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第一章
26話 書庫室とビュラさん
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クローゼル家に黒猫として飼われて暫く経ち、ナーシアが僕をエヴィールディタからエヴィーと呼ぶようになった。
始めの頃はナーシアに抱かれていなければ部屋の外に出られなかったけど、もう今では一匹で屋敷の中を自分の足で歩けるようになった。正し、ナーシアから3メートル以内の範囲だけ。それ以上離れたらナーシアに優しく呼び戻されてしまう。
相変わらずゼフィルスさんには絶対零度の眼で睨まれるけど、当初より僕の存在を許容してくれてるように感じた。普通の猫だったら、家の中の物を壊したりベッドや絨毯を毛だらけにしたりするのは付き物だけど、その点僕は超ハイスペックな猫だからね。
他の人が見てる所では、物に肉球一つ触れないし、いつもナーシアの側で大人しくしている。おまけに毛の一本だって落とさないし、トイレも行かない。身体は変幻自在に動くし、食事だって与えなくても大丈…っと、ここまで来るとハイスペックどころか不気味な要素も含んで来るから辞めとこう…。
ええと、何が言いたいかと言うと…つまり『借りてきた猫』より大人しい猫だから、ゼフィルスさんも少しは問題ないと思ってくれたのだろう。ナーシアの身の回りのお世話をするお手伝いさん達も、僕を見る目が大分柔らかくなった気がするし、何人かには撫でて貰えるようにもなった。当初とは凄い違いだ。
それと、少しだけどナーシア達の言っている言葉の意味が分かるようになった。これは僕の中で特に大きく変わった事かな。日本語とは発音も文法も違うけど、物の名前は着実に覚えつつあった。
ナーシアは本を読むのが好きで、ナーシアの一室には机の上に本がいつも積み重なっている。
その中には図鑑のように絵が描かれた本もあり、その本をナーシアが読んでいる時に覗き込んだら絵に描かれた物についてよく教えてくれた。
それからナーシアは、僕が絵のついた本に只ならぬ興味を持っている事に気付いたのか、図鑑や絵本などの本を借りて来てくれるようになった。
うぅ、ナーシアありがとう!
やっぱり絵本とかは絵と文字がついてるし、ナーシアは絵と一緒に語りかけてくれるから本当に分かりやすい。
ナーシアの言う言葉を一生懸命聞いていたら、文字もいつか読めるようになるかもしれない!と、希望が見えてくるようにはなった。
…だけど、今すぐ出来るような簡単なものではない。
いくら物体の名前を覚えても、文法とか言葉の意味が分かる訳ではないし…。
チラリと視線を上に上げると、腰まで横一線に綺麗に切り添えられた薄い灰色の紫がかったナーシアの髪の波打つ様子が見えた。薄い灰色に、よく見たらほのかに紫かがった控えめで素敵な髪色をしているけど、日光の下ではシルバーバイオレットに変化して美しく煌びやかに輝くのを知っている。
髪の隙間から見えるナーシアの横顔。薄い桃色の穏やかで優しい瞳が、心なしかいつもよりぱっちり見開き、輝いているように見えた。今日は何かナーシアにとって楽しみなことでもあるのかな。
こんな感じで、ナーシアの表情はとても豊かだから、ナーシアが伝えようとしてくれる言葉はニュアンスで大体分かる。だけど、それは僕がナーシアの感情や気持ちを把握しやすくなっただけで、言葉自体はなんとなく程度でしか分かっていない。言葉が分からないのなら文字を覚えられる筈もないから、文字を覚えるのはもっと先になりそうかな。
はぁ、もっとちゃっちゃと言葉を理解して、僕がこの世界に迷い込んだ理由や、僕の正体、この世界について調べようと思っていたのに、現実はやっぱり厳しいなぁ。翻訳機も辞典もないから、地道に覚えるしかない。寧ろ、ナーシアに拾ってもらえて言葉を少しずつでも理解出来てきている今の状況が奇跡に近い。
悩みながらも、『よし、のんびりと焦らずにナーシア先生の言葉を理解していこう』と気持ちを前向きに立て直し、ナーシアの後を今日もトコトコと張り付いたように付いていく。ナーシアから3メートル以内なら部屋の外への行き来もOKらしいので、ナーシアが何処へ行くのにもこうして必ず金魚の糞のように毎日付いて回っている。まだ屋敷の外への外出は禁止だけど、側にずっと居られるのは嬉しい。
ナーシア、呪いの事は僕に任せて!
