殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

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第1章

16歳の始まり1

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交易で栄えるクロシア国の中でも、一、二を争う富を持つ、由緒正しいマーレイ公爵邸のお茶の時間。
お客を迎えない日は一家が揃い、和やかにお茶を楽しむことが常だったが、今日は少々様子が違っていた。
悲痛な叫び声がテーブルで上げられたのだ。

「どうしてです!?」

叫びをあげた公爵家の愛娘、エリザベスは、眉を寄せ、透き通った紫水晶を思わせる瞳に明らかな憂いを浮かび上がらせている。
その様子は見る者の胸を痛ませるほどの風情がある。

けれど、公爵家のテーブルの他の面々は和やかな空気の中、お茶を楽しんでいた。
当主のロバートは銀の睫毛を伏せながらお茶の香りを確かめている。
どうやら果物の香りが移してある今日の紅茶は彼のお気に入りのようだ。
夫人のクリスティと嫡男のアンソニーは、見惚れるような優雅な所作でカップを口に運んでいた。

「ジョン様とは確かにいい空気が流れていましたのに…!」

周りの薄い反応に戸惑うこともなく、エリザベスは波打つ白金の髪を揺らしながら悲嘆に暮れている。
完全に俯いてしまった妹を前に、ようやく長閑な声でアンソニーが声をかけた。

「まぁ、次の出会いを探そう。リズ」

ピクリとリズの肩は揺れ、怒りを帯びた眼差しがアンソニーに向けられた。

「お兄様のお友だちは、もういらっしゃらないではないですか!」


リズを寝込ませた殿下の求婚から、6年が経っていた。
リズと公爵家の予想に反し、殿下の求婚は、国王陛下の一言の下、幸いにして公式のものにはならなかった。
王妃殿下と大恋愛の末に結ばれた国王陛下は、「惚れた相手を口説き落とせなければ、幸せはつかめない」と、息子に対して実力で婚約を成すように申し渡したのだ。
それを伝え聞いたリズが、歓喜して生涯の忠誠を陛下に誓ったのは言うまでもない。

かくして、自由を得たリズは、殿下の求婚を断りながら自由を満喫し、めでたく16歳を迎え、成人となった。
人生の目標に向けて、ただいま絶賛、結婚活動中だ。
それはもう、とてもとても勤勉に婚活に勤しんでいる。成果は芳しくないのだけれど。

愛する妹が婚活を始めると言い出したとき、アンソニーは「僕の天使が僕よりも誰かを好きになるなんて耐えられない」と、この世の終わりのような様相でさめざめと一日泣き暮れ、リズに頭を抱え込ませた。

いつも自分を包み込んでくれる兄のため、――いささか慰めるのに疲れたため、思わず、「めでたく婚約した後で、婿養子になってもらうよう説得する」と、非常に困難が予想される、そして将来の婚約相手に対して少し良心の疼きを覚える妥協案を誓い、何とか兄の笑顔を取り戻したリズであった。

――説得すると誓いましたが、婿養子になってもらうとは誓っていません

逃げ道を密かに作ったつもりのリズであるが、逃げ道の出番はなかった。
現状では説得どころか、婚約にたどり着くことすらできていない。

哀しいことに、リズはもう5人、いや、今日で6人から断られている。
お見合いの時間、確かにいい空気になっても、なぜか、数日後に丁重に断られてしまうのだ。
今日、ジョンに断られた様に。
公爵家のお茶の時間が、リズの悲嘆を流して和やかな空気に満ちているのは、6度目ともなるともう慣れ切ってしまっているためでもある。

しかし、断られた当人には、6度目であろうと何度目になろうと慣れはなかった。
リズは再び萎れて、俯いてしまう。

「私、お買い得だと思いますのに」

その言葉には、公爵家の面々は一様に頷いている。
ロバートも勿論力強く頷いた。
リズは彼にとって目の中へ入れても痛くない愛らしい自慢の娘であった。

「リズの良さが分からない男性の下に嫁ぐ必要はない」

ロバートは公爵家当主として、掌中の珠の娘を託す相手に妥協は禁物とばかりに、重々しく宣言する。

隣に座る妻のクリスティもしっかりと夫の言葉に頷いている。

「リズが嫁いでしまったら、リズの服装を選ぶことも、リズの可愛い姿をみることも出来ないわ。まだまだ傍にいて頂戴」

ロバートはそっと視線をカップに向けて、漏れ出た妻の本音を聞き流すことにした。

自慢の娘は、国一番の美女と評される自分の妻に瓜二つの容姿に育った。
白磁を思わせる滑らかで白い肌。髪と同じく白金の長いまつ毛に縁どられた大きな瞳は、思わず覗き込みたくなる様な美しい紫。
けれど、娘を一番鮮やかに彩るものは、その美貌ではなく、美しい紫の色合いをころころと変えさせる豊かな表情だろう。
その表情は不思議なほどに人を引き付け、いつまでもその変化を見ていたくなるものだ。

