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第1章
16歳の始まり2
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「それならば、まず、私があなたの相手として立候補しよう」
艶のある声が部屋の入り口からかけられた。
訪問者の後ろで遅れて追いついた執事が、今更ながらではあるものの、彼の訪問を告げる。
公爵家の面々はゆっくりと立ち上がり、彼に敬意を払うため、一様に優雅なお辞儀をした。
貴族として完璧な作法だが、心がこもっているかどうかはやや怪しい。
礼を受ける彼も軽く頷いて形のみ礼を返し、颯爽とリズに歩み寄る。
今日も眩しい程に輝く金の髪に相応しい笑顔を浮かべ、美というものを体現しながらリズの目の前に立った青年に、ロバートは、内心、大きな溜息を吐いた。
青年の名は、エドワード・レイランド。
研ぎ澄まされた美貌と冷静沈着な行動から「氷の王子」との異名をもつ、クロシア国王の一人息子で王位継承第1位の王太子である。
幼いころからその美貌は称えられていたが、当年とって19歳になった彼は、王太子という立場には珍しく、武芸を極め、均整の取れたしなやかな身体を持ち、幼いころにはなかった精悍さを備えた類いまれな端正な面立ちは、国中の乙女の憧れの的となっている。
本来なら、公爵家、王家の警備の総力を挙げて王太子である彼を迎えるべきである。
しかし、リズが初めて臨んだ王宮のお茶会の後に、電撃的に見舞いに訪れて以降、この6年の間、殿下は週に一度はこの公爵邸に顔を出しているのだ。
公爵家も当初はまっとうな感性から、殿下の安全と警備のコストでの苦言を進言すると、エドワードは外出を減らすのではなく、「不穏分子をあぶりだすには都合がいい」と警備を減らすことになったのである。
ロバートは殿下本人を説得することを諦めた後、国王陛下に泣きついたものの、陛下も、「第2位継承者の私の弟もいる」と血筋なのか鷹揚に殿下の訪問を容認し、現在に至っている。
その決定にロバートが頭を抱えたのは遠い昔のことであるが、今でも思い起こすと頭が痛くなる。
何事も割り切りが大事と、ロバートは今日も自分に言い聞かせる。
公爵家の心持ち冷ややかな歓迎をものともせず、殿下はリズを見つめ、目元を緩めると、今日もリズに見事な花束を差し出した。
「私の女神の艶やかさには及ばないが、愛しい女神の雰囲気を少し感じる花だ」
淡いピンクの咲き始めの薔薇の花束だ。
美しくも愛らしい花に例えられても、リズの顔は平静なままだった。
「素敵な花束をありがとうございます。大変うれしいことにございます」
6年で身に付けた、厳密に言えば、6年で磨かれてしまった、全く感情のこもらない完璧な笑顔と声でリズは花束を受け取った。
「この花が、僕の天使を少し感じさせるだなんて、エドワード、一体何を見ているんだい」
アンソニーは不快をしっかりと顔に表した。
この不敬極まりない兄妹の対応に、6年通い続けた殿下が萎れることも憤ることも全くない。
美しいサファイアの瞳は、うっとりとリズを眺めている。
「ああ、花を抱えるあなたは、花を霞ませるほど美しい。こんな美しいあなたが今日も生きて、私に言葉をかけてくれることに、神に感謝したい」
6年の鍛錬にもかかわらず、やや強張ってしまったリズの笑顔に、殿下は頬を緩め、数少ない護衛に持たせていた包みを受け取り、もう一度リズに差し出した。
「こちらは、隣国ラタ帝国から取り寄せた草の種だよ」
リズの趣味を突いたあざとい贈り物に、リズはあっさりと陥落する。
「まぁっ!それはもしかして、以前教えて下さった止血の力を高めるという――」
先ほどまで纏っていた冷ややかさは吹き飛び、頬を薄っすら赤く染め、紫の瞳を輝かせたリズは、殿下と話し始める。
その様子を眺めながら、ロバートは湧き上がる疑惑を必死に抑え込んでいた。
隣国ラタ帝国は、10年ほど前まで領土拡大を続けていた国で、帝国の周囲の国同様、クロシア国も野心的な隣国との交流に慎重な姿勢を示していた。
しかし、先月開かれた王宮での会議で、殿下は「どこも交流が手薄な国から、貴重な品を入手することは、交易の成功に欠かせない」と熱弁を振るい、及び腰な貴族たちを説き伏せ、帝国との交流を再開させたのだ。
ロバートを含め、居並ぶ貴族たちは、国の将来のために説得を試みた殿下を末頼もしいものだと心打たれたけれど――
あの草は、交流再開の「結果」であって、決して、「原因」ではない…、断じて、ない、と思いたい
ロバートは、心の平安のために、それ以上、この点を考え続けることを放棄した。
熱く語り続ける娘と、蕩けそうな笑顔を浮かべ娘の話に頷く殿下、眉間にしわを寄せた息子が揃って部屋を出ていくのを見送ったロバートは、堪えきれず、大きな溜息を吐いた。
隣にいた妻がクスリと笑いながら、ロバートの背を撫でる。
「殿下も今年が最後の機会ですもの。いずれにせよ決着が着きますわ」
妻の労わりの言葉に頷きを返しながら、ロバートは再び溜息を吐いた。
世の中、上手くはいかないものである。
――そう、
