11 / 23
第二部 首を繋がれた王と姫君
第十一話 毒林檎をくわえる屍
しおりを挟む
第十一話 毒林檎をくわえる屍
―――This is the story of Reo.
教室や廊下の至る所に薔薇が飾られるようになった。今年は色も統一しているらしく、白い大理石によく映える深紅の花弁がとても美しかった。古くから伝わる習慣の一つで、薔薇の香りで体内を浄化する意味がありガドレが近くなると城内をすべて薔薇で飾り立て儀式に備えていた。この頃になると女子たちがそわそわし出すのも、誰もが美しい花に化けようと意気込むからだろうとぼくは思った。
確かにここの生徒はそれなりに魅力のある外見ばかりが揃っている。だけど並外れた容姿の持ち主には、どんなに着飾っても適わない。それでも奮闘するのはきっとガドレの主に選ばれ栄光を手に入れたいからだろう。去年はどうしてかシュカが選ばれてしまった。見た目はさておき中身には問題があると思うが……と首を傾げる。セトの好みもよくわからないとぼやいた。
「やぁ、レオ。見てよ、今度の生徒会は趣味がいいんだね」
教室を移動中だったのか教科書を抱えベンジャミンが可愛らしく笑いかけてきた。その可憐な仕草を見て、もし選ばれるのが乙女と決められていなければ、きっと彼も候補に上げているだろうと思った。
「生徒会長にあの日本人が選ばれるとは思わなかったよ。副会長は女子の投票で確実だって思っていたけどね」
「そうかな? ミドリもなかなか綺麗な顔立ちをしているし、信頼もあるよ」
「きみの基準は外見に重点を置いているね。ところでミドリと仲がいいの?」
「転校初日に案内した程度さ。ぼくもあまり顔を合わせないね。あぁ、でも最近は生徒会と監督生の関係で少し喋るようになったかな」
「ふぅん…、ミドリってキサメと仲がいいらしいね。類は友を呼ぶって言うらしいけど」
「眼鏡のむっつりくんかぁ……『萌え』…だな」
「モエ? 何、それ? 日本語じゃなくて英語で喋ってよ」
口を尖らせるベンジャミンの頭を撫ぜ、その華奢な身体を抱きしめたい衝動を抑え答えた。
「日本の大都市で流行っている言葉だよ。美しいものを見るとつい、みんながそう叫んでしまうらしいよ」
「へぇ…じゃあ、カナムラ教授なんかもモエなんだね」
納得した表情で頷くとベンジャミンは男子トイレの前で立ち止まった。中からツインの声が聞こえてきた。
「ハルキっ! ハンカチ貸してぇ」
「たまには自分でも持ってきなよ! いつもぼくのを使ってる!」
相変わらず仲睦まじいツインのやりとりを扉越しに聞きベンジャミンと顔を見合わせて思わず微笑んだ。
「じゃあぼくはツインと一緒にいくよ。それじゃぁね、レオ!」
あぁ、と手を振り歩き進めるも、ベンジャミンが口にした言葉が気になって何度も反芻をした。ベンジャミンはカナムラ教授たち美術教員を毛嫌いしていた。それは彼女たちの指導力や人柄、容姿に関係なく芸術作品を作るのは身分の低い者のする仕事だと軽蔑していたからだ。
―――それなのに何故…カナムラ教授を?
腑に落ちないものを感じつつも授業開始を告げる鐘が鳴った為、急いで次の教室へ向かった。
フランス語の授業はベティたちもとっていないので、私は窓際の一番後ろの席で受けていた。すべての椅子を埋め尽くす制服の背中越しにジャクリーヌ教授の姿を捉える。先程からフランスの詩を朗読しそれを生徒たちに文字起こしさせていた。
半分ほどノートに書きとめた所でふっと息を吐く。聞き慣れない異国の言葉は子守唄のようで心地よい。何となくこれ以上授業に集中できそうになかったので、今朝届いた芹沢さんからの手紙を開けてみることにした。
『久しぶり。二人とも元気かしら?』
と言う出だしに、翠は彼女とあまり接点を作っていないのだと悟った。それにしてもたかだか後見人がこんなに頻繁に手紙を寄越すなんて…よほどお母さんを慕っていたのね。
『秋田では大雪で雪崩まで起き、死傷者が出ているっていうのに東京ではまだ雪も降りません。そちらではどうかしら? 風邪にはくれぐれも注意してね。
先日妃紗子さんのお墓参りにいき偶然彼女の後輩に会いました。ベンバー教授って方のお知り合いだそうだけど、琳子ちゃんも知っている? 結衣子さんという方で、彼女から色々と妃紗子さんについて聞けました。唐突な質問になるかもしれないけれど、琳子ちゃん。貴方のいるメール・ヴィ学園は安全ですか? 何か恐れるようなことはない? というのも…いえ、正直に伝えた方が貴方を傷つけないと信じて書きます。
貴方たちが通う学園は、社会から拒絶された子どもたちの集まる場所だと聞かされました。もちろん、最高の環境の中ですくすくと学べる素敵な学校だとは思うわ。でも、人には言えない…例えば、身内から虐待を受けてきた子どもなどが送られてくる所、と彼女は言っていました。翠くんはさて置き私は貴方が心配です。もし不安に思う所があれば連絡を下さい。日本へ帰りたくなったらすぐにでも帰ってきてね。貴方たちの母国は、日本なのだから。
おかしな話をして混乱させてしまったかもしれないわね。ごめんなさい。
そう、メール・ヴィ学園に金村恵理って教授もいるでしょう? 私と彼女は実は最近友だちになったのよ。今、日本で作品を出しているのでいずれパンフレットを送ります。
それでは、また』
何度も紙面を読み返し、浮上してきた疑問について考えてみた。
ベンバー教授の知り合いが墓参りにきていた。葬式にも同級生たちは顔を出さなかったのに今更何を目的にきたのだろう。それにカナムラ教授がどうして芹沢さんに近づいて? 二人のうち、どちらかが故意に彼女に接近している可能性がある。いくらなんでも同時期に近づく訳がない。バロの命令を受けたベンバー教授が、日本に住む知り合いを使った可能性もある。母の後輩ってことはこの人物も同じ系列の学園を卒業しているのだろう。となると、この女性はバンバー教授と親しい間柄だった。
友人…いえ、恋人だったかもしれない。けれど恋人と母は折り合いが悪かったと聞いた。もしくはカナムラ教授がバロの命令で日本へきたのだろうか。けれど彼女には展覧会という目的がある。
どちらにせよ、芹沢さんを通じて私たちのデーターを集めている人物がいるのは確かだ。
狙いは私? それとも翠? 学園にとって邪魔になる存在……シィクンツッに選ばれた翠。何もない、私。
詩の朗読が終わったので手紙から目を逸らして顔を上げた。今度は教授に指名された生徒が、自分の気に入った箇所をフランス語で読み上げている。そういえばベンバー教授はやけに私とキッコの仲を気にかけていた。私の動向を監視していたのだろうか。
「……」
図書館で見たキッコの泣き顔を思い出し憂鬱な気分になる。もしかしたらあの子も利用されていただけかもしれない。キッコを使って私から何らかの情報を得ようとしていたのかしら。
けれど、どうして私を選んで―――?
自問自答してから急に虚しくなった。その原因は痛いほどよくわかっている。だから考える必要なんてない。私は翠のようになれない。シィクンツッの本当の意味なんてわからない。だけど翠が選ばれたのなら、どうして私も選んでくれなかったのだろう。それほど私は、まだ、未熟なのかしら。手紙でも芹沢さんは翠より私の方を心配していた。誰が見ても私と彼の差は歴然としているのだ。
美しい詩の朗読に紛れるよう、私は密かに奥歯を噛んだ。
昼食の鐘が鳴り生徒たちが食堂を目指して走った。監督生のぼくらには指定の席が用意されており、特別慌てる必要もない。しかしたまに出る新しいお菓子の類はすぐに消えてしまうので食いっぱぐれる生徒は多かった。
廊下を抜けていくと前方に三つ編みを長く垂らした後ろ姿を捉えた。珍しく琳子が一人で歩いているので速度を落とし声をかけることにした。
「リンコ! これから昼食?」
「あら、レオ。そうよ、食堂でベティたちと待ち合わせているの」
兄の翠以上に接点のない琳子との久しぶりの会話に、ついつい浮足立つのを感じた。
「リンコはもうドレスを決めたの?」
「それがまだなの。カタログを見たんだけどあまりピンとこなくて」
「もったいないなぁ、リンコなら絶対に青いドレスが似合うと思うんだけどなぁ」
日本人にしては色素の薄い髪の毛と瞳を眺め、頭の中でドレスアップした琳子をイメージしてみた。
―――膝丈ぐらいがいい。青いの上に生地の薄い白いレースを重ねて、清楚さを前面に出せば彼女が持つ本来の妖艶さが際立つに違いない。
「あっ! そうだ、シュカがむかし買ってあっんまりにも似合わなかったから一度も使ってないドレスがあるんだ。それならリンコによく似合うよ」
「そ、そんなシュカに悪いわ。青いドレスならレンタルでもあるし」
「いぃや! あれを着こなせるのはきみだけだよ。どーして姉みたいな奴が、あんなファンシーなドレスを買ったのかわからないんだ。ねっ! ぼくはきみがあのドレスを着た所を見てみたいんだよ」
すると一方的に興奮するぼくを宥めるかのように優しく諭すような口調で琳子が答えた。
「心遣いはとても嬉しいわ。でもシュカのものを勝手に借りる訳にはいかないもの」
「大丈夫だよ。借りるどころかプレゼントするさ、どーせ箪笥の肥しになってるんだし。姉を説得させたらいいだろ?」
完全に引く気のないつもりで尋ねると琳子は困ったように微笑んだ。
もはやぼくの頭の中では完全にあのドレスを着て、完璧に仕上げられた琳子の姿が鮮明にイメージされていた。青いドレスに合わせて青く塗った薔薇を頭に飾れば、もう誰もが彼女の美しさに釘づけだろう。恍惚としながら逡巡する琳子を懇願の眼差しで見詰める。その甲斐あってか、しばらく悩んでいた彼女もふっと口元を緩め肩を竦めた。
「……嬉しい。本当は自分でドレスを選ぶ自信がなかったの。レオが目利きしてくれたものならきっと素敵だわ。ありがとう。ありがとう!」
まるで蕾が開くかのように可憐なその笑顔につい言葉を失った。人目を惹く際立った容姿にこの控えめな反応は、それだけで十分にぼくの心を鷲掴みにした。
「あ、それじゃあベティたちがいるから、またね。貴方の正装姿も楽しみにしているわ!」
