英雄は根に咲く

ぼん

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第五部:決断の種を咲かせる

第23章:根を超えた先に 第1話:根の先端──拒絶の層

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 僕たちは、深緑の聖域層の最深部まで歩いてきた。地面にも天井にも無数の根が絡み、空気がどんどん重たくなっていく。でも、その先には、まるでぽっかりと穴があいたような、何も存在しない空間が広がっていた。
 
 カイさんが、僕たちの前で足を止めた。
 
「……ここ、だけ……」
 
 その声は、かすかに震えていた。僕も思わず息を飲む。
 さっきまで周囲に溢れていた精霊の気配が、唐突に途切れていたからだ。
 
 足元で揺れていた光の玉たちも、まるで意志を持ったみたいに僕から離れ、遠巻きに揺れている。“ここから先は入れない”と訴えているようにしか見えなかった。
 
「精霊が……怖がってるの?」
 
 クレアさんが小さな声で言った。リリィは黙ったまま矢筒に手をかけ、カイさんは肩越しに僕を振り返る。その表情は冗談なんて言えないほど真剣で、でも、どこか戸惑っているようにも見えた。
 
「……行くしか、ないんだよな」
 
 カイさんがそう言ったのを聞いて、僕はそっと胸元の光の玉に触れた。ほんの少しだけ、光の玉が震えている。その震えが恐怖なのか、警告なのか、僕にもよくわからなかった。

 でも――今までずっと一緒だった“光”が、この場所だけは明らかに僕のそばから離れようとしているのがわかった。
 
(こんな感覚、初めてだ……)
 
 この「断絶根帯(だんぜつこんたい)」について、ギルドの資料にもほとんど記録は残っていなかった。だけど、今ここで感じる拒絶感は、これまでのどんな階層とも違っている。
 
「……進もう。みんな、僕の後ろにいて」
 
 そう言って歩き出すと、クレアさんもガルドさんもリリィも、そしてカイさんも、静かに頷いてついてきた。僕の背中を守るように、それぞれの光の玉が小さく明滅しながら、でもなぜか、僕の手元からは少し距離を取っていた。
 
 一歩、また一歩。足を踏み入れた瞬間、僕の耳から音が消えた。風も、根の軋む気配も、仲間たちの呼吸すらも、何ひとつ聞こえない。
 
(……まるで、本当に世界から切り離されたみたいだ)
 
 リリィが弓を構えたまま周囲を見ている。けれど、僕の感覚には、魔獣の気配も、精霊の気配も、一切感じ取れなかった。
 
「ここ……“生きて”ない」
 
 リリィがぽつりとそう言った言葉が、なぜだか僕の胸にずしりと重く響いた。
 
 どれだけ深い階層でも、危険な場所でも、必ず“命の流れ”や“精霊の鼓動”があったはずなのに――ここにはそれが、まるで何もなかった。ただ静かで、冷たいだけだ。
 
 僕は自分の指先まで冷たくなっていくのを感じた。進めば進むほど、空気は重く、肌を針で刺されるような感覚さえ強くなっていく。
 
 クレアさんは胸元の光の玉をそっと握っていた。彼女の光の玉も、どこか色が曇って見えた。
 
「精霊が……どんどん遠ざかっている。私たちごと“拒絶”しているみたい」
 
 僕は唇をきつく噛みしめた。
 
「でも、僕たちが……ここを越えなきゃ、きっと何も変わらない」
 
 そのとき、根の天井から冷たい雫がひとつ、僕の肩に落ちてきた。でも、その音も、すぐに消えた。空間が音を吸い込んでしまうみたいに。
 
(この場所そのものが、僕たちを“受け入れない”って……そう言ってるみたいだ)
 
 ガルドさんは、無言で盾を構え、仲間の最後尾を守るように歩き続けていた。その大きな背中に、僕も少しだけ勇気をもらう。
 
 やがて、断絶根帯の中心までたどり着く。
 
 そこは、本当にただの“空洞”だった。無数の根が絡み合っているのに、中心だけがぽっかりと、何もない。まるで世界から切り離された穴のようだった。
 
 僕は一歩、また一歩と近づいた。胸の光の玉が、さらに小さく震える。
 
「……大丈夫。僕は、行ける」
 
 そう呟いたその瞬間――
 根の奥の奥から、かすかな黒い脈動が生じた気がした。
 
 黒い脈動――それは、目で見たというより、心の奥底に重たい波が押し寄せるような感覚だった。
 
 僕は思わず息を詰めてしまう。見上げた根の天井からは、何本もの太い根が絡み合い、だけど中心部分だけは真っ黒な空洞になっている。

 その穴の底から、何かがじわじわとにじみ出してくるような、底知れぬ気配。
 
 リリィが、ほんの少しだけ僕のすぐそばに近づいた。彼女の光の玉も、いつもより遠くに漂いながら、揺れている。

 クレアさんもガルドさんもカイさんも、みんな何も言わない。

 沈黙の中で、心だけがざわめいていた。
 
(……怖い、のかもしれない)
 
