英雄は根に咲く

ぼん

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第二部:覚悟の種が揺れる

第9章:夕映えに立つ影 第3話:虚ろの理由

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 地下四十六階層。苔の淡い光がしみこむように壁面を照らし、どこまでも静謐な空気が続く。

 僕たちは依頼でこの層に降りてきていた。今回の任務は、廃坑の安全確認と、最近出没する魔獣の撃退。だが、ニコの心は依頼のことよりも、先日の中継地で目にした「虚ろの斜陽」のことばかりにとらわれていた。

「もう少し先まで様子見てくる」

 リリィがささやくと、カイさんが、

「単独は危ないぜ。俺も――」

 だがリリィはそっと手を振り、矢筒を背負い直して影の奥へ消えた。

「……僕も少し先を見てくる」

 そう言って、僕も皆から離れた。

 クレアさんは「気をつけて」と小声で送り出し、ガルドさんは無言で見送った。

 通路を抜けた先、薄暗い横穴の奥に、人影があった。苔の光に照らされたその背は、灰色のローブ。虚ろの斜陽――アレイドさんだった。

 彼は岩壁にもたれ、光の玉を掌にのせている。その玉は微かに震えて、今にも消えそうな弱々しい輝きだった。

「……何か、用か」

 アレイドさんが低い声で問う。

 僕は一瞬たじろぐが、意を決して前へ出た。

「いえ、通りかかっただけです」

 自分の声が、いつもより小さく響く。

「……そうか」

 それきりアレイドさんは視線を戻した。だが、苔の光の下で、彼の目がふいに僕を射抜く。

 僕は立ち止まり、少し息を整えてから答えた。

「昨日……廃坑で、あなたたちの戦いを見ていました」

 その言葉に、アレイドさんは僅かにまばたきをする。

「……そうか」

 静かにそう返し、また光の玉に視線を戻す。

 僕は、その背中に問いかけるように、そっと言葉を重ねる。

「どうして、あんなふうに戦うんですか?」

 アレイドさんはしばし黙したまま、手の中の光を見つめていた。坑道の奥で、水滴の音が響く。苔の光だけが二人の影を静かに浮かび上がらせる。

「あれは……ただ、終わらせるだけだったからな」

 ぽつりと、アレイドさんが答える。

「終わらせる……?」

 思わず反芻した。

「戦いには終わりがある。けど、終わるのと“終わらせる”のは違う」

 アレイドさんは淡々と続ける。その声には、遠く沈んだ響きがあった。

「……僕には、まだその違いが分からないです」

 僕は率直に言う。

「どうして、あなたは今も冒険者を続けているんですか?」

 アレイドさんはしばらく沈黙したまま、手の中の光の玉を見つめた。その光は、かすかな鼓動のように揺れている。

「……誰かを守りたくて、ここにいる。けれど――」

 言いかけて、彼は遠くを見つめるように視線を逸らした。

「英雄ってのは、誰も守れなかった奴の名前だよ」

 淡い苔の光の下、ただぽつりと、そう呟いた。

 僕は、胸の奥で何かが詰まったような気持ちになり、すぐには返す言葉を見つけられなかった。

 しばらくして、アレイドさんは何も言わず立ち上がる。ローブの裾が岩肌を擦る音が、かすかに響いた。

 僕は言葉を返したい衝動に駆られるが、胸の奥で何かが詰まって声にならない。

 アレイドさんは通路の奥へ、沈黙のまま歩き出す。苔の光に背だけを残し、その姿はゆっくりと闇に消えていった。

 その背中を見送りながら、僕は両の拳をぎゅっと握った。

 英雄――誰かを守るために歩き始めたその道の果てに、あんな眼差しを宿す人がいることが、言い知れぬ不安とともに胸に残る。

(僕は、あんな目をしたことがあるだろうか……)

 ふと、精霊の気配が袖口で微かに揺れた。

 自分の光の玉が、手のひらの中で小さく震えている。“何か”を感じ取っているような――そんな確信が胸をよぎる。

 背後から足音が近づいてきた。

「……ニコ、戻るぞ」

 ガルドさんの低い声だ。その存在感が、今は妙に心強く感じられる。

「うん……」

 小さく返事をしながらも、胸の中のもやもやは晴れなかった。

 仲間たちのもとへ戻ると、カイさんが軽く僕の肩を叩く。

「なんか、顔色悪いな。あっちの奴に変なこと言われたか?」

 からかうような声だが、どこか気遣いがこもっている。

 リリィは何も聞かなかった。ただ、僕の手元の光の玉をじっと見てから目を逸らす。

 クレアさんが静かに問いかける。

「……大丈夫?」

「うん。ちょっと考え込んじゃって……」

 僕たちは再び坑道を進み始めた。天井に張りついた苔の光が、進む道を淡く照らし出す。けれど、僕の足取りは、いつもよりほんの少しだけ重かった。

(英雄って……本当はなんなんだろう)

 “守りたい”という想いだけで、ここまで歩いてきたはずだった。けれど、アレイドさんの言葉は、その根本を揺るがす。

 もし“守れなかった者”が英雄と呼ばれるのだとしたら――

 それは敗北の名前なのか。それとも……

 考えが渦巻くなか、側道から低いうなり声が響いた。

 リリィが即座に身構える。

「三体、右から来る」

「俺が前に出る」

 ガルドさんが盾を構えた。

 その瞬間、カイさんの傍らで光の玉が強く明滅する。

 雷と風の精霊術がカイさんの周囲で渦を巻き、空気が一変した。

 僕も、自分の光の玉に意識を集中する。小さな脈動が指先から全身へと流れ、いつものように力が満ちていく……はずだった。

 だが、胸の奥にアレイドさんの言葉が浮かぶ。

(誰も守れなかった奴の名前……)

 一瞬、手が止まる。その隙に魔獣の爪がこちらに迫る。

 クレアさんの光の玉が鮮やかに輝き、精霊術の結界が瞬時に僕の前へ展開される。

「……気を抜かないで」

 クレアさんの声が優しくも、いつになく強い。

「あ、ごめん」

 慌てて態勢を立て直す。

 カイさんの光の玉が強く輝き、雷の精霊術が魔獣を薙ぎ払う。

 ガルドさんは盾を掲げて、重々しく敵の動きを押さえ込む。

 リリィの矢が静かに放たれ、鋭く魔獣の急所を貫いた。

 戦闘はすぐに終わったが、僕の心にはさっきの会話がまだ残っていた。

 魔獣の亡骸の前で、リリィが小さく呟く。

「……英雄って、たぶん、誰かの物語だよ」

 その声は静けさの中に溶けていった。

 僕は自分の光の玉をそっと見つめる。

(もし僕が、誰も守れなかった時――僕も“英雄”って呼ばれるのかな)

 答えはない。ただ光の玉が小さく、やわらかく揺れただけだった。

 歩きながら、ふと岩壁の割れ目に刻まれた古い文字が目に入る。

「“咲けなかった花も、根に残る”」

 その言葉を、僕は静かに心の奥で反芻した。

 仲間とともに歩きながら、地下の坑道の奥へ、もう一歩を踏み出す。その胸の中に、“虚ろの理由”という答えのない問いが、しばらく消えずに残り続けていた。
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