食堂に着くなり手を振って駆けていく彼女を見送り、心地よく早鐘を打つ胸を押さえ余韻に浸るかのように小さく息を吐いた。
それから監督生たちのテーブルに向かった。もはや指定席と化した右端の席で黙々と食事をとるシュカの姿があった。神経質な彼女は決まった作業を終えるまで邪魔が入ることを許さない性格だった。その為食事が済むまで余程のことがない限り、彼女に声をかけることは避けた方が身の為だった。シュカの皿にまだ残る料理の量を確かめてからぼくも食事をとりに向かった。
料理を物色しているとふいに背後に人の気配を感じ振り返った。見ると寝癖か天然パーマなのか判別しがたい髪型をしたジャックが立っていた。
「やぁ、レオ。今から昼食かい?」
「モーヴィエ。貴方も相変わらず頭がぐしゃぐしゃですよ」
ジャックは目尻に皺を刻み照れ笑いをした。彼と親しいベンバー教授と比べて少し老けて見られがちだが、その人柄は教授たちだけではなく生徒の間でも評価されていた。
「そうそう、ミスター・ジャックと同じイギリスの医大に進路が決まっているんですよ。向こうのレベルってどうでした?」
「あぁ、是非ともワルッティマン教授の授業を受けてみるといいよ。彼の元で学べて本当によかった。医者があるべき姿と現実に求められている理想について…実によくわかったからね」
「そのギャップを知って医者の道を諦めたんですか?」
「……医者としてのぼくよりも、もっと求められる姿があったから、かな。秘書として働く方が性に合っているのかもしれない」
確かにジャックとバロの間には見えないながらも確固たる信頼が築かれていた。何よりジャック自身も日々の仕事を楽し気にこなしているように見えた。この学園の卒業生だったというジャックを見上げ、ぼくは己が進むべき道について再び想いを馳せた。
「美容外科医…だったね。美を追求していくことに喜びを見出す、きみらしい選択だね」
「えぇ、頑張りますよ。世界中を美で溢れさせるのがぼくの野望ですから」
諦めることのできない夢を思い出すと、ぼくは出来立てのフライドチキンをトレーにとった。
ずっと頭を誰かに抑えられていた気がする。意識ははっきりしているのに『ぼく』の身体はひどく疲れていて重たく動かせられない。
もう夜になったのか、それともただ瞼を閉ざしているのか、辺りは真っ暗で何も見えない。静かすぎて誰の気配も感じられないけど、ここはどこだろう。いつもなら壁の裏側を通って、キサメやミドリたちを監視しているはずなのにどうしてここにいるのだろう。
次第に神経が研ぎ澄まされ始め、手足の痺れに気づいた。これはいつもの発作の後にくる症状と同じだった。身体から意識だけが剥ぎ取られたような居心地の悪さ。臀部から伝わるクッションの柔らかさもどこか嘘っぽくて気持ち悪い。
ふいに目の前の空気が動いた。誰かがそこにいたのか、それとも気づかないうちに現れたのかわからないけど、移動した後からほのかに薔薇の香りが漂った。
「きみの名前は?」
「……ユーディット」
乾いていた唇が自然と動き答える。対峙する人物はしばらく黙り込むと、もう一度
「きみの名前は?」
と問いかけてきた。
「シャルル・ロー・ハイアム」
また唇が勝手に答える。
「きみの名前は?」
「アンダァーソン・エド」
「きみの名前は?」
「ナナミ・ヒラマツ」
「きみの名前は?」
「チャンユ・ルソン」
「まだいるね。きみの名前はあとどれだけあるのかな?」
「……わかんない。沢山いる」
素直にそう答えると、短い沈黙が流れた。突然、柔らかい手が『ぼく』の頭を撫ぜた。
「そうか、それなら最後の質問にしよう。きみは誰の味方かな? バロの元に集う迷子たちを救うことがきでるだろうか? それとも哀れなシィクンツッも救ってあげるだろうか?」
最後と言う割には質問が多い。沢山聞かれたのでしばらく頭の中で考え、すべての問いかけに一言で答えられる言葉を吐き出した。
「バロが望むままに」
バロの命令ならば背く訳にはいかない。
「バロに救われたのに、仲間を救えなかったら『ぼく』が殺されちゃうよ」
人物は苦笑した。笑い声は意外にも若かい。先程の温かな手にも覚えがあったけど思い出せなかった。
「目を閉じてゆっくり数を数えてごらん。次に目が覚めたらきみは、元の世界に戻っているよ」
両手が『ぼく』の耳を覆う。顔に押しつけられた温もりと一緒に、規則正しい鼓動が聞こえてきた。
「いーち。にーぃ。さぁーん…」
言われた通りゆっくりと数えていく。意識が朦朧とし頭の奥で睡魔が襲いかかる準備を始めたのがわかった。
「きみは新しい世界を築く大切な子どもだ…」
彼がそう囁くのを聞き届けたのを最後に、一切の感覚が途切れた。
食堂を出て次の授業までどこかで暇を潰そうというジェニファーの提案に乗って、一同は談話室へ移動していた。
輪を作って歩く彼女たちの背中を眺めながら憂鬱な気分に返る。甲高い笑い声やおしゃれや恋に夢中になる彼女らについていくのがしんどくなってきた。上辺だけの関係を続けるのには何の意味もないかもしれない。
誰かと話したい。取り繕うことなく、ありのままの自分で喋りたい。気づかれないように嘆息を吐きながら窓の外へ視線を向ける。まだ雪が高く積んだまま残り、曇った鈍い空の色をそのまま反射していた。
生きものの気配もない薄暗い外の世界に黒い人影を見つける。驚いて窓辺に寄るとマントに身を包んだセトが一人で歩いていた。辺りを気遣うように素早く歩き雪道に足跡をつけどこかへ向かって消えていった。
激しい衝動に襲われて踵を返し駆け出した。
「リンコー! どうしたの?」
サエの呼び声に「忘れものをしたの」と答え、振り向かずに脚を速めた。
城の外に出てその気温の低さに心から後悔した。全身の血が一瞬にして凍りついてしまいそうな寒さ。マントを取りに戻るべきか逡巡したが、雪をかぶった茂みの下にセトの足跡を見つけ覚悟を決めた。膝まで雪につかりながら彼の足跡を辿って進んでみる。こんな中で何をしようとしているのだろう。聞きたいことは沢山ある。疑うべき所も沢山ある。けれど私がそうであるように彼も、何かを隠してその上からヴェールをかぶせているように思えた。
知りたい。謎を解き明かしたい。それはただ純粋な願いのつもりだったが、この足跡の先に彼がいるのかと思うと何故か胸が熱くなった。
「はぁ…はぁ……」
雪道は意外と体力を使うのだと、生まれながら都会に住んでいた私は改めて雪の恐ろしさに気づかされた。脚が凍傷を起こしそうなくらい痛くて冷たさに神経が麻痺していく。
必死に気持ちを昂らせて雪を掻き分け進むと、青白い氷の城のような風貌になり変った温室まで辿り着いた。軒に巨大な氷柱が並び訪れるものを威嚇しているようにも見える。ガラスに下りた霜が温室内の様子を覆い隠していた。
足跡は入り口まで続いている。温室の存在は知っていたが直に触れるのは初めてだ。中にセトの他に誰かいるかもしれないと警戒したが、かじかんだ指で扉を開けると、硬直した皮膚を撫ぜる暖気に負けてつい転がり込んでしまった。
温かな空気が薔薇色に染まっている。まるで酸素に色がついたように、室内には色とりどりの薔薇が咲き乱れていた。中でも今朝から校内に飾られている真っ赤な薔薇が多く目立ち、それらを背景に立つ彼の姿はさながら眠りの森に訪れた魔法使いのようだった。
「……リン…コ?」
私を見るなり彼は驚きをあらわに嘆息した。
「今の…いや。こんな所まできて、どうしたの?」
常に冷静な態度を崩さない彼が珍しく動揺している。そういえばいつもより顔色が優れないようだ。目の下にも薄っすらと隈ができていた。
「聞きたいことがあって、追ってきたの」
室内はとても暖かだけど指先まではなかなか循環がよくならない。ハァと息を吐きかけながら小刻みに身体を震わせて紡いだ。
「貴方は……誰の、味方なの?」
私の質問にセトは一瞬肩をビクッと震わせた。何か核心を衝いていたのだろうか。けれど寒さに気をとられ、そこまで考えが回らなかった。地面に敷き詰められた芝生に腰を下ろし身体を縮ませて更に問う。
「この学園が他と違うってよくわかったわ。みんな、ここ以外に居場所がないから学園から出ていく訳にはいかない。でもそんな子どもたちを薬で操るなんて許されない」
「許す…って誰が、誰を裁く、の?」
足元に落ちていた薔薇を踏み潰し、セトは一歩。また一歩と近づいてきた。
「きみがぼくを裁くの? それとも大人が子どもを裁くの? 世界は大人たちのものだよ。ぼくらは彼らの仲間入りをするまでその庇護下でしか生きていけない」
能面のような表情。何も映していないのに、空っぽの瞳には暗澹とした翳りが見えた。
身につけていたマントを脱ぎそっと私の肩にかけると
「リンコは誤解しているよ。薬は毒物じゃない。セリサワさんにも調べてもらったでしょう? 何も害のない、ただのお菓子だよ」
間近に迫った顔を見て背筋に衝撃が走った。私の行動もすべて読まれていたのだ。もしかしたら彼の部屋を調べたことも、翠との会話も―――
「きみは仲間になれると思った。出来損ないの、彼女たちと違ってぼくの大切な人にもなれると期待していた」
首筋から胸元にかけて流れる三つ編みを掴むと、目を伏せて静かに微笑んだ。その笑顔に不吉なものを感じる。
「伝説の乙女のようにどんな時も己の信念を貫き、待ち続けてくれると信じていた」
「乙女?」
「………きみの、お祖父さんとお祖母さんはどうして亡くなったの?」
前後の脈略に関係のない質問をぶつけてきた。あまりに急な会話の方向転換にしばし戸惑うも、さっきの笑顔が目に焼きついて嫌な予感が頭から離れなかった。
「小学校の頃にお祖父ちゃんは階段を滑り落ちて」
一言ずつ、確かに記憶を辿りながら紡いでいく。
真っ暗な部屋…翠は電気をとりに消えて、私は風と木の悲鳴に怯えていた……
「お祖母ちゃんはその悲鳴に驚いて心臓発作で、二人は同じ夜に」
「先月日本の最高裁で一人の死刑判決が決定された。彼は二人の命を奪い、家族を不幸のどん底にまで陥れた極悪人だった。けれど、彼の表の顔は人当たりのいい地方公務員だった」
「それが何か関係あるの?」
