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第一部 迷路に集う子どもたち
プロローグ
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これは きみの為に用意した物語
世界中から集めた 物語を きみに読み聞かせようと考えた
きみを喜ばせようと ずっと 考えた
これは ぼくの物語
大人にも 子どもにもなりきれない 中途半端な
――― 迷子の物語
もくじ
第一部 迷路に集う子どもたち
第一話 物語の始まり
第二話 迷子たちの訪問
第三話 噂を運ぶ青い鳥
第四話 眠りの森に咲く薔薇
第五話 砕けた歯と胡桃
第六話 塔から飛び降りた姫君
第七話 少年へ捧ぐ白い小石
第八話 白鳥から生まれたアヒルの子
第九話 鍵を飲み込んだ子どもの短い物語
第二部 首を繋がれた王と姫君
第十話 泣けない人魚の泣かせ方
第十一話 毒林檎をくわえる屍
第十二話 糸に絡まるマリオネット
第十三話 狂宴へ招かれた○番目の山羊
第十四話 頭巾を失った赤ずきん
第十五話 青髭の収集品たち
第十六話 徘徊する裸の王
第十七話 冬に聞こえたキリギリスの歌
第十八話 旅立つピーターと残された童話
断章 群れからはぐれた迷子の挿話
第三部 剣を携えた乙女
第十九話 鍵を手にした子ども
第二十話 錠を隠す子ども
第二十一話 最後の扉を守る子どもたち
エピローグ 招待状『Dina da doo,失われた子どもの国へ』
あとがき
第一部 迷路に集う子どもたち
第一話 物語の始まり
―――This is the story of Serisawa.
黒と白に彩られた世界が人々の手によって片づけられていく。まだ秋の始まりだというのに、弔問客の大半が年寄りだったので暖房がかけられ人口が密集し蒸しついた空気が吐き気は誘った。
手伝いを頼まれることもなかったので邪魔にならないよう部屋の隅に移動する。と、わずかに開いていた襖の向こうで伯父が、紫の袈裟を着た坊主に封筒を手渡している様子が見えた。
黄色く染まった歯を覗かせて笑う坊主の襟元で金色の鎖が光っている。類は友を呼ぶと言うが、まさか守銭奴の伯父たちが葬儀にここまで金をかけるとは思わなかった。しかし母が運営する会社の連中が包み持ってきた香典目当てだと考えるなら、それだけの価値もあるかもしれない。
線香の匂いが喪服について気持ちが悪い。逡巡したが辺りには親戚や会社の関係者たちがいるので、誰にも悟られないようにそっと大広間を抜けた。みんな、私とは目を合わせようとしないけど常に背後から動向をチェックしている。それはお手伝いさんたちも同じだった。親戚から爪弾きにされていた一家だけに、母が興した会社がいつの間にか大企業にまで成長した今、粗忽な扱いもできず私たちは葬儀の間もずっと腫れ物を触るような扱いをされていた。
縁側に広がる大きな庭園に人気がないことを確認すると、予め用意しておいた靴を履き母屋から数メートル離れた蔵を目指して駆け出した。毎朝お手伝いさんが整えている枯山水を踏み潰さないよう、注意しながら飛び石を越え素早く茂みに隠れる。腰まで伸びた三つ編みが枝に引っかかったので慌ててそれをとった。
蔵の脇に並ぶ石灯篭まで辿り着くと、母屋から伯父の声が聞こえてきた。
「まぁ、なんですか。こんな古い家ですがこの庭だけは自慢でしてねぇ」
「いやいやとても見事な枯山水ではないですか。紅葉が散って尚美しい」
先程の坊主の濁声が響く。あれが生来の声なのか、それともずっとお経を読んでいた所為なのかはわからないが、生理的に好かない類いだ。
伯父たちの注目が紅葉に集まっている間にそっと蔵の戸を開け、その隙間から滑り込むようにして侵入した。今度はお下げも無事ついてきた。空が灰色に淀んでいるお蔭で庭の隅に立つ蔵は茂みの覆う影に飲まれ、戸が開いたかさえわからないだろう。
「遅かったな」
小さな窓から注ぐ鈍い光を受けて眼鏡の縁が鋭く光っていた。随分長い間待っていたのか、茶箪笥に腰を下ろす体が不機嫌そうに揺れている。
「着替えてからこようかと思ったの」
近づいてから、腰をかけるに調度いい高さのものがないので仕方なく立ち尽くした。すると眼鏡のブリッジを持ち上げ脚を組み替えると
「座れば?」
と目で床に座るよう促がした。
普段から掃除が行き届いているものの、正座や胡坐というものに慣れていない私にとってそれはささやかな嫌がらせに感じられた。
「いいわ。ずっと正座していたから痺れているの」
「ふぅん」
意地悪げに頷くと、翠はようやく本題に入る雰囲気を作った。
「出棺まで時間がないから手短に話そう」
相槌を打ちながら翠はどんな時でも能率のよい方法を求めているのに、と内心ぼやいた。
用件だけの短い会話なら、パソコンの電子メールを通じて私たち兄妹の間で数えきれないくらい交わされてきた。昨日の通夜に間に合うようなんとか帰ってきた私と翠は、ろくに話もせず、社交辞令程度の慰めの言葉をかけ合っただけ。
親戚たちの目を盗んでただ一言「葬式の後蔵へ」と告げられてきたけれど、恐らくこれからの私たちのことだろうと予想はしていた。
「芹沢がぼくらの後見人になる。そして遺言で明後日、メール・ヴィ学園に転入することになった」
芹沢とは母の会社が抱える弁護士の一人だ。会社設立以来の仲らしく、母の秘書も兼ねていたので何度か顔を合わせたことはある。面食いの母が好みそうなショートカットの美しい四十代半ばの女性だった。彼女が後見人になるのは、伯父たちの冷ややかな態度を見て大よその見当はつけていたが、初めて聞く学園に転入するというのは寝耳に水だ。
「母さんの母校だ。琳子の学校も既に手続きが済んでいる」
「ちょっと待って。そんなの初耳だし、それにまだ…」
「ぼくだって初耳だよ。でもこの話しをあいつらから聞かされるよりはまだマシだろ」
確かにそうだ。あの人たちのネチネチした嫌味ったらしい口調で、さも母親を亡くしたばかりの子どもを哀れむ偽善者根性を剥き出しにした下手な演技を見せられたくない。
「……こんな突然に死ぬなんて、想像もしなかったもんな」
ここで初めて翠は寂しげな表情を見せた。よく考えれば私と翠、イギリスとドイツで別々に留学していた兄妹が久しぶりに呼び集められたと思えば、日本では母親が死にその葬式を最も私たちを毛嫌いしていた親戚の屋敷でやるときたのだから。怒ることも泣く暇もなかった。最初はただ、まだ現実味がないだけのように感じていたけれど、今でも私はどこか目の前で起きているすべての事象を受け止めきれていないだけなのかもしれない。
俯く彼の顔に翳りが宿る。こうして兄の顔を間近に見るのも実に四年ぶりだ。小学校を卒業してすぐに翠はドイツへ留学してしまい、私も同じく小学校を卒業後イギリスへ旅立った。
長期休暇の際も帰省はせず必要なやりとりはすべてメールか、時々電話で会話をするだけだった。親子で過ごした歳月も、きっとあっという間に私の一生と比べ微々たる時間になってしまうのだろう。まだ十四歳。もう、十四歳。大人なのか子どもなのか…その境界線もままならない。
「後で芹沢を交えて説明があると思うけど、間違ってもあいつらの提案に乗るなよ」
珍しく念押しする彼を一瞥し、まさかそこまで愚かものだと思っているのかと心外に思った。けれど私が受けたショックの大きさを量りかねて過剰に心配しているだけだろう。
「わかってるわ」
そこに一縷の悲しみと決意を滲ませ、神妙に頷いて見せた。
素直な態度に気をよくしたらしく、それまでの刺々しい空気を脱ぎ捨て壁にかけられた古い時計を一瞥した。螺子巻き式の年代物が、小刻みに揺れる振子が刻々と時を刻んでいく。
まだ出棺まで余裕があるのか窓の向こうを見上げ尋ねてきた。
「……死因は聞いたか?」
淀んだ空の光を受けて翠の横顔は一層暗く沈んで見える。一文字に結ばれた唇と鋭い眼差しは、私の知る翠のものではない。触れたら切り裂かれてしまいそうな鋭利な刃物を連想させる雰囲気を、彼はいつの間に身につけてしまったのだろうか。
肩を並べ曇り空を眺める。そして数日前まで関東地区の上空を覆っていた低気圧を想像し息を吐き出した。
「自宅前で濡れたタイルを踏み外して転倒。第一発見者の芹沢さんが来るまでの間、雨に打たれ……出血多量と脳挫傷が原因なんでしょ?」
「そう。あの日芹沢は、母さんに呼ばれて自宅にきた。そこで蒼褪めた死体と対面したらしい」
淡々とした口調に疑問が浮かぶ。本当に翠は母親の死を悼んでいるのだろうか? いや、それも愚問かもしれない。私がそうであるように、彼も母親を憎んでいたとしてもおかしくはないのだから。
「その用件っていうのが、ぼくらには内密に進められていた…メール・ヴィ学園への転入手続きの最終確認だったんだ」
「待って、それじゃあ生前から何か意図があって決められていたの?」
「だから妙なんだ。母さんは随分前に、会社を設立して軌道に乗り始めた頃。既に遺言を作成していた。未成年の場合メール・ヴィ学園を無事に卒業し成人した後に、すべての遺産を二人で均等に分配する。そしてもし成人後の場合、学園で最低一年を過ごした後に分配するって内容で」
そして私の目を見詰め確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「でもつい先月に、芹沢に命令がきた。すぐにでもぼくらを学園に転校させたいから手続きをしてくれってね」
「何故その学園に拘るのかしらね。ただの母校って訳じゃないの?」
「取り敢えずぼくらはそこにいかなきゃ遺産をもらえない訳だし。第一、未成年が働いて得られる額も高々知れている。琳子だって人並みの生活は送りたいだろ?」
外で私たちを呼ぶ声が聞こえる。いつの間にか出棺の時間が迫っていたようだ。
踵を返し蔵の戸口に向かう私に、翠は
「……行くしかないんだ」
と、冷めた口調で呟いていた。
無事に葬儀も終えた迎えた夜。私たちは芹沢さんと一緒に伯父夫婦と、今後の見通しについて遺言書の件も交えて話し合った。遺産目当ての伯父たちはしつこく養子縁組を申し立ててきたが、二人で頑なにそれを断わり続けた。
「ぼくらが成人するまで、芹沢さんに財産の管理をすべてお任せし彼女に後見人も務めて頂くつもりです」
翠の意見に相槌を打ち、眉間に深く皺を作る伯父夫婦を見上げはっきりとした態度を貫いた。付け入る隙を与えるとどこまでも強欲に食らいついてくる人種だということは、これまでの付き合いで嫌というほど学んでいる。
「申し出はありがたいですが、私たちは故人の意思を尊重します」
しかし相手方もなかなか引き下がろうとはせず差し入れにもらったと思しきお酒を飲みながら粘った。
「だけどね琳子ちゃんも翠くんも…子どもだけでそんな遠くにいくなんて」
喪服のズボンから反り出た巨大な腹が伯父の酒好きを語っているが、五十目前にしてなかなかの酒豪らしく、私が数えただけでも今日で三本は焼酎を空にしている。言動に不明瞭さはなく呂律もしっかりとしているのだから驚きだ。母もザルと言われる程度に酒に強かったから、きっと私も強いに違いないと密かに確信していた。
「そうよ。遺言状の心配があるなら、先に翠くんだけ転校して少し間を置いてから琳子ちゃんがいけばいいじゃなぁい?」
ふくよかな顔をさも善人みたく微笑ませ、夫人の方も尚もしつこく勧誘してくる。私だけでも手元に置いて何らかの形で財産を吸収しようというのが目的なのだろう。
「なぁ弁護士さんもそう思うでしょう? 結局は血の繋がりが一番なんだから」
私たちが少しも動じないとわかると今度は芹沢さんに矛先が向かった。
「ご存知の通りこの子たちは父親も違うし、それが誰だかわからない。私生児って非難する親戚もいるけど、わたしたち夫婦くらいですよ。むかしから妃紗子との関係を大切にしてきたのはねぇ」
伯父が勧める酒を断わり、芹沢さんは凛とした口調で言い放った。
「私としてはこんなに素晴らしい子どもたちの後見人になれて、とても誇らしい思いです。既に公的書類でその旨の了承も済んでおります。ですので、どうぞご心配なく」
そして私たちに向け最大の笑顔を見せた。
「今日は市内のホテルを取っておいたのでそちらで休みましょう」
その眼中に伯父夫婦の姿は入っていないらしく、彼らが恐ろしい形相で睨んでいるのに涼しげな顔をしていた。
「二人の寄宿舎に置かれている荷物も、学校側に頼んで直接向こうに送ってもらうから心配しなくてもいいわ。ただ実家にある家具等で、持っていきたいものがあれば明日中に用意しておいてね」
そして、あぁと呟き手元の茶封筒から数枚の書類と小切手を取り出すと
「本日の葬儀代です。それと会社名義で借用されていた金一千万の返済期限が既に切れていますので、後日改めて参ります。場合によっては法的方法も辞さないつもりですのでご了承下さい」
顔を真っ赤にして憤怒する二人に言い渡すと、颯爽と立ち上がり
「ホテルまで案内するわ」
と微笑んだ。
タクシーに乗って移動する途中、ずっと黙り込んでいた私はようやく口火を切った。
「…母は好き嫌いのはっきりした人でしたが、納得しました」
ガラスに映る自分の顔を見詰め助手席に座る芹沢さんに喋りかける。
「やり手の弁護士さんなんですね」
「そんなことないわよぉ」
それまでの態度を一変させ、豪快に笑うと身体を捻らせこちらに顔を向けて遜った。
「ただのがさつ女なんだから琳子ちゃん、真似しちゃ駄目よ」
そんな彼女に好感を持ったのかそれまで窓の外に集中していた翠も会話に加わった。
「これから五年間、琳子は六年間。お世話になります」
狭い座席で頭を下げたので私もそれに倣う。すると芹沢さんは今度は戸惑うように両手を顔の前で振って笑ってくれた。
「そんな…後見人って言っても大したことやる訳じゃないし、気楽にしてちょうだい」
通夜と葬式の二日の間に他意のない笑顔を久しぶりに拝め、無意識に強ばっていた身体が少しだけ楽になった気がした。