ふんすと鼻を鳴らして頼りになりますアピールをしたけれど、ナーシアから少し心配そうな顔をされた。…くしゃみじゃないよ?
ナーシアはパールの装飾をされた青くて分厚い本を胸に抱えていた。重そうだ。こういう時、猫のフリをしている身体が憎い。僕がレッドウルフだったら、ナーシアごと運べるのに…いやいやそうじゃなくて、人間の姿!人間の姿なら万事解決だ。
それにしてもあの青い本、なんか見覚えがある…と思ったらこの前読み聞かせてくれた海の幻想生物について書かれた図鑑だ!
この青い図鑑本には確か人魚とか、羽が生えた鯨とか、海蛇のように身体が長い水竜とか載っていた。幻想的で美しい姿の生き物、まさにファンタジーの世界の綺麗な生き物ばかりが載っていて、僕は目を輝かせながら食い入るように見ていたんだった。
と言う事は、ナーシアはこの青い本を『あの部屋』に返しに向かっているのかな。
予想通りナーシアは整然と本棚が延々と並べられた広大な書庫室に辿り着いた。流石クローゼル家、書庫室が図書館並みに大きい。フローリングはいつも通りピカピカに輝いているし、部屋を明るく照らすシャンデリアが豪華で、僕には星の形をした光の粒が彼方此方に飛び散っているように見えた。
書庫室の向こうから、ツカツカと心地良い足音が鳴り響く。『お嬢様、お待ちしておりました』と、皺一つない黒い燕尾服に釈然とした佇まいで丁寧にお辞儀をするのは、白銀に輝く鋭い瞳、淡い青髪に毛先にかけて白くなってるのが特徴の美青年、執事のビュラさんだ。
ナーシアがビュラさんに話しかける様子を、僕は耳をピンッと立てて集中して聞いた。
「ビュラ、**忙しい**呼ぶ****ごめんなさい*。魔法**チクュエ**古*文字**授業***、***教えて**」
ナーシアのニュアンスから勝手に推測している言葉もあるから不安だけど、僕には大体こんな風に聞こえている。
恐らくナーシアは今日、ビュラさんに勉強を教わるためにここに来たんだと思う。書庫室の中央の間には、大きなテーブルがあるもんね。
「**、**…エヴィー*******…。大人しく***良い子**、一緒*****良い***」
ナーシアが僕をチラリと見て、ビュラさんに心配そうに尋ねる。一緒に居て良い?ってビュラさんにお願いしてくれているみたい。
うっ、ナーシア…!ナーシアは僕のことを大人しくて良い子って思ってくれていたなんて!!初めてナーシアに会った時は野良犬三匹相手に威勢を張って登場したから、ナーシアにはてっきりとんでもないお転婆猫と思われているのかと…。
僕は書庫室の床にちょこんと座り、ビュラさんを上目遣いで見つめる。
「…エヴィー…*****」と呟きながら、ビュラさんのキラキラ輝く白銀の瞳が僕を捉える。…ビュラさんに見つめられると、背筋が冷たくなって心臓辺りがキュッとするのはなんでだろう。
ビュラさん、僕大人しい猫だよ。良い子にするよ。
一緒に居たら…駄目?
僕は出来るだけクリクリにした瞳を潤ませて首を傾げた。しかし、ビュラさんの刺すような視線は変わらない。何故!?初めて会った時もそんな視線だったけど、なんで!?
悲しいけど、未だに僕はビュラさんに嫌われているのかもしれない。
でも…ナーシアが折角僕の為にビュラさんへお願いしてくれたんだから…ここは身体を張るしかない!
僕はビュラさんの元へゆっくり進み、身体を摺り寄せる。大丈夫かな、ナーシアの前では流石に殺されないと思うけど…。
尻尾を器用にビュラさんの足や手に纏わせつつ、時折上目遣いをするのも忘れない。お、ビュラさんが少し口を開けて驚いた顔をしている!呆れ顔じゃないよね?
記憶の中にある、友達の白猫の超絶可愛い仕草を再現しているんだけど…これ、まだ人間の心を持っている僕としては相当恥ずかしい事なんだよね。
なんだかビュラさんの目尻が少し和らいでるように見えてるから効果がある事は分かっているんだ。多分。
だからビュラさんお願いですから許可を出して下さい!何気に僕の尻尾を優しく掴もうとしてないで、早くナーシアに返事をして!