詰問口調になる私を見て、セトはかぶりを振るとまる憐れむような表情を浮かべた。
「何も知らない方が幸せだけど、すべてを忘れるのは難しい。だからぼくらは錠をかけて鍵を飲み込むんだ」
『Dina da doo.』
と彼は呟いた。
ドクター・アンジーのノートに書かれた言葉が脳裏に蘇る。それの本来の意味とは一体何なのだろう。おまじないのように、時に祈りの言葉のように口走る生徒たち。ベンジャミンの失踪が彼の死を意味することを知りながらも、生徒たちはそれを隠蔽しようとしている。
何も知らない方が幸せ…? そうよ、私は知らない。恐れるものなど何もないはずなのに、どうしてこんなに彼の言葉が心を揺さぶるのだろう。目を合わせるのが恐ろしくて意識的に顔を伏せた。
話の核心に近づくかと思えば突然、話題を転換させるその目的は何? その手法は私にヒントを与え自主的に問題の存在に気づかせようとしているかのようだった。
知らないことが幸せ…
でも、私は知っている。翠が私をいつからか憎むようになり、家族の心がばらばらになっていったのも。大好きだったお祖父ちゃんたちが、あの、嵐の夜に亡くなった事実さえも。すべてを知った上で私は忘却を選んだ。
「私が知らないと言えば…」
無意識に唇の間から言葉がこぼれる。
「目の前にいる、貴方についてよ」
セトは意外そうに目を見開いた。
午後の授業が始まる前にシュカにあのドレスの件を頼んでみようと、彼女が普段からよく自習に使っている地下の談話室へ向かった。一応は談話室の名がついているものの、あの部屋の存在を知る生徒は少なく使用する際に鍵を図書室で借りなければいけない面倒がついてくるのであまり使われていなかった。だが内側からも鍵をかけられるので、そこに目をつけた姉がよく占領している。
カウンターで鍵が借りられているのを確認し書架の奥にある扉を開ける。石段に湿気のある空気が作用して非常に滑り易くなっていた。また灯りが何十メートルもの間を置いて点在しているので、陰気な雰囲気も生徒たちの不評を買っていた。
慎重に階段を下りながら、暖房のきかないひんやりとした空気に身体がどんどん引き締まっていく気がした。足音が長く尾を引いて辺りに響き渡る。どこかでネズミたちが群れをなして駆けていく気配がした。
元は城の地下貯水庫を改造したものだったらしい。湖に毒を散布され、それを汲んでいたこの城の住人たちは次々と倒れて死んでいったと噂で聞いた。今も清涼な水を求めてゴーストたちは夜な夜な、校内を徘徊しているのだと入学したての頃に先輩たちに脅されたのを覚えている。けれどそれもあながち嘘ばかりではない。
事実、この地下には選ばれてしまったぼくらの仲間たちが眠っているのだから―――
彼らの眠りを妨げるものはあらわれない。薔薇の香りが彼らの眠りを守り続けているのだ。
「…ふぅ」
こめかみに浮かんでいた汗を拭いほっと溜息を漏らす。階段を終えてようやく平らな地面に足をつけた。濡れた石畳の床に電灯が反射して微妙な光を発している。
「それにしても広いなぁ…」
学園に入学してからかれこれ五年程この城で生活をしているぼくだけど、未だに知らない通路はいくつもあった。無謀に冒険をして、ゴーストの仲間入りはしたくないと冗談交じりに苦笑しまっすぐ談話室へ向かった。
暗闇の中に扉の隙間から漏れる光を見つけ、ぼくは心なしか歩調を速めた。
「―――セト!」
背後から鋭い少女の声が響いた。驚き振り返ると同時に、私の耳元に顔を寄せていたセトが入り口に佇むユンの元へさっさと歩き出していた。その俊敏な身のこなしに感心する。
ユンは不機嫌そうに私の方を見やりながら
「次、グドゥの授業を受けるんでしょ? 早くしないと遅刻しちゃうよ」
と追い立てた。
「あぁそうだった。ゲンジロウにお菓子届けなくちゃいけないんだ」
これまでの口調を一変させた、おっとりとした態度。さっきまでの緊迫した空気はもはや完璧に息をひそめていた。肩越しに私を気にかけるユンとは対照的に、セトはただ一度も振り返らず、コートを私に預けたまま温室から出ていってしまった。
鼓膜にまだ残る彼の温かな息吹を感じながら、耳元で囁かれた言葉を反芻した。
『きみを外の世界へ連れていってあげるその時まで、逃げずに待っておいで』
自然と深い溜息が漏れる。いつの間にか心臓が早鐘を打っていたのに、それにも気づかないくらい緊張していたみたいだ。温度の所為か頬がとても熱い。なんだか手綱を彼に握られたままの中途半端に状態にわずかな焦りを覚えた。
そっと胸に手を当てて波打つ鼓動に耳を澄ませる。落ち着こう、落ち着こうと思っていてもなかなか心音は正常なリズムに戻らない。しばらくしてから立ち上がり、温室に入った時にセトがいた位置まで向かってみた。
ここで何をしていたのかしら。
しゃがみ込んで芝生の上を観察してみる。よく見ると植木の根元に新しい掘り返した痕跡があった。けれど辺りにシャベルやその代わりになりそうなものもない。土のついていなかった彼の手を思い出し、誰かが掘り返したものを確かめにきたのだろうと推測した。
誰が…と考えて真っ先に思いつくのはやはりティルだった。彼女は何を探していたのかしら。雪も積もり誰もここへ近づかない今を狙ってセトが確認にきたのだ。
辻褄は合うけど、後は証拠よね。
袖口をめくって土を起こしてみる。しばらく土の感触がやわらかかったので素手でも難なくこなせたが、次第に土壌が硬くなりせっかく温まっていた指も地下に近づくにつれ冷えてきた。素手で掘れる限界まで奮闘してみたが何も見当たらない。これ以上はシャベルがいると薄皮が剥けた指を見て断念した。
仕方なく盛り上がった土を戻そうと両手ですくったその時、指先に違和感を覚え再び手を開いた。
土や小さな小石に交じって私の指に絡みついたのは、金色の鎖に通された剣を胸に抱く乙女のネックレスだった。疑うまでもなく、この地の伝説に基づいた剣の乙女だろう。けれど誰のものなのだろう。乙女の背中を確かめるとそこには小さく「T to B」と彫られていた。
―――From Till to Benjamin.
二人がどんな想いでこれを受け取ったのか思うと、どうしようもなく胸が痛くなった。
きっと彼はここで殺されたのだ。それを知ったティルが証拠を探してここへきたのだろう。待って。それじゃセトは殺害現場を予め知っていたから、こうして現場の証拠を隠蔽しようとしていたってことになる。するとベンジャミンを実際に手をかけたのは……
「…セト……?」
扉を開けると薔薇のきつい香りが鼻をついた。こんな地下でも生徒会はちゃんと薔薇を飾っている。彼らの手抜かりのなさに感嘆しながら、ぼくは小さな丸テーブルに積まれた教科書の山から覗く制服の裾を確認し頬を緩めた。
「姉さんに頼みがあるんだ」
おねだりの時だけは『姉さん』って呼ぶ、とシュカによく叱られた。そんなことを思い出しながら後ろ手で扉を閉めた。
「ずっと前に買った青いドレスがあったろ? あれ、いらないならぼくにくれよ」
上階の談話室の三分の一にも満たない狭さの室内を歩き、彼女が顔を沈めるテーブルへ歩み寄った。
「一度も使ってないのに捨てるに捨てられないっていってたよね。どうせならもっと似合う子に着て欲しいと思ってさ。姉さんにとって最後のガドレだし、今年はチャイナを着るんだろ? 黒くて姉さんにぴったりなやつが確かあったよ。たまには髪の毛もいじってさ」
高積みされた教科書が突然、崩れ落ち床に派手な音を立てて散らばる。テーブルの上から蒼褪めた顔が姿をあらわした。血走った目は虚ろに宙を彷徨い、醜く歪んだ口からは赤く染まった涎がこぼれている。荒々しい呼吸はまるで病人のようだ。これでも去年はガドレの主に見初められ名誉ある乙女の座を射止めたというのに。
「あぁ…だからちゃんと、お菓子は食べ続けなくちゃ駄目だっていったのに」
彼女の身体の震えがテーブルに伝わり他の教科書まで雪崩れを起こしそうだ。ぴくぴくと痙攣するシュカの手を握ると、ぼくは空いたスペースに腰をかけた。
「でも姉さんは綺麗だからさ、いつか仲間に入れてもらえるさ。そうしたらもう、永遠にこの国から離れなくていいんだよ」
何かを求めるようにもがく指を優しく受け止め、赤子をあやす調子で続けた。
「いつもぼくの考えは甘いって言うけど、どうしてぼくが美容外科医になりたいかその理由も知ってる? ぼくも選ばれなかった子どもたちを救いたいからさ。セトのように広く救いの手を差し伸べることはできないけど、醜く生まれてきた子どもたちをこの手で…っ」
鈍い痛みを覚え、ぼくはシュカが爪を立てている手の甲を眺めた。必死に意思疎通を図ろうとする彼女の潤んだ瞳に微笑みを返し、ポケットからチョコレートを入れた缶を取り手渡した。
「あ…あぁ!」
ドライフルーツをチョコで包んだ小さなお菓子を、まるで天からの恵みのように味わうシュカを見守り宙ぶらりんになっていた言葉を紡いだ。
「ぼくらのように…選ばれなかった大勢の子どもたちを救うんだ。ここは地上に残された楽園……。ぼくらは選ばれた子ども。エデンに咲く罪の果実は…さしずめ、その甘いお菓子って所かな」
指先に冷たいものが伝わる。テーブルに這いつくばるような格好でチョコを食べていたシュカが涙を流していた。
「馬鹿だなぁ」
彼女の目尻にたまった水滴をハンカチで拭ってやると、むせかえるような薔薇の香りに眩暈がした。
「知りたくもないわ…」
ようやく身体の自由がきくようになったらしく、シュカは上体を起こし口元の涎を拭った。それでもずっとお菓子は離さずに。
「選ばれなかった子どもたちが、どうしているかなんて、私たちには関係ない」
いつの間にか手渡した缶の中のチョコレートをほとんど消化した姉につい呆れながらもぼくは目を向けた。普段見ないようにしていても、どうしても彼女の指が気になってしまった。
黒ずんだ、シュカの爪。
ここへ入学する前までの姉は自分の部屋にこもったまま。いわゆる引きこもり生活をしていた。たまに顔を合わせても声も交わせず、怒りや悲しみそして笑顔も見せないでずっと爪を噛み続けていた。