「それにしてもあまりに突然で驚いているでしょう? 私も妃紗子さんが何を考えていたのかまったくわかっていないのよ」
それまでの凛々しさが影をひそめ、語尾の方は弱々しく聞こえた。暗い車中に浮かび上がる後ろ姿がハンカチか何かで目頭を押さえる。
「母の…母校だと聞きましたが」
適当な間を置いて再び翠が切り出す。
「そう。私もそのくらいしか知らないの」
やや涙声だったがすぐに顔を上げると
「自分の母校を知ってもらいたいの一点張り。まぁ…妃紗子さんらしい、頑固さ? それに負けて何も聞き出せなかったっていうのが本当の所よ」
運転手に道先を指示する芹沢さんから目を逸らし窓を開け、懐かしい日本の空気を思いっきり吸い込んだ。そしてさっきからずっとガラス越しに感じる翠の冷めた眼差しから逃げるように、暗闇を巣食うオフィス街の明かりに意識を集中させる。
お母さんは本当に事故死だったのだろうか? 周到に用意された遺書も聞いたこともない国にある学園への突然の転校も、一本の糸で繋がっているように思えて仕方がなかった。
「……」
半分しか血の繋がらない兄と未知の世界へ旅立つ不安を抱え嘆息する私は、道行く人々の表情もまた暗く沈んでいることに気づいた。
この国の大人も……人形みたいな顔をしている。
ふいに母の訃報を聞いてからずっと、一度も涙を流していないな、と暗闇に咲き乱れるネオンの花を見ながら思い出した。
ミラー越しに見える二人の顔には大して疲労の色もないように思えたが、片親を亡くし天涯孤独になってしまった現実にまだ向き合えていないだけかもしれない。私はせめてもの気遣いと思ってそれ以上話しかけることをやめ、運転手に次の交差点を左折するように伝えた。
「芹沢さんは新社長の秘書になられるんですか?」
ふいに見ている方が戸惑ってしまいそうな程整った顔を向け、琳子ちゃんは口を開いた。母親の葬儀が終わったばかりだと言うのに、彼女もまた悲しさなど微塵も見せず大人びた態度を貫いていた。目力があってどことなく高級猫を連想させる雰囲気は妃紗子さんにそっくりね、と心の中でぼやいた。
「えぇ。今朝、株主総会で新社長の任命があったから明日からまた同じように働かなくちゃいけないのよ」
「新社長の灘垣さんとは面識がありませんけど、母が遺言書で指名したくらいだからきっと有能な方なんでしょうね」
その質問にはただ苦笑いを浮べるしかなかった。
「芹沢さん」
今度は翠くんから名前を呼ばれ、再び後ろの席に座る彼に向かって身体を捻らせた。
「なぁに?」
暗い車中だったが街灯に照らされ眼鏡の縁が鋭く光っていた。
「母はいつも自分宛の郵便物を、自分の手で管理していたんですか?」
『自分の手で』という所を強調して問う、彼の真摯な眼差しに素直に頷きながら私は何となく落ち着かないものを感じた。背筋に張ったこの感覚は、例えるのなら法廷で争う時の感覚によく似ていた。ちょっとした油断が破滅へ導く。そんな修羅場のような空気。そう。それは初めて妃紗子さんに出会った時に感じた印象とまったく同じだった。
まだ三十前半だった私は独立し個人事務所を構えることも考えていた。けれどプライベートでの失恋やストレスなどでなかなかそのチャンスを見出せず、ずるずるとタイムカードを押す生活を送っていた。
いつかきっと大きくなってやりたい。倦怠的な日常を我慢して、『いつか』『そのうち』と、自分自身を励ますだけで具体的なことは何一つ手をつけられない状態が続いていたある日。後輩が抱える仕事に彼女の名前が載っていた。妻帯者との不倫がばれ、その正妻に慰謝料を請求されていたのだ。
その時、軽い好奇心が芽生えた。こんなにも綺麗で理知的な女性がどうして、原告の夫であるたいして風采も上がらない男性と恋に落ちたのだろうと、失恋の痛手を癒したいが為に他人の恋路に口出ししたくなった。
後輩と一緒に妃紗子さんの元へ伺いその女王のような品格にただただ圧倒された。自分には非はまったくなく、既婚者と知ったのはつい最近のことでそれを知る前に既に二人の仲は終わっていたのだと言葉巧みに二人を丸め込み、訴訟の取り下げを求めてきた。また会社が軌道に乗り始めたばかりで、二人の幼い子どもの糊口をしのがなければいけない。金銭の援助を盾に掲げ声をかけてきた原告人の夫こそ罰せられるべきだと、原告の夫人をも説得させ多額の慰謝料を奪取したのだった。
その事件がきっかけで、次第にその魅力に惹かれるようになった。柔軟な発想で次々と思いも寄らない商品をヒットさせていき、パソコンのキーを叩くその指で信じられないような大金を動かすようになっていく様子を、友人の座まで登り詰めた私はただ頼もしい思いで眺めていた。
同じ独身の女性が、ただ奮然と世界へ向かって羽ばたいていく姿は激しい憧憬を呼び起こした。後に会社が完全に軌道に乗ると、彼女から引き抜きの話を持ちかけてきた。生涯のパートナーさえ作らなかった彼女が
「貴方となら、ずっといい仕事ができると思うのよ」
と、極上の笑顔を向けてくれた。部下がどれだけ大きな仕事をまとめてきたとしても、きっとあの時以上の笑顔を見せなかっただろう。それが崩れかけていた私の誇りを建て直してくれた。
繁華街を抜けタクシーは小さなビジネスホテルへ向かっていく。ネオンの輝く街を潤んだ瞳で眺めながら、込み上げてくる悲しみを抑えた。
私は妃紗子さんに強い憧憬の念を抱いていた。自立した美しい女性に己の夢を託したのだ。そして今、彼女の最後の願いを届けようとしている。二人を無事に母校へ転校させ、再び日本の土を踏む時まで、手となり足となり二人を見届けようと強く心に決めて。
芹沢さんが取ってくれたのは然程大きくもない、一般的なビジネスホテルだったがそれが逆にありがたかった。日本に戻ってからずっと金、金、金…の話しばかりで神経が磨り減っていたので、金銭感覚がシビアになっていたのかもしれない。
フロントでキーを受け取ると、ロビーで待っていた私たちにそれぞれのキーを渡し
「昼の一時頃に迎えにくるわ。昼食はそれまでに済ませておいてね。それから実家の簡単な整理をして、明後日の朝一の飛行機で向かうから」
「ここからなら電車を乗り継いでいけます。いくら後見人といっても、そこまで面倒を見てもらう訳には」
辞退する翠の科白を途中で遮り、芹沢さんは人差し指を振って見せた。
「人の好意は素直に受け取るべきよ。それに貴方たちが向こうで勉強する間、あの家は私が管理しなくちゃいけないから仕事の範囲内なの」
そしてこちらが反論する隙を与えず腕時計を確認すると
「さぁ今日は疲れたでしょ? あの家でゆっくりと眠れたとは思えないわ。明日に備えてお休みなさい」
と部屋へ促がした。
「あぁ、そうだ。昼食は出ないから近くのファミレスに行ってちょうだい」
自動ドア越しに見える深夜営業のファミリーレストランの看板を指差し答えた。
「それじゃぁね」
爽やかな笑顔を浮かべ去っていく後ろ姿は同性の私から見ても心惹かれるものがあった。年の割には肌のシミは少なく、艶やかな頬をしていた。短く切り揃えた髪は清潔感が漂い、見る者に好印象を与える人だった。
「……印象がすべてだと思うなよ」
短く、釘を刺す翠。心を見透かされた気がして気分が悪かった。振り返りエレベーターへ向かって歩き出す彼の後を追って小走りになる。
ボタンを押しリフトが一階へ降りてくるのを待つ間、どちらともなく口を閉ざしていた。
「犯人がいるとしたら…利益だけが目的じゃないかもしれない」
密室に入り他人の目がなくなった瞬間、私たちは同時によそいき用の被り物を脱ぎ去った。
「その意見には賛成だな。だけどまだ否定しきれない可能性が沢山ある」
液晶画面の点滅する数字を見上げながら、私は翠と共通の思いを抱いていることを確認し合った。
「……どうして、泣かなかったの?」
ふいに昨日から続く一連の儀式を回想し、彼もまた涙を流さなかったと思った。
数字がどんどん上がってゆく。私たちの宿泊する七階が点滅するその瞬間、沈黙していた翠が口を開いた。
「泣けなかったからさ」
唖然とする私を一瞥し翠はエレベータ―から先に出ていった。目の前で閉まりそうになる扉の隙間を慌ててすり抜けた。
短いその一言に、彼もまた、未だに母を憎んでいるのだと気づかされた。こうして離れていた間に私と翠の距離は一層広がっていた。異父兄妹だと知ったあの日、その事実と向き合えず逃げ出すことを選んだ私たち。あれから翠は遠い地で何を考えて、どんな答えを出したの? 私はまだ見つからない。わからない。ずっと悩んでいるのに…何も、閃かない。
「琳子」
名前を呼ばれ顔を上げる。いつの間にか部屋の前に到着し、既に翠はドアを開いて中に入っていた。その半開きにしたドアの隙間から向けられる眼差しに幾ばくかの気遣いを感じる。会話の糸口を探すようにしばし翠は沈黙すると、再びドアを大きく開き私に話しかけた。
「イギリスの話し…聞かせてよ」
彼が久しぶりに見せた私に対する微かな優しさを感じ、溜めていた涙を隠し俯いたまま頷いた。
二人を送った後、私そのままタクシーを使ってマンションの手前で降りた。そして自動販売機で煙草を買って家へ戻った。
最上階まで上りカードキーで黒塗りのドアを開けると殺風景なリビングが視界に入る。フローリングの上に散らかっていたストッキングとカラーシャツを拾い上げ、洗濯機に放り込む。他人の目がないとつい気を抜いてしまう癖はむかしから直らない。ついでに顔を洗って化粧を落とした。
「…ふぅ」
ようやく肩の力を抜くも、鏡に映る自分の顔に気づくなり睨めっこを始めた。三十を境に肌の張りが日に日に失われていくのがよくわかる。今の肌は砂漠のようだ。どんなに潤いを求めても、それは生涯満たされることなく歳を食うごとに欲求する量も増えていく。同年代の仲間内でもまだシミは少ない方だと自負していたが、琳子ちゃんの透け通るような白い肌を目の当たりにして年甲斐になくわずかな嫉妬を感じていた。
心なしか普段より多めに化粧水を叩きつける。妃紗子さんの娘だけあって琳子ちゃんは羨むくらい綺麗になっていた。前に会った時はまだ小学生だったが、既に完成された顔だちをしていた。しかし三年という短い歳月で彼女はランドセルを背負っていた頃にはなかった、人を惹きつける魅力を身につけた。あの酒豪の伯父でさえ視線はずっと絶えず琳子ちゃんへ向けられていたので、隣りで夫人が鬼の形相をしていたくらいだ。
あの子は良くも悪くも周囲の関心を集めてしまう。それ故にあの家族は一度、絶望の淵まで追いやられたことを思い出し頭を振って気分を紛らわせた。
それからマッサージをしてから洗面所を出る。今朝と何ら変わりのない部屋の大きな窓から暗闇に浮かぶネオンが宝石のように輝いていた。上着を脱ぎソファにかけると買ってきた煙草を持ってベランダへ出た。まだ夏も終えたばかり。日中に暖められたビルの谷間風が、微妙な温度を乗せて駆けていく。
紫煙が暗闇に溶けていくさまを見ながら葬儀を回想した。祖父の代から譲り受けたという厳格な日本家屋であの自由奔放に我が道を突き進んだ妃紗子さんは生まれたと思うと不思議な気分だ。
煙を吸い込み肺の中に溜めるとゆっくりと吐き出す。ベランダの手摺りに腕を垂らし、分厚い雲が覆う空を見上げた。
今日は月も星も出ていない。
「……」
あまり自分自身について語らなかった妃紗子さんがただ一度、二人の子どもの父親に言及したことがあった。春光の温かい日差しに包まれた教会での会話だった。株主の娘が結婚をするというので挨拶に伺った帰り道、天気がよかったので歩いていた。そして桜街道を進むうちにふいに見つけた教会に、どちらともなく誘われるようにして入っていった。
石畳の小さいがとても可愛らしい教会だった。
「理想に向かって歩く二人の人間が、恋に落ちて、互いの目標が違うって気づくまでに…どのくらいの時間を無駄にするのかしらね」
それは常に背筋を正しきびきびと行動をしていた彼女からは到底想像できない、憂いに満ちていた。
白い肌の上に小さな桜の花弁が影を落とし舞い落ちていく姿は、まるで映画のワンシーンのようで思わず私はその横顔にしばし見惚れてしまった。
「…お子さんのお父さんですか?」
彼女の子どもが異父兄妹であることは社内では周知の事実だった。何気ない軽い気持ちで口にしたその質問に、恐らく妃紗子さんもぽろりと漏らしてしまったのだろう。
「翠の父親も、琳子の父親も…自分の夢ばっかり追う、ろくでない男よ」
思えば彼女が後にも先にも父親について語ったのは、あれが最初で最後となった。
しばらく夢想に暮れていると手元で煙草が根元まで燃えていたので慌てて部屋に戻り、テーブルの上にある灰皿に押しつける。俯いた途端ずっと耐えていた感情が緩み、涙腺が熱くなった。
―――もう…会えないんだわ……
恐らく私が生涯で唯一、尊敬した女性だった。強くて怯むことのない信念を携えた彼女は憧れだった。もしもあの日十分でも早く自宅に訪れていたら。冷たい雨に晒され、彼女は死ぬこともなかっただろう。そして幼い二人のたった一人の母親を奪う結果にはならなかったはずだった。
「うっ……うぅぅ…つっううぅぅ」
ソファに深く顔を押しつけると、私は声が嗄れるまで涙を流した。
ベッドと化粧台だけが置かれた六畳ほどの小さな部屋。着の身着のままに近い状態でやってきたけど、備えつけの安っぽいパジャマがあったので一夜は過ごせそうだ。
シャワーを浴び二日間着続けて、すっかり身体に馴染んでしまった喪服をハンガーにかける。ずっとアイロンをかけていなかったけど大して動いてもいないので皺も少なかった。それから化粧台の前に腰を下ろし長い髪の毛をタオルで乾かした。鏡に映る自分の顔は昨日より血色がいい。化粧水をつけるついでにそっと目の下の隈を押さえて近づいてみる。茶色い瞳が二、三度瞬きを繰り返した。
お母さんや翠と比べて私の瞳は少し色素が薄い。この髪の毛も今は水を含んで黒いが、日に当たれば薄い茶色というより小麦色に見える。
私のお父さんは…日本人なのかしら?
