英雄は根に咲く

ぼん

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第三部:精霊との対話

第14章:灰の中の誓い 第4話:折れた誓い、立ち上がる足音

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 最後の魔獣が、灰殻の谷に巨体をうねらせていた。

 誰もが汗と血で息を切らし、虚ろの斜陽と僕たちブルーミング・ルーツの全員が、もはや一つの運命を背負って戦っていた。

 アレイドが剣を握る手に、わずかな震えが走る。

 それは恐怖でもためらいでもない――失われた誓いと、今の自分の狭間で揺れる決意だった。

 魔獣の咆哮が祠の残骸を揺らす。

 リリィは痛みをこらえて矢を放ち、ガルドさんが無言で前に出て魔獣の爪を受け止める。

 カイさんが炎の精霊術で隙を作り、クレアさんが光の玉の力を重ねて傷を癒やす。

 虚ろの斜陽の仲間たちも、傷つきながら連携を崩さない。全員が「もう一歩だけ」と自分の足で踏みとどまっていた。

 僕は、光の玉を握りしめながら叫ぶ。

「あと少し、みんな――!」

 魔獣が灰を舞い上げて突進してくる。

 ガルドさんが盾で進路をそらし、アレイドがその隙を逃さず跳び込んだ。

「アレイドさん!」

 その背中に、彼自身の過去と今、すべての痛みと覚悟が重なって見えた。

 アレイドが剣を大きく振りかぶる。

 その軌道は灰と光を切り裂いて、祠の残骸に反射しながら魔獣の首筋を斬り裂いた。

 彼の口から、低い声が漏れる。

「――一度きりの、誓い破りだ」

 剣が光を切る。

 その一閃は、まるで長い鎖を断ち切るようだった。

 魔獣が呻き声をあげ、巨体を崩しはじめる。
 カイさんが「今だ、畳みかけるぞ!」と叫び、リリィの矢が、クレアさんの光が、仲間たちの力が重なる。

 虚ろの斜陽の仲間が剣で追撃し、全員の一撃が最後の魔獣を貫いた。

 ――静寂。

 灰殻の谷に、ついに魔獣の息遣いが消えた。

 誰もがその場に立ち尽くし、しばらく声を出せなかった。

 リリィが矢を下ろし、深く息をついた。クレアさんが膝をつき、光の玉を胸に押し当てる。

 ガルドさんは全員の無事を確かめてから、ゆっくりと盾を下ろした。

 アレイドは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 彼の剣からは、まだ淡い光が滲んでいた。

「アレイドさん、大丈夫……?」

 僕がそう声をかけると、彼は静かにこちらを振り返った。

「……これが俺にできる、最後の“約束破り”だ。俺はもう剣を振らないと誓った。でも――どうしても、目の前の命からは目を背けられなかった」

 虚ろの斜陽の仲間たちが、静かにうなずいていた。

「お前は、まだ進めるんだな。俺とは違って」

 アレイドの声は、どこまでも静かだった。

 でもその瞳には、ほんのわずかに――過去を超えた光が宿っているように、僕には見えた。

 魔獣の巨体が崩れ落ち、谷にしんとした静寂が戻る。

 灰がゆっくりと舞い、さっきまで戦場だった場所が、一瞬だけ安らぎの色を帯びて見えた。

 僕は光の玉を強く握りしめながら、全員の顔を順に見渡した。

 クレアさんはそっとリリィの肩に手を添えて回復の光を送り、カイさんが虚ろの斜陽の仲間と短く肩を叩き合っていた。

 ガルドさんはみんなの無事を確かめるように、ゆっくりと息をつく。

 虚ろの斜陽のメンバーも、それぞれ泥と灰にまみれながら、どこかすっきりとした表情を見せていた。誰もが、この谷で“何か”を乗り越えたのだと、言葉にしなくても伝わってくる。

 その輪の中心に、アレイドがいた。

 剣を地面に突き立てたまま、しばらく黙って空を見上げていた。

 さっきの一撃――

 これまでもアレイドさんは、必要とあれば剣を抜き、仲間を守るために応戦することはあった。

 だけど、それは「もう二度と本気で剣は振るわない」という誓いの上に立った、どこか遠慮がちな一撃ばかりだった。

 今、アレイドさんは違った。

 過去も誓いも、すべてを断ち切る覚悟で“英雄だった自分”に戻って――いや、もう一度だけ、“本当の自分”として剣を振るったのだ。

「……アレイドさん」

 僕が静かに呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを振り返った。

 その瞳には、長い旅路の果てにあるような、遠い光が宿っていた。

「俺は……ここで立ち止まっていた。ずっと、過去と“守れなかった誓い”に囚われていたんだ」

 言葉はゆっくりと、谷の空気のなかに溶けていく。

「でも――今日だけは、目の前の命を見捨てたくなかった。一度だけ、誓いを破った。これで、もう悔いはない」

 アレイドが淡く笑ったその瞬間、虚ろの斜陽の仲間の一人が小さく「ありがとう」と呟いた。

 その声が、不思議な温かさで谷を満たした。

 カイさんが、少しだけおどけて肩をすくめる。

「アンタが“英雄”かどうかは知らないけど、少なくとも今日は、カッコよかったぜ」

 リリィも「……うん」と短くうなずく。

 クレアさんは静かに「救われたのは、私たちも同じです」と言った。

 アレイドは何も言わず、僕のほうをじっと見つめた。

「ニコ、お前はまだ“進める”んだな。……俺とは違う」

 僕は胸の内に込み上げるものを感じて、でもゆっくりと頷いた。

「……それでも、僕は立ち止まるのが怖い。前に進み続けていないと、自分を見失いそうだから」

「それでいい。……“進める者”だけが、先へ行け」

 アレイドの声は、どこまでも静かで優しかった。

 僕には、あの剣の一閃の重さが今なら分かる気がした。それはただの“戦い”じゃない。

 “もう振らない”と誓った自分自身を、一度だけ裏切ってでも守りたいものがあったという、

 アレイドさんなりの“新しい誓い”だった。

 谷の上、かすかな光が灰の隙間から差し込んでいた。

 みんなが荷物をまとめ、戦いの余韻を残したまま、谷を後にしようとしている。

 アレイドたち虚ろの斜陽も、それぞれに歩みを始めていた。

 もう、誰も足を止めない。

 ――それが、“今”この谷で交わされた新しい誓いだった。

 谷を抜ける足音が重なる。誰もが自分の痛みも誇りも胸にしまいながら、それぞれの道を歩き出す。

 振り返ると、アレイドが祠の影で一人静かに剣を見上げていた。

 過去を断ち切るように、ひときわ強い光が剣にきらめき、やがて灰に溶けて消えていく。

(僕も、進み続ける)

 光の玉を握りしめながら、僕はもう一度前を向いた。

 谷を抜ける風の音のなかに、折れた誓いの残響と、新しい足音だけが残っていた。
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