両親から寄せられる多大な期待に応えようとするうちに、勉強以外に何もできなくなった不器用な姉。けれど彼女は変わった。この学園で少ないながらも友人を作り、シュカは自らの力で閉じこもっていた殻から出てきた。
鈍い痛みを発する頭を抑え、シュカの手元から空になった缶を取り上げた。
「…香りがきつい……」
かつての自分たちに選ばれなかった子どもらを重ね、頬を涙で濡らすとシュカは小さな声で呟いた。
制服を着替えに寮へ戻ると、室内に人の気配があったので身構えながらドアノブを回した。ティルが机に腰をかけて私を待っていた。
咄嗟に周囲に誰もいないかを確認し、忍び込むように入ると急いで扉を閉めて鍵をかける。ずっと私を見詰めるティルに一瞥をくれると、クローゼットから制服を取り出した。
「話があるなら手短にして。寮の前で友だちが待っているから」
「……私と…一緒に戦って欲しいの」
やや掠れた声。ちらっと見た彼女の目が、赤く腫れ上がっていたのを思い出しずっと泣いていたのかと察した。コートを窓辺にかけ湿った服を脱いで着替え始める。
「証言台にも立つわ。この身体を調べてくれていい」
私の背中に向かってティルが懇願する。窓ガラスに反射する、床に両膝をつき涙を流すその姿を横目で捉え、頭の中で冷静に彼女の真偽を見極めようと考えた。
「そうすれば薬に関して何かわかるかもしれない。なんでもするの。だから、お願いだから……セトを助けてあげて…」
「セト、を?」
意外な名前に振り返る。彼女の目的はベンジャミンにあるのだとばかり思い込んでいた。
「彼の遺体を探しているんじゃないの?」
「ベンジャミンは…私をここから連れ出そうとしてくれていた。だから私の所為で殺された。私が、私が……」
黄金色に輝く髪を掻き毟りながら、彼女は頭を振り叫んだ。
「ファルバロのフィアンセだから。私の罪がベンジャミンを死刑にした。私が殺したの! 私の所為なの!」
「…フィ、アンセ…?」
ぎこちなく反芻するも、その意味が頭まで届かない。彼女が何を言っているのかよく理解できなかった。
「私の知っているのを全部話すから、お願いだから、セトを助けてあげて。彼をバロから自立させなくちゃ、もっと被害は広がっていく。ベンジャミンのように殺されてしまうの!」
ティルがセトのフィアンセ。二人は婚約して―――どういうこと? だって彼女はコルスティモ…彼に相応しいはずがないのに。
胸が熱く苦しい。何故だろう。理屈じゃ割り切れない感情が激しく起伏し、全身を駆け巡る血液に醜い感情が混じって流れていく。
でも、どうして? 彼女がこんなに下手に出ている。利用しなくちゃいけない。頬を伝う涙まで、まるで緻密に計算されてできたような美しさ。こんなに綺麗な少女を見て、セトが何も感じない訳がない。
激しい眩暈を覚え私はベッドに腰をかけた。床に座り込んで泣いていたティルも救いを求めるように見上げてきた。
彼女の美しさに苛立っているの? 違う。それだけではない…。けれどそれ以上考えても答えは見つからなかった。蠢く感情を理性で無理やり押さえつけるうちに、私は温室で見つけたあのネックレスについて語るタイミングを失った。ただ、辛うじて首を縦に振ることでティルはその美しい顔に素晴らしい笑顔を浮かべて見せた。
ガドレで乙女を選ぶようになったのは七年前から。ユンの姉、チュチュが失踪した際にバロが発した言葉が発端となり、それは儀式の一部となって受け継がれるようになった。
儀式が始まっても以前と姿を現さないパルトロの安否を気遣う生徒たちに、バロは
『美しきパルトロは剣を見つけると同時に、伝説の乙女へなりかわった』
と伝え、創立以降初めてガドレが行われなかったらしい。確信となる素材は何もないけど、チュチュは殺されていると思う。それをごまかす為に乙女選びが始まったのだろう。
写真でしか見たことのないチュチュは…とても長い黒髪の美しい人だった。
『父は…この国の貴族だった。だからかつて国の独立に手を貸したアンサッバル王国の王族のベンジャミンとは、幼い頃から知り合いだったの。それで私が実際ファルバロと会ったのは学園に入る少し前』
強いバックアップになるからと決められた政略絡みの婚約。互いに言葉を交わす機会もなく、セトがどういう人物なのかさえ知らないとティルは答えた。
『ファルバロはバロの操り人形…いえ、彼自身がそれを望んでいる。バロの命令で彼は生徒たちを選別し、主にグドゥから彼の仲間になれる人材を選んでいる。そして学園にとって反乱因子になりうる生徒をシィクンツッと呼んで』
言葉を区切り、しばらく黙り込むと押し殺した声で小さく呟いた。
「ベンジャミンも…シィクンツッだった」
シィクンツッに選ばれた子どもは殺される。翠とキサメが危ない。そう思いやってきたものの、生徒会室の前に立った途端に急に身体が竦んで動けなくなっていた。二人に警告すべきだろうか。でも、彼らなら既にその情報だって掴んでいるかもしれない。そうすると私のしようとしていることはただのお節介になる。
翠になんて思われるだろう。余計な真似はするなと、冷たく罵られるかもしれない。氷のような眼差しが、また向けられるのかと思うと全身の筋肉が硬直してしまう。
午後の授業が終わって間もない。もしかしたら誰もいないかもしれないと、大きな扉に耳を当てて中の様子に注意を向けた。
誰かの話し声が聞こえる。
「彼女の父親候補は、これでだいぶ絞れるのではないかな」
『父親』というキーワードに心臓が大きく飛び跳ねた。声からしてキサメに間違いない。対する返事も翠のものだった。
「毛髪を採取して日本へ送ろう。DNA鑑定に出す」
鼓動が早まる。既に彼らは調べを進め核心まで近づいているに違いない。私の父親……薬に大きく関わっている人物。見つけて、二人はどうするのだろう。一連の事件の真相を吐かせて、警察にでも突き出すのかしら?
何故か急に怖くなると同時に、まだ会ったこともない父親にほのかに期待を抱いていたことに気づいた。母から与えられなかった愛情を父親に求めようとしていたのかもしれない。見つけて欲しくない。だけど会いたい。それは矛盾した気持ちだとわかっていても、願わずにはいられない。
知りたいけれど、知るのが恐ろしい。だって、もしも実の父親からも拒まれたなら。私にはどこにも家族がいなくなってしまうから。
鈍く痛む胸に手を当て扉を押し開ける。扉の隙間から覗いた翠の顔が、無愛想なのに今までにないくらいどこか楽しそうで、彼は本音で語り合える友人を見つけたのだと思い切なくなった。
「…やぁ、リンコ! どうぞこっちのソファに腰をかけて。紅茶? それともコーヒーかな? ジュースもあるよ。もちろん果汁百パーセントのものばかりさ」
「私……翠に、話があるの」
勇気を振り絞って言葉に変える。バロの部屋には及ばないけど、初めて入る生徒会室は木製の家具に囲まれたとても居心地のよい空間だった。テーブルに飾られた赤い薔薇を前に座ると、翠は膝を組んで私を直視した。
「…交換条件でいいの。お願いを、聞いて」
語尾がか弱くすぼんでいく。ソファに座るキサメからも油断ならない眼差しを向けられ、ひどく落ち着かなかった。
「私の父親を見つけても、その正体を私に、知らせないで。私が…自分で見つけたいの」
震えが言葉にあらわれないように、腹に力を込めて吐き出す。
「その見返りは?」
「ファルバロ…のフィアンセであるティルから聞き出すすべての情報と、グドゥになった後の情報提供」
一瞬、キサメが期待するように身を乗り出したがそれを制するように冷笑を漏らすと
「今更…父親に何を求めてるんだよ?」
図星をさされ黙り込む私に代わってキサメが口を開いた。
「まぁまぁ、ぼくらでさえあのコルスティモとファルバロの関係を明確にできなかったのだよ。交換条件にしてはなかなかおいしいとは思わないかい? それにリンコ、安心したまえ。ミドリはともかく、ぼくはきみの父親を追及しようと思っている訳ではないのだから」
「薬の正体を明らかにして…どうするつもりなの?」
「さぁ、少なくともぼくとミドリの目的は違うからね」
大袈裟な身振りで立ち上がると、キサメはまるで舞台の上を歩くような動作で私の元まで近づいてきた。
「だから手を組んだといっても、こうしてきみに探りを入れることだってできるのさ。ねぇ……きみの祖父母は」
「キサメ!」
翠の声に空気がびりっと震えた気がした。仁王立ちする翠を見て、こんな風に彼が怒るのを久しぶりに見た。それにキサメもわざと彼を刺激するような台詞回しだった。
そうだ…確か、セトも私にお祖父ちゃんたちのことを聞いてきた。けれどみんな、どうしてそんなことを気にかけるのかしら。あの二人は嵐の夜に亡くなっただけで…わざわざ掘り返してまで話題に出したくもない。何も知らない方が幸せ。だから錠をかけて、鍵を飲み込むのだと……息苦しさを覚え胸に手を当てた。
今の私も同じ? 父親に少しでも希望を抱いていたかったから、こうして翠に頭を下げにきた。何も知らない、傷つかない一番の逃げ道を知っているから。
父親が違うことも―――知らなければあの幸せは戻ってくると信じていた。
「グドゥには入るな。それともうセトにも近づかない方がいい。それを条件に飲んでやるよ」
冷静を装う翠。だけど眼鏡を直すその指はわずかに震えている。
「ぼくからもプレゼント」
嬉しそうに顔を近づけキサメはそっと耳打ちをした。
「城の地下にはお菓子の食べ過ぎで中毒死した屍が、わんさかと眠っているから近づかない方がいいよ」
耳元から離れた顔に満面の笑顔を見て、初めて背筋に冷たいものが走った。
ここがおかしいのか、それとも私たちがおかしいのか。他に行く当てがないから集まった私たちだから、理想を求めてしまうのだ。私たちに与えられたこの巨大なお城は、私たちが生きていく為に必要な食糧と温かな寝床と安全な学び場を与えてくれる。刃を隠し弱者に牙を剥く外の世界とは無縁の場所。限られた敷地の中でだけなら私たちは自由を謳歌できる。
自分たちを正当化したくて―――ここは理想の地なのだと信じたくなる。
―――This is the story of Reo.