いつからか漠然と感じ始めた疑問。でも母や翠の顔を見るたびに、自分に外国の血が混じっているだなんて嘘でも思ってはいけないような気がした。私はお母さんの子ども。お兄ちゃんの妹。何も問題ない。遠く離れていても、それは変わりないと信じていた。
短いノックと同時にドアが開く。
鏡に映る眼鏡を外した翠はいつもと違う顔に見えた。記憶に残る面影にはないものが宿っている気がして、見知らぬ他人を前にしたような錯覚に私は無意識に身体を強ばらせ身構えるように振り向いた。
「学園の場所の見当がついた」
鋭い目を細め丸めた地図を掲げる翠。その口元に笑顔が浮かべられた頃を思い出そうとしたけれど、頭に靄がかかたったように記憶が途絶えた。
「…どこなの? 北欧の方?」
軽い頭痛を感じたが私は膝の上で結んでいた拳を解き立ち上がった。
私たちは同志であり、兄妹であり…裏切りを恐れている仲間なのだと。だけどそれでも演じなければ前へ進めない。進めないから演じよう。兄を慕い、尊敬し時に怒らせ、それでも離れずその後をついて回る、誰もが思い描く理想の妹役を。
「ここの山地の辺りだ。人口もそうとう」
翠をベッドに座らせ向かい合うように椅子を寄せると、二人で小さな世界地図を覗き込んだ。
「…ねぇ」
彼の説明を聞きながら私は不意に思いついたまったく別の質問を投げかけた。
「明日、何を持っていくのか考えた?」
一瞬の間を置いて翠はすぐに私から視線を逸らした。
「別に、何もないだろ」
その冷めた対応にとりつくしまもなく、私はしばし口を閉ざした。地図の上に指を走らせる翠を見詰め、また心の奥でどす黒い感情が蠢くのを感じる。一人で平気だと割りきったつもりが、過去と区切りをつけられずに悩んでいる私。子どものように起伏する感情に負けて、素直に泣けたらどんなに楽になれるだろう。いつまでも翠の後を追っていたあの頃の自分が懐かしくて、何も知らずにいれた幸福の絶頂があったからこそ、現状との落差にこうして母を憎んでいるのだと思った。
「…おにぃ」
顔を上げ腹の底に力を込めて呼んでみた。その次の瞬間。肩から膝に向かって垂れていた髪の毛を掴み、翠は血の凍るような表情で
「甘えるな」
と私の願いを冷たく切り捨てた。
「言っただろ? ぼくもきみも、所詮は他人。便宜上、仕方なく兄妹と名乗っているだけだ」
握り締められた一房がピンと糸を張る。その瞳の奥に揺らぎのない憎悪を見つけた途端、膨らみかけていた感情は跡形もなく消えてしまった。
「私が……お母さんよりも、憎いのね」
何も答えず翠は手を離した。そのうち何本かが抜けて彼の指に絡まっていた。
「遺産の為に…本当の父親を探す為に、今、こうして手を組んでいるだけなんでしょう」
力を込めなければ途切れてしまいそうなほど、弱々しい声になった。それでも最後まで呟くとやや短い沈黙を置いて
「わかってるじゃないか」
と、飾ることもなく彼は断言した。
翌日ファミレスで昼食を取り、私たちはホテルの前の植え込みに座り芹沢さんを待った。
平日の昼下がり、ランチの為に会社から出てきたOLやサラリーマンの姿が目立つ。中には小さな子どもの手を引く女性もいた。
しゃがみ込んでようやく同じ目線の高さになる子どもたち。とても小さくて、どれも手足が丸く太っていて針で刺したら一瞬で弾けてしまいそうだ。お母さんの傍にいれば大丈夫。そんな心許ない安心感に身を委ね、決して裏切ることのない愛情を当たり前のように教授し小さな身体でまとわりつく。
きっと私…子どもが嫌いなんだわ。
自分と同じ目の高さもない小さな子どもが嫌いだった。うっかりして踏み潰してしまいそうな、小さな小さな生きもの。愛されるのが当たり前だって思うその気持ちが、憎たらしいのかもしれない。
ふいにずっと本を読んでいた翠が立ち上がったので、つられて視線を向けた。道路の端から黒色のスポーツカーがホテルを目指して走ってくる。運転席に座る女性の顔を確認し私も腰を上げる。
ブレーキを踏んで車道脇に止まると運転席の窓を開けて
「おはよう。よく眠れた?」
昨日とは違うお洒落なスーツ姿に合わせた眼鏡を動かし、爽やかな笑顔を向けてくれた。
「お蔭さまでゆっくりとできました」
大人受けのする営業スマイルで翠が答える。私も隣で笑顔を添えた。
芹沢さんは唇の端を大きく上げて微笑むと早速乗り込むように促がした。車中は驚くほど綺麗で、新品同様の美しさを保っていた。座席には埃一つないので逆に座るのが躊躇われ、目的地に着くまでずっと背筋を正したままだった。
芹沢さんの運転は想像以上にうまく助手席に座る翠との会話も弾んでいた。窓側に座った私も時折その会話に参加したものの、久しぶりに見る兄の上っ面の笑顔に慣れなくてほとんど窓の外ばかり見ていた。
「ここらへんもだいぶ変わっちゃったでしょう?」
懐かしい町並みが広がり始めた頃、ミラー越しに話しかけられた。
「確か…小学校卒業してすぐにイギリスにいったのよね? 向こうの生活はどう? 私、イギリスっていったらくまのプーさんくらいしか思いつかないのよね」
「まだまだ…やっと慣れ始めたばかりです」
「留学先ってロンドン? カンタベリー?」
「テムズ河の近くです」
「へぇ…テムズ河っていったら……リリィートン校だったかしら?」
「はい。ゴシック様式の礼拝堂がとても綺麗で、ガイドブックにも載っているから観光客もきますよ」
「あらぁ、いいわねぇ。私もイギリスに行きたいなぁ。それにリリィートン校ならイギリス屈指のエリート校じゃない」
さすが妃紗子さんの娘ねぇと呟く声が聞こえたが、一縷でも期待した父親の名前は出てこなかった。さすがに彼女でも知り得ていないのだろう。
「そうそう。メール・ヴィについて私なりに調べたんだけど」
再びルームミラーで車中を確認すると芹沢さんは睫を上下させ続けた。
「日本にある学園の姉妹校で、理事長と学園長が日本人なのよ。だから日本人学生が多くて基本的に日本語が通じるそうだけど……琳子ちゃんはともかく、翠くんも英語は喋れるかしら?」
「日常会話程度なら大丈夫だと思います」
笑顔を添えて答える。謙遜しているが彼の方が私より英語力に優れていた。
「昨日ぼくらもホテルのネットで調べたけど、まったくわからなかったんですよ。最近にしては珍しく情報を公開していない学校なんですね」
それは皮肉でもなく純粋に感嘆の声に聞こえた。むかしから翠が大人に好かれる背景にはこうした演技力が大きく影響しているのだ。
「そうなのよねぇ。結構マイナーな所かと思いきや、妃紗子さんの話じゃあそうでもないみたい」
私と翠が同時にその話題に興味を示したその時、
「あぁ、やっと見えてきた」
車は白い壁を蔦が覆う小さな洋風の建物の前で車を止まった。車庫がないので私たちを一旦下ろし運転席から身を乗り出した。
「私の携帯番号を教えておくから、終わったら連絡くれる?」
困ったことに私も翠も携帯電話を持っていなかったので、時間を決めて待ち合わせることになった。
「三時なんて…短すぎない?」
腕時計と私たちを交互に見比べながら、芹沢さんは眉間に皺を寄せて訊ねてきた。
「大して片づける必要もないんで」
大方の荷物はそれぞれが留学する際に処分してしまったのだ。むしろ今回は母の遺品整理が大きな目的だ。すると念の為といって携帯番号を記したメモ用紙を渡し、再び車を走らせた。
第三者が消えた途端、私と翠の間に流れる空気も一変する。どこかピリピリと痛くて、それでも寄り添う相手は互いしかいないのだと、仕方なく手を組んでいるような居心地の悪さ。昨夜の会話が尾を引いている所為もあったが、そんな空気から逃れるように私は家に駆け込み二階の自室から簡単な整理を始めた。
特に持って行くものはないけどお気に入りの文庫や詩集は、何冊か手元に集めて用意した。小さな鞄にそれらを詰め込むともう必要なものはなくなってしまった。元々大して入らない鞄だけど、余計な荷物を作らない為にはちょうどよかった。チャックを閉めて立ち上がると大きく伸びをする。埃っぽいけど、外から入ってくる風が心地よい。今日は昨日と比べて天気がいい。けれど薄い雲が全体を覆い、太陽が見えないのに変に眩しく感じられる。
出窓から身を乗り出し眼下に広がる小さな庭を見下ろした。誰もガーデニングの趣味はないのだが、私がよく学校から授業で余った朝顔やひまわりの種をもらってきていたので常に花と雑草だけは溢れていた。今は紫式部とコスモス、ワレモコウが咲き乱れ秋らしい落ち着いた色彩が草の間を埋めるように点在している。
玄関から庭まで歩いて三、四歩の手狭な道。黒い鉄のアーチを抜けると、煉瓦を模したタイル張りの階段が道路まで続いている。翠が小学生の時に作った木彫りの表札がずっと門にかけられていた。
警察の実況検分は既に終わり血痕もすべて洗い流されてしまった今、この家の入り口で母が死んだのだとどうしても実感が湧かず、こうして私たちが家に戻っているのを知りながら会社で書類と睨めっこをしているのではないかと想像してしまう。
三人で暮らすには十分な小さな白い家。私も翠も物心が着く頃には既にここで暮らしていて、その時にはまだ健在だった祖父母がよくケーキ等を持って遊びにきてくれたのを覚えている。
私が小学校へ上がる頃には会社も軌道に乗り始め、母はよく家を空けるようになった。心配した祖父母は毎日のようにきてくれた。大型台風が接近し家には翠しかいなかった夜。風の唸り声と雷鳴に怯えながら二人で晩ご飯を食べていた時、突然電気が切れパニックに陥ったことがあった。
「落ち着いて、琳子。落ち着いて!」
泣き喚く私を宥め、翠は玄関先に備えていた懐中電灯を取りに駆け出した。傍らの闇が一層濃さを増したような気がして、私は更に怖くなって泣き叫んだ。窓を叩く枝の音が私を外に連れ出そうとしているようで、鋭く光る雷は離れた翠を二つに切り裂こうとしているようで、すべてが怖かった。
耳を塞ぎ顔から出る液体をすべて流しながら必死に兄と母の名前を連呼する。雷が落ちた音が響くと同時に、ふいに誰かが優しく肩を叩いてくれた気がして振り返った。何も見えないけどそこには確かに人の気配がする。しかし不思議と恐怖はなかった。まるでずっと前から私たちを見守ってくれているような温かな雰囲気に、怯えていた心が冷静さを取り戻した。
驚くことに私は翠が電気を持ってくるまでの間、ずっと床の上で大人しく座っていた。
その翌日に出勤してきたお手伝いさんが、台所と階段で倒れている祖父母を発見し死亡が確認された。祖父は階段を踏み外し、元々心臓が弱かった祖母は薬を飲み忘れ、もしくは雷かもしくは祖父の悲鳴に驚いた所為で心肺停止に陥ったからと聞かされた。しかも二人の死亡推定時刻は、ちょうど私たちの地区が停電になった時と重なっていたらしい。
ガタッ
心臓が大きく飛び跳ねる。壁の向こうから何かを動かす音が響いた。隣は母の書斎兼寝室だ。まさか、そんなはず…不安に似た恐怖が膨らみ、逸る思いを抑えてそっと部屋を出た。
ドアが半開きになって帯状の光が廊下に反射していた。誰かが部屋にいるのは確かだ。しばらく物を動かす音に耳を傾けると、意を決しドアに手をかけた。
「……翠?」
力んでいた分、彼の後ろ姿を目に下途端我ながら情けない声が出てしまった。翠も私に気づくと首だけをこちらに向けてきた。
「自分の部屋はもう済んだのか?」
「えぇ…」
よく考えたらこの家に、彼と私以外の誰がいるというのだろう。少しでも夢想を膨らましていた自分が急に恥ずかしくなった。
「何をしているの?」
私に背を向けたまま、書棚から出した本を一冊ずつ確認する様子を眺めながら聞いてみた。その脇には何枚かの写真が置かれている。
そのうちの一枚を手に取り眺める私に
「写真を少し持っていこうと思ってね」
と、呟いた。
ふぅんと返事をしながら、何も持っていかないと昨日までは断言していた彼が、どうして急に意見を翻したのだろうと疑問に思った。
「手掛かりになるかもしれないだろ」
彼の鋭さにはもうお手上げだ。仕方なく私も包み隠さず本音を伝えた。
「まさか父親を探すつもりなの?」
「まぁね。一つだけはっきりしていることがあるからさ」
と言って、翠は一枚の写真を寄越した。
白と金色を基調にした豪華な教会を背景に、ウェディングドレスを着た若い母がこちらに向かってピースをしている。友人か誰かが撮ったであろう結婚式の写真だった。
「戸籍謄本でも見ればわかるかと思ったけど…籍は二回とも入れていなかったらしい」
もう一度写真を観察してみる。何故彼がこれを見て手がかりになると思ったのだろう。端に映された青い空に色とりどりの風船が飛んでいる。石造りの教会も一見して華美だが、よく見ればそれなりに年季が入っているらしく所どころ罅が走り蔦も派手に広がっていた。
ふとした疑問が生まれる。海外事業も展開する生前の母ならそれは大して不思議でもなんでもなかったが、これはまだ会社を立ち上げる以前のものだ。そうだとするならば疑問は更に膨らんでいく。
何故…外国人が多いの? 新郎の友人だろうか? しかし顔を寄せ合い肩を抱く黒人女性と母の姿は、どう見ても長年の付き合いから感じる気兼ねのなさが漂っていた。
翠の視線を感じて顔を上げる。その瞬間、一つの発想が過ぎった。
「二人は…メール・ヴィ学園の同級生だった。だから大勢外国人が混じっているのかしら?」
「そう…」
アルバムから写真を抜き取るのをやめると、身を乗り出して写真の隅で人込みに紛れて誰かと向き合う燕尾服姿の初老の紳士を指差した。
「この男が華房勲。学園長だよ」
「ということは……学園にいけば、何かわかるかもしれないのね…」
思いがけない証拠に私は期待を込めずにいられなかった。
「更にもう一点挙げておくなら、その華房と喋っている相手がきっと新郎だな。指輪のデザインも同じだ」
左腕を頭に乗せる男性の姿を確認する。腕が邪魔になって顔は見えないが、頭上でキラリと光る指輪は母が写真に向かって見せる左薬指のものと同じように思えた。
私たちが生まれる前の写真が残っていること自体が珍しいのだが、きっとこの一枚で父親を探せるとは思わなかったのだろう。母が何を考えて過去を消去しようとしたのか…彼女については謎ばかりが残る。
翠の観察眼に感嘆しながら、改めて笑顔でこちらに向かってポーズを決める母を見た。和風美人といえば誰もが思い描きそうなアジア系の整った顔立ち。癖のない真っ直ぐの髪を結い上げ、色白の顔に清楚な化粧を施して純白のドレスに身を包んでいるが、実際は外見のイメージとはまったく異なる性格の持ち主だった。
むかしから男女問わず気に入った人間をよく家に連れ込み、時には妻帯者と付き合い相手夫婦の仲を引き裂いた魔性を併せ持っていた。しかし決断力と行動力には優れ、カリスマ性のある彼女を慕う人は大勢いた。けれどその下に集まる人間の大半が、いつ何時彼女の気紛れで切り捨てられるかわからない恐怖に怯えていた。
その的確な判断力で容赦なく社員を解雇し、裏切りも脅しも平然とやってのけた人だ。幼い頃はそんな母を頼もしく思っていたけれど今は……
「琳子?」
いつの間にかぼんやりとしていた私に心配するように声をかけてきた。写真を取り上げ、怪訝そうに眉根を寄せる翠に向かって頬を緩めて見せる。
「少しだけ…新しい学校に興味が湧いてきたわ」
一瞬面食らったような顔したが、翠もふっと笑みを浮かべた。
空港へ見送りにきてくれたのはやはり芹沢さんだけだった。それでも新社長の下で働く彼女も多忙を極めており、分刻みに時間を確認して落ち着かない様子だ。
機内で食べるようにとお菓子やケーキをお土産にくれ、その心遣いに感謝した。
航空切符を手渡すと名残惜しそうに眉を寄せた。
「もっとゆっくりしていたかったけど…。何かあればすぐに国際電話でもいいから相談してちょうだい」
「ありがとうございます。でも母の母校で学べるので、結構楽しみにしているんですよ」
翠と並んで笑顔を浮かべると、ふいに芹沢さんは目元を赤く染めた。
「本当に…貴方たちみたいに大人以上にしっかりした子、初めてだわ。うん。しっかりしてる」
まるで自分自身に言い聞かせるように繰り返す。
「新しい学校もきっと二人に合うはずよ。二人とも妃紗子さんによく似ているし、友だちもいっぱいできるわ」
褒賞としてかけた言葉だったのだろうけど、私にとってそれは嫌味でしかなかった。けれど親切な彼女に感謝を込めた眼差しを向けると
「一生懸命、頑張ります」
「うん。琳子ちゃんなら大丈夫ね」
そして手続きが開始し、待っていた人々が列を成し始めたので彼女は手を振って私たちを見送ってくれた。
ロビーから機体が滑走路へ移動し加速していくさまを眺めていた。
二人を無事見送りこれで彼女に与えられた最後の指令が終わる。数日前、前社長である妃紗子から突然手渡された遺書。どんな時も変わらない、挫折知らずのあの笑顔を添えて彼女はこう言ったのだ。
『私にもしものことがあれば』
「この指示に従って行動しなさい、かっ」
今までも彼女の指示に背かなければどんな問題もうまく進んだ。海外マーケティングを広げる際も、並みいる強敵を押し分け最終的に社長の意志を尊重したグループが勝利を手にした。
度重なる幸運に私だけではなく他の社員たちは、彼女を恐れた。恐れると同時にその絶大な権力と、その庇護下に立つ己の立場に酔い痴れていた。どんな荒波でも彼女が舵をきる限り、絶対に溺れることはないと次第に過信するようになった。
けれど、と彼女の死後になってから疑問を抱くようになった。何故、妃紗子さんはワンマンを貫いたのだろうかという疑問が浮かぶ。遥か下層に並ぶ小さな子会社に至るまで、すべての情報を常に手元に集め、一切の事業を独断で推し進めていた。戸棚にある茶碗の柄まで知っていないと落ち着かないような人だった。そんな体制でいつまでも会社を維持できると思っていたのかしら。
