英雄は根に咲く

ぼん

文字の大きさ
77 / 126
第三部:精霊との対話

第15章:温もりの遺跡 第2話:こぼれる会話、滲む想い

しおりを挟む
 夜の帳が下りる頃、癒しの篝郷には再び静寂が戻っていた。

 天井からは水滴が絶え間なく落ち、蒸気の中で小さな音を立てている。そのリズムが、どこか遠い昔の鼓動のように心地よい。

 湯殿と休憩場をつなぐ細い通路の奥、かすかな火の明かりが揺れていた。クレアさんとガルドさんが、焚き火の前で向かい合って座っている。

 二人は、誰もいない夜の温泉遺跡で昔話を交わしていた。

「……あの時は本当に驚いたのよ。ガルドさんが、あの巨体の魔獣を素手で止めて……私、あんな風に盾になってもらったの、初めてだったから」

 クレアさんは、どこか照れくさそうに微笑んだ。 

 ガルドさんは肩を竦めて、焚き火を見つめるだけだった。

「……俺は、ただ前に出ただけだ」

「でも、それだけじゃないでしょう? 本当はとても怖かったんじゃない?」

「……」

 沈黙が、二人の間にそっと降りる。だがその空気は、決して重苦しいものではなかった。焚き火の炎がやさしくガルドさんの横顔を照らしている。

「昔は――もっと無茶ばかりしていたの。信仰の力を頼ってばかりで、自分の足で立つのが怖かった」

 クレアさんは炎越しにそっと語る。

「でも、こうして仲間がいてくれて……ガルドさんがいてくれて、私はようやく“私の足”で立てるようになった気がするの」

 ガルドさんは、わずかに目を細めた。

「……俺は、守るためにいる。立つのは、お前自身だ」

 その言葉が、焚き火の中で静かに弾けた。

 どちらからともなく、短い笑みがこぼれた。

 過去の傷も後悔も、今はただ、柔らかな温もりに溶けていく。

 離れた場所では、カイさんがひとり湯殿に浸かっていた。

「……ふぁー……極楽極楽……」

 石の縁に腕を投げ出し、いつになくぼんやりと天井を眺めている。

「静かすぎて、逆に落ち着かないな……みんな、おとなしいから、俺まで眠くなっちまいそうだ」

 カイさんの声は湯気に吸い込まれ、やがて静かに消えていく。

 その隣、水面には彼の光の玉がひとつ、淡く輝きながら浮かんでいた。

 湯殿のさらに奥。僕は一人、岩陰に腰を下ろしていた。湯に足を浸すと、ほてった体にやさしい熱がじんわりと広がる。

 昼間の明るさも、夜の焚き火も届かない場所――そこに身を沈めて、ぼんやりと過去のことを考えていた。

 そこへ、リリィが静かにやってきた。何も言わず、僕の隣に座る。二人の間には湯気と静けさだけがあった。

 リリィは、自分の胸元に漂う光の玉を見つめていた。エメラルドと薄緑のその輝きが、水面に反射して揺れる。

 彼女はそっと指を伸ばす。――けれど、ほんの寸前で、触れるのをやめた。

「……」

 僕も、何も言わなかった。

 ただ、二人で同じ湯を眺め、静かな空気を分け合うだけ。

 リリィは湯に浸した足を、少しだけ揺らした。湯面が波打ち、光の玉がふわりと傍に寄る。

 彼女はそれを、じっと見つめている。目線は真剣なのに、どこか遠い夢を見ているようだった。

「リリィ……」

 と、僕が声をかけようとした瞬間、リリィはそっと僕の方を向き、小さく首を振った。
 ――言葉はいらない、という合図だった。

 僕はそれ以上、何も言わなかった。

 湯の温かさと、静かな光の玉の揺らぎだけが、僕たちを包んでいた。

 僕とリリィの間に流れる沈黙は、決して重くはなかった。むしろ、それは言葉以上に心地よく、安らぎの色をしていた。

 静かに耳を澄ませば、遠くの焚き火がはぜる音、誰かの寝息、湯気の中で光の玉がふわりと舞う気配。

 こんな夜は――何も考えず、ただ“ここにいる”というだけで十分だと思えた。

 リリィは、湯面に指先を滑らせる。映り込んだ光の玉の輪郭が、そっと歪む。

 それから、ふいに僕の方を見た。

 その瞳には、ほんの僅かに迷いと戸惑いがあった。けれど、すぐに目を逸らす。

「……あのさ」

 僕は小さな声で切り出しかけたが、言葉が出てこなかった。リリィはまた、静かに首を振る。

 “気にしなくていい”――そんな、ささやかな意思表示。

 それでも、ふたりで同じ温もりを分け合っていることだけは、確かだった。

 やがて、リリィは立ち上がり、そっと僕の横を通り過ぎていく。背中越しに、短く小さな声が届いた。

「……ありがとう」

 それだけ言い残し、彼女は湯殿の奥――苔の茂る岩場の方へと消えていった。

 僕はしばらくその場に留まり、湯に足を浸したまま、天井のひび割れから落ちる淡い光を眺めていた。

 何も語らず、ただ、光の玉の存在だけを感じる。

 夜が更け、湯気の白さが濃くなる頃、僕はようやく湯から上がった。

 休憩場に戻ると、カイさんがタオルを頭に巻きつけ、壁に寄りかかって欠伸をしていた。

「おう、ニコ。いい顔してるな。……リリィと、何か話したのか?」

「ううん、特には。……でも、なんだか、少しだけ近づけた気がする」

「へぇ、そりゃすごい。あの子、簡単に懐かないからな」

 カイさんはにやりと笑ったが、その目は優しかった。

 休憩場の片隅では、クレアさんとガルドさんがまだ焚き火を囲んでいた。

 二人の間にはすっかり言葉がなくなっていたけれど、静かな安堵が流れている。

 クレアさんは、手のひらで自分の光の玉を包み込むようにしていた。その柔らかな光が、彼女の横顔をふんわりと照らしている。ガルドさんは黙って、その様子を見守っていた。

 夜の篝郷には、やわらかな温もりが満ちていた。

 その後、僕たちは順番に寝台に身を預けていった。湯気の余韻と焚き火の香り、仲間の気配と光の玉たちの静かな揺らぎ。不思議と不安も痛みも遠ざかっていく。

 目を閉じると、今日一日の情景がゆっくりと浮かんでくる。

 湯殿での静かな時間。焚き火を囲む昔話。誰かと並ぶ沈黙。

 それぞれがそれぞれの仕方で“癒される”夜。

 ――明日になれば、また深い階層へと歩み出さなければならない。

 でも今夜だけは“今ここにいる”という事実だけを大切にしたかった。

 薄明かりの中、リリィは最後まで眠らず、ただ光の玉を見つめていた。僕もまた、その背中をそっと目で追う。

 言葉のいらない想いが、湯気とともに、ゆっくりと篝郷の空気に溶けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】