あああ駄目だ、恥ずかしさが限界までせり上がってきた。だって僕より一つか二つ上くらいの歳の近い若者なんだよ!?
ほら、ほら、尻尾掴ませてあげるってば…っあふぁぁ!そんな絶妙な匙加減で尻尾を掴まないで!
もう限界、と恥ずかしさに耐えかねてナーシアに助けを求めるように視線を向ければ、ナーシアが紅潮した頬っぺたに両手を添えて物凄く幸せそうな顔で僕を見つめている。僕がぽかんとナーシアを見ていた隙に、お腹の下にビュラさんの手が回り込み、お姫様抱っこ…ではなく、赤ちゃん抱っこの体制でビュラさんに抱き上げられてしまった。驚いて下からビュラさんの顔を見上げる。
目が細められて少し微笑んでいるように見えなくもないけど、いかんせんビュラさんの口元はキュッとした平行線のままだから、何を考えているのか非常に分かりずらい。
もしや僕が抱っこされたのは、鬱陶しくし過ぎてナーシアの勉強の邪魔になるから書庫室から追放するため!?あんなに頑張った甘え攻撃が逆効果になった!?大人しくするから降ろしてー!
心の中では猛烈な講義をしているけど、ビュラさんの心情が分からない。僕は怖くてビュラさんの腕の中でカチコチになった黒い塊と化していた。
ビュラさんはナーシアに『やはり不思議な猫ですね…この子なら問題ないでしょう』と言う風に一言呟くと、そのまま僕を抱えて書庫室中央のテーブルに向かい、椅子の上にそっと置かれた。不思議な猫って思われているところがビュラさんに何となく見透かされているようで少し怖いけど…ホッと安堵の息を漏らす。これからナーシアと一緒に勉強出来ると思ったらそんな不安は吹き飛んだ。
****
ナーシアがビュラに言った言葉↓
「ビュラ、お忙しい中お呼びしてしまってごめんなさい。今、チクュエ級の魔法学と古代文字について習っているのだけど…ビュラにまた教えて頂きたいの」
「それと、あの…エヴィーは寂しがり屋で…。大人しくてとっても良い子だから、一緒に居させても良いかしら」
*****
静かな空間に聞こえるのは、ページを捲る音と羽ペンが字を綴る音。そして時折ナーシアの鈴が鳴るような可愛らしい声とビュラさんの優しい声。
始めは何もなかったテーブルの上には、何冊もの本が置かれている。
先程からナーシアは、茶色く変色した古い本などをペラペラ捲っては手元にある紙に何か記し、ビュラさんに質問すると言う事を繰り返している。
ちなみにビュラさんはレンズに光の魔法陣が浮かぶ黒縁の眼鏡を掛けている。インテリ系イケメンと言うヤツかな。人間の姿だった頃の僕が眼鏡を掛けても、地味さが増して存在感が更に気薄になるだけだったというのに…。
僕の方に視線一つ寄こさず真剣な様子のナーシアと、キリッとした姿勢で本を読み返すビュラ先生。まさに先生と生徒の関係。二人の世界には黒猫など入る余地も無い。
そんな黒猫は今何をしているかと言うと、テーブルの上に置いてある魔法書を開き、魔法陣を浮かび上がらせてはヒゲをヒクヒクさせて感動していた。
魔法書の適当なページを開き、前足をぺたりと置いて魔力を紙に流せば、様々な模様の光の魔法陣が浮かび上がる。今のところ魔法陣が描かれた光の線が浮かび上がるだけで、魔法が飛び出たりする事はないみたい。ビュラさんは始めの方にチラリと僕を見たけど、何も言わないから大丈夫そう。
紙に触れた僕の肉球から広がるように輝く模様が浮かび上がって、とっても綺麗だ。本当は、この本に書いてある呪文を唱えながら魔力を流して発動するものだと思うけど、今のままでも十分面白い。僕は法則性の分からない魔法陣を観察しながら、ペタペタと魔法書をひたすら触り続けていた。
不意に頭を優しく撫でられ、ビクッと身体が強張る。ビュラさんだった。ビュラさんは僕を持ち上げ、自分の膝の上に乗せる。
『…せっかく来てくれたのに、ほっといてしまってすまない』
僕の瞳を覗き込みながら、語りかけるように話されたビュラの言葉。何故だろう。ビュラさんの話す言葉って他の人より何となく分かりやすいなって思ってたけど…。
今の言葉は確実にそう言っていると分かった。