教室や廊下の至る所に薔薇が飾られるようになった。今年は色も統一しているらしく、白い大理石によく映える深紅の花弁がとても美しかった。古くから伝わる習慣の一つで、薔薇の香りで体内を浄化する意味がありガドレが近くなると城内をすべて薔薇で飾り立て儀式に備えていた。この頃になると女子たちがそわそわし出すのも、誰もが美しい花に化けようと意気込むからだろうとぼくは思った。
確かにここの生徒はそれなりに魅力のある外見ばかりが揃っている。だけど並外れた容姿の持ち主には、どんなに着飾っても適わない。それでも奮闘するのはきっとガドレの主に選ばれ栄光を手に入れたいからだろう。去年はどうしてかシュカが選ばれてしまった。見た目はさておき中身には問題があると思うが……と首を傾げる。セトの好みもよくわからないとぼやいた。
「やぁ、レオ。見てよ、今度の生徒会は趣味がいいんだね」
教室を移動中だったのか教科書を抱えベンジャミンが可愛らしく笑いかけてきた。その可憐な仕草を見て、もし選ばれるのが乙女と決められていなければ、きっと彼も候補に上げているだろうと思った。
「生徒会長にあの日本人が選ばれるとは思わなかったよ。副会長は女子の投票で確実だって思っていたけどね」
「そうかな? ミドリもなかなか綺麗な顔立ちをしているし、信頼もあるよ」
「きみの基準は外見に重点を置いているね。ところでミドリと仲がいいの?」
「転校初日に案内した程度さ。ぼくもあまり顔を合わせないね。あぁ、でも最近は生徒会と監督生の関係で少し喋るようになったかな」
「ふぅん…、ミドリってキサメと仲がいいらしいね。類は友を呼ぶって言うらしいけど」
「眼鏡のむっつりくんかぁ……『萌え』…だな」
「モエ? 何、それ? 日本語じゃなくて英語で喋ってよ」
口を尖らせるベンジャミンの頭を撫ぜ、その華奢な身体を抱きしめたい衝動を抑え答えた。
「日本の大都市で流行っている言葉だよ。美しいものを見るとつい、みんながそう叫んでしまうらしいよ」
「へぇ…じゃあ、カナムラ教授なんかもモエなんだね」
納得した表情で頷くとベンジャミンは男子トイレの前で立ち止まった。中からツインの声が聞こえてきた。
「ハルキっ! ハンカチ貸してぇ」
「たまには自分でも持ってきなよ! いつもぼくのを使ってる!」
相変わらず仲睦まじいツインのやりとりを扉越しに聞きベンジャミンと顔を見合わせて思わず微笑んだ。
「じゃあぼくはツインと一緒にいくよ。それじゃぁね、レオ!」
あぁ、と手を振り歩き進めるも、ベンジャミンが口にした言葉が気になって何度も反芻をした。ベンジャミンはカナムラ教授たち美術教員を毛嫌いしていた。それは彼女たちの指導力や人柄、容姿に関係なく芸術作品を作るのは身分の低い者のする仕事だと軽蔑していたからだ。
―――それなのに何故…カナムラ教授を?
腑に落ちないものを感じつつも授業開始を告げる鐘が鳴った為、急いで次の教室へ向かった。
フランス語の授業はベティたちもとっていないので、私は窓際の一番後ろの席で受けていた。すべての椅子を埋め尽くす制服の背中越しにジャクリーヌ教授の姿を捉える。先程からフランスの詩を朗読しそれを生徒たちに文字起こしさせていた。
半分ほどノートに書きとめた所でふっと息を吐く。聞き慣れない異国の言葉は子守唄のようで心地よい。何となくこれ以上授業に集中できそうになかったので、今朝届いた芹沢さんからの手紙を開けてみることにした。
『久しぶり。二人とも元気かしら?』
と言う出だしに、翠は彼女とあまり接点を作っていないのだと悟った。それにしてもたかだか後見人がこんなに頻繁に手紙を寄越すなんて…よほどお母さんを慕っていたのね。
『秋田では大雪で雪崩まで起き、死傷者が出ているっていうのに東京ではまだ雪も降りません。そちらではどうかしら? 風邪にはくれぐれも注意してね。
先日妃紗子さんのお墓参りにいき偶然彼女の後輩に会いました。ベンバー教授って方のお知り合いだそうだけど、琳子ちゃんも知っている? 結衣子さんという方で、彼女から色々と妃紗子さんについて聞けました。唐突な質問になるかもしれないけれど、琳子ちゃん。貴方のいるメール・ヴィ学園は安全ですか? 何か恐れるようなことはない? というのも…いえ、正直に伝えた方が貴方を傷つけないと信じて書きます。
貴方たちが通う学園は、社会から拒絶された子どもたちの集まる場所だと聞かされました。もちろん、最高の環境の中ですくすくと学べる素敵な学校だとは思うわ。でも、人には言えない…例えば、身内から虐待を受けてきた子どもなどが送られてくる所、と彼女は言っていました。翠くんはさて置き私は貴方が心配です。もし不安に思う所があれば連絡を下さい。日本へ帰りたくなったらすぐにでも帰ってきてね。貴方たちの母国は、日本なのだから。
おかしな話をして混乱させてしまったかもしれないわね。ごめんなさい。
そう、メール・ヴィ学園に金村恵理って教授もいるでしょう? 私と彼女は実は最近友だちになったのよ。今、日本で作品を出しているのでいずれパンフレットを送ります。
それでは、また』
何度も紙面を読み返し、浮上してきた疑問について考えてみた。
ベンバー教授の知り合いが墓参りにきていた。葬式にも同級生たちは顔を出さなかったのに今更何を目的にきたのだろう。それにカナムラ教授がどうして芹沢さんに近づいて? 二人のうち、どちらかが故意に彼女に接近している可能性がある。いくらなんでも同時期に近づく訳がない。バロの命令を受けたベンバー教授が、日本に住む知り合いを使った可能性もある。母の後輩ってことはこの人物も同じ系列の学園を卒業しているのだろう。となると、この女性はバンバー教授と親しい間柄だった。
友人…いえ、恋人だったかもしれない。けれど恋人と母は折り合いが悪かったと聞いた。もしくはカナムラ教授がバロの命令で日本へきたのだろうか。けれど彼女には展覧会という目的がある。
どちらにせよ、芹沢さんを通じて私たちのデーターを集めている人物がいるのは確かだ。
狙いは私? それとも翠? 学園にとって邪魔になる存在……シィクンツッに選ばれた翠。何もない、私。
詩の朗読が終わったので手紙から目を逸らして顔を上げた。今度は教授に指名された生徒が、自分の気に入った箇所をフランス語で読み上げている。そういえばベンバー教授はやけに私とキッコの仲を気にかけていた。私の動向を監視していたのだろうか。
「……」
図書館で見たキッコの泣き顔を思い出し憂鬱な気分になる。もしかしたらあの子も利用されていただけかもしれない。キッコを使って私から何らかの情報を得ようとしていたのかしら。
けれど、どうして私を選んで―――?
自問自答してから急に虚しくなった。その原因は痛いほどよくわかっている。だから考える必要なんてない。私は翠のようになれない。シィクンツッの本当の意味なんてわからない。だけど翠が選ばれたのなら、どうして私も選んでくれなかったのだろう。それほど私は、まだ、未熟なのかしら。手紙でも芹沢さんは翠より私の方を心配していた。誰が見ても私と彼の差は歴然としているのだ。
美しい詩の朗読に紛れるよう、私は密かに奥歯を噛んだ。
昼食の鐘が鳴り生徒たちが食堂を目指して走った。監督生のぼくらには指定の席が用意されており、特別慌てる必要もない。しかしたまに出る新しいお菓子の類はすぐに消えてしまうので食いっぱぐれる生徒は多かった。
廊下を抜けていくと前方に三つ編みを長く垂らした後ろ姿を捉えた。珍しく琳子が一人で歩いているので速度を落とし声をかけることにした。
「リンコ! これから昼食?」
「あら、レオ。そうよ、食堂でベティたちと待ち合わせているの」
兄の翠以上に接点のない琳子との久しぶりの会話に、ついつい浮足立つのを感じた。
「リンコはもうドレスを決めたの?」
「それがまだなの。カタログを見たんだけどあまりピンとこなくて」
「もったいないなぁ、リンコなら絶対に青いドレスが似合うと思うんだけどなぁ」
日本人にしては色素の薄い髪の毛と瞳を眺め、頭の中でドレスアップした琳子をイメージしてみた。
―――膝丈ぐらいがいい。青いの上に生地の薄い白いレースを重ねて、清楚さを前面に出せば彼女が持つ本来の妖艶さが際立つに違いない。
「あっ! そうだ、シュカがむかし買ってあっんまりにも似合わなかったから一度も使ってないドレスがあるんだ。それならリンコによく似合うよ」
「そ、そんなシュカに悪いわ。青いドレスならレンタルでもあるし」
「いぃや! あれを着こなせるのはきみだけだよ。どーして姉みたいな奴が、あんなファンシーなドレスを買ったのかわからないんだ。ねっ! ぼくはきみがあのドレスを着た所を見てみたいんだよ」
すると一方的に興奮するぼくを宥めるかのように優しく諭すような口調で琳子が答えた。
「心遣いはとても嬉しいわ。でもシュカのものを勝手に借りる訳にはいかないもの」
「大丈夫だよ。借りるどころかプレゼントするさ、どーせ箪笥の肥しになってるんだし。姉を説得させたらいいだろ?」
完全に引く気のないつもりで尋ねると琳子は困ったように微笑んだ。
もはやぼくの頭の中では完全にあのドレスを着て、完璧に仕上げられた琳子の姿が鮮明にイメージされていた。青いドレスに合わせて青く塗った薔薇を頭に飾れば、もう誰もが彼女の美しさに釘づけだろう。恍惚としながら逡巡する琳子を懇願の眼差しで見詰める。その甲斐あってか、しばらく悩んでいた彼女もふっと口元を緩め肩を竦めた。
「……嬉しい。本当は自分でドレスを選ぶ自信がなかったの。レオが目利きしてくれたものならきっと素敵だわ。ありがとう。ありがとう!」
まるで蕾が開くかのように可憐なその笑顔につい言葉を失った。人目を惹く際立った容姿にこの控えめな反応は、それだけで十分にぼくの心を鷲掴みにした。
「あ、それじゃあベティたちがいるから、またね。貴方の正装姿も楽しみにしているわ!」
食堂に着くなり手を振って駆けていく彼女を見送り、心地よく早鐘を打つ胸を押さえ余韻に浸るかのように小さく息を吐いた。
それから監督生たちのテーブルに向かった。もはや指定席と化した右端の席で黙々と食事をとるシュカの姿があった。神経質な彼女は決まった作業を終えるまで邪魔が入ることを許さない性格だった。その為食事が済むまで余程のことがない限り、彼女に声をかけることは避けた方が身の為だった。シュカの皿にまだ残る料理の量を確かめてからぼくも食事をとりに向かった。
