兄妹

国光

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兄妹

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「好きです。私と付き合ってください」

 目の前の美少女は俺にはっきりとそう告げた。

 整った顔立ち。透き通るような白い肌。艶やかな長い黒髪。

 誰をも魅了する明るい笑顔は息を潜め、その表情には想いを告げた達成感とその答えへの希望と不安。色々な感情が混ざり合いながら静かに答えを待っていた。

 その言葉を告げられた俺はと言うと、念のために後ろを振り返って誰もいないのを確認して、その告白が俺に向けられたものであると理解した。

「なあ、美月」

「はい」

「それってあれか。どこかの店に連れて行って欲しいとかそういうことか?」

「いえ、愛の告白です。好きですって言ったのに軽く流そうとしないでください」

 俺の僅かな希望はあっさりと打ち消された。

「マジかよ」

 俺は頭を抱えてため息をついた。

「……私、真面目に告白をしているんですよ。ありったけの勇気を出して。それなのにその反応は何ですか?」

 そんな俺を見て、美月は怒ると言うより拗ねた感じで俺に文句を言ってきた。

 もちろん、それはもっともな言葉だと思う。

 仮にもしも、美月に好きな人ができてそいつに真剣に告白をした時にそれを真面目に聞かないような奴がいたとしたら俺はそいつを半殺しにしてみせる。

 しかし、告白する相手が俺に対してならば話は別になる。

「だってさ」

 俺は美月の眼を見つめて告げた。

「俺達、兄妹なんだぞ」

          *

 秋原修吾。十六歳。高校二年生。

 過去に、女子と付き合ったこともなければ告白するのもされるのも未経験。

 記念すべき初告白は妹からとなった。

 そんな俺に告白をしてきた妹。

 秋原美月。十五歳。高校一年生。

 俺が知る限り、恋人はいたことはない。しかし、学校内外で結構な数の告白を受けている。その噂は耳に入るし実際に告白された時に俺が近くにいた時もあったし、告白されたことを俺に毎回報告してくるからだ(この時、興味無さそうな対応をすると凄く機嫌が悪くなる)

 誰とも付き合わないので、初恋がまだなのか他に好きな人がいるのかわからなかったが、今回の出来事が俺の夢でないのなら後者だったのだろう。

「修吾さん」

「いつもみたいに兄と呼んでくれ。妹よ」

 脳みそが混乱して動きの止まっていた俺に美月が詰め寄ってきた。

「今は兄と妹としてではなくて、男と女として話をしているんです。些細なことに反応する前に私の気持ちに対する答えをください」

「待ってくれ。もう一度言うが俺達兄妹なんだぞ」

「そんな些細なこと」

「些細じゃない。物凄く重要だ。呼び方はこの際良いとしてもそこだけは絶対に問題だから」

「兄妹だからって血はつながって無いじゃないですか」

 この美月の言葉に俺は言葉を詰まらせた。

 確かに俺と美月は血がつながってはいない。

 俺の両親は俺が物心つく前に交通事故で二人とも亡くなった。

 そして俺は父親の親友だった美月の父親に養子として引き取られたらしい。

「確かに血はつながっていないけど、俺はお前を本当の妹だと思っている」

 今までずっと兄妹として育ってきた。二年前に俺が両親の本当の子供で無いと知ってしまった時には相当なショックを受けたが、その後も美月を実の妹のように大事にしてきたつもりだ。

 そんな俺の真面目な言葉を聞いた美月は僅かに顔を背けた。

「でも、修吾さんは━━」

「兄と呼べ」

 美月の勢いが治まったところで俺は些細な問題にも突っ込みをいれた。

 よく考えれば「兄さん」と「修吾さん」では大きな違いがあるわけだし。

「じゃあ、兄さん」

「おう」

 ようやくいつも通りの呼び方に戻った美月に返事をする。

「兄さんが私をどう思っているかはわかりました」

「それは何よりだ」

「次は私が兄さんをどう思っているかをわかってもらいます」

「いや、さっき聞いたぞ」

 未だに信じられないことだが美月が俺を異性として好きだと言うのは理解したつもりだ。

「いいえ、兄さんは私がどれだけ兄さんのことを好きかを全然理解してくれていません。それを理解してもらえれば兄妹がどうこうなんてつまらない事は気にならなくなります」

 何を聞いたって兄妹という間柄はつまらない事ではなくならないとは思う。

「今から何を言う気かは知らないが、俺の立場を考えてくれ」

「兄さんの立場ですか?」

「ああ」

 天涯孤独だったのを拾われて養子にしてもらったのだ。

 俺が養子だと知ったあの日、俺は今までと変わらずに二人の子供でいることを誓った。

 そして、美月を今までと変わらずに妹として守っていくと誓った。

 美月に彼氏が出来たりしたら、そいつがどんなに良い奴でも一発ぶん殴ると決めていたのだ。気は早すぎるが涙を流しながら赤飯を炊く覚悟だってしていた。

 そんな俺がこのままの勢いで何かの間違いでこのままの勢いのまま美月の想いを受け入れたりしたら両親への裏切りになる。

「俺のことを考えてくれるなら、告げる言葉は他にあるだろうに」

 語りかけるのではなく一人で呟くようにその言葉を発した。

 美月に改まって何かを言われるなら「これからも兄妹仲良くしよう」くらいの言葉が聞きたかった。まあ、さすがに本当の兄妹でもそんなやりとり普通はないだろうけど。

 でも美月はそんな俺の言葉を聞いて何かを考えている。

 しばし考えた後に美月は真面目な顔で俺に告げた。

「好きです。私と結婚を前提に付き合ってください」

 さっきと一緒だ。しかも何かが増えている。

「何でそうなる?」

「真剣に考えた結果です。そもそも私の想いは一つです」

 美月の想いの前に、俺の言葉は随分と都合よく解釈されたようだ。

「お前が俺をどう思おうが俺はお前を妹以外に見ることは出来ない」

「兄さんが私のことをどう思おうとも私と兄さんは血の繋がっていないんですから兄妹じゃありません。私と兄さんは赤の他人です。兄さんを家族と思ったことなんかありません」

