英雄は根に咲く

ぼん

文字の大きさ
76 / 126
第三部:精霊との対話

第15章:温もりの遺跡 第1話:癒しの篝郷へ

しおりを挟む
 深層へと続く長い石階段を下りきった先、時の流れさえ止まったかのような静寂が広がっていた。

 半ば崩れた石柱と苔むす壁、天井から舞い降りる湯気の帳――ここは、古代の誰かが作り上げた温泉遺跡「癒しの篝(かがり)郷」。今や地図にも載らぬ、静かで穏やかな安息地だ。

 湯殿は大きな中央回廊で隔てられ、左右に男女それぞれの浴場が分かれていた。壁や高い岩棚には、淡い苔や小さな花が咲き、温かな蒸気が天井の亀裂から静かに降りている。

 湯面にはふわり、ふわりと光の玉が浮かんでいた。白金色や水色、緑や淡黄、静かに揺れるその光が、湯殿全体に穏やかなぬくもりと安らぎをもたらしていた。

 男子側の湯に身を沈めた僕は、熱がじんわりと足元から身体の奥へ染みわたっていくのを感じていた。

 石の縁に背を預け、ふと天井の蒸気を仰ぐ。こうして心の底から“気を抜ける”場所は、本当に久しぶりだった。

「……静かだな」

 隣でガルドさんが低く呟いた。彼もまた、湯の表面に漂う自分の光の玉をじっと見つめている。土色と赤紫が混じるその輝きは、どこか頼もしさを帯びていた。

「こんなに深い階層にも、こういう場所があるんだね」

 僕が言うと、ガルドさんはゆっくりと頷くだけだった。相変わらず無口で、でも今だけはわずかに力が抜けているように思えた。

「なあ、ニコ。こういうのって……たまには悪くねぇよな」

 岩に頭を預けていたカイさんが、不意に声を上げる。

「……はい。何だか、久しぶりに“冒険者じゃない自分”を思い出した気がします」

「分かるぜ。精霊術ばっか使ってると、たまに身体の芯が冷えてくるっていうか……ほら、光の玉もさ、力を使いすぎると、ほわっと疲れるだろ?」

 カイさんの光の玉が黄色と淡い紅色のグラデーションに輝き、湯気の中できらりと瞬いた。

 僕は自分の胸元に揺れる光の玉を、そっと指先で触れる。何かと戦うためだけじゃなくて、こうして休むときも、きっと傍にいてくれている。

 その静かな光に、言葉ではない“気配”を感じる。

「おーい、もうのぼせちまいそうだ……」

 カイさんが湯縁に手をつき、肩を大きく回す。

「のぼせる前にちゃんと出て、体を拭いたほうがいいですよ」

「はーい、はいはい。……あー、極楽だ……」

 その何気ないやりとりすら、いつもより穏やかで、誰もが“無防備”になっているようだった。

 湯殿の中央には厚い石壁があり、向こう側からはクレアさんとリリィの小さな話し声がときおり湯気越しに聞こえてくる。

「はぁ~、気持ちいいね。リリィは、こういう場所……嫌いじゃない?」

「……別に。静かだから、いい」

 ごく短い会話だったが、ふたりの距離感や安堵の気配が、壁越しでも伝わってくるようだった。

 男子の湯船には三人、女子の湯にはクレアさんとリリィ。各自がそれぞれのペースで休息し、湯けむりと光の玉に包まれていた。

 これまでの旅路で積み重なった疲れや痛み――それが、少しずつ、湯に溶けて消えていく。

 僕はそっと目を閉じて、深く息を吐く。遠くで、光の玉が静かに明滅する気配がした。

 地下深層の片隅、誰も知らない安息の地――そこには確かに、温もりだけがあった。

 湯上がりの体を拭きながら、僕たちは脱衣所で一息ついた。濡れた髪を拭うたび、肌に残る熱が心地いい。

 隅に並んだ古い木の椅子は苔むしていたが、不思議と清潔な印象があった。湯殿の奥には小さな窓がひとつ。そこからほのかな風が入り、光の玉たちがゆっくり漂う様子が見えた。