事実、株主総会の新社長に対する反発はこれからも大きくなるのは火を見るより明らかだ。労働者の権利を主張して内部分裂が起きるだろう。独裁政権が崩れた時の混沌を彼女が予測できなかった訳がない。むしろ彼を指名したことでその結末を望んでいたのではないか、とさえ思えた。二人には黙っていたが、妃紗子さんは自殺ではないかと警察が疑っていた。周到に用意されていた遺言書や後継者の指名など、予め死期を予測していたと警察は考えていたそうだ。しかし有力な証拠もなく、最終的には事故死として片づけられたが彼女の保険金の一部が、二人がこれから向かうメール・ヴィ学園に寄付されていた点については私自身も疑問を感じていた。
『あの学園で学んで欲しいのよ。あそこだから見えるものが沢山あるから』
そう言って一点を見詰めた妃紗子さんの横顔は、初めて見る母親の顔をしていた。
ガラスの向こうで飛行機の車輪が大地を離れ、巨大な機体は鳥となって青空に羽ばたいていった。
「………」
新社長の冴えない顔を思い出し、私は今日で何十回目かの溜息を吐いた。
シートベルト装着のサインが消えると自然と周囲の雰囲気も和んだ。立ち上がりざわめき始める乗客に、客室乗務員たちは飲み物を配り始めた。
ちょうど窓側の席で徐々に小さく凝縮されていく地上の風景を眺める私に、翠が声をかけてきた。
「何か飲む?」
振り向くと人形のように可愛らしい顔をした金髪の乗務員が、ジュースを何種類か並べて待っていた。
「……トマトジュース」
一番に目に止まった赤いパッケージを呟くと、笑顔でコップに注いでくれた。
「ジュースってよりスープに近い感覚なのかしらね」
コップと一緒に渡された塩を眺め、ぽつりと漏らす。その手にはオレンジジュースが入ったコップが握られていた。そういえば翠は昔から果物が好きでジュースも、よく果汁百パーセントのものを飲んでいた。好き嫌いのない彼だったが、たった一つだけ苦手なものがあった。
「翠は今もトマト嫌いなの?」
「好きではない。だけど食べられる」
「へぇ…むかしは嫌いだったのに。ハヤシライスだって残してたじゃない」
「好き嫌いなんて言ってらんないよ。向こうの料理も最初は味に慣れなかったけど、それしか食べられないなら慣れるしかないだろ」
悟りを開いた修行僧のような淡々とした口調。膝の上に読みかけらしき分厚い英字文庫を開き、視線を落とす横顔を見詰め半ば独り言のように漏らした。
「……変わったわね。三年ぶりだから当たり前かもしれないけれど、翠は変わった」
「『脱皮しない蛇は滅びる』。ニーチェの言葉だよ」
と呟き、再び本に集中した。
さり気なく話題を取り下げられ、私は手持ち無沙汰に窓の外を眺めることにした。
飛行機を乗り換え名前も知らない空港で降りる。列車をいくつも乗り継いで青い草原の広がる大陸を横断すると、そこはもう私たちの知らない世界が広がっていた。
聞いたこともない小さな国の自治区にある学園。
白い息を吐き出しながら二日間乗っていた赤い蒸気機関車を降りて周りの景色を見渡す。時差も入れて約二十四時間ぶりに大地を踏んだ。まだ冬の始まりのはずが、穏やかな丘や山並みに粉砂糖のように雪がかかっていて、霜が広がる地表は歩くたびに小気味のいい音を立てた。
他に降りる者のいないひっそりとした駅。白髭をたくわえた車掌に切符を渡し、バス停の位置を聞くと列車は走り出してしまった。汽笛が遠くなっていくのを聞きながら、何となく取り残されたような寂しさを覚える。駅の周りをなだらかな丘が囲い、見たこともない木々が枝を伸ばしている。自然の豊かな場所らしく濃緑の上から乳白色の霧が薄いヴェールを被せているように見えた。
トランクから毛糸のカーディガンとマフラーを取り出す。赤く冷えきった手に息を吐きかけ現在の気温について考えた。
「迎えがくるはずだけど…バスが出ていたらそれでいこう」
翠は空港で時間を合わせた腕時計を眺め寒そうに両手を擦り合わせた。
「ネットで情報公開しないはずだよ。こんな辺鄙な所にわざわざくる奴はそうそういないさ」
悪態をついているものの、電線が区切る都会の空とは違ってどこまでも続く灰色がかった世界を見上げるその顔は活き活きとしていた。
駅を出る前にもう一度ホームの方を振り返る。
「どうした?」
翠も立ち止まり私の視線の先を追う。もう豆粒くらいになった赤い列車が最後に長い汽笛を上げ丘のトンネルに消えていった。
「カメラでも持ってくれば撮れたのにって思ったの」
同じく列車を眺めていた翠に向かって肩を竦める。すると翠は遠く去っていく列車を見詰め呟いた。
「感覚で捉えるからなぁ…」
無意識に紡いだ彼の言葉に無性に懐かしさを感じてしまい、私は目を見張った。
「どちらかといえば琳子は、頭で考えるよりも直感や感覚で捉えていく方だろ? だから感性を磨くことが琳子にとって大切なんだろうな」
優しげに目を細めると、翠は軽く私の頭を叩いて歩き出した。触れられた所が急に熱を帯びたような気がして、それでも信じられず彼の背中を凝視する。一瞬だけ、むかしの二人に戻れたような気がして胸が苦しくなった。
「迎えがきたみたいだ」
舗装されていない道を二つのライトがこちらへ向かってくる。霧が濃くて車体が判別しずらかったが、目の前に止まるとそれがローバーミニのケンジントンという種類のものだとわかった。免許もないくせに母はこの車の赤色をとても気に入っていた。部屋には模型まで飾っていたくらいだ。その所為でローバーミニの車名だけはしっかりと覚えている。
霧から浮かび上がる鮮明な赤い車体から長身の男性が降りてきた。茶色い癖毛で隠れた色素の薄い瞳で私たちを交互に眺める。しかし窪んだ瞳に不躾さはなく、品のよい目尻の皺を刻み
「由良川翠さんと琳子さんですね?」
こんな所で綺麗な標準語を、しかも外国人から聞かされるとは思いも寄らなかった。
「メール・ヴィ学園の方でしょうか?」
一歩進み出て翠が英語で問いかける。四十目前くらいだろうか。終始穏やかな笑みを絶やさず、顎を引いてそれを肯定する。スーツの上に羽織った黒いマントの胸に学園の紋章が刺繍されていた。
「学園長秘書を務めますジャック・イシハラです。お二人をお迎えに上がりました」
ハーフなのかと驚いた。一見して日本人の血が混じっているようには見えないが、温かみを感じる口調に警戒心は和らいだ。
後部座席のドアを開けると手で入るように促がされた。翠の背中が動こうとしたが、ふっと立ちどまると「レディ・ファーストだ」と言って場所を空けた。
何だかイギリスへ戻ったような錯覚を覚えながら、すっかり冷えてしまった身体を温かな車中へ預けた。ほのかな薔薇の香りが染みついていて、個人の所有物だとするならばジャックの趣味のよさが伺えた。
翠と車の荷室にトランクを運ぶとすぐに運転席に戻り、霧で判別しづらい周囲に気をつけながら走り出した。
「早々にお二人にお願いしたいことがあります」
走っている間まったく対向車は現れなかったが、それでも安全運転を心がけているらしくスピードを落として運転していた。
「ご存知の通り本校は日本の学校の姉妹校です。姉妹先の学校と年に数回交換留学を行うなどしている為、生徒のおよそ半分が日本国籍の学生で占められています。本来なら入学前に詳しい書類を送付させて頂く決まりでしたが…。お二人には学園長より説明があります」
車が細い木々が立ち並ぶ林へ入っていく。格子状に並ぶ木の向こうに大きな空が見えた。
「あと一時間くらいはかかりますので、どうぞリラックスして下さい。少しお眠りにますか?」
私の眠たげな顔を見てジャックは気遣うように声をかけてくれた。
「暖房を少し下げましょうか?」
「いいえ、お心遣い感謝します」
「失礼ですがお国はどちらですか? 先ほどはとても綺麗な日本語の発音でしたね」
翠の声には警戒心も疑惑も感じられない。単なる好奇心から尋ねているようにきっと伝わっただろう。ジャックもあぁ、と肩で頷くと
「父が日本人ですが、わたしはイギリス国籍をとっています。日本へ渡ったことはありませんが父が厳格な言語学者だったので、幼少より父の母国語について学ばせられていました」
「そうですか。驚きました…。学園のみなさんも日本語を?」
「えぇ。優秀な人材が揃っていますよ」
しばらく二人はとりとめのない会話を繰り返した。学園の話題や翠の留学先に関する話を広げる間、私は変わり映えのない立ち木風景を眺めた。しかし次第に瞼が重くなり意識が朦朧としてきた。車が揺れる度にはっと目が覚める。けれどまだ二人が同じ会話を交わしているのを確認して、再び瞼を閉ざした。薔薇の匂いが穏やかな眠りを誘う。あの家には薔薇はなかった。けれど何故か懐かしい思いが燻り、この眠りを妨げようと蠢いた。
何も知らない方が幸せ。幸せなのに……
意識が混沌とする。翠やジャックの声が闇の奥で反響し、車の振動も忘れ深い眠りに陥った。
「――かつては一人の王が治めていた小さな国でした。様々な国から人々が流れ、そこで生まれたのがレドヴァス語です。独自の文化と言葉を生み、大陸とは異なる習慣があったそうですが、第二次世界大戦で滅びたのです」
「滅びた? 一国が?」
「いえ、文化が途絶えたのです。この地で使われていたレドヴァス語とは独特の発音で一語一語に意味があり、それを修得するのはとても難しいのです。しかしそれに目をつけた軍が、コード・トーカー。つまり暗号部隊として利用したのです」
「アメリカ先住民で最大の民族だったナバホ族もコード・トーカーだったと聞きました」
「えぇ、ちょうど同時期に利用されたそうです。強制的に英語を勉強させ、母国語を抹消し……誰もレドヴァス語を話せない。戦時中に暗号に利用し、同時に母国語を忘れさせたのですから。もはや誰もナバホ語を喋れない彼らと比べれば、こうして自国文化の復興に力を入れ始めているのでまだ希望的でしょうか」
ジャックの溜息が聞こえた。長く喋り続けていたのだろうか、声が僅かに掠れている。
ずっと同じ体勢で首を預けていたので身体が強ばっていた。大きく息を吸い込むと重たい身体に血が通った気がした。狭い車中で両手を伸ばす。欠伸が漏れたので慌て口元を隠した。
「ナイスタイミングで起きましたね」
運転席でジャックが笑いながら声をかけてきた。隣りに座る翠も笑顔を交えながら
「ほら、学園が見えてきた」
と窓の外を指差したので、私もつられて視線を向ける。いつの間にか林を抜け、辺りの光景は視界の半分を湖が占めその周囲を黒い森が覆っていた。灰色の空を映す湖には深く霧がかかり、どんよりと暗く早々に不気味な印象を受けてしまった。
「橋を渡ればもう学園の敷地です」
車は黒い鉄でできた架橋を車で渡っていた。フロントガラスに映る湖に浮かぶ立体的な丘に、私たちが向かうメール・ヴィ学園が建ちそびえている。この橋の他に学園に繋ぐ交通手段はなく、小屋の脇に手漕ぎボードが浮かんでいるだけだ。
まるでお城みたい。フランスの世界遺産モン・サン・ミシェル修道院に似ている。けれど尖った塔が悪魔の牙のようにも見えた。イギリスで見物した城の数々を思い出し目の前の荘厳な外観に圧倒された。白い石の壁を多種類の蔦が覆い、灰色の空を背景にそれは有無を言わせない美しい一枚の絵画のような光景だった。
振り返り辿ってきた道を確認する。大きな湖の周りを背の高い木々が影を作り連なっていた。窓越しにも周囲の空気が澄んでいるように感じるのは、ここが地上よりも高い位置にあるからだろうか。
空の片隅で白い月が寂しげに光っている。橋の入り口脇に建つ小屋がゲートの番をしている。窓から覗くオレンジ色の光が無性に恋しく感じられた。
遠ざかっていく明かりを目で追いかける。この時、既に一縷の恐怖心が生まれていた。この橋を渡りきればもう引き返せない。丘の上に建つ城の中に、何百人もの生徒が押し込められているのだ。
怖い。
根拠のない漠然とした不安がどんどん大きく膨れ上がっていく。私たちは未知の世界へ向かっているのだ。仲間はどこにもいない。
駅にいた頃よりも濃くなった霧が窓に結露を作っていた。冷えきったガラスから顔を離してそっと早鐘を打つ胸を押さえる。
「この湖には所以があって、大むかしに起きた大戦が原因でできたクレーターに水が流れてきたと言われているんですよ」
緊張を解そうとしてかジャックは明るい声で喋り出した。
「元々学園はかつてここらを支配していた貴族の城を買い取り、内装だけ工事したものですから、よく生徒たちはゴーストを見たと騒いでいます」
ふいに翠からも視線を感じた。先ほど感じた漠然とした恐怖心を見破られたくなくて私は穏やかに微笑んで見せた。
「その大戦というといつ頃ですか? 戦いの後ならここら一体死体の海になっていたでしょうね」
別に虚勢を張るつもりもなかったけれど、わざとにこやかに尋ねるとジャックはやや間を置いてから答えた。
「それが私たちの知る歴史には記されていない、未知の時代のものだと言われています」
謎が残ったまま会話を終了され、腑に落ちないものだけが残る。顔を見合わせる私と翠に繕うようにして
「ただの噂ですけどね」
と締め括った。
遂に橋を渡り終え丘のような島へ辿り着く。島の周りを石造りの塀が囲っている。両開きの巨大な門まで移動すると、ジャックは車から降りて塀に備えつけられている電話をかけ二、三言葉を交わすとすぐに戻ってきた。
コートに染みついた冷気がひんやりと車内の温度を下げる。自然と言葉数が減り、私たちは沈黙を背負ったまま車が通過するまでを待った。学校にしてはとても静かで石畳の上を彷徨うのは霧と風の音だけ。黒ずんだ木々のシルエットが風に揺れて来訪者を威嚇しているみたいだ。
まるで幽霊屋敷だと毒づく。こんなに人の気配がない学校を見たことがない。
車が塀の内側に入るとすぐに門は閉められた。手動らしく小屋の窓からレバーを握る小柄な男の後ろ姿が確認できた。
「さぁ、ご案内致しますので降りて下さい」
キーを挿したままジャックは車を出た。言われるままに従うと、小屋にいた背筋の曲がった老人がすぐに駆け寄ってきた。
ジャックと視線交わすと私たちにも笑顔を向け
「モーヴィエ!」
きっとそれがレドヴァス語の挨拶なのだろうと推測すると、私たちは声を揃えて
「モーヴィエ」
と返した。
「荷物は彼が運んでくれますので、こちらへ」
軽く背中を押し目の前に建つ煉瓦造りの建物へ促がした。背後で再び車のエンジンがかかる音がする。見ると先程の老人が運転席に乗って車を移動させる所だった。
「さぁ早く」
立ち止まる私に優しく囁くと、率先して建物の中へ消えていった。
血の気を失い蒼褪めた指を温めながら私は翠の後を追った。
気がつくと『ぼく』は温室の薔薇に囲まれ膝を抱えて眠っていた。
温度と湿度が適度に保たれたそこは長居すると否応なく眠気が襲ってくる場所だ。加えてこの大量の薔薇たち―――
薔薇の匂いで息が詰まりそうだ。
「ティル…眠っているの?」
茂みの向こうで聞き覚えのある少年の声が聞こえる。そっと覗いてみると、そこには金髪の少女の背中を優しく叩いて起こす彼の姿があった。柔らかそうな茶色い巻き毛が、天井から注ぎ込む陽光によって美しく輝いている。
少女を見詰める眼差しは暖かく、二人の様子に見る者の口元は自然と緩む。
「……」
少年はまいったなぁ…とばかりに呟き、すっかり熟睡してしまった様子の少女を一瞥する。名残惜しそうにしつつも時間が気になるのか、腕時計を確認すると溜息を吐いた。
「お姫様…また後でくるよ。…あいつらを、追い返したら」
少女の豊かな金髪に口づけを残すと、少年は立ち上がり踵を返した。その時、キラリと光る何かが地面に落ちた。が、少年は気づくことなく温室を出ていく。
慌ててその場に駆け寄ると『ぼく』は彼が落としたそれを拾い上げた。
金の鎖に繋がれた小さなネックレス。剣を胸に抱きしめる乙女が刻まれたそれを握りしめ、彼の後を追って走り出した。
滅多に走ることなんてない『ぼく』がようやく辿り着いたそこは、人気のない木々に隠れた場所だった。まるで人目を忍ぶように隠された小さなトラックが停まり、見たこともない数人の大人たちが大きな木箱を抱えて運び出しているところだった。
巻き毛の少年の姿はどこにもない。
「ここを出ればすべて終わる」
頬に新しい引っ掻き傷をこさえた男が憮然とした態度で仲間にそう声をかけていた。
男たちは頑丈に固定した木箱を荷台に収めると、素早い動作でトラックに乗り込み去っていった。あっという間に消えてしまった彼らの後を見送ろうと、それまで隠れていた木立から歩き出す。
よくよく思い出すとあのトラックは、週に一度やってくる廃棄物回収業者のソレと同じロゴがついていた。けれど彼らが本当に廃棄物を回収しにきただけなのだとしたら、何故ここに彼の靴が片方だけ落ちているのだろうか。
「―――誰が駒鳥を殺したの?」
それは私、と答える雀がいるはずもなく。主を失った片靴を持ち上げると、沈み始めた陽光を背に聳え立つ漆黒に染まる巨大な城を見上げた。
世界中から集めた 物語を きみに読み聞かせようと考えた
きみを喜ばせようと ずっと 考えた
これは ぼくの物語
大人にも 子どもにもなりきれない 中途半端な
――― 迷子の物語
もくじ
第一部 迷路に集う子どもたち
第一話 物語の始まり
第二話 迷子たちの訪問
第三話 噂を運ぶ青い鳥
第四話 眠りの森に咲く薔薇
第五話 砕けた歯と胡桃
第六話 塔から飛び降りた姫君
第七話 少年へ捧ぐ白い小石
第八話 白鳥から生まれたアヒルの子
第九話 鍵を飲み込んだ子どもの短い物語
第二部 首を繋がれた王と姫君
第十話 泣けない人魚の泣かせ方
第十一話 毒林檎をくわえる屍
第十二話 糸に絡まるマリオネット
第十三話 狂宴へ招かれた○番目の山羊
第十四話 頭巾を失った赤ずきん
第十五話 青髭の収集品たち
第十六話 徘徊する裸の王
第十七話 冬に聞こえたキリギリスの歌
第十八話 旅立つピーターと残された童話
断章 群れからはぐれた迷子の挿話
第三部 剣を携えた乙女
第十九話 鍵を手にした子ども
第二十話 錠を隠す子ども
第二十一話 最後の扉を守る子どもたち
エピローグ 招待状『Dina da doo,失われた子どもの国へ』
あとがき
第一部 迷路に集う子どもたち
第一話 物語の始まり
―――This is the story of Serisawa.