料理を物色しているとふいに背後に人の気配を感じ振り返った。見ると寝癖か天然パーマなのか判別しがたい髪型をしたジャックが立っていた。
「やぁ、レオ。今から昼食かい?」
「モーヴィエ。貴方も相変わらず頭がぐしゃぐしゃですよ」
ジャックは目尻に皺を刻み照れ笑いをした。彼と親しいベンバー教授と比べて少し老けて見られがちだが、その人柄は教授たちだけではなく生徒の間でも評価されていた。
「そうそう、ミスター・ジャックと同じイギリスの医大に進路が決まっているんですよ。向こうのレベルってどうでした?」
「あぁ、是非ともワルッティマン教授の授業を受けてみるといいよ。彼の元で学べて本当によかった。医者があるべき姿と現実に求められている理想について…実によくわかったからね」
「そのギャップを知って医者の道を諦めたんですか?」
「……医者としてのぼくよりも、もっと求められる姿があったから、かな。秘書として働く方が性に合っているのかもしれない」
確かにジャックとバロの間には見えないながらも確固たる信頼が築かれていた。何よりジャック自身も日々の仕事を楽し気にこなしているように見えた。この学園の卒業生だったというジャックを見上げ、ぼくは己が進むべき道について再び想いを馳せた。
「美容外科医…だったね。美を追求していくことに喜びを見出す、きみらしい選択だね」
「えぇ、頑張りますよ。世界中を美で溢れさせるのがぼくの野望ですから」
諦めることのできない夢を思い出すと、ぼくは出来立てのフライドチキンをトレーにとった。
ずっと頭を誰かに抑えられていた気がする。意識ははっきりしているのに『ぼく』の身体はひどく疲れていて重たく動かせられない。
もう夜になったのか、それともただ瞼を閉ざしているのか、辺りは真っ暗で何も見えない。静かすぎて誰の気配も感じられないけど、ここはどこだろう。いつもなら壁の裏側を通って、キサメやミドリたちを監視しているはずなのにどうしてここにいるのだろう。
次第に神経が研ぎ澄まされ始め、手足の痺れに気づいた。これはいつもの発作の後にくる症状と同じだった。身体から意識だけが剥ぎ取られたような居心地の悪さ。臀部から伝わるクッションの柔らかさもどこか嘘っぽくて気持ち悪い。
ふいに目の前の空気が動いた。誰かがそこにいたのか、それとも気づかないうちに現れたのかわからないけど、移動した後からほのかに薔薇の香りが漂った。
「きみの名前は?」
「……ユーディット」
乾いていた唇が自然と動き答える。対峙する人物はしばらく黙り込むと、もう一度
「きみの名前は?」
と問いかけてきた。
「シャルル・ロー・ハイアム」
また唇が勝手に答える。
「きみの名前は?」
「アンダァーソン・エド」
「きみの名前は?」
「ナナミ・ヒラマツ」
「きみの名前は?」
「チャンユ・ルソン」
「まだいるね。きみの名前はあとどれだけあるのかな?」
「……わかんない。沢山いる」
素直にそう答えると、短い沈黙が流れた。突然、柔らかい手が『ぼく』の頭を撫ぜた。
「そうか、それなら最後の質問にしよう。きみは誰の味方かな? バロの元に集う迷子たちを救うことがきでるだろうか? それとも哀れなシィクンツッも救ってあげるだろうか?」
最後と言う割には質問が多い。沢山聞かれたのでしばらく頭の中で考え、すべての問いかけに一言で答えられる言葉を吐き出した。
「バロが望むままに」
バロの命令ならば背く訳にはいかない。
「バロに救われたのに、仲間を救えなかったら『ぼく』が殺されちゃうよ」
人物は苦笑した。笑い声は意外にも若かい。先程の温かな手にも覚えがあったけど思い出せなかった。
「目を閉じてゆっくり数を数えてごらん。次に目が覚めたらきみは、元の世界に戻っているよ」
両手が『ぼく』の耳を覆う。顔に押しつけられた温もりと一緒に、規則正しい鼓動が聞こえてきた。
「いーち。にーぃ。さぁーん…」
言われた通りゆっくりと数えていく。意識が朦朧とし頭の奥で睡魔が襲いかかる準備を始めたのがわかった。
「きみは新しい世界を築く大切な子どもだ…」
彼がそう囁くのを聞き届けたのを最後に、一切の感覚が途切れた。
食堂を出て次の授業までどこかで暇を潰そうというジェニファーの提案に乗って、一同は談話室へ移動していた。
輪を作って歩く彼女たちの背中を眺めながら憂鬱な気分に返る。甲高い笑い声やおしゃれや恋に夢中になる彼女らについていくのがしんどくなってきた。上辺だけの関係を続けるのには何の意味もないかもしれない。
誰かと話したい。取り繕うことなく、ありのままの自分で喋りたい。気づかれないように嘆息を吐きながら窓の外へ視線を向ける。まだ雪が高く積んだまま残り、曇った鈍い空の色をそのまま反射していた。
生きものの気配もない薄暗い外の世界に黒い人影を見つける。驚いて窓辺に寄るとマントに身を包んだセトが一人で歩いていた。辺りを気遣うように素早く歩き雪道に足跡をつけどこかへ向かって消えていった。
激しい衝動に襲われて踵を返し駆け出した。
「リンコー! どうしたの?」
サエの呼び声に「忘れものをしたの」と答え、振り向かずに脚を速めた。
城の外に出てその気温の低さに心から後悔した。全身の血が一瞬にして凍りついてしまいそうな寒さ。マントを取りに戻るべきか逡巡したが、雪をかぶった茂みの下にセトの足跡を見つけ覚悟を決めた。膝まで雪につかりながら彼の足跡を辿って進んでみる。こんな中で何をしようとしているのだろう。聞きたいことは沢山ある。疑うべき所も沢山ある。けれど私がそうであるように彼も、何かを隠してその上からヴェールをかぶせているように思えた。
知りたい。謎を解き明かしたい。それはただ純粋な願いのつもりだったが、この足跡の先に彼がいるのかと思うと何故か胸が熱くなった。
「はぁ…はぁ……」
雪道は意外と体力を使うのだと、生まれながら都会に住んでいた私は改めて雪の恐ろしさに気づかされた。脚が凍傷を起こしそうなくらい痛くて冷たさに神経が麻痺していく。
必死に気持ちを昂らせて雪を掻き分け進むと、青白い氷の城のような風貌になり変った温室まで辿り着いた。軒に巨大な氷柱が並び訪れるものを威嚇しているようにも見える。ガラスに下りた霜が温室内の様子を覆い隠していた。
足跡は入り口まで続いている。温室の存在は知っていたが直に触れるのは初めてだ。中にセトの他に誰かいるかもしれないと警戒したが、かじかんだ指で扉を開けると、硬直した皮膚を撫ぜる暖気に負けてつい転がり込んでしまった。
温かな空気が薔薇色に染まっている。まるで酸素に色がついたように、室内には色とりどりの薔薇が咲き乱れていた。中でも今朝から校内に飾られている真っ赤な薔薇が多く目立ち、それらを背景に立つ彼の姿はさながら眠りの森に訪れた魔法使いのようだった。
「……リン…コ?」
私を見るなり彼は驚きをあらわに嘆息した。
「今の…いや。こんな所まできて、どうしたの?」
常に冷静な態度を崩さない彼が珍しく動揺している。そういえばいつもより顔色が優れないようだ。目の下にも薄っすらと隈ができていた。
「聞きたいことがあって、追ってきたの」
室内はとても暖かだけど指先まではなかなか循環がよくならない。ハァと息を吐きかけながら小刻みに身体を震わせて紡いだ。
「貴方は……誰の、味方なの?」
私の質問にセトは一瞬肩をビクッと震わせた。何か核心を衝いていたのだろうか。けれど寒さに気をとられ、そこまで考えが回らなかった。地面に敷き詰められた芝生に腰を下ろし身体を縮ませて更に問う。
「この学園が他と違うってよくわかったわ。みんな、ここ以外に居場所がないから学園から出ていく訳にはいかない。でもそんな子どもたちを薬で操るなんて許されない」
「許す…って誰が、誰を裁く、の?」
足元に落ちていた薔薇を踏み潰し、セトは一歩。また一歩と近づいてきた。
「きみがぼくを裁くの? それとも大人が子どもを裁くの? 世界は大人たちのものだよ。ぼくらは彼らの仲間入りをするまでその庇護下でしか生きていけない」
能面のような表情。何も映していないのに、空っぽの瞳には暗澹とした翳りが見えた。
身につけていたマントを脱ぎそっと私の肩にかけると
「リンコは誤解しているよ。薬は毒物じゃない。セリサワさんにも調べてもらったでしょう? 何も害のない、ただのお菓子だよ」
間近に迫った顔を見て背筋に衝撃が走った。私の行動もすべて読まれていたのだ。もしかしたら彼の部屋を調べたことも、翠との会話も―――
「きみは仲間になれると思った。出来損ないの、彼女たちと違ってぼくの大切な人にもなれると期待していた」
首筋から胸元にかけて流れる三つ編みを掴むと、目を伏せて静かに微笑んだ。その笑顔に不吉なものを感じる。
「伝説の乙女のようにどんな時も己の信念を貫き、待ち続けてくれると信じていた」
「乙女?」
「………きみの、お祖父さんとお祖母さんはどうして亡くなったの?」
前後の脈略に関係のない質問をぶつけてきた。あまりに急な会話の方向転換にしばし戸惑うも、さっきの笑顔が目に焼きついて嫌な予感が頭から離れなかった。
「小学校の頃にお祖父ちゃんは階段を滑り落ちて」
一言ずつ、確かに記憶を辿りながら紡いでいく。
真っ暗な部屋…翠は電気をとりに消えて、私は風と木の悲鳴に怯えていた……
「お祖母ちゃんはその悲鳴に驚いて心臓発作で、二人は同じ夜に」
「先月日本の最高裁で一人の死刑判決が決定された。彼は二人の命を奪い、家族を不幸のどん底にまで陥れた極悪人だった。けれど、彼の表の顔は人当たりのいい地方公務員だった」
「それが何か関係あるの?」
詰問口調になる私を見て、セトはかぶりを振るとまる憐れむような表情を浮かべた。
「何も知らない方が幸せだけど、すべてを忘れるのは難しい。だからぼくらは錠をかけて鍵を飲み込むんだ」
『Dina da doo.』
と彼は呟いた。
ドクター・アンジーのノートに書かれた言葉が脳裏に蘇る。それの本来の意味とは一体何なのだろう。おまじないのように、時に祈りの言葉のように口走る生徒たち。ベンジャミンの失踪が彼の死を意味することを知りながらも、生徒たちはそれを隠蔽しようとしている。
何も知らない方が幸せ…? そうよ、私は知らない。恐れるものなど何もないはずなのに、どうしてこんなに彼の言葉が心を揺さぶるのだろう。目を合わせるのが恐ろしくて意識的に顔を伏せた。