 認めたくなかったけれど、僕の胸の奥も、確かに震えていた。
 
「何だ、この場所……」

 カイさんが小さくつぶやく。
 
「精霊も、魔獣も……まるで全部、閉め出されてるみたい」
 
 僕も思わず、うなずいていた。ここでは“生きているもの”そのものが、拒絶されている気がする。
 
 立ち止まったまま、僕はそっと一歩を踏み出す。足音も、根を踏みしめる感触も、やっぱり何も響かない。ただ自分の呼吸だけが、苦しいほどに胸の中でこだましていた。
 
 不意に、頭の奥で微かな痛みが走った。頭の深い場所を、黒い靄のようなものがかすめていく。

 ――この空洞は、“何か”が世界のすべてを拒んで、根ごと塗り替えようとしている。
 
「……みんな、大丈夫?」
 
 僕が振り返ると、クレアさんが小さくうなずいた。けれど、その表情はどこか青ざめていた。

 彼女の光の玉も、いまにも消え入りそうに淡く、弱々しく光っている。
 
「私、こんな気配……初めて」
 
 クレアさんの声は、かすかに震えていた。
 
 その言葉に、僕の中の不安がさらに強くなる。でも、逃げ出すことだけはできなかった。
 
「行くしか、ない。……僕たちしか、この先を確かめる人はいないから」
 
 気づけば、僕は自分でも驚くほど静かな声で言っていた。

 リリィは僕をちらりと見て、何も言わず前を向いた。
 
「ニコ、慎重にな。何かあったら、すぐ戻るぞ」
 
 カイさんの言葉にうなずきながらも、僕は、なぜか一歩一歩、奥へと近づいていく自分の足を止められなかった。
 
 そのとき――

 突然、胸の光の玉がぶるりと震え、ぐっと冷たい感触が指先まで広がった。
 
(――え?)
 
 胸元の光の玉が、これまで感じたことのないほど強く拒絶を示している。
 
 ――これ以上は危ない、と言われている気がした。
 
「ニコ、無理をするな」
 
 ガルドさんの声がする。彼はずっと最後尾で、みんなの様子を見守っていた。

 その大きな手が、何かあればすぐに僕たちを庇うように動く。後ろから支えられている安心感と緊張が混ざり合って、僕の心はまた少しだけ前を向いた。
 
 再び黒い脈動が空間全体を走る。
 
 僕は――光の玉を、そっと両手で包み込む。

「大丈夫だよ。……ちゃんと戻る。だから、今だけは……僕に力を貸してほしい」
 
 その願いが届いたかどうかはわからない。でも、ほんの一瞬、光の玉の奥に小さな光が灯った気がした。
 
 ふと、僕たちの前方に違和感が走った。
 
 根の空洞の中心、その向こう側に、微かに――黒いひび割れのような線が広がっていくのが見えた。
 
(あれは……)
 
 僕が目を凝らすと、ひび割れはじわりじわりと地面に広がり、まるで地脈そのものが黒い染みで汚されていくようだった。
 
 それと同時に、背後でリリィの光の玉が急に明るく震えた。彼女は肩をすくめ、じっと拳を握りしめている。
 
「やっぱり……この場所、おかしい」
 
 リリィの声が小さく響いた。

 カイさんも、剣の柄を強く握り直している。クレアさんも、ぎゅっと胸元の光の玉を両手で押さえていた。
 
「進んだ分だけ、世界そのものが……僕たちを拒んでる。そんな気がする」
 
 誰かの声――いや、僕自身の声だったかもしれない。
 
 そのとき。
 
 根の奥から、もう一度、強い黒い脈動。

 今度は、空気の色まで一瞬変わったような気がした。
 
「危ない!」
 
 カイさんが僕の腕を引く。

 何かが、空間そのものを揺らしている。
 
 でも、何も“見えない”ただ、気配だけが世界から拒絶されているのがわかる。
 
 僕は思わず、仲間たちの顔を見回した。
 
 みんなの目が、少しずつ――恐怖よりも、確かさに変わっていくのを僕は感じた。
 
「僕たちは、ここで止まっていられない。」
 
 僕の中で“決断”という名の小さな火が灯る。
 
 ガルドさんが微かにうなずいている気配を感じた。
 
「……行こう。まだ、光が消えてないうちに」
 
 僕が一歩踏み出すと、仲間たちも、静かにそれに続く。

 リリィがふっと僕の横を通り過ぎて、何も言わずに前方を見据えた。

 カイさんは無理に明るく笑おうとしたが、顔は真剣だった。クレアさんも、小さく祈るように光の玉に手を重ねている。
 
 静寂が戻る。

 僕たちは“何もない”はずの空間を進み続けた。
 
(どんなに拒絶されても、僕たちは止まらない)
 
 そのとき――

 根の中心に、ほんの一瞬、黒い影が走るのが見えた。
 
「……今の、見た?」
 
 僕が声を上げると、カイさんもリリィも頷く。

 クレアさんはわずかに顔を強張らせている。
  
 僕は、怖かった。でも、それ以上に――この真実から目を逸らしたくなかった。
 
「進もう。……ここで、立ち止まったら、もう二度と前に進めなくなる気がするから」
 
 自分でも驚くほどはっきりした声が出た。僕は光の玉をもう一度、ぎゅっと握る。
 
「ここで僕たちの覚悟が問われてるんだと思う」
 
 仲間たちも、静かにうなずいた。
 
 そして、僕たちは断絶根帯――“拒絶の層”の奥へと、足を踏み入れた。
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