黒と白に彩られた世界が人々の手によって片づけられていく。まだ秋の始まりだというのに、弔問客の大半が年寄りだったので暖房がかけられ人口が密集し蒸しついた空気が吐き気は誘った。
手伝いを頼まれることもなかったので邪魔にならないよう部屋の隅に移動する。と、わずかに開いていた襖の向こうで伯父が、紫の袈裟を着た坊主に封筒を手渡している様子が見えた。
黄色く染まった歯を覗かせて笑う坊主の襟元で金色の鎖が光っている。類は友を呼ぶと言うが、まさか守銭奴の伯父たちが葬儀にここまで金をかけるとは思わなかった。しかし母が運営する会社の連中が包み持ってきた香典目当てだと考えるなら、それだけの価値もあるかもしれない。
線香の匂いが喪服について気持ちが悪い。逡巡したが辺りには親戚や会社の関係者たちがいるので、誰にも悟られないようにそっと大広間を抜けた。みんな、私とは目を合わせようとしないけど常に背後から動向をチェックしている。それはお手伝いさんたちも同じだった。親戚から爪弾きにされていた一家だけに、母が興した会社がいつの間にか大企業にまで成長した今、粗忽な扱いもできず私たちは葬儀の間もずっと腫れ物を触るような扱いをされていた。
縁側に広がる大きな庭園に人気がないことを確認すると、予め用意しておいた靴を履き母屋から数メートル離れた蔵を目指して駆け出した。毎朝お手伝いさんが整えている枯山水を踏み潰さないよう、注意しながら飛び石を越え素早く茂みに隠れる。腰まで伸びた三つ編みが枝に引っかかったので慌ててそれをとった。
蔵の脇に並ぶ石灯篭まで辿り着くと、母屋から伯父の声が聞こえてきた。
「まぁ、なんですか。こんな古い家ですがこの庭だけは自慢でしてねぇ」
「いやいやとても見事な枯山水ではないですか。紅葉が散って尚美しい」
先程の坊主の濁声が響く。あれが生来の声なのか、それともずっとお経を読んでいた所為なのかはわからないが、生理的に好かない類いだ。
伯父たちの注目が紅葉に集まっている間にそっと蔵の戸を開け、その隙間から滑り込むようにして侵入した。今度はお下げも無事ついてきた。空が灰色に淀んでいるお蔭で庭の隅に立つ蔵は茂みの覆う影に飲まれ、戸が開いたかさえわからないだろう。
「遅かったな」
小さな窓から注ぐ鈍い光を受けて眼鏡の縁が鋭く光っていた。随分長い間待っていたのか、茶箪笥に腰を下ろす体が不機嫌そうに揺れている。
「着替えてからこようかと思ったの」
近づいてから、腰をかけるに調度いい高さのものがないので仕方なく立ち尽くした。すると眼鏡のブリッジを持ち上げ脚を組み替えると
「座れば?」
と目で床に座るよう促がした。
普段から掃除が行き届いているものの、正座や胡坐というものに慣れていない私にとってそれはささやかな嫌がらせに感じられた。
「いいわ。ずっと正座していたから痺れているの」
「ふぅん」
意地悪げに頷くと、翠はようやく本題に入る雰囲気を作った。
「出棺まで時間がないから手短に話そう」
相槌を打ちながら翠はどんな時でも能率のよい方法を求めているのに、と内心ぼやいた。
用件だけの短い会話なら、パソコンの電子メールを通じて私たち兄妹の間で数えきれないくらい交わされてきた。昨日の通夜に間に合うようなんとか帰ってきた私と翠は、ろくに話もせず、社交辞令程度の慰めの言葉をかけ合っただけ。
親戚たちの目を盗んでただ一言「葬式の後蔵へ」と告げられてきたけれど、恐らくこれからの私たちのことだろうと予想はしていた。
「芹沢がぼくらの後見人になる。そして遺言で明後日、メール・ヴィ学園に転入することになった」
芹沢とは母の会社が抱える弁護士の一人だ。会社設立以来の仲らしく、母の秘書も兼ねていたので何度か顔を合わせたことはある。面食いの母が好みそうなショートカットの美しい四十代半ばの女性だった。彼女が後見人になるのは、伯父たちの冷ややかな態度を見て大よその見当はつけていたが、初めて聞く学園に転入するというのは寝耳に水だ。
「母さんの母校だ。琳子の学校も既に手続きが済んでいる」
「ちょっと待って。そんなの初耳だし、それにまだ…」
「ぼくだって初耳だよ。でもこの話しをあいつらから聞かされるよりはまだマシだろ」
確かにそうだ。あの人たちのネチネチした嫌味ったらしい口調で、さも母親を亡くしたばかりの子どもを哀れむ偽善者根性を剥き出しにした下手な演技を見せられたくない。
「……こんな突然に死ぬなんて、想像もしなかったもんな」
ここで初めて翠は寂しげな表情を見せた。よく考えれば私と翠、イギリスとドイツで別々に留学していた兄妹が久しぶりに呼び集められたと思えば、日本では母親が死にその葬式を最も私たちを毛嫌いしていた親戚の屋敷でやるときたのだから。怒ることも泣く暇もなかった。最初はただ、まだ現実味がないだけのように感じていたけれど、今でも私はどこか目の前で起きているすべての事象を受け止めきれていないだけなのかもしれない。
俯く彼の顔に翳りが宿る。こうして兄の顔を間近に見るのも実に四年ぶりだ。小学校を卒業してすぐに翠はドイツへ留学してしまい、私も同じく小学校を卒業後イギリスへ旅立った。
長期休暇の際も帰省はせず必要なやりとりはすべてメールか、時々電話で会話をするだけだった。親子で過ごした歳月も、きっとあっという間に私の一生と比べ微々たる時間になってしまうのだろう。まだ十四歳。もう、十四歳。大人なのか子どもなのか…その境界線もままならない。
「後で芹沢を交えて説明があると思うけど、間違ってもあいつらの提案に乗るなよ」
珍しく念押しする彼を一瞥し、まさかそこまで愚かものだと思っているのかと心外に思った。けれど私が受けたショックの大きさを量りかねて過剰に心配しているだけだろう。
「わかってるわ」
そこに一縷の悲しみと決意を滲ませ、神妙に頷いて見せた。
素直な態度に気をよくしたらしく、それまでの刺々しい空気を脱ぎ捨て壁にかけられた古い時計を一瞥した。螺子巻き式の年代物が、小刻みに揺れる振子が刻々と時を刻んでいく。
まだ出棺まで余裕があるのか窓の向こうを見上げ尋ねてきた。
「……死因は聞いたか?」
淀んだ空の光を受けて翠の横顔は一層暗く沈んで見える。一文字に結ばれた唇と鋭い眼差しは、私の知る翠のものではない。触れたら切り裂かれてしまいそうな鋭利な刃物を連想させる雰囲気を、彼はいつの間に身につけてしまったのだろうか。
肩を並べ曇り空を眺める。そして数日前まで関東地区の上空を覆っていた低気圧を想像し息を吐き出した。
「自宅前で濡れたタイルを踏み外して転倒。第一発見者の芹沢さんが来るまでの間、雨に打たれ……出血多量と脳挫傷が原因なんでしょ?」
「そう。あの日芹沢は、母さんに呼ばれて自宅にきた。そこで蒼褪めた死体と対面したらしい」
淡々とした口調に疑問が浮かぶ。本当に翠は母親の死を悼んでいるのだろうか? いや、それも愚問かもしれない。私がそうであるように、彼も母親を憎んでいたとしてもおかしくはないのだから。
「その用件っていうのが、ぼくらには内密に進められていた…メール・ヴィ学園への転入手続きの最終確認だったんだ」
「待って、それじゃあ生前から何か意図があって決められていたの?」
「だから妙なんだ。母さんは随分前に、会社を設立して軌道に乗り始めた頃。既に遺言を作成していた。未成年の場合メール・ヴィ学園を無事に卒業し成人した後に、すべての遺産を二人で均等に分配する。そしてもし成人後の場合、学園で最低一年を過ごした後に分配するって内容で」
そして私の目を見詰め確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「でもつい先月に、芹沢に命令がきた。すぐにでもぼくらを学園に転校させたいから手続きをしてくれってね」
「何故その学園に拘るのかしらね。ただの母校って訳じゃないの?」
「取り敢えずぼくらはそこにいかなきゃ遺産をもらえない訳だし。第一、未成年が働いて得られる額も高々知れている。琳子だって人並みの生活は送りたいだろ?」
外で私たちを呼ぶ声が聞こえる。いつの間にか出棺の時間が迫っていたようだ。
踵を返し蔵の戸口に向かう私に、翠は
「……行くしかないんだ」
と、冷めた口調で呟いていた。
無事に葬儀も終えた迎えた夜。私たちは芹沢さんと一緒に伯父夫婦と、今後の見通しについて遺言書の件も交えて話し合った。遺産目当ての伯父たちはしつこく養子縁組を申し立ててきたが、二人で頑なにそれを断わり続けた。
「ぼくらが成人するまで、芹沢さんに財産の管理をすべてお任せし彼女に後見人も務めて頂くつもりです」
翠の意見に相槌を打ち、眉間に深く皺を作る伯父夫婦を見上げはっきりとした態度を貫いた。付け入る隙を与えるとどこまでも強欲に食らいついてくる人種だということは、これまでの付き合いで嫌というほど学んでいる。
「申し出はありがたいですが、私たちは故人の意思を尊重します」
しかし相手方もなかなか引き下がろうとはせず差し入れにもらったと思しきお酒を飲みながら粘った。
「だけどね琳子ちゃんも翠くんも…子どもだけでそんな遠くにいくなんて」
喪服のズボンから反り出た巨大な腹が伯父の酒好きを語っているが、五十目前にしてなかなかの酒豪らしく、私が数えただけでも今日で三本は焼酎を空にしている。言動に不明瞭さはなく呂律もしっかりとしているのだから驚きだ。母もザルと言われる程度に酒に強かったから、きっと私も強いに違いないと密かに確信していた。
「そうよ。遺言状の心配があるなら、先に翠くんだけ転校して少し間を置いてから琳子ちゃんがいけばいいじゃなぁい?」
ふくよかな顔をさも善人みたく微笑ませ、夫人の方も尚もしつこく勧誘してくる。私だけでも手元に置いて何らかの形で財産を吸収しようというのが目的なのだろう。
「なぁ弁護士さんもそう思うでしょう? 結局は血の繋がりが一番なんだから」
私たちが少しも動じないとわかると今度は芹沢さんに矛先が向かった。
「ご存知の通りこの子たちは父親も違うし、それが誰だかわからない。私生児って非難する親戚もいるけど、わたしたち夫婦くらいですよ。むかしから妃紗子との関係を大切にしてきたのはねぇ」
伯父が勧める酒を断わり、芹沢さんは凛とした口調で言い放った。
「私としてはこんなに素晴らしい子どもたちの後見人になれて、とても誇らしい思いです。既に公的書類でその旨の了承も済んでおります。ですので、どうぞご心配なく」
そして私たちに向け最大の笑顔を見せた。
「今日は市内のホテルを取っておいたのでそちらで休みましょう」
その眼中に伯父夫婦の姿は入っていないらしく、彼らが恐ろしい形相で睨んでいるのに涼しげな顔をしていた。
「二人の寄宿舎に置かれている荷物も、学校側に頼んで直接向こうに送ってもらうから心配しなくてもいいわ。ただ実家にある家具等で、持っていきたいものがあれば明日中に用意しておいてね」
そして、あぁと呟き手元の茶封筒から数枚の書類と小切手を取り出すと
「本日の葬儀代です。それと会社名義で借用されていた金一千万の返済期限が既に切れていますので、後日改めて参ります。場合によっては法的方法も辞さないつもりですのでご了承下さい」
顔を真っ赤にして憤怒する二人に言い渡すと、颯爽と立ち上がり
「ホテルまで案内するわ」
と微笑んだ。
タクシーに乗って移動する途中、ずっと黙り込んでいた私はようやく口火を切った。
「…母は好き嫌いのはっきりした人でしたが、納得しました」
ガラスに映る自分の顔を見詰め助手席に座る芹沢さんに喋りかける。
「やり手の弁護士さんなんですね」
「そんなことないわよぉ」
それまでの態度を一変させ、豪快に笑うと身体を捻らせこちらに顔を向けて遜った。
「ただのがさつ女なんだから琳子ちゃん、真似しちゃ駄目よ」
そんな彼女に好感を持ったのかそれまで窓の外に集中していた翠も会話に加わった。
「これから五年間、琳子は六年間。お世話になります」
狭い座席で頭を下げたので私もそれに倣う。すると芹沢さんは今度は戸惑うように両手を顔の前で振って笑ってくれた。
「そんな…後見人って言っても大したことやる訳じゃないし、気楽にしてちょうだい」
通夜と葬式の二日の間に他意のない笑顔を久しぶりに拝め、無意識に強ばっていた身体が少しだけ楽になった気がした。
「それにしてもあまりに突然で驚いているでしょう? 私も妃紗子さんが何を考えていたのかまったくわかっていないのよ」
それまでの凛々しさが影をひそめ、語尾の方は弱々しく聞こえた。暗い車中に浮かび上がる後ろ姿がハンカチか何かで目頭を押さえる。
「母の…母校だと聞きましたが」
適当な間を置いて再び翠が切り出す。
「そう。私もそのくらいしか知らないの」
やや涙声だったがすぐに顔を上げると
「自分の母校を知ってもらいたいの一点張り。まぁ…妃紗子さんらしい、頑固さ? それに負けて何も聞き出せなかったっていうのが本当の所よ」
運転手に道先を指示する芹沢さんから目を逸らし窓を開け、懐かしい日本の空気を思いっきり吸い込んだ。そしてさっきからずっとガラス越しに感じる翠の冷めた眼差しから逃げるように、暗闇を巣食うオフィス街の明かりに意識を集中させる。
