英雄は根に咲く

ぼん

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第二部:覚悟の種が揺れる

第9章:夕映えに立つ影 第2話:対話なき対面

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 地下四十五階層の中継地は、昼も夜もなく苔の青白い光が岩壁を淡く照らしている。冒険者の影だけが静かに行き交い、どこか息の詰まるような閉塞感が空間を満たしていた。

 廃坑探索の依頼を終えたブルーミング・ルーツの面々は、補給のため休憩所に戻った。拠点の空気は昨日と同じ――沈んだ空気、低い声、誰もが壁際に寄り添って、遠くの出来事に関わらないようにしている。

 石造りのベンチに座りながら、僕は先ほどの戦闘を思い返していた。

 虚ろの斜陽――かつて“英雄”と呼ばれた者たち。その実在感は、昨日の廃坑での圧倒的な戦いぶりと重なり、今も脳裏に焼き付いている。

「……昨日のあの一団、まだいるみたいだ」

 カイさんが、水筒の蓋をいじりながら小声で言った。

「この中継地は他に行く場所もないし、ずっとここに滞在しているのかも」

 クレアさんが穏やかに答える。その視線は掲示板の脇、薄暗い隅に座り込む一団へ向けられていた。

 灰色のローブに身を包んだ四人。その顔立ちは疲労と静謐に満ちており、まるで洞窟の一部と化してしまったかのようだ。光の玉も、彼らの周囲ではほとんど瞬かない。

 “虚ろの斜陽”として知られたパーティは、かつて幾多の難関を突破し、英雄譚にも名を残した存在だったはずだ。それなのに今、誰一人として言葉も発せず、ただ時の流れに沈んでいる。

「……やっぱり、ちょっと怖い」

 リリィが小さな声で呟く。その手は無意識に自分の弓筒を握りしめていた。

 それに、僕も静かに同意する。

「昨日の廃坑で戦っていた時も、何か違うって感じがした」

 僕は前を見つめたまま、

「動きは無駄がなくて――でも、それ以上に“何も残そうとしない”感じだった」

 ガルドさんは黙っていたが、視線はずっと虚ろの斜陽に注がれていた。

 虚ろの斜陽のリーダー。その淡い銀髪は苔の光を受けてほのかに光り、目元には深い疲労と静けさが宿っていた。

 何も言わず、ただ静かにこちらを見つめてくる。

 僕は不意に足が止まった。

 アレイドさんの視線は、言葉よりも多くを語っていた。燃え尽きたような、でもどこか諦めきれないものを奥底に抱えた瞳。

 僕は無意識に息を詰める。

 誰もが立ち止まり、わずかな沈黙が生まれた。

 アレイドさんはじっと僕たちを見つめ、その背後に座る仲間たちもまた、誰一人微動だにしなかった。沈黙。苔の光だけが、静かに時間を刻んでいる。

 カイさんが、そっと耳打ちするように呟く。

「見られてるだけで、動けなくなりそうだな……」

 ――“英雄”とは何か。

 彼らの姿を見ていると、その言葉が急に重く胸にのしかかってくる。

 かつて人々に憧れられた者たち。その現在地。誰もが遠巻きにしか近づけない理由が、今はわかる気がした。

 アレイドさんの視線が、ふと僕の目と交わる。

 その一瞬、何もかも見透かされたような感覚が走った。けれど同時に、何も語られない虚無の圧力に、言葉を返すことはできなかった。

 アレイドさんは一言も発さず、ただゆっくりと目を伏せた。虚ろの斜陽の他のメンバーもまた、表情ひとつ変えずに再び沈黙へ戻る。

 僕は胸の奥に、言いようのない痛みと、名付けようのない憧れを感じていた。

「英雄って……何だろう」

 思わず漏れたその言葉は、仲間の誰にも聞こえなかった。

 水の流れる音、苔の光、閉塞した空気の中で、僕たちの五人だけが、その場に立ち尽くしていた。

 “虚ろの斜陽”の重たい沈黙と、“語られない過去”だけが、拠点に残されていた。

 苔の光が満ちる休憩所で、“虚ろの斜陽”の集団とすれ違ってから、僕たちはしばらく無言のまま補給作業を続けた。

 静けさの中で、それぞれの心に奇妙な緊張が残っている。

「気にしすぎだって。……俺たちは俺たちの依頼をこなすだけだろ?」

 カイさんがわざと明るい調子で水筒を揺らし、場の空気を変えようとした。

 だが、リリィは珍しく口を閉ざしたまま、矢筒の紐を直している。クレアさんも、報告書のメモを書き終えると、机に両手を添えたまま静かに目を閉じていた。

 ガルドさんは通路の壁にもたれ、虚ろの斜陽のいる一角を時折ちらりと見やっていた。

 僕は荷物の整理をしながら、どうしてもさっきのアレイドさんの目が頭から離れなかった。

 言葉を交わしていないのに、あの一瞬で心の奥底に何かを置いていかれたような気がした。

(どうして、あの人はあんな目をしているんだろう……。“英雄”だったのに……)

 ふいにリリィがそっと呟く。

「……私、知りたいな。どうしてあんなふうになったのか」

 その声には、普段よりも僅かに揺れるものがあった。

「何があったかなんて、本人しかわかんねぇよ。……それに、あの人たちが今もここに残ってる理由も」

 カイさんが答えるが、どこか本気で茶化す様子はなかった。

 拠点の外れには、錆びた装具や壊れたランタンが放置されている。かつて冒険者たちがここで夢や誇りを語り合った名残だが、今では静かに埃を被っているだけだった。

 荷物を整えた後、一行は次の依頼調査のため、休憩区画の奥の連絡通路に向かう。その通路の曲がり角で、もう一度“虚ろの斜陽”の集団とすれ違った。

 沈黙のまま歩いていく彼らの先頭で、アレイドさんがふと立ち止まり、再び僕の方を向いた。

 薄暗い苔の光の下で、その銀髪と、底知れぬ瞳だけがくっきりと浮かび上がる。

 アレイドさんはやはり、何も言わなかった。

 だが、その目には「過去」と「現在」と「まだ残された何か」が入り混じる、言い表せない光が宿っているようだった。

 一瞬――

 僕は勇気を出して、かすかに口を開きかけた。

 だが言葉は出なかった。声にするには、まだ自分の中の答えがなかった。

 アレイドさんは、微かに眉をひそめると、やがて無言で歩き出した。虚ろの斜陽の他の者たちも続き、誰一人として振り返らなかった。

 仲間たちも、静かにその背中を見送るしかなかった。

「……きっと、俺たちにはわからないことなんだろうな」

 カイさんがぽつりと呟いた。

 クレアさんは、僕の背中を見つめながら小さく微笑む。

「でも、いつか知りたいと思うのは、悪いことじゃないよ」

 僕はうなずき、ゆっくりと荷物を背負った。

(いつか、あの人たちとちゃんと話せる時が来るんだろうか。それとも――)

 中継地の中央には、名もなき冒険者のための古い慰霊碑があった。そこに彫られた言葉が、ふと目に入る。

「“誰かのために進む者は、たとえ名を遺さずとも、誰かの希望になる”」

 僕はその言葉を、胸の奥にそっと刻んだ。

 再び拠点を後にしてダンジョンの奥へ向かう道すがら、仲間たちは皆、先ほどの静かな“対面”をそれぞれの心に残したまま歩き出す。

 苔の光が照らす狭い道の先、僕はもう一度、アレイドさんのあの目を思い出し――“英雄”という言葉の意味を、静かに自分に問いかけていた。
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