そんな娘を愛する妻は、娘を、最大限、美しく愛らしく飾ることが趣味となりつつある。
年齢的に自分は着ることができなくなった愛らしいドレス、公爵夫人としての立場からは大胆過ぎる新しいデザインのドレスなどを、娘に着せては楽しんでいる。

ロバートは紅茶を飲みながら、妻の楽しみについて飲み込むことにした。

そうとも、妻は浪費にならない範囲に抑えているのだし、悪いことではあるまい。娘が愛らしく、美しく装うのだから。

親以上に妹を溺愛していそうに思える息子は妻のその言葉に勢いを取り戻す。

「そうだよ。リズは生涯僕の傍にいて、僕だけの天使でいてくれればいいんだよ」

艶やかな銀髪をサラリと揺らしながら、アンソニーは妹を愛おしそうに眺める。

つまるところ、当主である自分を始めとして、公爵家の誰も、リズを手離す覚悟など出来ていないのである。
リズが断られても、この場で和やかな空気が漂い続ける最大の理由は、そこにあった。

けれど、花開き始めた娘の気持ちは違った。
兄の愛しさを振り払うかのように勢いをつけて、リズは兄を見据える。

「私は、結婚したいのです!」

あっさりと兄離れした妹の発言に、アンソニーは今日も傷ついた様子で、「僕の天使が僕から遠ざかる」と呟いている。

そんな息子を見遣り、将来の公爵家の跡継ぎは、娘夫婦から誕生するであろう子どもを一人養子に迎えるしかなさそうだと、ロバートは再び紅茶に口を付けた。

しかし、そうなると娘にいずれは、遠い将来には結婚してもらわなければならない。
息子のリズの相手に課した条件を変える必要があるだろうか

好みの紅茶をゆっくりと味わいながら、ロバートは思慮に耽る。

妹が見合いすることに妥協したアンソニーであるが、その相手に関しては一切の妥協を許さなかった。
大切な妹が悪い虫に引っかからない様、アンソニーは人格を知り尽くしている自分の友人に限って、妹に見合いさせていた。

しかし、いくら社交的なアンソニーでも友人の数には、更に言うならば妹を託すほどの頼もしい友人の数には、限りがある。
先日のジョンでアンソニーの駒は実質的に全て使い尽くされたのだ。

「いや、ほら、まだヒューがいるじゃないか」

妹の気迫に幾分慌ててアンソニーは従兄弟の名を挙げ、そして己の失言に気が付いた。
予想通り、更に険しさを増した眼差しで、リズはアンソニーにゆっくりと言葉を放った。

「ヒューが私と結婚するなど考えるはずもないことは御存じでしょう?」

ヒューは妻の甥にあたる侯爵家の嫡男で、アンソニーともリズとも幼馴染である。
血筋と親しさだけなら、婚約に至っても何ら不思議はない間柄ではある。
しかし、ヒューは生まれつき魔力が強く、リズの10歳の忘れたくとも忘れられないお茶会から程なくして、魔法使いが多い隣国ウィンデリアに留学してしまった。

魔法が珍しくないウィンデリアは、彼にはとても快適な状況らしく、リズに頻繁に送られてくる手紙には留学生活を満喫している様子が克明に記されている。
果たして帰国の意思があるかどうかは甚だ疑問な状態なのだ。
――そして、何より、6年の文通でリズの趣味を知り尽くしている。

視線を彷徨わせて、妹の怒りを何とか鎮めようと、アンソニーはさらに失言を重ねていた。

「ああ、いや、恋や愛に理屈は通じないよ。いくらリズの素の姿を知っているからと言って望みは…」

「現実的に話してください、お兄様。私だって分かっています。私の趣味を披露して男性を射止めることは不可能です。ですから、お見合いの相手と二人になった時間はしっかり猫を被っていましたわ」

あっさりと素の自分では婚約を掴めないことを認めた娘に、ロバートはこっそり妻と視線を交わし微かな苦笑を浮かべた。

愛しい娘は、外見だけが自慢なのではない。
娘は幼いころから、一部の分野に関する本への熱意が強く、手に入れられる全ての本を読み込むために、4か国語は読み書きがこなせ、そのうち2か国語は話すことまで堪能だ。

趣味から派生したもので、最近では商品と呼んでもいい程のものを作り出し、貴族の令嬢に幅広い人脈を築いている。

確かに、娘がその情熱を傾ける趣味は、――少々、趣味の域を超えているかもしれないが――、少し、いや、かなり、趣味が一般的でない、だけ…

少し心苦しさを覚えたロバートは咳払いをした。

そんな父の胸中は察しないまま、リズはとうとうゆっくりと椅子から立ち上がった。

「私、お兄様が新しく友人を作っているのを待つ余裕はありませんわ。これからはお兄様に頼らず、舞踏会に出て、自分で相手を探しますわ」

娘の衝撃的な宣言に、息子が顔色を変えたとき

「それならば、まず、私があなたの相手として立候補しよう」

艶のある声が部屋の入り口からかけられた。
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