お母さんは本当に事故死だったのだろうか? 周到に用意された遺書も聞いたこともない国にある学園への突然の転校も、一本の糸で繋がっているように思えて仕方がなかった。
「……」
半分しか血の繋がらない兄と未知の世界へ旅立つ不安を抱え嘆息する私は、道行く人々の表情もまた暗く沈んでいることに気づいた。
この国の大人も……人形みたいな顔をしている。
ふいに母の訃報を聞いてからずっと、一度も涙を流していないな、と暗闇に咲き乱れるネオンの花を見ながら思い出した。
ミラー越しに見える二人の顔には大して疲労の色もないように思えたが、片親を亡くし天涯孤独になってしまった現実にまだ向き合えていないだけかもしれない。私はせめてもの気遣いと思ってそれ以上話しかけることをやめ、運転手に次の交差点を左折するように伝えた。
「芹沢さんは新社長の秘書になられるんですか?」
ふいに見ている方が戸惑ってしまいそうな程整った顔を向け、琳子ちゃんは口を開いた。母親の葬儀が終わったばかりだと言うのに、彼女もまた悲しさなど微塵も見せず大人びた態度を貫いていた。目力があってどことなく高級猫を連想させる雰囲気は妃紗子さんにそっくりね、と心の中でぼやいた。
「えぇ。今朝、株主総会で新社長の任命があったから明日からまた同じように働かなくちゃいけないのよ」
「新社長の灘垣さんとは面識がありませんけど、母が遺言書で指名したくらいだからきっと有能な方なんでしょうね」
その質問にはただ苦笑いを浮べるしかなかった。
「芹沢さん」
今度は翠くんから名前を呼ばれ、再び後ろの席に座る彼に向かって身体を捻らせた。
「なぁに?」
暗い車中だったが街灯に照らされ眼鏡の縁が鋭く光っていた。
「母はいつも自分宛の郵便物を、自分の手で管理していたんですか?」
『自分の手で』という所を強調して問う、彼の真摯な眼差しに素直に頷きながら私は何となく落ち着かないものを感じた。背筋に張ったこの感覚は、例えるのなら法廷で争う時の感覚によく似ていた。ちょっとした油断が破滅へ導く。そんな修羅場のような空気。そう。それは初めて妃紗子さんに出会った時に感じた印象とまったく同じだった。
まだ三十前半だった私は独立し個人事務所を構えることも考えていた。けれどプライベートでの失恋やストレスなどでなかなかそのチャンスを見出せず、ずるずるとタイムカードを押す生活を送っていた。
いつかきっと大きくなってやりたい。倦怠的な日常を我慢して、『いつか』『そのうち』と、自分自身を励ますだけで具体的なことは何一つ手をつけられない状態が続いていたある日。後輩が抱える仕事に彼女の名前が載っていた。妻帯者との不倫がばれ、その正妻に慰謝料を請求されていたのだ。
その時、軽い好奇心が芽生えた。こんなにも綺麗で理知的な女性がどうして、原告の夫であるたいして風采も上がらない男性と恋に落ちたのだろうと、失恋の痛手を癒したいが為に他人の恋路に口出ししたくなった。
後輩と一緒に妃紗子さんの元へ伺いその女王のような品格にただただ圧倒された。自分には非はまったくなく、既婚者と知ったのはつい最近のことでそれを知る前に既に二人の仲は終わっていたのだと言葉巧みに二人を丸め込み、訴訟の取り下げを求めてきた。また会社が軌道に乗り始めたばかりで、二人の幼い子どもの糊口をしのがなければいけない。金銭の援助を盾に掲げ声をかけてきた原告人の夫こそ罰せられるべきだと、原告の夫人をも説得させ多額の慰謝料を奪取したのだった。
その事件がきっかけで、次第にその魅力に惹かれるようになった。柔軟な発想で次々と思いも寄らない商品をヒットさせていき、パソコンのキーを叩くその指で信じられないような大金を動かすようになっていく様子を、友人の座まで登り詰めた私はただ頼もしい思いで眺めていた。
同じ独身の女性が、ただ奮然と世界へ向かって羽ばたいていく姿は激しい憧憬を呼び起こした。後に会社が完全に軌道に乗ると、彼女から引き抜きの話を持ちかけてきた。生涯のパートナーさえ作らなかった彼女が
「貴方となら、ずっといい仕事ができると思うのよ」
と、極上の笑顔を向けてくれた。部下がどれだけ大きな仕事をまとめてきたとしても、きっとあの時以上の笑顔を見せなかっただろう。それが崩れかけていた私の誇りを建て直してくれた。
繁華街を抜けタクシーは小さなビジネスホテルへ向かっていく。ネオンの輝く街を潤んだ瞳で眺めながら、込み上げてくる悲しみを抑えた。
私は妃紗子さんに強い憧憬の念を抱いていた。自立した美しい女性に己の夢を託したのだ。そして今、彼女の最後の願いを届けようとしている。二人を無事に母校へ転校させ、再び日本の土を踏む時まで、手となり足となり二人を見届けようと強く心に決めて。
芹沢さんが取ってくれたのは然程大きくもない、一般的なビジネスホテルだったがそれが逆にありがたかった。日本に戻ってからずっと金、金、金…の話しばかりで神経が磨り減っていたので、金銭感覚がシビアになっていたのかもしれない。
フロントでキーを受け取ると、ロビーで待っていた私たちにそれぞれのキーを渡し
「昼の一時頃に迎えにくるわ。昼食はそれまでに済ませておいてね。それから実家の簡単な整理をして、明後日の朝一の飛行機で向かうから」
「ここからなら電車を乗り継いでいけます。いくら後見人といっても、そこまで面倒を見てもらう訳には」
辞退する翠の科白を途中で遮り、芹沢さんは人差し指を振って見せた。
「人の好意は素直に受け取るべきよ。それに貴方たちが向こうで勉強する間、あの家は私が管理しなくちゃいけないから仕事の範囲内なの」
そしてこちらが反論する隙を与えず腕時計を確認すると
「さぁ今日は疲れたでしょ? あの家でゆっくりと眠れたとは思えないわ。明日に備えてお休みなさい」
と部屋へ促がした。
「あぁ、そうだ。昼食は出ないから近くのファミレスに行ってちょうだい」
自動ドア越しに見える深夜営業のファミリーレストランの看板を指差し答えた。
「それじゃぁね」
爽やかな笑顔を浮かべ去っていく後ろ姿は同性の私から見ても心惹かれるものがあった。年の割には肌のシミは少なく、艶やかな頬をしていた。短く切り揃えた髪は清潔感が漂い、見る者に好印象を与える人だった。
「……印象がすべてだと思うなよ」
短く、釘を刺す翠。心を見透かされた気がして気分が悪かった。振り返りエレベーターへ向かって歩き出す彼の後を追って小走りになる。
ボタンを押しリフトが一階へ降りてくるのを待つ間、どちらともなく口を閉ざしていた。
「犯人がいるとしたら…利益だけが目的じゃないかもしれない」
密室に入り他人の目がなくなった瞬間、私たちは同時によそいき用の被り物を脱ぎ去った。
「その意見には賛成だな。だけどまだ否定しきれない可能性が沢山ある」
液晶画面の点滅する数字を見上げながら、私は翠と共通の思いを抱いていることを確認し合った。
「……どうして、泣かなかったの?」
ふいに昨日から続く一連の儀式を回想し、彼もまた涙を流さなかったと思った。
数字がどんどん上がってゆく。私たちの宿泊する七階が点滅するその瞬間、沈黙していた翠が口を開いた。
「泣けなかったからさ」
唖然とする私を一瞥し翠はエレベータ―から先に出ていった。目の前で閉まりそうになる扉の隙間を慌ててすり抜けた。
短いその一言に、彼もまた、未だに母を憎んでいるのだと気づかされた。こうして離れていた間に私と翠の距離は一層広がっていた。異父兄妹だと知ったあの日、その事実と向き合えず逃げ出すことを選んだ私たち。あれから翠は遠い地で何を考えて、どんな答えを出したの? 私はまだ見つからない。わからない。ずっと悩んでいるのに…何も、閃かない。
「琳子」
名前を呼ばれ顔を上げる。いつの間にか部屋の前に到着し、既に翠はドアを開いて中に入っていた。その半開きにしたドアの隙間から向けられる眼差しに幾ばくかの気遣いを感じる。会話の糸口を探すようにしばし翠は沈黙すると、再びドアを大きく開き私に話しかけた。
「イギリスの話し…聞かせてよ」
彼が久しぶりに見せた私に対する微かな優しさを感じ、溜めていた涙を隠し俯いたまま頷いた。
二人を送った後、私そのままタクシーを使ってマンションの手前で降りた。そして自動販売機で煙草を買って家へ戻った。
最上階まで上りカードキーで黒塗りのドアを開けると殺風景なリビングが視界に入る。フローリングの上に散らかっていたストッキングとカラーシャツを拾い上げ、洗濯機に放り込む。他人の目がないとつい気を抜いてしまう癖はむかしから直らない。ついでに顔を洗って化粧を落とした。
「…ふぅ」
ようやく肩の力を抜くも、鏡に映る自分の顔に気づくなり睨めっこを始めた。三十を境に肌の張りが日に日に失われていくのがよくわかる。今の肌は砂漠のようだ。どんなに潤いを求めても、それは生涯満たされることなく歳を食うごとに欲求する量も増えていく。同年代の仲間内でもまだシミは少ない方だと自負していたが、琳子ちゃんの透け通るような白い肌を目の当たりにして年甲斐になくわずかな嫉妬を感じていた。
心なしか普段より多めに化粧水を叩きつける。妃紗子さんの娘だけあって琳子ちゃんは羨むくらい綺麗になっていた。前に会った時はまだ小学生だったが、既に完成された顔だちをしていた。しかし三年という短い歳月で彼女はランドセルを背負っていた頃にはなかった、人を惹きつける魅力を身につけた。あの酒豪の伯父でさえ視線はずっと絶えず琳子ちゃんへ向けられていたので、隣りで夫人が鬼の形相をしていたくらいだ。
あの子は良くも悪くも周囲の関心を集めてしまう。それ故にあの家族は一度、絶望の淵まで追いやられたことを思い出し頭を振って気分を紛らわせた。
それからマッサージをしてから洗面所を出る。今朝と何ら変わりのない部屋の大きな窓から暗闇に浮かぶネオンが宝石のように輝いていた。上着を脱ぎソファにかけると買ってきた煙草を持ってベランダへ出た。まだ夏も終えたばかり。日中に暖められたビルの谷間風が、微妙な温度を乗せて駆けていく。
紫煙が暗闇に溶けていくさまを見ながら葬儀を回想した。祖父の代から譲り受けたという厳格な日本家屋であの自由奔放に我が道を突き進んだ妃紗子さんは生まれたと思うと不思議な気分だ。
煙を吸い込み肺の中に溜めるとゆっくりと吐き出す。ベランダの手摺りに腕を垂らし、分厚い雲が覆う空を見上げた。
今日は月も星も出ていない。
「……」
あまり自分自身について語らなかった妃紗子さんがただ一度、二人の子どもの父親に言及したことがあった。春光の温かい日差しに包まれた教会での会話だった。株主の娘が結婚をするというので挨拶に伺った帰り道、天気がよかったので歩いていた。そして桜街道を進むうちにふいに見つけた教会に、どちらともなく誘われるようにして入っていった。
石畳の小さいがとても可愛らしい教会だった。
「理想に向かって歩く二人の人間が、恋に落ちて、互いの目標が違うって気づくまでに…どのくらいの時間を無駄にするのかしらね」
それは常に背筋を正しきびきびと行動をしていた彼女からは到底想像できない、憂いに満ちていた。
白い肌の上に小さな桜の花弁が影を落とし舞い落ちていく姿は、まるで映画のワンシーンのようで思わず私はその横顔にしばし見惚れてしまった。
「…お子さんのお父さんですか?」
彼女の子どもが異父兄妹であることは社内では周知の事実だった。何気ない軽い気持ちで口にしたその質問に、恐らく妃紗子さんもぽろりと漏らしてしまったのだろう。
「翠の父親も、琳子の父親も…自分の夢ばっかり追う、ろくでない男よ」
思えば彼女が後にも先にも父親について語ったのは、あれが最初で最後となった。
しばらく夢想に暮れていると手元で煙草が根元まで燃えていたので慌てて部屋に戻り、テーブルの上にある灰皿に押しつける。俯いた途端ずっと耐えていた感情が緩み、涙腺が熱くなった。
―――もう…会えないんだわ……
恐らく私が生涯で唯一、尊敬した女性だった。強くて怯むことのない信念を携えた彼女は憧れだった。もしもあの日十分でも早く自宅に訪れていたら。冷たい雨に晒され、彼女は死ぬこともなかっただろう。そして幼い二人のたった一人の母親を奪う結果にはならなかったはずだった。
「うっ……うぅぅ…つっううぅぅ」
ソファに深く顔を押しつけると、私は声が嗄れるまで涙を流した。
ベッドと化粧台だけが置かれた六畳ほどの小さな部屋。着の身着のままに近い状態でやってきたけど、備えつけの安っぽいパジャマがあったので一夜は過ごせそうだ。
シャワーを浴び二日間着続けて、すっかり身体に馴染んでしまった喪服をハンガーにかける。ずっとアイロンをかけていなかったけど大して動いてもいないので皺も少なかった。それから化粧台の前に腰を下ろし長い髪の毛をタオルで乾かした。鏡に映る自分の顔は昨日より血色がいい。化粧水をつけるついでにそっと目の下の隈を押さえて近づいてみる。茶色い瞳が二、三度瞬きを繰り返した。
お母さんや翠と比べて私の瞳は少し色素が薄い。この髪の毛も今は水を含んで黒いが、日に当たれば薄い茶色というより小麦色に見える。
私のお父さんは…日本人なのかしら?
いつからか漠然と感じ始めた疑問。でも母や翠の顔を見るたびに、自分に外国の血が混じっているだなんて嘘でも思ってはいけないような気がした。私はお母さんの子ども。お兄ちゃんの妹。何も問題ない。遠く離れていても、それは変わりないと信じていた。
短いノックと同時にドアが開く。
鏡に映る眼鏡を外した翠はいつもと違う顔に見えた。記憶に残る面影にはないものが宿っている気がして、見知らぬ他人を前にしたような錯覚に私は無意識に身体を強ばらせ身構えるように振り向いた。
「学園の場所の見当がついた」
鋭い目を細め丸めた地図を掲げる翠。その口元に笑顔が浮かべられた頃を思い出そうとしたけれど、頭に靄がかかたったように記憶が途絶えた。
「…どこなの? 北欧の方?」
軽い頭痛を感じたが私は膝の上で結んでいた拳を解き立ち上がった。
私たちは同志であり、兄妹であり…裏切りを恐れている仲間なのだと。だけどそれでも演じなければ前へ進めない。進めないから演じよう。兄を慕い、尊敬し時に怒らせ、それでも離れずその後をついて回る、誰もが思い描く理想の妹役を。
「ここの山地の辺りだ。人口もそうとう」
翠をベッドに座らせ向かい合うように椅子を寄せると、二人で小さな世界地図を覗き込んだ。
「…ねぇ」
彼の説明を聞きながら私は不意に思いついたまったく別の質問を投げかけた。
「明日、何を持っていくのか考えた?」
一瞬の間を置いて翠はすぐに私から視線を逸らした。
「別に、何もないだろ」
その冷めた対応にとりつくしまもなく、私はしばし口を閉ざした。地図の上に指を走らせる翠を見詰め、また心の奥でどす黒い感情が蠢くのを感じる。一人で平気だと割りきったつもりが、過去と区切りをつけられずに悩んでいる私。子どものように起伏する感情に負けて、素直に泣けたらどんなに楽になれるだろう。いつまでも翠の後を追っていたあの頃の自分が懐かしくて、何も知らずにいれた幸福の絶頂があったからこそ、現状との落差にこうして母を憎んでいるのだと思った。
「…おにぃ」
顔を上げ腹の底に力を込めて呼んでみた。その次の瞬間。肩から膝に向かって垂れていた髪の毛を掴み、翠は血の凍るような表情で
「甘えるな」
と私の願いを冷たく切り捨てた。
「言っただろ? ぼくもきみも、所詮は他人。便宜上、仕方なく兄妹と名乗っているだけだ」
握り締められた一房がピンと糸を張る。その瞳の奥に揺らぎのない憎悪を見つけた途端、膨らみかけていた感情は跡形もなく消えてしまった。
「私が……お母さんよりも、憎いのね」
何も答えず翠は手を離した。そのうち何本かが抜けて彼の指に絡まっていた。
「遺産の為に…本当の父親を探す為に、今、こうして手を組んでいるだけなんでしょう」
力を込めなければ途切れてしまいそうなほど、弱々しい声になった。それでも最後まで呟くとやや短い沈黙を置いて
「わかってるじゃないか」
と、飾ることもなく彼は断言した。
翌日ファミレスで昼食を取り、私たちはホテルの前の植え込みに座り芹沢さんを待った。
平日の昼下がり、ランチの為に会社から出てきたOLやサラリーマンの姿が目立つ。中には小さな子どもの手を引く女性もいた。
しゃがみ込んでようやく同じ目線の高さになる子どもたち。とても小さくて、どれも手足が丸く太っていて針で刺したら一瞬で弾けてしまいそうだ。お母さんの傍にいれば大丈夫。そんな心許ない安心感に身を委ね、決して裏切ることのない愛情を当たり前のように教授し小さな身体でまとわりつく。
きっと私…子どもが嫌いなんだわ。
自分と同じ目の高さもない小さな子どもが嫌いだった。うっかりして踏み潰してしまいそうな、小さな小さな生きもの。愛されるのが当たり前だって思うその気持ちが、憎たらしいのかもしれない。
ふいにずっと本を読んでいた翠が立ち上がったので、つられて視線を向けた。道路の端から黒色のスポーツカーがホテルを目指して走ってくる。運転席に座る女性の顔を確認し私も腰を上げる。
ブレーキを踏んで車道脇に止まると運転席の窓を開けて
「おはよう。よく眠れた?」
昨日とは違うお洒落なスーツ姿に合わせた眼鏡を動かし、爽やかな笑顔を向けてくれた。
「お蔭さまでゆっくりとできました」
大人受けのする営業スマイルで翠が答える。私も隣で笑顔を添えた。
芹沢さんは唇の端を大きく上げて微笑むと早速乗り込むように促がした。車中は驚くほど綺麗で、新品同様の美しさを保っていた。座席には埃一つないので逆に座るのが躊躇われ、目的地に着くまでずっと背筋を正したままだった。
芹沢さんの運転は想像以上にうまく助手席に座る翠との会話も弾んでいた。窓側に座った私も時折その会話に参加したものの、久しぶりに見る兄の上っ面の笑顔に慣れなくてほとんど窓の外ばかり見ていた。
「ここらへんもだいぶ変わっちゃったでしょう?」
懐かしい町並みが広がり始めた頃、ミラー越しに話しかけられた。
「確か…小学校卒業してすぐにイギリスにいったのよね? 向こうの生活はどう? 私、イギリスっていったらくまのプーさんくらいしか思いつかないのよね」
「まだまだ…やっと慣れ始めたばかりです」
「留学先ってロンドン? カンタベリー?」
「テムズ河の近くです」
「へぇ…テムズ河っていったら……リリィートン校だったかしら?」
「はい。ゴシック様式の礼拝堂がとても綺麗で、ガイドブックにも載っているから観光客もきますよ」
「あらぁ、いいわねぇ。私もイギリスに行きたいなぁ。それにリリィートン校ならイギリス屈指のエリート校じゃない」
さすが妃紗子さんの娘ねぇと呟く声が聞こえたが、一縷でも期待した父親の名前は出てこなかった。さすがに彼女でも知り得ていないのだろう。
「そうそう。メール・ヴィについて私なりに調べたんだけど」
再びルームミラーで車中を確認すると芹沢さんは睫を上下させ続けた。
「日本にある学園の姉妹校で、理事長と学園長が日本人なのよ。だから日本人学生が多くて基本的に日本語が通じるそうだけど……琳子ちゃんはともかく、翠くんも英語は喋れるかしら?」
「日常会話程度なら大丈夫だと思います」
笑顔を添えて答える。謙遜しているが彼の方が私より英語力に優れていた。
「昨日ぼくらもホテルのネットで調べたけど、まったくわからなかったんですよ。最近にしては珍しく情報を公開していない学校なんですね」
それは皮肉でもなく純粋に感嘆の声に聞こえた。むかしから翠が大人に好かれる背景にはこうした演技力が大きく影響しているのだ。
「そうなのよねぇ。結構マイナーな所かと思いきや、妃紗子さんの話じゃあそうでもないみたい」
私と翠が同時にその話題に興味を示したその時、
「あぁ、やっと見えてきた」
車は白い壁を蔦が覆う小さな洋風の建物の前で車を止まった。車庫がないので私たちを一旦下ろし運転席から身を乗り出した。
「私の携帯番号を教えておくから、終わったら連絡くれる?」
困ったことに私も翠も携帯電話を持っていなかったので、時間を決めて待ち合わせることになった。
「三時なんて…短すぎない?」
腕時計と私たちを交互に見比べながら、芹沢さんは眉間に皺を寄せて訊ねてきた。
「大して片づける必要もないんで」
大方の荷物はそれぞれが留学する際に処分してしまったのだ。むしろ今回は母の遺品整理が大きな目的だ。すると念の為といって携帯番号を記したメモ用紙を渡し、再び車を走らせた。
第三者が消えた途端、私と翠の間に流れる空気も一変する。どこかピリピリと痛くて、それでも寄り添う相手は互いしかいないのだと、仕方なく手を組んでいるような居心地の悪さ。昨夜の会話が尾を引いている所為もあったが、そんな空気から逃れるように私は家に駆け込み二階の自室から簡単な整理を始めた。
特に持って行くものはないけどお気に入りの文庫や詩集は、何冊か手元に集めて用意した。小さな鞄にそれらを詰め込むともう必要なものはなくなってしまった。元々大して入らない鞄だけど、余計な荷物を作らない為にはちょうどよかった。チャックを閉めて立ち上がると大きく伸びをする。埃っぽいけど、外から入ってくる風が心地よい。今日は昨日と比べて天気がいい。けれど薄い雲が全体を覆い、太陽が見えないのに変に眩しく感じられる。
出窓から身を乗り出し眼下に広がる小さな庭を見下ろした。誰もガーデニングの趣味はないのだが、私がよく学校から授業で余った朝顔やひまわりの種をもらってきていたので常に花と雑草だけは溢れていた。今は紫式部とコスモス、ワレモコウが咲き乱れ秋らしい落ち着いた色彩が草の間を埋めるように点在している。
玄関から庭まで歩いて三、四歩の手狭な道。黒い鉄のアーチを抜けると、煉瓦を模したタイル張りの階段が道路まで続いている。翠が小学生の時に作った木彫りの表札がずっと門にかけられていた。
警察の実況検分は既に終わり血痕もすべて洗い流されてしまった今、この家の入り口で母が死んだのだとどうしても実感が湧かず、こうして私たちが家に戻っているのを知りながら会社で書類と睨めっこをしているのではないかと想像してしまう。
三人で暮らすには十分な小さな白い家。私も翠も物心が着く頃には既にここで暮らしていて、その時にはまだ健在だった祖父母がよくケーキ等を持って遊びにきてくれたのを覚えている。
私が小学校へ上がる頃には会社も軌道に乗り始め、母はよく家を空けるようになった。心配した祖父母は毎日のようにきてくれた。大型台風が接近し家には翠しかいなかった夜。風の唸り声と雷鳴に怯えながら二人で晩ご飯を食べていた時、突然電気が切れパニックに陥ったことがあった。
「落ち着いて、琳子。落ち着いて!」
泣き喚く私を宥め、翠は玄関先に備えていた懐中電灯を取りに駆け出した。傍らの闇が一層濃さを増したような気がして、私は更に怖くなって泣き叫んだ。窓を叩く枝の音が私を外に連れ出そうとしているようで、鋭く光る雷は離れた翠を二つに切り裂こうとしているようで、すべてが怖かった。
耳を塞ぎ顔から出る液体をすべて流しながら必死に兄と母の名前を連呼する。雷が落ちた音が響くと同時に、ふいに誰かが優しく肩を叩いてくれた気がして振り返った。何も見えないけどそこには確かに人の気配がする。しかし不思議と恐怖はなかった。まるでずっと前から私たちを見守ってくれているような温かな雰囲気に、怯えていた心が冷静さを取り戻した。
驚くことに私は翠が電気を持ってくるまでの間、ずっと床の上で大人しく座っていた。
その翌日に出勤してきたお手伝いさんが、台所と階段で倒れている祖父母を発見し死亡が確認された。祖父は階段を踏み外し、元々心臓が弱かった祖母は薬を飲み忘れ、もしくは雷かもしくは祖父の悲鳴に驚いた所為で心肺停止に陥ったからと聞かされた。しかも二人の死亡推定時刻は、ちょうど私たちの地区が停電になった時と重なっていたらしい。
ガタッ
心臓が大きく飛び跳ねる。壁の向こうから何かを動かす音が響いた。隣は母の書斎兼寝室だ。まさか、そんなはず…不安に似た恐怖が膨らみ、逸る思いを抑えてそっと部屋を出た。
ドアが半開きになって帯状の光が廊下に反射していた。誰かが部屋にいるのは確かだ。しばらく物を動かす音に耳を傾けると、意を決しドアに手をかけた。
「……翠?」
力んでいた分、彼の後ろ姿を目に下途端我ながら情けない声が出てしまった。翠も私に気づくと首だけをこちらに向けてきた。
「自分の部屋はもう済んだのか?」
「えぇ…」
よく考えたらこの家に、彼と私以外の誰がいるというのだろう。少しでも夢想を膨らましていた自分が急に恥ずかしくなった。
「何をしているの?」
私に背を向けたまま、書棚から出した本を一冊ずつ確認する様子を眺めながら聞いてみた。その脇には何枚かの写真が置かれている。
そのうちの一枚を手に取り眺める私に
「写真を少し持っていこうと思ってね」
と、呟いた。
ふぅんと返事をしながら、何も持っていかないと昨日までは断言していた彼が、どうして急に意見を翻したのだろうと疑問に思った。
「手掛かりになるかもしれないだろ」
彼の鋭さにはもうお手上げだ。仕方なく私も包み隠さず本音を伝えた。
「まさか父親を探すつもりなの?」
「まぁね。一つだけはっきりしていることがあるからさ」
と言って、翠は一枚の写真を寄越した。
白と金色を基調にした豪華な教会を背景に、ウェディングドレスを着た若い母がこちらに向かってピースをしている。友人か誰かが撮ったであろう結婚式の写真だった。
「戸籍謄本でも見ればわかるかと思ったけど…籍は二回とも入れていなかったらしい」
もう一度写真を観察してみる。何故彼がこれを見て手がかりになると思ったのだろう。端に映された青い空に色とりどりの風船が飛んでいる。石造りの教会も一見して華美だが、よく見ればそれなりに年季が入っているらしく所どころ罅が走り蔦も派手に広がっていた。
ふとした疑問が生まれる。海外事業も展開する生前の母ならそれは大して不思議でもなんでもなかったが、これはまだ会社を立ち上げる以前のものだ。そうだとするならば疑問は更に膨らんでいく。
何故…外国人が多いの? 新郎の友人だろうか? しかし顔を寄せ合い肩を抱く黒人女性と母の姿は、どう見ても長年の付き合いから感じる気兼ねのなさが漂っていた。
翠の視線を感じて顔を上げる。その瞬間、一つの発想が過ぎった。
「二人は…メール・ヴィ学園の同級生だった。だから大勢外国人が混じっているのかしら?」
「そう…」
アルバムから写真を抜き取るのをやめると、身を乗り出して写真の隅で人込みに紛れて誰かと向き合う燕尾服姿の初老の紳士を指差した。
「この男が華房勲。学園長だよ」
「ということは……学園にいけば、何かわかるかもしれないのね…」
思いがけない証拠に私は期待を込めずにいられなかった。
「更にもう一点挙げておくなら、その華房と喋っている相手がきっと新郎だな。指輪のデザインも同じだ」
左腕を頭に乗せる男性の姿を確認する。腕が邪魔になって顔は見えないが、頭上でキラリと光る指輪は母が写真に向かって見せる左薬指のものと同じように思えた。
私たちが生まれる前の写真が残っていること自体が珍しいのだが、きっとこの一枚で父親を探せるとは思わなかったのだろう。母が何を考えて過去を消去しようとしたのか…彼女については謎ばかりが残る。
翠の観察眼に感嘆しながら、改めて笑顔でこちらに向かってポーズを決める母を見た。和風美人といえば誰もが思い描きそうなアジア系の整った顔立ち。癖のない真っ直ぐの髪を結い上げ、色白の顔に清楚な化粧を施して純白のドレスに身を包んでいるが、実際は外見のイメージとはまったく異なる性格の持ち主だった。
むかしから男女問わず気に入った人間をよく家に連れ込み、時には妻帯者と付き合い相手夫婦の仲を引き裂いた魔性を併せ持っていた。しかし決断力と行動力には優れ、カリスマ性のある彼女を慕う人は大勢いた。けれどその下に集まる人間の大半が、いつ何時彼女の気紛れで切り捨てられるかわからない恐怖に怯えていた。
その的確な判断力で容赦なく社員を解雇し、裏切りも脅しも平然とやってのけた人だ。幼い頃はそんな母を頼もしく思っていたけれど今は……
「琳子?」
いつの間にかぼんやりとしていた私に心配するように声をかけてきた。写真を取り上げ、怪訝そうに眉根を寄せる翠に向かって頬を緩めて見せる。
「少しだけ…新しい学校に興味が湧いてきたわ」
一瞬面食らったような顔したが、翠もふっと笑みを浮かべた。
空港へ見送りにきてくれたのはやはり芹沢さんだけだった。それでも新社長の下で働く彼女も多忙を極めており、分刻みに時間を確認して落ち着かない様子だ。
機内で食べるようにとお菓子やケーキをお土産にくれ、その心遣いに感謝した。
航空切符を手渡すと名残惜しそうに眉を寄せた。
「もっとゆっくりしていたかったけど…。何かあればすぐに国際電話でもいいから相談してちょうだい」
「ありがとうございます。でも母の母校で学べるので、結構楽しみにしているんですよ」
翠と並んで笑顔を浮かべると、ふいに芹沢さんは目元を赤く染めた。
「本当に…貴方たちみたいに大人以上にしっかりした子、初めてだわ。うん。しっかりしてる」
まるで自分自身に言い聞かせるように繰り返す。
「新しい学校もきっと二人に合うはずよ。二人とも妃紗子さんによく似ているし、友だちもいっぱいできるわ」
褒賞としてかけた言葉だったのだろうけど、私にとってそれは嫌味でしかなかった。けれど親切な彼女に感謝を込めた眼差しを向けると
「一生懸命、頑張ります」
「うん。琳子ちゃんなら大丈夫ね」
そして手続きが開始し、待っていた人々が列を成し始めたので彼女は手を振って私たちを見送ってくれた。
ロビーから機体が滑走路へ移動し加速していくさまを眺めていた。
二人を無事見送りこれで彼女に与えられた最後の指令が終わる。数日前、前社長である妃紗子から突然手渡された遺書。どんな時も変わらない、挫折知らずのあの笑顔を添えて彼女はこう言ったのだ。
『私にもしものことがあれば』
「この指示に従って行動しなさい、かっ」
今までも彼女の指示に背かなければどんな問題もうまく進んだ。海外マーケティングを広げる際も、並みいる強敵を押し分け最終的に社長の意志を尊重したグループが勝利を手にした。
度重なる幸運に私だけではなく他の社員たちは、彼女を恐れた。恐れると同時にその絶大な権力と、その庇護下に立つ己の立場に酔い痴れていた。どんな荒波でも彼女が舵をきる限り、絶対に溺れることはないと次第に過信するようになった。
