔は春名から目を逸らし、
「今のは独り言ですから……忘れてくださいね……」
と、一歩下がって俯いた。
「嫌だよ」
祐輔が一歩下がったのに、春名が近づいてきた。
「それって……わたしを……」
「独り言ですから」
「言おうと思ったのに、鈴木君が言ってくれるなんて思わなかった」
春名は、息がかかるほどの距離にまで身体を寄せてきた。
(!?)
彼女は祐輔を見上げ、二人は自然と目が合う。
「…………」
背伸びをした彼女の顔が近づいてきた。頬に手を添えられ、これから何が起こるのかを察した。
(なっ……)
咄嗟に、目を閉じた春名の唇に掌を当てた。
目を開けた春名が、驚いている。
「どうして……」
「駄目です」
そっと春名を押しのけ、祐輔はそっぽを向いた。
「……今は駄目です」
「今は?」
「今は、駄目です」
「……わかった」
春名の身体が離れた。
(頬が……特に熱い……)
「人の彼女には手を出せませんから。帰ります」
くるりと踵を返そうとすると、
「待って」
と、背中に彼女がぶつかってきた。
「うおっ……」
ぶつかってきたと思ったが、彼女は祐輔の背に抱きついてきたのだった。
「なっ……」
坂本に比べたら、肉のついていない薄っぺらい自分の身体は、男性としては華奢だ。そんな自分の身体にしがみつくなんて、と気まずく思った。
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腰から腹に手を回され、背中に彼女の頭が乗せられるのを感じた。
ややあって春名がそっと離れ、目を合わせずに立ち去った。
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