 美月は泣きそうな顔をしているが今の言葉で俺も本気で泣きそうになってきた。

 悲しい。

 ある意味、今まで可愛がってきた妹に他人呼ばわりされているのだ。

「兄さんに質問があります」

「な、何だ?」

 少し涙目になりながら俺は答えた。

「兄さんは今まで恋人がいたことはありませんよね。誰かに告白したこともなかったですよね」

「……まあ、そうだけど」

 俺は告白した事もされた事もない。

 そして今まで恋人がいなかったとはっきりと言われてさっきの言葉とは別の悲しみが込み上げてくる。

 まあ事実なので仕方がない。

「それはきっと、私のことが好きだったからです」

「はい?」

「兄さんは口では兄妹だからとか言っていますけど心の奥底では私のことを一人の女として見ていたんです。だから今まで恋人がいなかったんです」

 何ていう無茶苦茶な理論だ。どこからその発想に至ったのだろう?

「それは違うぞ。非常に悲しい事だが俺がただもてないだけだ」

「そんなことはありません。兄さんは自分が知らないだけで、結構人気があるんですよ」

「どうしてそんなでたらめを言うんだ。それなら今まで俺に恋人が出来なかったのはどうしてなんだ?」

 そうだったらこんな悲しい学園生活を過ごしてはいない。

 せめて告白の一つくらいされても良かっただろう。

 何人か仲良くなった子はいたといえばいたが、どういうわけかみんな突然離れて行った。

「今まで私が、邪魔していたんです。兄さんと仲良くなった人に私が兄さんと血がつながって無くて兄妹以上の関係であると」

「お、お前、なんてことを」

「私と兄さんのことが学校へ噂になっていないところを見ると、誰もばらさないでくれたみたいですね」

「……」

 告白された時以上の衝撃を受けた。今日一番である。

「美月」

「ごめんなさい。でも、これで私がどれだけ兄さんを想っているかはちゃんとわかってもらえましたよね」

 愛の深さというかただの嫌がらせなのか、もう判断が出来なくなっている。

「だから勝負しましょう」

「勝負?」

「今から一年間待ちます。その間に兄さんは恋人を作ってください。もう妨害はしません。兄さんに恋人が出来たら私は兄さんを家族として愛します。でももし恋人が出来なかったら私と付き合ってください。一年間あるんですからその間に兄さんは私を女として意識してくださいね」

「いいだろう。恋人が出来たらお前を女として意識する必要もないがな」

 精神状況がまともじゃなかったせいか、俺は受けて立った。

 今まで恋人が出来ないのが美月の妨害のせいなら一年あれば一人くらいできるはずだ。

 美月も俺の言葉に満足そうに頷いた。

 こうして俺の人生で一番長く感じた時間は終わりを告げた。

          *

 美月に告白されてから一年が経過した。

 即ち美月との約束のタイムリミットの日である。

 結論から言えば、俺は美月に負けた。

「修吾さん」

 美月が機嫌良さそうに俺の名前を呼ぶ。

 つい昨日までは「兄さん」と呼ばれていたのに。

「今日が何の日か憶えていますか?」

 憶えているからこんなに悩んでいるとは素直に言えない。

 あの日から一年間。確かに美月は俺の恋の妨害をしなかった。

 妨害をされたといえばされたがあれは完全に俺の自業自得である。

『兄さん。今日は買い物に付き合ってください』

 と言われて美月と買い物に出かけたり。

『兄さん。見たい映画があるんですけど連れて行ってもらえますか』

 と言われて映画に行ったり。

 あの日からいつにも増して美月は俺に甘えるようになり、そんな美月が可愛くて俺もつ
い甘やかしてしまっていた。

 今思うと美月とデートばかりしていた記憶がある。

 両親の言葉もそれを後押しした。

 美月に告白されてすぐに、両親にあの日のことを相談した。

 恥ずかしい部分も相当あったがありのまま話したのだ。

 母は笑いながら言った。

「修吾ちゃん。美月ちゃんを泣かせちゃ駄目よ」

 父は涙を流しながら言った。

「修吾。美月をよろしく頼むぞ」

 両親を裏切るとかいう発想が一気にふっとんだ。

 一体俺の苦悩はなんだったんだろう。

「修吾さん?」

 美月が顔を覗き込んできた。

「ああ、憶えているよ」

「それで、どうだったんですか?」

 聞くまでも無い必要だ。俺はやっぱりもてる分類の男ではなかったのだ。よく考えてみれば、本当に好きなら妹に邪魔されたくらいじゃ引かないだろう。

「結果はお前もよく知っているだろう?」

「はい」

 美月は満面の笑みを浮かべた。

 そんな美月を見て、不覚にも胸が高鳴るのを感じた。

 どうやらこの一年で完全に洗脳されてしまったらしい。

「美月」

「はい」

「俺と付き合ってくれるかい?」

「もちろんです」

 俺は抱きついてきた美月をそっと抱きしめ返した。
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