始めの頃はナーシアに抱かれていなければ部屋の外に出られなかったけど、もう今では一匹で屋敷の中を自分の足で歩けるようになった。正し、ナーシアから3メートル以内の範囲だけ。それ以上離れたらナーシアに優しく呼び戻されてしまう。
相変わらずゼフィルスさんには絶対零度の眼で睨まれるけど、当初より僕の存在を許容してくれてるように感じた。普通の猫だったら、家の中の物を壊したりベッドや絨毯を毛だらけにしたりするのは付き物だけど、その点僕は超ハイスペックな猫だからね。
他の人が見てる所では、物に肉球一つ触れないし、いつもナーシアの側で大人しくしている。おまけに毛の一本だって落とさないし、トイレも行かない。身体は変幻自在に動くし、食事だって与えなくても大丈…っと、ここまで来るとハイスペックどころか不気味な要素も含んで来るから辞めとこう…。
ええと、何が言いたいかと言うと…つまり『借りてきた猫』より大人しい猫だから、ゼフィルスさんも少しは問題ないと思ってくれたのだろう。ナーシアの身の回りのお世話をするお手伝いさん達も、僕を見る目が大分柔らかくなった気がするし、何人かには撫でて貰えるようにもなった。当初とは凄い違いだ。
それと、少しだけどナーシア達の言っている言葉の意味が分かるようになった。これは僕の中で特に大きく変わった事かな。日本語とは発音も文法も違うけど、物の名前は着実に覚えつつあった。
ナーシアは本を読むのが好きで、ナーシアの一室には机の上に本がいつも積み重なっている。
その中には図鑑のように絵が描かれた本もあり、その本をナーシアが読んでいる時に覗き込んだら絵に描かれた物についてよく教えてくれた。
それからナーシアは、僕が絵のついた本に只ならぬ興味を持っている事に気付いたのか、図鑑や絵本などの本を借りて来てくれるようになった。
うぅ、ナーシアありがとう!
やっぱり絵本とかは絵と文字がついてるし、ナーシアは絵と一緒に語りかけてくれるから本当に分かりやすい。
ナーシアの言う言葉を一生懸命聞いていたら、文字もいつか読めるようになるかもしれない!と、希望が見えてくるようにはなった。
…だけど、今すぐ出来るような簡単なものではない。
いくら物体の名前を覚えても、文法とか言葉の意味が分かる訳ではないし…。
チラリと視線を上に上げると、腰まで横一線に綺麗に切り添えられた薄い灰色の紫がかったナーシアの髪の波打つ様子が見えた。薄い灰色に、よく見たらほのかに紫かがった控えめで素敵な髪色をしているけど、日光の下ではシルバーバイオレットに変化して美しく煌びやかに輝くのを知っている。
髪の隙間から見えるナーシアの横顔。薄い桃色の穏やかで優しい瞳が、心なしかいつもよりぱっちり見開き、輝いているように見えた。今日は何かナーシアにとって楽しみなことでもあるのかな。
こんな感じで、ナーシアの表情はとても豊かだから、ナーシアが伝えようとしてくれる言葉はニュアンスで大体分かる。だけど、それは僕がナーシアの感情や気持ちを把握しやすくなっただけで、言葉自体はなんとなく程度でしか分かっていない。言葉が分からないのなら文字を覚えられる筈もないから、文字を覚えるのはもっと先になりそうかな。
はぁ、もっとちゃっちゃと言葉を理解して、僕がこの世界に迷い込んだ理由や、僕の正体、この世界について調べようと思っていたのに、現実はやっぱり厳しいなぁ。翻訳機も辞典もないから、地道に覚えるしかない。寧ろ、ナーシアに拾ってもらえて言葉を少しずつでも理解出来てきている今の状況が奇跡に近い。
悩みながらも、『よし、のんびりと焦らずにナーシア先生の言葉を理解していこう』と気持ちを前向きに立て直し、ナーシアの後を今日もトコトコと張り付いたように付いていく。ナーシアから3メートル以内なら部屋の外への行き来もOKらしいので、ナーシアが何処へ行くのにもこうして必ず金魚の糞のように毎日付いて回っている。まだ屋敷の外への外出は禁止だけど、側にずっと居られるのは嬉しい。
ナーシア、呪いの事は僕に任せて!
