英雄は根に咲く

ぼん

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第二部:覚悟の種が揺れる

第8章:仮面の記憶 第3話:ふたつの軌跡

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 夜の森は静寂に包まれていた。小さな焚き火の明かりが野営地の中央で揺れている。

 皆が眠りについたあと、見張りの当番となったクレアは、そっと立ち上がり夜気の中に身を置いた。

 周囲に危険はないか、耳を澄ます。修道院で覚えた習慣が、こうして旅の夜にも自然に染み込んでいる。静かな夜風が頬を撫で、遠くで鳥のさえずりがかすかに聞こえた。

 足音がひとつ、背後から近づく。リリィだった。

 彼女はいつも通り、夜の見張りをしていたらしい。

 二人きり、夜の静けさに包まれる。言葉を交わすまでに、しばらく間が空いた。

 クレアは焚き火の端に腰を下ろす、リリィもその隣に静かに座る。焚き火の音だけが響き、やがてクレアが小さく息をついた。

「……今日は、月がきれいね」

 リリィはちらりと夜空を仰ぐ。

「……うん」

 それだけで、また沈黙が訪れる。

(私たち、こんなふうに二人きりになるのは珍しいかもしれない)

 クレアは内心で苦笑する。

 リリィは普段あまり多くを語らず、クレア自身も相手の心に踏み込むことをためらっていた。けれど、今夜はなぜか、その距離をほんの少しだけ縮めたいと思った。

「見張り、お疲れさま。今日もみんな無事でよかった」

「……うん」

「……リリィは、眠れないこと、ある?」

「……時々」

 リリィは短く答えたあと、炎のゆらめきに目を落とした。

 それ以上は言葉が続かない。それでも、同じ炎を見つめているだけで、どこか安心する自分がいる。

 焚き火の光が、ふたりの顔を淡く照らす。クレアはそっと、リリィの横顔を見た。

(私とはまるで正反対――素直に自分の弱さを見せられないのも、きっと似ている)

 夜の空気の中、静かな気配がふたりの間に流れる。

 やがてリリィが、ぽつりと口を開いた。

「……クレアは、怖くないの?」

「え?」

「誰かの前で、弱いところを見せるのが……」

 クレアは少し驚いたが、すぐに微笑んだ。

「ううん。実は、私もすごく怖いよ。でも、誰かのことを思うと、つい頑張っちゃうみたい」

 リリィは、焚き火の炎に視線を落とす。

「……私、強くなれない。精霊にも、まだ選ばれていないし」

 その呟きは夜風に溶けそうなほど、か細かった。

「そんなことないよ」

 クレアはそっと言葉を返す。

 焚き火の炎が、ふたりの沈黙を優しく包み込む。リリィは俯き、手のひらで静かに草をいじっていた。

 クレアはその様子を横目で見ながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「リリィは、たぶん自分で思っているより、ずっと強いと思うよ」

 リリィは小さく首を振った。

「……私は、強くない。ただ、どうしたらいいか分からないから、何も言えなくなるだけ」

「それでも、ちゃんと見ている。みんなのことを、すごく真剣に――」

 クレアは焚き火を見つめながら、そっと続けた。

「たとえば……今日も、カイが調子に乗りすぎて、危なっかしいって顔していたでしょう?」

 思わず口元がほころぶ。

 リリィは少しだけ、肩の力を抜いたように見えた。

「……みんな、無茶しがちだから」

「うん、そうだね」

 クレアは笑う。

「でも、リリィが気づいてくれるから、私たちは安心していられるんだよ」

 リリィは焚き火を見つめたまま、しばらく黙っていた。

 やがて、少し迷いながら口を開く。

「……クレアは、どうしてそんなに優しくなれるの?」

「優しい……のかな。たぶん、昔から“誰かのため”って考えるのが癖になっているだけ」

 クレアは遠い記憶をたどる。

「修道院では、困っている子を見かけたら“声をかけなさい”って、よく言われていたの」

「……それって、たいへんじゃない?」

「うん。自分を置いてけぼりにしてしまうこともある。でも、最近は少しずつ分かってきたの。自分を大事にすることも、強さだって」

 リリィは炎越しにクレアを見た。

 夜風がふっとふたりの間を通り抜けていく。

「強さって、どんなことなんだろう」

「たぶん、弱さを認めること。怖いけど、誰かと一緒にいれば、少しは平気になる気がする」

 ふたりの言葉が、焚き火の音に混ざって静かに夜空へ消えていく。

 しばらく沈黙が続いたあと、クレアがそっと呟く。

「……強くなくても、ちゃんと誰かを見ているあなたのほうが、ずっと素敵だと思う」

 リリィは驚いたように顔を上げた。

 しばらく黙って、そして、ほんのわずかに目元がやわらいだ。

「……ありがとう」

 それだけだった。でも、その言葉にはこれまでなかった柔らかさが宿っていた。

 夜空に月が浮かんでいる。

 ふたりの軌跡は、まだ交わったばかりだけれど――

 いつかその歩みが“本当の自分”に辿り着くことを、どこかで願いながら。

 焚き火の炎が小さく揺れた。

 クレアもリリィも、しばらく黙ったまま、その温もりを心に刻んでいた。
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