話の核心に近づくかと思えば突然、話題を転換させるその目的は何? その手法は私にヒントを与え自主的に問題の存在に気づかせようとしているかのようだった。
知らないことが幸せ…
でも、私は知っている。翠が私をいつからか憎むようになり、家族の心がばらばらになっていったのも。大好きだったお祖父ちゃんたちが、あの、嵐の夜に亡くなった事実さえも。すべてを知った上で私は忘却を選んだ。
「私が知らないと言えば…」
無意識に唇の間から言葉がこぼれる。
「目の前にいる、貴方についてよ」
セトは意外そうに目を見開いた。
午後の授業が始まる前にシュカにあのドレスの件を頼んでみようと、彼女が普段からよく自習に使っている地下の談話室へ向かった。一応は談話室の名がついているものの、あの部屋の存在を知る生徒は少なく使用する際に鍵を図書室で借りなければいけない面倒がついてくるのであまり使われていなかった。だが内側からも鍵をかけられるので、そこに目をつけた姉がよく占領している。
カウンターで鍵が借りられているのを確認し書架の奥にある扉を開ける。石段に湿気のある空気が作用して非常に滑り易くなっていた。また灯りが何十メートルもの間を置いて点在しているので、陰気な雰囲気も生徒たちの不評を買っていた。
慎重に階段を下りながら、暖房のきかないひんやりとした空気に身体がどんどん引き締まっていく気がした。足音が長く尾を引いて辺りに響き渡る。どこかでネズミたちが群れをなして駆けていく気配がした。
元は城の地下貯水庫を改造したものだったらしい。湖に毒を散布され、それを汲んでいたこの城の住人たちは次々と倒れて死んでいったと噂で聞いた。今も清涼な水を求めてゴーストたちは夜な夜な、校内を徘徊しているのだと入学したての頃に先輩たちに脅されたのを覚えている。けれどそれもあながち嘘ばかりではない。
事実、この地下には選ばれてしまったぼくらの仲間たちが眠っているのだから―――
彼らの眠りを妨げるものはあらわれない。薔薇の香りが彼らの眠りを守り続けているのだ。
「…ふぅ」
こめかみに浮かんでいた汗を拭いほっと溜息を漏らす。階段を終えてようやく平らな地面に足をつけた。濡れた石畳の床に電灯が反射して微妙な光を発している。
「それにしても広いなぁ…」
学園に入学してからかれこれ五年程この城で生活をしているぼくだけど、未だに知らない通路はいくつもあった。無謀に冒険をして、ゴーストの仲間入りはしたくないと冗談交じりに苦笑しまっすぐ談話室へ向かった。
暗闇の中に扉の隙間から漏れる光を見つけ、ぼくは心なしか歩調を速めた。
「―――セト!」
背後から鋭い少女の声が響いた。驚き振り返ると同時に、私の耳元に顔を寄せていたセトが入り口に佇むユンの元へさっさと歩き出していた。その俊敏な身のこなしに感心する。
ユンは不機嫌そうに私の方を見やりながら
「次、グドゥの授業を受けるんでしょ? 早くしないと遅刻しちゃうよ」
と追い立てた。
「あぁそうだった。ゲンジロウにお菓子届けなくちゃいけないんだ」
これまでの口調を一変させた、おっとりとした態度。さっきまでの緊迫した空気はもはや完璧に息をひそめていた。肩越しに私を気にかけるユンとは対照的に、セトはただ一度も振り返らず、コートを私に預けたまま温室から出ていってしまった。
鼓膜にまだ残る彼の温かな息吹を感じながら、耳元で囁かれた言葉を反芻した。
『きみを外の世界へ連れていってあげるその時まで、逃げずに待っておいで』
自然と深い溜息が漏れる。いつの間にか心臓が早鐘を打っていたのに、それにも気づかないくらい緊張していたみたいだ。温度の所為か頬がとても熱い。なんだか手綱を彼に握られたままの中途半端に状態にわずかな焦りを覚えた。
そっと胸に手を当てて波打つ鼓動に耳を澄ませる。落ち着こう、落ち着こうと思っていてもなかなか心音は正常なリズムに戻らない。しばらくしてから立ち上がり、温室に入った時にセトがいた位置まで向かってみた。
ここで何をしていたのかしら。
しゃがみ込んで芝生の上を観察してみる。よく見ると植木の根元に新しい掘り返した痕跡があった。けれど辺りにシャベルやその代わりになりそうなものもない。土のついていなかった彼の手を思い出し、誰かが掘り返したものを確かめにきたのだろうと推測した。
誰が…と考えて真っ先に思いつくのはやはりティルだった。彼女は何を探していたのかしら。雪も積もり誰もここへ近づかない今を狙ってセトが確認にきたのだ。
辻褄は合うけど、後は証拠よね。
袖口をめくって土を起こしてみる。しばらく土の感触がやわらかかったので素手でも難なくこなせたが、次第に土壌が硬くなりせっかく温まっていた指も地下に近づくにつれ冷えてきた。素手で掘れる限界まで奮闘してみたが何も見当たらない。これ以上はシャベルがいると薄皮が剥けた指を見て断念した。
仕方なく盛り上がった土を戻そうと両手ですくったその時、指先に違和感を覚え再び手を開いた。
土や小さな小石に交じって私の指に絡みついたのは、金色の鎖に通された剣を胸に抱く乙女のネックレスだった。疑うまでもなく、この地の伝説に基づいた剣の乙女だろう。けれど誰のものなのだろう。乙女の背中を確かめるとそこには小さく「T to B」と彫られていた。
―――From Till to Benjamin.
二人がどんな想いでこれを受け取ったのか思うと、どうしようもなく胸が痛くなった。
きっと彼はここで殺されたのだ。それを知ったティルが証拠を探してここへきたのだろう。待って。それじゃセトは殺害現場を予め知っていたから、こうして現場の証拠を隠蔽しようとしていたってことになる。するとベンジャミンを実際に手をかけたのは……
「…セト……?」
扉を開けると薔薇のきつい香りが鼻をついた。こんな地下でも生徒会はちゃんと薔薇を飾っている。彼らの手抜かりのなさに感嘆しながら、ぼくは小さな丸テーブルに積まれた教科書の山から覗く制服の裾を確認し頬を緩めた。
「姉さんに頼みがあるんだ」
おねだりの時だけは『姉さん』って呼ぶ、とシュカによく叱られた。そんなことを思い出しながら後ろ手で扉を閉めた。
「ずっと前に買った青いドレスがあったろ? あれ、いらないならぼくにくれよ」
上階の談話室の三分の一にも満たない狭さの室内を歩き、彼女が顔を沈めるテーブルへ歩み寄った。
「一度も使ってないのに捨てるに捨てられないっていってたよね。どうせならもっと似合う子に着て欲しいと思ってさ。姉さんにとって最後のガドレだし、今年はチャイナを着るんだろ? 黒くて姉さんにぴったりなやつが確かあったよ。たまには髪の毛もいじってさ」
高積みされた教科書が突然、崩れ落ち床に派手な音を立てて散らばる。テーブルの上から蒼褪めた顔が姿をあらわした。血走った目は虚ろに宙を彷徨い、醜く歪んだ口からは赤く染まった涎がこぼれている。荒々しい呼吸はまるで病人のようだ。これでも去年はガドレの主に見初められ名誉ある乙女の座を射止めたというのに。
「あぁ…だからちゃんと、お菓子は食べ続けなくちゃ駄目だっていったのに」
彼女の身体の震えがテーブルに伝わり他の教科書まで雪崩れを起こしそうだ。ぴくぴくと痙攣するシュカの手を握ると、ぼくは空いたスペースに腰をかけた。
「でも姉さんは綺麗だからさ、いつか仲間に入れてもらえるさ。そうしたらもう、永遠にこの国から離れなくていいんだよ」
何かを求めるようにもがく指を優しく受け止め、赤子をあやす調子で続けた。
「いつもぼくの考えは甘いって言うけど、どうしてぼくが美容外科医になりたいかその理由も知ってる? ぼくも選ばれなかった子どもたちを救いたいからさ。セトのように広く救いの手を差し伸べることはできないけど、醜く生まれてきた子どもたちをこの手で…っ」
鈍い痛みを覚え、ぼくはシュカが爪を立てている手の甲を眺めた。必死に意思疎通を図ろうとする彼女の潤んだ瞳に微笑みを返し、ポケットからチョコレートを入れた缶を取り手渡した。
「あ…あぁ!」
ドライフルーツをチョコで包んだ小さなお菓子を、まるで天からの恵みのように味わうシュカを見守り宙ぶらりんになっていた言葉を紡いだ。
「ぼくらのように…選ばれなかった大勢の子どもたちを救うんだ。ここは地上に残された楽園……。ぼくらは選ばれた子ども。エデンに咲く罪の果実は…さしずめ、その甘いお菓子って所かな」
指先に冷たいものが伝わる。テーブルに這いつくばるような格好でチョコを食べていたシュカが涙を流していた。
「馬鹿だなぁ」
彼女の目尻にたまった水滴をハンカチで拭ってやると、むせかえるような薔薇の香りに眩暈がした。
「知りたくもないわ…」
ようやく身体の自由がきくようになったらしく、シュカは上体を起こし口元の涎を拭った。それでもずっとお菓子は離さずに。
「選ばれなかった子どもたちが、どうしているかなんて、私たちには関係ない」
いつの間にか手渡した缶の中のチョコレートをほとんど消化した姉につい呆れながらもぼくは目を向けた。普段見ないようにしていても、どうしても彼女の指が気になってしまった。
黒ずんだ、シュカの爪。
ここへ入学する前までの姉は自分の部屋にこもったまま。いわゆる引きこもり生活をしていた。たまに顔を合わせても声も交わせず、怒りや悲しみそして笑顔も見せないでずっと爪を噛み続けていた。
両親から寄せられる多大な期待に応えようとするうちに、勉強以外に何もできなくなった不器用な姉。けれど彼女は変わった。この学園で少ないながらも友人を作り、シュカは自らの力で閉じこもっていた殻から出てきた。
鈍い痛みを発する頭を抑え、シュカの手元から空になった缶を取り上げた。
「…香りがきつい……」
かつての自分たちに選ばれなかった子どもらを重ね、頬を涙で濡らすとシュカは小さな声で呟いた。
制服を着替えに寮へ戻ると、室内に人の気配があったので身構えながらドアノブを回した。ティルが机に腰をかけて私を待っていた。
咄嗟に周囲に誰もいないかを確認し、忍び込むように入ると急いで扉を閉めて鍵をかける。ずっと私を見詰めるティルに一瞥をくれると、クローゼットから制服を取り出した。
「話があるなら手短にして。寮の前で友だちが待っているから」
「……私と…一緒に戦って欲しいの」
やや掠れた声。ちらっと見た彼女の目が、赤く腫れ上がっていたのを思い出しずっと泣いていたのかと察した。コートを窓辺にかけ湿った服を脱いで着替え始める。