ふんすと鼻を鳴らして頼りになりますアピールをしたけれど、ナーシアから少し心配そうな顔をされた。…くしゃみじゃないよ?
ナーシアはパールの装飾をされた青くて分厚い本を胸に抱えていた。重そうだ。こういう時、猫のフリをしている身体が憎い。僕がレッドウルフだったら、ナーシアごと運べるのに…いやいやそうじゃなくて、人間の姿!人間の姿なら万事解決だ。
それにしてもあの青い本、なんか見覚えがある…と思ったらこの前読み聞かせてくれた海の幻想生物について書かれた図鑑だ!
この青い図鑑本には確か人魚とか、羽が生えた鯨とか、海蛇のように身体が長い水竜とか載っていた。幻想的で美しい姿の生き物、まさにファンタジーの世界の綺麗な生き物ばかりが載っていて、僕は目を輝かせながら食い入るように見ていたんだった。
と言う事は、ナーシアはこの青い本を『あの部屋』に返しに向かっているのかな。
予想通りナーシアは整然と本棚が延々と並べられた広大な書庫室に辿り着いた。流石クローゼル家、書庫室が図書館並みに大きい。フローリングはいつも通りピカピカに輝いているし、部屋を明るく照らすシャンデリアが豪華で、僕には星の形をした光の粒が彼方此方に飛び散っているように見えた。
書庫室の向こうから、ツカツカと心地良い足音が鳴り響く。『お嬢様、お待ちしておりました』と、皺一つない黒い燕尾服に釈然とした佇まいで丁寧にお辞儀をするのは、白銀に輝く鋭い瞳、淡い青髪に毛先にかけて白くなってるのが特徴の美青年、執事のビュラさんだ。
ナーシアがビュラさんに話しかける様子を、僕は耳をピンッと立てて集中して聞いた。
「ビュラ、**忙しい**呼ぶ****ごめんなさい*。魔法**チクュエ**古*文字**授業***、***教えて**」
ナーシアのニュアンスから勝手に推測している言葉もあるから不安だけど、僕には大体こんな風に聞こえている。
恐らくナーシアは今日、ビュラさんに勉強を教わるためにここに来たんだと思う。書庫室の中央の間には、大きなテーブルがあるもんね。
「**、**…エヴィー*******…。大人しく***良い子**、一緒*****良い***」
ナーシアが僕をチラリと見て、ビュラさんに心配そうに尋ねる。一緒に居て良い?ってビュラさんにお願いしてくれているみたい。
うっ、ナーシア…!ナーシアは僕のことを大人しくて良い子って思ってくれていたなんて!!初めてナーシアに会った時は野良犬三匹相手に威勢を張って登場したから、ナーシアにはてっきりとんでもないお転婆猫と思われているのかと…。
僕は書庫室の床にちょこんと座り、ビュラさんを上目遣いで見つめる。
「…エヴィー…*****」と呟きながら、ビュラさんのキラキラ輝く白銀の瞳が僕を捉える。…ビュラさんに見つめられると、背筋が冷たくなって心臓辺りがキュッとするのはなんでだろう。
ビュラさん、僕大人しい猫だよ。良い子にするよ。
一緒に居たら…駄目?
僕は出来るだけクリクリにした瞳を潤ませて首を傾げた。しかし、ビュラさんの刺すような視線は変わらない。何故!?初めて会った時もそんな視線だったけど、なんで!?
悲しいけど、未だに僕はビュラさんに嫌われているのかもしれない。
でも…ナーシアが折角僕の為にビュラさんへお願いしてくれたんだから…ここは身体を張るしかない!
僕はビュラさんの元へゆっくり進み、身体を摺り寄せる。大丈夫かな、ナーシアの前では流石に殺されないと思うけど…。
尻尾を器用にビュラさんの足や手に纏わせつつ、時折上目遣いをするのも忘れない。お、ビュラさんが少し口を開けて驚いた顔をしている!呆れ顔じゃないよね?
記憶の中にある、友達の白猫の超絶可愛い仕草を再現しているんだけど…これ、まだ人間の心を持っている僕としては相当恥ずかしい事なんだよね。
なんだかビュラさんの目尻が少し和らいでるように見えてるから効果がある事は分かっているんだ。多分。
だからビュラさんお願いですから許可を出して下さい!何気に僕の尻尾を優しく掴もうとしてないで、早くナーシアに返事をして!
あああ駄目だ、恥ずかしさが限界までせり上がってきた。だって僕より一つか二つ上くらいの歳の近い若者なんだよ!?
ほら、ほら、尻尾掴ませてあげるってば…っあふぁぁ!そんな絶妙な匙加減で尻尾を掴まないで!
もう限界、と恥ずかしさに耐えかねてナーシアに助けを求めるように視線を向ければ、ナーシアが紅潮した頬っぺたに両手を添えて物凄く幸せそうな顔で僕を見つめている。僕がぽかんとナーシアを見ていた隙に、お腹の下にビュラさんの手が回り込み、お姫様抱っこ…ではなく、赤ちゃん抱っこの体制でビュラさんに抱き上げられてしまった。驚いて下からビュラさんの顔を見上げる。
目が細められて少し微笑んでいるように見えなくもないけど、いかんせんビュラさんの口元はキュッとした平行線のままだから、何を考えているのか非常に分かりずらい。
もしや僕が抱っこされたのは、鬱陶しくし過ぎてナーシアの勉強の邪魔になるから書庫室から追放するため!?あんなに頑張った甘え攻撃が逆効果になった!?大人しくするから降ろしてー!
心の中では猛烈な講義をしているけど、ビュラさんの心情が分からない。僕は怖くてビュラさんの腕の中でカチコチになった黒い塊と化していた。
ビュラさんはナーシアに『やはり不思議な猫ですね…この子なら問題ないでしょう』と言う風に一言呟くと、そのまま僕を抱えて書庫室中央のテーブルに向かい、椅子の上にそっと置かれた。不思議な猫って思われているところがビュラさんに何となく見透かされているようで少し怖いけど…ホッと安堵の息を漏らす。これからナーシアと一緒に勉強出来ると思ったらそんな不安は吹き飛んだ。
****
ナーシアがビュラに言った言葉↓
「ビュラ、お忙しい中お呼びしてしまってごめんなさい。今、チクュエ級の魔法学と古代文字について習っているのだけど…ビュラにまた教えて頂きたいの」
「それと、あの…エヴィーは寂しがり屋で…。大人しくてとっても良い子だから、一緒に居させても良いかしら」
*****
静かな空間に聞こえるのは、ページを捲る音と羽ペンが字を綴る音。そして時折ナーシアの鈴が鳴るような可愛らしい声とビュラさんの優しい声。
始めは何もなかったテーブルの上には、何冊もの本が置かれている。
先程からナーシアは、茶色く変色した古い本などをペラペラ捲っては手元にある紙に何か記し、ビュラさんに質問すると言う事を繰り返している。
ちなみにビュラさんはレンズに光の魔法陣が浮かぶ黒縁の眼鏡を掛けている。インテリ系イケメンと言うヤツかな。人間の姿だった頃の僕が眼鏡を掛けても、地味さが増して存在感が更に気薄になるだけだったというのに…。
僕の方に視線一つ寄こさず真剣な様子のナーシアと、キリッとした姿勢で本を読み返すビュラ先生。まさに先生と生徒の関係。二人の世界には黒猫など入る余地も無い。
そんな黒猫は今何をしているかと言うと、テーブルの上に置いてある魔法書を開き、魔法陣を浮かび上がらせてはヒゲをヒクヒクさせて感動していた。
魔法書の適当なページを開き、前足をぺたりと置いて魔力を紙に流せば、様々な模様の光の魔法陣が浮かび上がる。今のところ魔法陣が描かれた光の線が浮かび上がるだけで、魔法が飛び出たりする事はないみたい。ビュラさんは始めの方にチラリと僕を見たけど、何も言わないから大丈夫そう。
紙に触れた僕の肉球から広がるように輝く模様が浮かび上がって、とっても綺麗だ。本当は、この本に書いてある呪文を唱えながら魔力を流して発動するものだと思うけど、今のままでも十分面白い。僕は法則性の分からない魔法陣を観察しながら、ペタペタと魔法書をひたすら触り続けていた。
不意に頭を優しく撫でられ、ビクッと身体が強張る。ビュラさんだった。ビュラさんは僕を持ち上げ、自分の膝の上に乗せる。
『…せっかく来てくれたのに、ほっといてしまってすまない』
僕の瞳を覗き込みながら、語りかけるように話されたビュラの言葉。何故だろう。ビュラさんの話す言葉って他の人より何となく分かりやすいなって思ってたけど…。
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それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
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