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第一部:冒険の根を張る
第3章:水の底に揺れるもの 第1話:渓谷の罠
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足元の岩がずるりと滑った。
間一髪、隣を歩いていたガルドさんが僕の腕を掴んでくれたから助かったものの、渓谷の空気は想像以上に湿り気を帯び、足場はすぐに裏切る。
「無理するな。こっちに回れ」
ガルドさんの声はいつも通り低く短い。彼が先導する形で、僕たちは苔むした崖道を一列になって進んでいた。依頼内容は「地下十一~二十階層の渓谷帯調査」。調査対象は古代水路の遺構と、魔獣の繁殖状況。だがこの地形では、まともな調査などできそうもない。
「道らしい道が……ないですね」
クレアさんが手に持った杖の先で足元の苔を払いながら呟いた。背後では水の流れる音が響き、渓流が岩壁を削る様子が遠くで見える。
「やっぱり、斥候役がいないのはきついですね」
僕の呟きに、誰も返事はしなかった。
「風が通らない分、湿気がこもっている。視界も悪いし、音も跳ね返る」
クレアさんが周囲に警戒しつつ、光の精霊術を手のひらに浮かべる。光は苔に反射し、緑色の揺らぎが僕たちの影を長く伸ばした。
「こっちだ、土が踏み固められてる」
ガルドさんの言葉を合図に、さらに進もうとしたときだった。
ドゴッ。
僕の足元の岩が崩れた。咄嗟に手を伸ばすが、掴めるものは何もない。
「ニコッ!」
クレアさんの声が遠ざかる。僕は滑るように斜面を落ち、そのまま濁った水の中に叩き込まれた。
水の勢いは激しかった。息を吸う暇もなく、流れに揉まれながら、僕は必死で浮上しようとした。岩壁が迫り、身体が擦れる。肩がぶつかり、痛みが走る。ようやく浮上したとき、僕は狭い水路の一角に流れ着いていた。
「……っ、ここは……」
足元は浅瀬だった。岩に這い上がり、体を起こす。周囲は暗く、狭く、渓谷というより洞窟のようだ。あたりは静まり返っていて、仲間の気配もない。
「……みんなは……」
胸元に下げたペンダントがかすかに光る。
“光の玉”は、まだ反応していない。精霊の気配も、どこか遠い。
何より怖かったのは──孤独だった。
冷たい水が足元を洗い、しぶきが頬を濡らしていた。水流に流されながらも岩にしがみつき、なんとか体勢を立て直す。だが、全身はずぶ濡れで、喉の奥は苦味と鉄の匂いがまとわりついていた。
「……クレアさん、ガルドさん……!」
叫んでも返事はなかった。音は水の轟音に呑まれ、自分の声さえかき消される。ただし、ここが深層階のどこかであることは間違いない。ギルドからの地図にはこの一帯の詳細はなく、水路の迷路に近い。
ニコは慎重に岩場を登ると、奥へと続く通路を見つけた。胸元のペンダントに収められた“光の玉”がかすかに温もりを伝える。それだけが、今の自分を繋ぎとめていた。
「……焦っても仕方ない。まずは、動こう」
視界の先には、湿った壁と張り巡らされた蔦、そしてかすかな光が見えていた。自然光ではない。何かが、いる――。
水が滴る音に混じって、ぬるりと這うような気配が近づいてくる。剣を引き抜き、足音を殺して身を低くする。
茂みが揺れ、姿を現したのは体長二メートルほどの魔獣――《ツノアギト》に似た四足の獣だった。牙よりも、その突き出た角と岩肌に同化するような灰緑色の体が特徴的だった。
(距離は……三メートル。気づかれてない。けど、攻撃するしか……)
剣を握る手に力が入る。呼吸を殺し、一歩、また一歩。相手がこちらに気づいた瞬間、ニコは地面を蹴って跳び出した。
剣が角の付け根に食い込む。だが浅い。魔獣の反撃が早かった。突き上げるような頭突きが胴を掠め、ニコの体が岩壁に弾かれる。
「くっ……!」
背中に鈍い痛みが走るも、すぐに立ち上がる。魔獣は距離を詰めてきていた。連撃は避けられない。咄嗟に、手を前にかざす。
――応えて。僕の中の、光。
胸元のペンダントが脈打ち、周囲に淡い光が広がった。魔獣が怯み、一瞬だけ動きを止める。その隙に剣を走らせ、今度こそ深く斬り裂いた。
悲鳴のような呻き声とともに、魔獣が崩れ落ちる。ニコはその場に膝をついた。肩で息をしながら、胸元に手を添える。
「ありがとう……」
光は、ただ静かに揺れていた。言葉も表情もないけれど、確かにそこに“気配”はあった。
戦闘を終え、ニコはゆっくりと立ち上がる。先ほど見えた光のほうへと足を向ける。そこは、水流がぶつかってできた自然のくぼ地で、苔と小さな花が岩の隙間に咲いていた。