けれど、と彼女の死後になってから疑問を抱くようになった。何故、妃紗子さんはワンマンを貫いたのだろうかという疑問が浮かぶ。遥か下層に並ぶ小さな子会社に至るまで、すべての情報を常に手元に集め、一切の事業を独断で推し進めていた。戸棚にある茶碗の柄まで知っていないと落ち着かないような人だった。そんな体制でいつまでも会社を維持できると思っていたのかしら。
事実、株主総会の新社長に対する反発はこれからも大きくなるのは火を見るより明らかだ。労働者の権利を主張して内部分裂が起きるだろう。独裁政権が崩れた時の混沌を彼女が予測できなかった訳がない。むしろ彼を指名したことでその結末を望んでいたのではないか、とさえ思えた。二人には黙っていたが、妃紗子さんは自殺ではないかと警察が疑っていた。周到に用意されていた遺言書や後継者の指名など、予め死期を予測していたと警察は考えていたそうだ。しかし有力な証拠もなく、最終的には事故死として片づけられたが彼女の保険金の一部が、二人がこれから向かうメール・ヴィ学園に寄付されていた点については私自身も疑問を感じていた。
『あの学園で学んで欲しいのよ。あそこだから見えるものが沢山あるから』
そう言って一点を見詰めた妃紗子さんの横顔は、初めて見る母親の顔をしていた。
ガラスの向こうで飛行機の車輪が大地を離れ、巨大な機体は鳥となって青空に羽ばたいていった。
「………」
新社長の冴えない顔を思い出し、私は今日で何十回目かの溜息を吐いた。
シートベルト装着のサインが消えると自然と周囲の雰囲気も和んだ。立ち上がりざわめき始める乗客に、客室乗務員たちは飲み物を配り始めた。
ちょうど窓側の席で徐々に小さく凝縮されていく地上の風景を眺める私に、翠が声をかけてきた。
「何か飲む?」
振り向くと人形のように可愛らしい顔をした金髪の乗務員が、ジュースを何種類か並べて待っていた。
「……トマトジュース」
一番に目に止まった赤いパッケージを呟くと、笑顔でコップに注いでくれた。
「ジュースってよりスープに近い感覚なのかしらね」
コップと一緒に渡された塩を眺め、ぽつりと漏らす。その手にはオレンジジュースが入ったコップが握られていた。そういえば翠は昔から果物が好きでジュースも、よく果汁百パーセントのものを飲んでいた。好き嫌いのない彼だったが、たった一つだけ苦手なものがあった。
「翠は今もトマト嫌いなの?」
「好きではない。だけど食べられる」
「へぇ…むかしは嫌いだったのに。ハヤシライスだって残してたじゃない」
「好き嫌いなんて言ってらんないよ。向こうの料理も最初は味に慣れなかったけど、それしか食べられないなら慣れるしかないだろ」
悟りを開いた修行僧のような淡々とした口調。膝の上に読みかけらしき分厚い英字文庫を開き、視線を落とす横顔を見詰め半ば独り言のように漏らした。
「……変わったわね。三年ぶりだから当たり前かもしれないけれど、翠は変わった」
「『脱皮しない蛇は滅びる』。ニーチェの言葉だよ」
と呟き、再び本に集中した。
さり気なく話題を取り下げられ、私は手持ち無沙汰に窓の外を眺めることにした。
飛行機を乗り換え名前も知らない空港で降りる。列車をいくつも乗り継いで青い草原の広がる大陸を横断すると、そこはもう私たちの知らない世界が広がっていた。
聞いたこともない小さな国の自治区にある学園。
白い息を吐き出しながら二日間乗っていた赤い蒸気機関車を降りて周りの景色を見渡す。時差も入れて約二十四時間ぶりに大地を踏んだ。まだ冬の始まりのはずが、穏やかな丘や山並みに粉砂糖のように雪がかかっていて、霜が広がる地表は歩くたびに小気味のいい音を立てた。
他に降りる者のいないひっそりとした駅。白髭をたくわえた車掌に切符を渡し、バス停の位置を聞くと列車は走り出してしまった。汽笛が遠くなっていくのを聞きながら、何となく取り残されたような寂しさを覚える。駅の周りをなだらかな丘が囲い、見たこともない木々が枝を伸ばしている。自然の豊かな場所らしく濃緑の上から乳白色の霧が薄いヴェールを被せているように見えた。
トランクから毛糸のカーディガンとマフラーを取り出す。赤く冷えきった手に息を吐きかけ現在の気温について考えた。
「迎えがくるはずだけど…バスが出ていたらそれでいこう」
翠は空港で時間を合わせた腕時計を眺め寒そうに両手を擦り合わせた。
「ネットで情報公開しないはずだよ。こんな辺鄙な所にわざわざくる奴はそうそういないさ」
悪態をついているものの、電線が区切る都会の空とは違ってどこまでも続く灰色がかった世界を見上げるその顔は活き活きとしていた。
駅を出る前にもう一度ホームの方を振り返る。
「どうした?」
翠も立ち止まり私の視線の先を追う。もう豆粒くらいになった赤い列車が最後に長い汽笛を上げ丘のトンネルに消えていった。
「カメラでも持ってくれば撮れたのにって思ったの」
同じく列車を眺めていた翠に向かって肩を竦める。すると翠は遠く去っていく列車を見詰め呟いた。
「感覚で捉えるからなぁ…」
無意識に紡いだ彼の言葉に無性に懐かしさを感じてしまい、私は目を見張った。
「どちらかといえば琳子は、頭で考えるよりも直感や感覚で捉えていく方だろ? だから感性を磨くことが琳子にとって大切なんだろうな」
優しげに目を細めると、翠は軽く私の頭を叩いて歩き出した。触れられた所が急に熱を帯びたような気がして、それでも信じられず彼の背中を凝視する。一瞬だけ、むかしの二人に戻れたような気がして胸が苦しくなった。
「迎えがきたみたいだ」
舗装されていない道を二つのライトがこちらへ向かってくる。霧が濃くて車体が判別しずらかったが、目の前に止まるとそれがローバーミニのケンジントンという種類のものだとわかった。免許もないくせに母はこの車の赤色をとても気に入っていた。部屋には模型まで飾っていたくらいだ。その所為でローバーミニの車名だけはしっかりと覚えている。
霧から浮かび上がる鮮明な赤い車体から長身の男性が降りてきた。茶色い癖毛で隠れた色素の薄い瞳で私たちを交互に眺める。しかし窪んだ瞳に不躾さはなく、品のよい目尻の皺を刻み
「由良川翠さんと琳子さんですね?」
こんな所で綺麗な標準語を、しかも外国人から聞かされるとは思いも寄らなかった。
「メール・ヴィ学園の方でしょうか?」
一歩進み出て翠が英語で問いかける。四十目前くらいだろうか。終始穏やかな笑みを絶やさず、顎を引いてそれを肯定する。スーツの上に羽織った黒いマントの胸に学園の紋章が刺繍されていた。
「学園長秘書を務めますジャック・イシハラです。お二人をお迎えに上がりました」
ハーフなのかと驚いた。一見して日本人の血が混じっているようには見えないが、温かみを感じる口調に警戒心は和らいだ。
後部座席のドアを開けると手で入るように促がされた。翠の背中が動こうとしたが、ふっと立ちどまると「レディ・ファーストだ」と言って場所を空けた。
何だかイギリスへ戻ったような錯覚を覚えながら、すっかり冷えてしまった身体を温かな車中へ預けた。ほのかな薔薇の香りが染みついていて、個人の所有物だとするならばジャックの趣味のよさが伺えた。
翠と車の荷室にトランクを運ぶとすぐに運転席に戻り、霧で判別しづらい周囲に気をつけながら走り出した。
「早々にお二人にお願いしたいことがあります」
走っている間まったく対向車は現れなかったが、それでも安全運転を心がけているらしくスピードを落として運転していた。
「ご存知の通り本校は日本の学校の姉妹校です。姉妹先の学校と年に数回交換留学を行うなどしている為、生徒のおよそ半分が日本国籍の学生で占められています。本来なら入学前に詳しい書類を送付させて頂く決まりでしたが…。お二人には学園長より説明があります」
車が細い木々が立ち並ぶ林へ入っていく。格子状に並ぶ木の向こうに大きな空が見えた。
「あと一時間くらいはかかりますので、どうぞリラックスして下さい。少しお眠りにますか?」
私の眠たげな顔を見てジャックは気遣うように声をかけてくれた。
「暖房を少し下げましょうか?」
「いいえ、お心遣い感謝します」
「失礼ですがお国はどちらですか? 先ほどはとても綺麗な日本語の発音でしたね」
翠の声には警戒心も疑惑も感じられない。単なる好奇心から尋ねているようにきっと伝わっただろう。ジャックもあぁ、と肩で頷くと
「父が日本人ですが、わたしはイギリス国籍をとっています。日本へ渡ったことはありませんが父が厳格な言語学者だったので、幼少より父の母国語について学ばせられていました」
「そうですか。驚きました…。学園のみなさんも日本語を?」
「えぇ。優秀な人材が揃っていますよ」
しばらく二人はとりとめのない会話を繰り返した。学園の話題や翠の留学先に関する話を広げる間、私は変わり映えのない立ち木風景を眺めた。しかし次第に瞼が重くなり意識が朦朧としてきた。車が揺れる度にはっと目が覚める。けれどまだ二人が同じ会話を交わしているのを確認して、再び瞼を閉ざした。薔薇の匂いが穏やかな眠りを誘う。あの家には薔薇はなかった。けれど何故か懐かしい思いが燻り、この眠りを妨げようと蠢いた。
何も知らない方が幸せ。幸せなのに……
意識が混沌とする。翠やジャックの声が闇の奥で反響し、車の振動も忘れ深い眠りに陥った。
「――かつては一人の王が治めていた小さな国でした。様々な国から人々が流れ、そこで生まれたのがレドヴァス語です。独自の文化と言葉を生み、大陸とは異なる習慣があったそうですが、第二次世界大戦で滅びたのです」
「滅びた? 一国が?」
「いえ、文化が途絶えたのです。この地で使われていたレドヴァス語とは独特の発音で一語一語に意味があり、それを修得するのはとても難しいのです。しかしそれに目をつけた軍が、コード・トーカー。つまり暗号部隊として利用したのです」
「アメリカ先住民で最大の民族だったナバホ族もコード・トーカーだったと聞きました」
「えぇ、ちょうど同時期に利用されたそうです。強制的に英語を勉強させ、母国語を抹消し……誰もレドヴァス語を話せない。戦時中に暗号に利用し、同時に母国語を忘れさせたのですから。もはや誰もナバホ語を喋れない彼らと比べれば、こうして自国文化の復興に力を入れ始めているのでまだ希望的でしょうか」
ジャックの溜息が聞こえた。長く喋り続けていたのだろうか、声が僅かに掠れている。
ずっと同じ体勢で首を預けていたので身体が強ばっていた。大きく息を吸い込むと重たい身体に血が通った気がした。狭い車中で両手を伸ばす。欠伸が漏れたので慌て口元を隠した。
「ナイスタイミングで起きましたね」
運転席でジャックが笑いながら声をかけてきた。隣りに座る翠も笑顔を交えながら
「ほら、学園が見えてきた」
と窓の外を指差したので、私もつられて視線を向ける。いつの間にか林を抜け、辺りの光景は視界の半分を湖が占めその周囲を黒い森が覆っていた。灰色の空を映す湖には深く霧がかかり、どんよりと暗く早々に不気味な印象を受けてしまった。
「橋を渡ればもう学園の敷地です」
車は黒い鉄でできた架橋を車で渡っていた。フロントガラスに映る湖に浮かぶ立体的な丘に、私たちが向かうメール・ヴィ学園が建ちそびえている。この橋の他に学園に繋ぐ交通手段はなく、小屋の脇に手漕ぎボードが浮かんでいるだけだ。
まるでお城みたい。フランスの世界遺産モン・サン・ミシェル修道院に似ている。けれど尖った塔が悪魔の牙のようにも見えた。イギリスで見物した城の数々を思い出し目の前の荘厳な外観に圧倒された。白い石の壁を多種類の蔦が覆い、灰色の空を背景にそれは有無を言わせない美しい一枚の絵画のような光景だった。
振り返り辿ってきた道を確認する。大きな湖の周りを背の高い木々が影を作り連なっていた。窓越しにも周囲の空気が澄んでいるように感じるのは、ここが地上よりも高い位置にあるからだろうか。
空の片隅で白い月が寂しげに光っている。橋の入り口脇に建つ小屋がゲートの番をしている。窓から覗くオレンジ色の光が無性に恋しく感じられた。
遠ざかっていく明かりを目で追いかける。この時、既に一縷の恐怖心が生まれていた。この橋を渡りきればもう引き返せない。丘の上に建つ城の中に、何百人もの生徒が押し込められているのだ。
怖い。
根拠のない漠然とした不安がどんどん大きく膨れ上がっていく。私たちは未知の世界へ向かっているのだ。仲間はどこにもいない。
駅にいた頃よりも濃くなった霧が窓に結露を作っていた。冷えきったガラスから顔を離してそっと早鐘を打つ胸を押さえる。
「この湖には所以があって、大むかしに起きた大戦が原因でできたクレーターに水が流れてきたと言われているんですよ」
緊張を解そうとしてかジャックは明るい声で喋り出した。
「元々学園はかつてここらを支配していた貴族の城を買い取り、内装だけ工事したものですから、よく生徒たちはゴーストを見たと騒いでいます」
ふいに翠からも視線を感じた。先ほど感じた漠然とした恐怖心を見破られたくなくて私は穏やかに微笑んで見せた。
「その大戦というといつ頃ですか? 戦いの後ならここら一体死体の海になっていたでしょうね」
別に虚勢を張るつもりもなかったけれど、わざとにこやかに尋ねるとジャックはやや間を置いてから答えた。
「それが私たちの知る歴史には記されていない、未知の時代のものだと言われています」
謎が残ったまま会話を終了され、腑に落ちないものだけが残る。顔を見合わせる私と翠に繕うようにして
「ただの噂ですけどね」
と締め括った。
遂に橋を渡り終え丘のような島へ辿り着く。島の周りを石造りの塀が囲っている。両開きの巨大な門まで移動すると、ジャックは車から降りて塀に備えつけられている電話をかけ二、三言葉を交わすとすぐに戻ってきた。
コートに染みついた冷気がひんやりと車内の温度を下げる。自然と言葉数が減り、私たちは沈黙を背負ったまま車が通過するまでを待った。学校にしてはとても静かで石畳の上を彷徨うのは霧と風の音だけ。黒ずんだ木々のシルエットが風に揺れて来訪者を威嚇しているみたいだ。
まるで幽霊屋敷だと毒づく。こんなに人の気配がない学校を見たことがない。
車が塀の内側に入るとすぐに門は閉められた。手動らしく小屋の窓からレバーを握る小柄な男の後ろ姿が確認できた。
「さぁ、ご案内致しますので降りて下さい」
キーを挿したままジャックは車を出た。言われるままに従うと、小屋にいた背筋の曲がった老人がすぐに駆け寄ってきた。
ジャックと視線交わすと私たちにも笑顔を向け
「モーヴィエ!」
きっとそれがレドヴァス語の挨拶なのだろうと推測すると、私たちは声を揃えて
「モーヴィエ」
と返した。
「荷物は彼が運んでくれますので、こちらへ」
軽く背中を押し目の前に建つ煉瓦造りの建物へ促がした。背後で再び車のエンジンがかかる音がする。見ると先程の老人が運転席に乗って車を移動させる所だった。
「さぁ早く」
立ち止まる私に優しく囁くと、率先して建物の中へ消えていった。
血の気を失い蒼褪めた指を温めながら私は翠の後を追った。
気がつくと『ぼく』は温室の薔薇に囲まれ膝を抱えて眠っていた。
温度と湿度が適度に保たれたそこは長居すると否応なく眠気が襲ってくる場所だ。加えてこの大量の薔薇たち―――
薔薇の匂いで息が詰まりそうだ。
「ティル…眠っているの?」
茂みの向こうで聞き覚えのある少年の声が聞こえる。そっと覗いてみると、そこには金髪の少女の背中を優しく叩いて起こす彼の姿があった。柔らかそうな茶色い巻き毛が、天井から注ぎ込む陽光によって美しく輝いている。
少女を見詰める眼差しは暖かく、二人の様子に見る者の口元は自然と緩む。
「……」
少年はまいったなぁ…とばかりに呟き、すっかり熟睡してしまった様子の少女を一瞥する。名残惜しそうにしつつも時間が気になるのか、腕時計を確認すると溜息を吐いた。
「お姫様…また後でくるよ。…あいつらを、追い返したら」
少女の豊かな金髪に口づけを残すと、少年は立ち上がり踵を返した。その時、キラリと光る何かが地面に落ちた。が、少年は気づくことなく温室を出ていく。
慌ててその場に駆け寄ると『ぼく』は彼が落としたそれを拾い上げた。
金の鎖に繋がれた小さなネックレス。剣を胸に抱きしめる乙女が刻まれたそれを握りしめ、彼の後を追って走り出した。
滅多に走ることなんてない『ぼく』がようやく辿り着いたそこは、人気のない木々に隠れた場所だった。まるで人目を忍ぶように隠された小さなトラックが停まり、見たこともない数人の大人たちが大きな木箱を抱えて運び出しているところだった。
巻き毛の少年の姿はどこにもない。
「ここを出ればすべて終わる」
頬に新しい引っ掻き傷をこさえた男が憮然とした態度で仲間にそう声をかけていた。
男たちは頑丈に固定した木箱を荷台に収めると、素早い動作でトラックに乗り込み去っていった。あっという間に消えてしまった彼らの後を見送ろうと、それまで隠れていた木立から歩き出す。
よくよく思い出すとあのトラックは、週に一度やってくる廃棄物回収業者のソレと同じロゴがついていた。けれど彼らが本当に廃棄物を回収しにきただけなのだとしたら、何故ここに彼の靴が片方だけ落ちているのだろうか。
「―――誰が駒鳥を殺したの?」
それは私、と答える雀がいるはずもなく。主を失った片靴を持ち上げると、沈み始めた陽光を背に聳え立つ漆黒に染まる巨大な城を見上げた。
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