「このまま、寝てしまいそうだ」

 ガルドさんがタオルを肩にかけて、壁にもたれる。

「それもいいかもしれませんね。きっと、遺跡の人たちもそうやって疲れを癒やしたんでしょう」

 僕がそう言うと、カイさんが大きく伸びをした。

「湯上がりの涼みってやつか。……なあ、ニコ、腹減らねぇ? やっぱり風呂のあとは食いもんだろ」

「……たしかに。何か用意しますか」

 とりあえず、僕たちは身支度を整え、脱衣所を抜けて共用の休憩広間へ向かうことにした。

 中央の休憩場は、古代の大広間を思わせる作りだった。天井は高く、壁の一部は朽ちているが、湯けむりがまだうっすらと漂っている。

 奥に並んだベンチには柔らかな布がかけてあり、その隣には湯上がりの光の玉がふわりふわりと漂っていた。

 しばらくして、クレアさんとリリィも女子側から現れた。二人とも、いつもより頬がわずかに紅い。

 クレアさんは、髪をタオルで包みながら僕たちに微笑む。

「いい湯だったわ。ニコ君も、ゆっくりできた?」

「はい。なんだか、疲れが全部とれたみたいです」

 クレアさんは満足そうにうなずき、傍にいたリリィにタオルを差し出した。リリィは無言でそれを受け取り、目を逸らす。

 いつもならどこか張り詰めた空気を纏っているリリィも、今日はほんの少しだけ表情が柔らかく見えた。

 僕たちは小さな卓を囲み、それぞれ湯冷ましの水や、持ち寄った簡単な食糧で腹を満たした。

 クレアさんが用意してくれた乾いたパンやハーブ入りのスープは、普段よりもずっと美味しく感じる。

 光の玉が、そっと卓の上に漂っている。

 手のひらに乗せると、わずかに体温よりも温かい。精霊たちは食事や会話には何も反応しない。ただそこに、静かに寄り添っているだけだ。

「……みんな、今日はゆっくり眠ろう」

 僕がそう提案すると、ガルドさんが短く「そうだな」と答える。

 クレアさんは「ニコ君、疲れてるでしょ」と気遣い、カイさんは「あー、夢見がよさそうだ」と大きな欠伸をした。

 リリィは黙ったままだったが、卓の下で自分の光の玉をそっと指で転がしていた。

 夜になっても、篝郷の湯気は絶えることがなかった。

 僕は壁際の寝台に身を横たえ、天井のひび割れから差し込む淡い光を眺める。

 枕元には光の玉。胸元にも温かさが残る。

 ――こうして過ごす夜が、どれほど大切だったのか。これまでずっと、前だけを見て歩き続けてきた気がする。

 けれど今は、誰かと静かな時間を分け合うこと――それ自体が“旅を続ける力”になるのだと、ようやく気づくことができた。

 眠りに落ちる直前、静かに隣の寝台から寝息が聞こえてきた。みんなの無防備な寝顔に囲まれて、僕もまた安心して目を閉じる。

 夜の静けさの中、光の玉たちがふわりふわりと舞う。誰もが心と体を癒やされ、やがて深い眠りへと誘われていった。

 朝になれば、また新しい一歩を踏み出すだろう。

 けれどこの一夜が、必ず明日へと続く力になる――そう信じて、僕はゆっくりと眠りについた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】

山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。 失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。 そんな彼が交通事故にあった。 ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。 「どうしたものかな」 入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。 今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。 たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。 そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。 『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』 である。 50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。 ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。 俺もそちら側の人間だった。 年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。 「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」 これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。 注意事項 50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。 あらかじめご了承の上読み進めてください。 注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。 注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。

『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
 ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。  そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。  【魔物】を倒すと魔石を落とす。  魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。  世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

お持ち帰り召喚士磯貝〜なんでも持ち運び出来る【転移】スキルで異世界つまみ食い生活〜

双葉 鳴
ファンタジー
ひょんなことから男子高校生、磯貝章(いそがいあきら)は授業中、クラス毎異世界クラセリアへと飛ばされた。 勇者としての役割、与えられた力。 クラスメイトに協力的なお姫様。 しかし能力を開示する魔道具が発動しなかったことを皮切りに、お姫様も想像だにしない出来事が起こった。 突如鳴り出すメール音。SNSのメロディ。 そして学校前を包囲する警察官からの呼びかけにクラスが騒然とする。 なんと、いつの間にか元の世界に帰ってきてしまっていたのだ! ──王城ごと。 王様達は警察官に武力行為を示すべく魔法の詠唱を行うが、それらが発動することはなく、現行犯逮捕された! そのあとクラスメイトも事情聴取を受け、翌日から普通の学校生活が再開する。 何故元の世界に帰ってきてしまったのか? そして何故か使えない魔法。 どうも日本では魔法そのものが扱えない様で、異世界の貴族達は魔法を取り上げられた平民として最低限の暮らしを強いられた。 それを他所に内心あわてている生徒が一人。 それこそが磯貝章だった。 「やっべー、もしかしてこれ、俺のせい?」 目の前に浮かび上がったステータスボードには異世界の場所と、再転移するまでのクールタイムが浮かび上がっていた。 幸い、章はクラスの中ではあまり目立たない男子生徒という立ち位置。 もしあのまま帰って来なかったらどうなっていただろうというクラスメイトの話題には参加させず、この能力をどうするべきか悩んでいた。 そして一部のクラスメイトの独断によって明かされたスキル達。 当然章の能力も開示され、家族ごとマスコミからバッシングを受けていた。 日々注目されることに辟易した章は、能力を使う内にこう思う様になった。 「もしかして、この能力を金に変えて食っていけるかも?」 ──これは転移を手に入れてしまった少年と、それに巻き込まれる現地住民の異世界ドタバタコメディである。 序章まで一挙公開。 翌日から7:00、12:00、17:00、22:00更新。 序章 異世界転移【9/2〜】 一章 異世界クラセリア【9/3〜】 二章 ダンジョンアタック!【9/5〜】 三章 発足! 異世界旅行業【9/8〜】 四章 新生活は異世界で【9/10〜】 五章 巻き込まれて異世界【9/12〜】 六章 体験! エルフの暮らし【9/17〜】 七章 探索! 並行世界【9/19〜】 95部で第一部完とさせて貰ってます。 ※9/24日まで毎日投稿されます。 ※カクヨムさんでも改稿前の作品が読めます。 おおよそ、起こりうるであろう転移系の内容を網羅してます。 勇者召喚、ハーレム勇者、巻き込まれ召喚、俺TUEEEE等々。 ダンジョン活動、ダンジョンマスターまでなんでもあります。

処理中です...