山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。 失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。 そんな彼が交通事故にあった。 ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。 「どうしたものかな」 入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。 今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。 たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。 そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。 『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』 である。 50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。 ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。 俺もそちら側の人間だった。 年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。 「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」 これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。 注意事項 50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。 あらかじめご了承の上読み進めてください。 注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。 注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。

『召喚ニートの異世界草原記』

KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。  ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。  剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。  ――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。  面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。  そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。  「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。  昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。  ……だから、今度は俺が――。  現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。  少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。  引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。 ※こんな物も召喚して欲しいなって 言うのがあればリクエストして下さい。 出せるか分かりませんがやってみます。

アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
 ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。  そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。  【魔物】を倒すと魔石を落とす。  魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。  世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

お持ち帰り召喚士磯貝〜なんでも持ち運び出来る【転移】スキルで異世界つまみ食い生活〜

双葉 鳴
ファンタジー
ひょんなことから男子高校生、磯貝章(いそがいあきら)は授業中、クラス毎異世界クラセリアへと飛ばされた。 勇者としての役割、与えられた力。 クラスメイトに協力的なお姫様。 しかし能力を開示する魔道具が発動しなかったことを皮切りに、お姫様も想像だにしない出来事が起こった。 突如鳴り出すメール音。SNSのメロディ。 そして学校前を包囲する警察官からの呼びかけにクラスが騒然とする。 なんと、いつの間にか元の世界に帰ってきてしまっていたのだ! ──王城ごと。 王様達は警察官に武力行為を示すべく魔法の詠唱を行うが、それらが発動することはなく、現行犯逮捕された! そのあとクラスメイトも事情聴取を受け、翌日から普通の学校生活が再開する。 何故元の世界に帰ってきてしまったのか? そして何故か使えない魔法。 どうも日本では魔法そのものが扱えない様で、異世界の貴族達は魔法を取り上げられた平民として最低限の暮らしを強いられた。 それを他所に内心あわてている生徒が一人。 それこそが磯貝章だった。 「やっべー、もしかしてこれ、俺のせい?」 目の前に浮かび上がったステータスボードには異世界の場所と、再転移するまでのクールタイムが浮かび上がっていた。 幸い、章はクラスの中ではあまり目立たない男子生徒という立ち位置。 もしあのまま帰って来なかったらどうなっていただろうというクラスメイトの話題には参加させず、この能力をどうするべきか悩んでいた。 そして一部のクラスメイトの独断によって明かされたスキル達。 当然章の能力も開示され、家族ごとマスコミからバッシングを受けていた。 日々注目されることに辟易した章は、能力を使う内にこう思う様になった。 「もしかして、この能力を金に変えて食っていけるかも?」 ──これは転移を手に入れてしまった少年と、それに巻き込まれる現地住民の異世界ドタバタコメディである。 序章まで一挙公開。 翌日から7:00、12:00、17:00、22:00更新。 序章 異世界転移【9/2〜】 一章 異世界クラセリア【9/3〜】 二章 ダンジョンアタック!【9/5〜】 三章 発足! 異世界旅行業【9/8〜】 四章 新生活は異世界で【9/10〜】 五章 巻き込まれて異世界【9/12〜】 六章 体験! エルフの暮らし【9/17〜】 七章 探索! 並行世界【9/19〜】 95部で第一部完とさせて貰ってます。 ※9/24日まで毎日投稿されます。 ※カクヨムさんでも改稿前の作品が読めます。 おおよそ、起こりうるであろう転移系の内容を網羅してます。 勇者召喚、ハーレム勇者、巻き込まれ召喚、俺TUEEEE等々。 ダンジョン活動、ダンジョンマスターまでなんでもあります。

処理中です...