英雄は根に咲く

ぼん

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第五部:決断の種を咲かせる

第20章:影の終わり 第3話:咲けなかった影

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 霧の中で、時間は止まったままだった。

 いや――止まったふりをして、ただ俺自身が歩みをやめていただけなのかもしれない。

 仲間を喪い、誓いを違え、夢見た“咲く”という未来から背を向けて……ずっと、この場所に佇み続けていた。虚ろの斜陽という名前も、今ではただの影法師のようだった。

 ニコが、折れた剣を受け取ってくれた。

 その小さな手に、かつて自分が握っていた“諦めきれなかった意志”が渡る瞬間――胸の奥で、何かが音を立ててほどけていくような感覚があった。

 静けさの中、俺は自分の影を見下ろしていた。

 霧に溶けていく自分の輪郭。手を伸ばしても、どこにも届かない。

 それでも、消えきれない痛みだけが、ここに残っていた。

 賑やかな声、仲間の笑い、いつも誰かの背中を追いかけて、いつか自分も“英雄”になれると信じていた。

 だが気づけば、目の前からひとり、またひとりといなくなった。自分だけが残った時――もう剣を振るう意味さえ、わからなくなっていた。

「……アレイド」

 シアンの声が背中越しに聞こえる。

 俺は振り返り、彼女の瞳に浮かぶ微かな光を見つめる。

「これで、よかったの?」

 小さな問いかけに、すぐに答えを出せなかった。

 バシュも静かに目を伏せている。分厚い手で握った布切れは、かつての仲間たちの名が縫い込まれたもの。

 フレアは、言葉もなく光の玉を手のひらで撫でている。

「終わったんだよな……」

 バシュがぽつりと呟く。

「ここで止まって……全部、置いてきたんだよな」

 終わり。

 俺たちは、そう思い込んできた。いや“そう思い込もう”としてきた。

 本当は、何も終わっていなかったのかもしれない。

 ニコたちブルーミング・ルーツの姿が、霧の向こうに見える。

 その歩みは拙く、光の玉も小さく揺れている。だが、彼らのまなざしは、俺たちがもう手放してしまった“未来”だけを見ていた。

「……まぶしいな」

 俺は思わず呟く。

 心の奥に、痛みと羨望がないまぜになって、苦しくなる。ゆっくりと息を吐き、霧の奥に目を凝らした。

 ブルーミング・ルーツの面々が、折れた剣を受け継いだニコを囲むように立っている。その光景は、かつて俺たちが冒険を始めた頃――何も恐れずに進んだ日々を思い出させた。

 あの頃、誰よりも強くなりたかった。

 仲間の期待に応えたかった。誰もが自分を頼りにし、剣を掲げて歩む自分こそが“英雄”だと信じていた。

 だが、仲間を守れなかった夜。

 誰も戻らなかった朝。

 気づけば“咲く”ことに怯え、失うことを恐れるだけの影になっていた。

「アレイド」

 シアンがそっと俺の腕を掴む。その細い指が、かすかに震えていた。

「……ニコくんたちは、まだ歩こうとしている」

 彼女の声は、懐かしい風のように響く。

「わたしたち……本当は、ずっと、終わりに縋っていたんじゃない?」

 バシュが苦笑した。

「俺はただ、怖かっただけだよ。……失うのも、また歩き出すのも」

 フレアが、沈黙のまま光の玉を掲げる。その輝きが、わずかに霧の中で強まった。

 俺の胸の奥に、鈍い痛みが走った。

 “終わり”を盾にして、何も選ばず、ただこの場所にしがみついていた自分。

 ――本当に、それだけでよかったのか。

 霧のなか、ニコの光の玉が、折れた剣と重なる。

 その瞬間、淡い光が層全体に波のように広がった。

 終わりと始まりが、交差するような気配。

 俺はふと、胸のなかの空洞に風が通るのを感じた。それは、長い間塞がれていた扉が、ほんの少しだけ開くような感覚だった。

「お前たちは、まだ咲こうとしてる」

 小さな声が、喉の奥から漏れる。

「それが……まぶしかったんだ。ずっと、羨ましくて、怖くて……けれど、本当は、それが見たかったのかもしれない」

 仲間たちの顔が、霧の向こうにぼんやりと浮かぶ。

 誰もが、かつて自分と同じように、光を探して迷いながら歩いていたはずだ。

「アレイド」

 シアンが、そっと僕の肩に手を添える。

「もう、ここで終わりにしなくていい。……私たちも、また歩いていいのかな」

 バシュが肩を揺らす。

「さあな。でも……あいつらを見てると、ちょっとだけ、歩きたくなるよな」

 俺は、折れた剣がなくなった自分の手を見下ろした。

 その掌には、何も残っていない。けれど、心の奥には、静かに揺れる光があった。

「……終わりにすがってただけだった」

 その事実を、今になってやっと、素直に受け入れられた気がした。

 霧が、ゆっくりと薄れていく。

 光の玉が、虚ろの斜陽の周囲で静かに舞う。

 俺はそのぬくもりを感じながら、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

「ありがとう、ニコ。……そして、さよなら、俺の影」

 そう心の中で呟いた時、どこか遠くで、もう一度だけ仲間たちの笑い声が聞こえたような気がした。

 ――終わりは、まだ、ここじゃない。
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