「証言台にも立つわ。この身体を調べてくれていい」
私の背中に向かってティルが懇願する。窓ガラスに反射する、床に両膝をつき涙を流すその姿を横目で捉え、頭の中で冷静に彼女の真偽を見極めようと考えた。
「そうすれば薬に関して何かわかるかもしれない。なんでもするの。だから、お願いだから……セトを助けてあげて…」
「セト、を?」
意外な名前に振り返る。彼女の目的はベンジャミンにあるのだとばかり思い込んでいた。
「彼の遺体を探しているんじゃないの?」
「ベンジャミンは…私をここから連れ出そうとしてくれていた。だから私の所為で殺された。私が、私が……」
黄金色に輝く髪を掻き毟りながら、彼女は頭を振り叫んだ。
「ファルバロのフィアンセだから。私の罪がベンジャミンを死刑にした。私が殺したの! 私の所為なの!」
「…フィ、アンセ…?」
ぎこちなく反芻するも、その意味が頭まで届かない。彼女が何を言っているのかよく理解できなかった。
「私の知っているのを全部話すから、お願いだから、セトを助けてあげて。彼をバロから自立させなくちゃ、もっと被害は広がっていく。ベンジャミンのように殺されてしまうの!」
ティルがセトのフィアンセ。二人は婚約して―――どういうこと? だって彼女はコルスティモ…彼に相応しいはずがないのに。
胸が熱く苦しい。何故だろう。理屈じゃ割り切れない感情が激しく起伏し、全身を駆け巡る血液に醜い感情が混じって流れていく。
でも、どうして? 彼女がこんなに下手に出ている。利用しなくちゃいけない。頬を伝う涙まで、まるで緻密に計算されてできたような美しさ。こんなに綺麗な少女を見て、セトが何も感じない訳がない。
激しい眩暈を覚え私はベッドに腰をかけた。床に座り込んで泣いていたティルも救いを求めるように見上げてきた。
彼女の美しさに苛立っているの? 違う。それだけではない…。けれどそれ以上考えても答えは見つからなかった。蠢く感情を理性で無理やり押さえつけるうちに、私は温室で見つけたあのネックレスについて語るタイミングを失った。ただ、辛うじて首を縦に振ることでティルはその美しい顔に素晴らしい笑顔を浮かべて見せた。
ガドレで乙女を選ぶようになったのは七年前から。ユンの姉、チュチュが失踪した際にバロが発した言葉が発端となり、それは儀式の一部となって受け継がれるようになった。
儀式が始まっても以前と姿を現さないパルトロの安否を気遣う生徒たちに、バロは
『美しきパルトロは剣を見つけると同時に、伝説の乙女へなりかわった』
と伝え、創立以降初めてガドレが行われなかったらしい。確信となる素材は何もないけど、チュチュは殺されていると思う。それをごまかす為に乙女選びが始まったのだろう。
写真でしか見たことのないチュチュは…とても長い黒髪の美しい人だった。
『父は…この国の貴族だった。だからかつて国の独立に手を貸したアンサッバル王国の王族のベンジャミンとは、幼い頃から知り合いだったの。それで私が実際ファルバロと会ったのは学園に入る少し前』
強いバックアップになるからと決められた政略絡みの婚約。互いに言葉を交わす機会もなく、セトがどういう人物なのかさえ知らないとティルは答えた。
『ファルバロはバロの操り人形…いえ、彼自身がそれを望んでいる。バロの命令で彼は生徒たちを選別し、主にグドゥから彼の仲間になれる人材を選んでいる。そして学園にとって反乱因子になりうる生徒をシィクンツッと呼んで』
言葉を区切り、しばらく黙り込むと押し殺した声で小さく呟いた。
「ベンジャミンも…シィクンツッだった」
シィクンツッに選ばれた子どもは殺される。翠とキサメが危ない。そう思いやってきたものの、生徒会室の前に立った途端に急に身体が竦んで動けなくなっていた。二人に警告すべきだろうか。でも、彼らなら既にその情報だって掴んでいるかもしれない。そうすると私のしようとしていることはただのお節介になる。
翠になんて思われるだろう。余計な真似はするなと、冷たく罵られるかもしれない。氷のような眼差しが、また向けられるのかと思うと全身の筋肉が硬直してしまう。
午後の授業が終わって間もない。もしかしたら誰もいないかもしれないと、大きな扉に耳を当てて中の様子に注意を向けた。
誰かの話し声が聞こえる。
「彼女の父親候補は、これでだいぶ絞れるのではないかな」
『父親』というキーワードに心臓が大きく飛び跳ねた。声からしてキサメに間違いない。対する返事も翠のものだった。
「毛髪を採取して日本へ送ろう。DNA鑑定に出す」
鼓動が早まる。既に彼らは調べを進め核心まで近づいているに違いない。私の父親……薬に大きく関わっている人物。見つけて、二人はどうするのだろう。一連の事件の真相を吐かせて、警察にでも突き出すのかしら?
何故か急に怖くなると同時に、まだ会ったこともない父親にほのかに期待を抱いていたことに気づいた。母から与えられなかった愛情を父親に求めようとしていたのかもしれない。見つけて欲しくない。だけど会いたい。それは矛盾した気持ちだとわかっていても、願わずにはいられない。
知りたいけれど、知るのが恐ろしい。だって、もしも実の父親からも拒まれたなら。私にはどこにも家族がいなくなってしまうから。
鈍く痛む胸に手を当て扉を押し開ける。扉の隙間から覗いた翠の顔が、無愛想なのに今までにないくらいどこか楽しそうで、彼は本音で語り合える友人を見つけたのだと思い切なくなった。
「…やぁ、リンコ! どうぞこっちのソファに腰をかけて。紅茶? それともコーヒーかな? ジュースもあるよ。もちろん果汁百パーセントのものばかりさ」
「私……翠に、話があるの」
勇気を振り絞って言葉に変える。バロの部屋には及ばないけど、初めて入る生徒会室は木製の家具に囲まれたとても居心地のよい空間だった。テーブルに飾られた赤い薔薇を前に座ると、翠は膝を組んで私を直視した。
「…交換条件でいいの。お願いを、聞いて」
語尾がか弱くすぼんでいく。ソファに座るキサメからも油断ならない眼差しを向けられ、ひどく落ち着かなかった。
「私の父親を見つけても、その正体を私に、知らせないで。私が…自分で見つけたいの」
震えが言葉にあらわれないように、腹に力を込めて吐き出す。
「その見返りは?」
「ファルバロ…のフィアンセであるティルから聞き出すすべての情報と、グドゥになった後の情報提供」
一瞬、キサメが期待するように身を乗り出したがそれを制するように冷笑を漏らすと
「今更…父親に何を求めてるんだよ?」
図星をさされ黙り込む私に代わってキサメが口を開いた。
「まぁまぁ、ぼくらでさえあのコルスティモとファルバロの関係を明確にできなかったのだよ。交換条件にしてはなかなかおいしいとは思わないかい? それにリンコ、安心したまえ。ミドリはともかく、ぼくはきみの父親を追及しようと思っている訳ではないのだから」
「薬の正体を明らかにして…どうするつもりなの?」
「さぁ、少なくともぼくとミドリの目的は違うからね」
大袈裟な身振りで立ち上がると、キサメはまるで舞台の上を歩くような動作で私の元まで近づいてきた。
「だから手を組んだといっても、こうしてきみに探りを入れることだってできるのさ。ねぇ……きみの祖父母は」
「キサメ!」
翠の声に空気がびりっと震えた気がした。仁王立ちする翠を見て、こんな風に彼が怒るのを久しぶりに見た。それにキサメもわざと彼を刺激するような台詞回しだった。
そうだ…確か、セトも私にお祖父ちゃんたちのことを聞いてきた。けれどみんな、どうしてそんなことを気にかけるのかしら。あの二人は嵐の夜に亡くなっただけで…わざわざ掘り返してまで話題に出したくもない。何も知らない方が幸せ。だから錠をかけて、鍵を飲み込むのだと……息苦しさを覚え胸に手を当てた。
今の私も同じ? 父親に少しでも希望を抱いていたかったから、こうして翠に頭を下げにきた。何も知らない、傷つかない一番の逃げ道を知っているから。
父親が違うことも―――知らなければあの幸せは戻ってくると信じていた。
「グドゥには入るな。それともうセトにも近づかない方がいい。それを条件に飲んでやるよ」
冷静を装う翠。だけど眼鏡を直すその指はわずかに震えている。
「ぼくからもプレゼント」
嬉しそうに顔を近づけキサメはそっと耳打ちをした。
「城の地下にはお菓子の食べ過ぎで中毒死した屍が、わんさかと眠っているから近づかない方がいいよ」
耳元から離れた顔に満面の笑顔を見て、初めて背筋に冷たいものが走った。
ここがおかしいのか、それとも私たちがおかしいのか。他に行く当てがないから集まった私たちだから、理想を求めてしまうのだ。私たちに与えられたこの巨大なお城は、私たちが生きていく為に必要な食糧と温かな寝床と安全な学び場を与えてくれる。刃を隠し弱者に牙を剥く外の世界とは無縁の場所。限られた敷地の中でだけなら私たちは自由を謳歌できる。
自分たちを正当化したくて―――ここは理想の地なのだと信じたくなる。
0
あなたにおすすめの小説
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
俺様御曹司に飼われました
馬村 はくあ
恋愛
新入社員の心海が、与えられた社宅に行くと先住民が!?
「俺に飼われてみる?」
自分の家だと言い張る先住民に出された条件は、カノジョになること。
しぶしぶ受け入れてみるけど、俺様だけど優しいそんな彼にいつしか惹かれていって……
元恋人と、今日から同僚です
紗和木 りん
恋愛
女性向けライフスタイル誌・編集部で働く結城真帆(29)。
仕事一筋で生きてきた彼女の前に、ある日突然、五年前に別れた元恋人が現れた。
「今日から、この部署に配属になった」
そう告げたのは、穏やかで理性的な朝倉。
かつて、将来や価値観のすれ違いから別れた相手だ。
仕事として割り切ろうと距離を取る真帆だったが、過去の別れが誤解と説明不足によるものだったことが少しずつ見えてくる。
恋愛から逃げてきた女と、想いを言葉にできなかった男。
仕事も感情も投げ出さず、逃げずに選び直した先にあるのは「やり直し」ではなく……。
元恋人と同僚になった二人。
仕事から始まる新しい恋の物語。
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる