英雄は根に咲く

ぼん

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第三部:精霊との対話

第13章:雪に染まる祈り 第3話:クレア──交差する祈り

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 雪原にぽっかりとできた窪地。少し外れた場所に、岩陰と氷壁が作る小さな休息ポイントがあった。

 私たちブルーミング・ルーツは、予定より少し早く休憩を取ることにした。

 六十一階層――凍結の氷原層は、歩くだけで体力が奪われる。足元を踏み固め、荷物を降ろして簡易シートを敷く。リリィが素早く矢筒を点検し、ガルドは盾を側に置いたまま無言で警戒を続けている。カイがスープを温め直し、ニコがパンを皆に配っていた。

 休息の静けさに包まれていると、遠くから小さな足音が近づいてくるのが聞こえた。

「あ、ブルーミング・ルーツの皆さん!」

 声の主はサンディだった。

 偶然、同じ休息ポイントを選んだらしい。深緑の誓いの仲間たちも、少し遅れて岩陰に姿を現した。

「サンディたちも、ここで休憩?」

 カイが軽く声をかける。

 サンディは嬉しそうに頷き、仲間たちも穏やかな表情で軽く会釈を返した。それぞれが自分たちの荷物を下ろし、自然と周囲に輪ができる。

 ――本当に、偶然なんだろうか。

 私は心のどこかで、そう思った。

 同じ階層を進み、同じように風と寒さにさらされ、同じように疲れ果てている。そんな場所で、たまたま隣り合わせになっただけ――

 けれど、それだけで何かが「交差する」気がして、私は不思議な安堵を覚えた。

 休憩のあいだ、誰も大きな声は出さなかった。

 氷の上に座り、互いの火を借りたり、持ち寄った保存食を分け合ったり。会話は短く、控えめだった。

 それでも、誰もがこの静かな時間を大切にしているようだった。

 私はふと、自分の膝に手を重ねる。その感触が遠い昔の記憶を呼び起こす。

 ――教会で過ごした日々。

 幼い私は、石の床に膝をつき、誰かの背中を見ながら祈りの言葉を口にしていた。

 朝も夜も「他人のために祈りなさい」と、声高に言われていた。

 心の奥には、小さな反発があった。

「自分のために祈ってはいけないの?」と、一度だけ訊ねた記憶がある。

 そのときの答えは、優しくはなかった。

「それは欲です。祈りは人のためのものです」そう言われて、それ以上なにも言えなかった。

 それでも今、私は“誰かのため”だけでは語れないものを、胸に抱えている気がしていた。

「クレアさん、大丈夫ですか?」

 隣でニコが、そっと声をかけてくる。

「ええ、大丈夫よ。ありがとう、ニコ君」

 そう口にしながらも、心の奥底ではまた問いが膨らむ。

(私は、いま、誰のために祈っているんだろう?)

 仲間の無事を願う気持ちと、自分自身がここにいたいという小さな想い。そのどちらも、もう切り離せなくなっている。

 サンディが、いつものように静かに手を組み、雪原の向こうを見ていた。

 その横顔を見つめて、私はふと小さく声をかける。

「サンディさんは、いま、誰のために祈ってるの?」

 サンディは少し考えてから、笑顔を見せた。

「うーん……いまは、ここにいるみんなのことかな。でも、私自身のことも、少しだけ」

 その率直な言葉に、思わず微笑んだ。

「それって、わがままじゃないのかな?」

「わがままでもいいんだと思います。自分を大事にしないと、人のことも大事にできませんから」

 その言葉が、胸の奥にやさしく響いた。

 休息ポイントの静かな空気のなか、二つの祈りが、そっと交差した気がした。

 互いの火を分け合い、湯気の立つスープを口にする。誰もが短い言葉だけを交わし、それぞれの心に小さな灯火を持っているようだった。

 私は、サンディの祈る横顔を何度も盗み見た。

 自分のために祈ること、それが「わがままでもいい」と言い切れること――

 それは、昔の自分にはなかった強さだと思えた。

(わがまま……)

 胸の中で、言葉が静かに反響する。「自分のために祈るのは欲だ」と言われていたあの頃。

 けれど今、仲間と共に歩く日々のなかで“自分を大事にしたい”と思う瞬間が確かに増えていた。

 パンをかじる音、スープを啜る音、誰かが火に薪をくべる音。

 そのすべてが遠い記憶と重なり、私は目を伏せたまま、そっと手を組んだ。

(私は――)

 祈りの言葉は、声にならない。それでも、胸元の光の玉が淡く瞬いた。

 ガルドが立ち上がり、荷物を背負う。カイは背伸びをして、手袋をはめ直した。リリィは矢筒を肩にかけ、ニコは探索バッグの口をしっかり閉じている。

 休息の終わりを告げるかのように、風が雪面をなでていった。

「そろそろ、行きましょうか」

 私の声に、みんながうなずく。

 サンディも立ち上がり、深緑の誓いの仲間たちへ合図を送る。

「また、どこかで」

 サンディが手を振る。私も小さく手を挙げた。

「うん。またね」

 偶然の交差は、もう終わり。

 それぞれの祈りを胸に、二つのパーティは再び別々の雪原へ歩き出す。

 雪は、あとからあとから降り積もる。

 歩きながら、何度も自分の胸元に手をやった。

(私は、本当は――)

 心の奥に、小さな明かりが灯っている。

 それは“誰かのため”だけじゃなく“自分自身のため”にも消えてほしくない光。

 教会で過ごした幼い日々。

「他人のためだけに祈りなさい」と言われ続けた記憶。だけど、あの祈りがあったから、今の自分がいる。

(祈りは、誰かのためだけじゃなくていい。自分を守るためでもいい)

 そう思えた瞬間、凍えるような空気の中で、ほんのり温かさが広がった。

 仲間たちの歩幅に合わせて、雪を踏みしめる。

 リリィが横に並び、ふいに小さく呟いた。

「……無理、しすぎないで」

 私は微笑み、

「ありがとう、リリィ」

 その言葉が、どこまでも透明に響いた。

 カイが冗談めかして雪玉を投げ、ガルドはそれを無言で受け止める。

 ニコが笑って手を叩き、雪原に小さな明るさが生まれる。

 その景色の中に、私の祈りも静かに混ざっていた。

(私は、私のためにも祈っていいんだ――)

 そう思えるだけで、歩みは少し軽くなった。

 遠い空の向こうで、朝の光がうっすらと雪に反射している。

 私は顔を上げ、前を見た。新しい一歩が、凍てつく雪の上にしっかりと刻まれていく。
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