「クレアさんたち、無事だといいけど……」
言葉にしてしまうと、不安が込み上げてくる。それでも、立ち止まるわけにはいかない。仲間を信じて、一歩ずつ、再び歩き出した。
間一髪、隣を歩いていたガルドさんが僕の腕を掴んでくれたから助かったものの、渓谷の空気は想像以上に湿り気を帯び、足場はすぐに裏切る。
「無理するな。こっちに回れ」
ガルドさんの声はいつも通り低く短い。彼が先導する形で、僕たちは苔むした崖道を一列になって進んでいた。依頼内容は「地下十一~二十階層の渓谷帯調査」。調査対象は古代水路の遺構と、魔獣の繁殖状況。だがこの地形では、まともな調査などできそうもない。
「道らしい道が……ないですね」
クレアさんが手に持った杖の先で足元の苔を払いながら呟いた。背後では水の流れる音が響き、渓流が岩壁を削る様子が遠くで見える。
「やっぱり、斥候役がいないのはきついですね」
僕の呟きに、誰も返事はしなかった。
「風が通らない分、湿気がこもっている。視界も悪いし、音も跳ね返る」
クレアさんが周囲に警戒しつつ、光の精霊術を手のひらに浮かべる。光は苔に反射し、緑色の揺らぎが僕たちの影を長く伸ばした。
「こっちだ、土が踏み固められてる」
ガルドさんの言葉を合図に、さらに進もうとしたときだった。
ドゴッ。
僕の足元の岩が崩れた。咄嗟に手を伸ばすが、掴めるものは何もない。
「ニコッ!」
クレアさんの声が遠ざかる。僕は滑るように斜面を落ち、そのまま濁った水の中に叩き込まれた。
水の勢いは激しかった。息を吸う暇もなく、流れに揉まれながら、僕は必死で浮上しようとした。岩壁が迫り、身体が擦れる。肩がぶつかり、痛みが走る。ようやく浮上したとき、僕は狭い水路の一角に流れ着いていた。
「……っ、ここは……」
足元は浅瀬だった。岩に這い上がり、体を起こす。周囲は暗く、狭く、渓谷というより洞窟のようだ。あたりは静まり返っていて、仲間の気配もない。
「……みんなは……」
胸元に下げたペンダントがかすかに光る。
“光の玉”は、まだ反応していない。精霊の気配も、どこか遠い。
何より怖かったのは──孤独だった。
冷たい水が足元を洗い、しぶきが頬を濡らしていた。水流に流されながらも岩にしがみつき、なんとか体勢を立て直す。だが、全身はずぶ濡れで、喉の奥は苦味と鉄の匂いがまとわりついていた。
「……クレアさん、ガルドさん……!」
叫んでも返事はなかった。音は水の轟音に呑まれ、自分の声さえかき消される。ただし、ここが深層階のどこかであることは間違いない。ギルドからの地図にはこの一帯の詳細はなく、水路の迷路に近い。
ニコは慎重に岩場を登ると、奥へと続く通路を見つけた。胸元のペンダントに収められた“光の玉”がかすかに温もりを伝える。それだけが、今の自分を繋ぎとめていた。
「……焦っても仕方ない。まずは、動こう」
視界の先には、湿った壁と張り巡らされた蔦、そしてかすかな光が見えていた。自然光ではない。何かが、いる――。
水が滴る音に混じって、ぬるりと這うような気配が近づいてくる。剣を引き抜き、足音を殺して身を低くする。
茂みが揺れ、姿を現したのは体長二メートルほどの魔獣――《ツノアギト》に似た四足の獣だった。牙よりも、その突き出た角と岩肌に同化するような灰緑色の体が特徴的だった。
(距離は……三メートル。気づかれてない。けど、攻撃するしか……)
剣を握る手に力が入る。呼吸を殺し、一歩、また一歩。相手がこちらに気づいた瞬間、ニコは地面を蹴って跳び出した。
剣が角の付け根に食い込む。だが浅い。魔獣の反撃が早かった。突き上げるような頭突きが胴を掠め、ニコの体が岩壁に弾かれる。
「くっ……!」
背中に鈍い痛みが走るも、すぐに立ち上がる。魔獣は距離を詰めてきていた。連撃は避けられない。咄嗟に、手を前にかざす。
――応えて。僕の中の、光。
胸元のペンダントが脈打ち、周囲に淡い光が広がった。魔獣が怯み、一瞬だけ動きを止める。その隙に剣を走らせ、今度こそ深く斬り裂いた。
悲鳴のような呻き声とともに、魔獣が崩れ落ちる。ニコはその場に膝をついた。肩で息をしながら、胸元に手を添える。
「ありがとう……」
光は、ただ静かに揺れていた。言葉も表情もないけれど、確かにそこに“気配”はあった。
戦闘を終え、ニコはゆっくりと立ち上がる。先ほど見えた光のほうへと足を向ける。そこは、水流がぶつかってできた自然のくぼ地で、苔と小さな花が岩の隙間に咲いていた。
「クレアさんたち、無事だといいけど……」
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