見合いをするまでもなく、娘の趣味に深い理解を示し、娘を一途に溺愛し、娘に求婚している相手がいるのだ。
身分も能力も、更には容色までも申し分ない相手である。
問題は、娘が全くその相手に嫁ぐ気がないということだけである。
もちろん、ロバートとしてはリズがその気にならない限り、嫁がすつもりは全くない。
王太子妃という立場を、あの娘が幸せにこなすためには、殿下に想いを寄せることは必須だ。
これは、可愛い娘を手離したくないという思いだけで出した結論ではない。
――幾分かは含まれていることは認めるものの、結論に変わりはない。
愛しい娘を奪うつもりなら、まずは娘の心を奪ってもらう。
しかし、ここまで欠点を付けられない相手が眼中にない娘は、どういった相手が理想なのだろう。
娘の理想に思いを巡らせて、ロバートはふと思いが過った。
いや、欠点がないというものの、少々、娘への愛の示し方が度を…
ロバートは王室への敬意を取り戻し、思考を中断したのであった
艶のある声が部屋の入り口からかけられた。
訪問者の後ろで遅れて追いついた執事が、今更ながらではあるものの、彼の訪問を告げる。
公爵家の面々はゆっくりと立ち上がり、彼に敬意を払うため、一様に優雅なお辞儀をした。
貴族として完璧な作法だが、心がこもっているかどうかはやや怪しい。
礼を受ける彼も軽く頷いて形のみ礼を返し、颯爽とリズに歩み寄る。
今日も眩しい程に輝く金の髪に相応しい笑顔を浮かべ、美というものを体現しながらリズの目の前に立った青年に、ロバートは、内心、大きな溜息を吐いた。
青年の名は、エドワード・レイランド。
研ぎ澄まされた美貌と冷静沈着な行動から「氷の王子」との異名をもつ、クロシア国王の一人息子で王位継承第1位の王太子である。
幼いころからその美貌は称えられていたが、当年とって19歳になった彼は、王太子という立場には珍しく、武芸を極め、均整の取れたしなやかな身体を持ち、幼いころにはなかった精悍さを備えた類いまれな端正な面立ちは、国中の乙女の憧れの的となっている。
本来なら、公爵家、王家の警備の総力を挙げて王太子である彼を迎えるべきである。
しかし、リズが初めて臨んだ王宮のお茶会の後に、電撃的に見舞いに訪れて以降、この6年の間、殿下は週に一度はこの公爵邸に顔を出しているのだ。
公爵家も当初はまっとうな感性から、殿下の安全と警備のコストでの苦言を進言すると、エドワードは外出を減らすのではなく、「不穏分子をあぶりだすには都合がいい」と警備を減らすことになったのである。
ロバートは殿下本人を説得することを諦めた後、国王陛下に泣きついたものの、陛下も、「第2位継承者の私の弟もいる」と血筋なのか鷹揚に殿下の訪問を容認し、現在に至っている。
その決定にロバートが頭を抱えたのは遠い昔のことであるが、今でも思い起こすと頭が痛くなる。
何事も割り切りが大事と、ロバートは今日も自分に言い聞かせる。
公爵家の心持ち冷ややかな歓迎をものともせず、殿下はリズを見つめ、目元を緩めると、今日もリズに見事な花束を差し出した。
「私の女神の艶やかさには及ばないが、愛しい女神の雰囲気を少し感じる花だ」
淡いピンクの咲き始めの薔薇の花束だ。
美しくも愛らしい花に例えられても、リズの顔は平静なままだった。
「素敵な花束をありがとうございます。大変うれしいことにございます」
6年で身に付けた、厳密に言えば、6年で磨かれてしまった、全く感情のこもらない完璧な笑顔と声でリズは花束を受け取った。
「この花が、僕の天使を少し感じさせるだなんて、エドワード、一体何を見ているんだい」
アンソニーは不快をしっかりと顔に表した。
この不敬極まりない兄妹の対応に、6年通い続けた殿下が萎れることも憤ることも全くない。
美しいサファイアの瞳は、うっとりとリズを眺めている。
「ああ、花を抱えるあなたは、花を霞ませるほど美しい。こんな美しいあなたが今日も生きて、私に言葉をかけてくれることに、神に感謝したい」
6年の鍛錬にもかかわらず、やや強張ってしまったリズの笑顔に、殿下は頬を緩め、数少ない護衛に持たせていた包みを受け取り、もう一度リズに差し出した。
「こちらは、隣国ラタ帝国から取り寄せた草の種だよ」
リズの趣味を突いたあざとい贈り物に、リズはあっさりと陥落する。
「まぁっ!それはもしかして、以前教えて下さった止血の力を高めるという――」
先ほどまで纏っていた冷ややかさは吹き飛び、頬を薄っすら赤く染め、紫の瞳を輝かせたリズは、殿下と話し始める。
その様子を眺めながら、ロバートは湧き上がる疑惑を必死に抑え込んでいた。
隣国ラタ帝国は、10年ほど前まで領土拡大を続けていた国で、帝国の周囲の国同様、クロシア国も野心的な隣国との交流に慎重な姿勢を示していた。
しかし、先月開かれた王宮での会議で、殿下は「どこも交流が手薄な国から、貴重な品を入手することは、交易の成功に欠かせない」と熱弁を振るい、及び腰な貴族たちを説き伏せ、帝国との交流を再開させたのだ。
ロバートを含め、居並ぶ貴族たちは、国の将来のために説得を試みた殿下を末頼もしいものだと心打たれたけれど――
あの草は、交流再開の「結果」であって、決して、「原因」ではない…、断じて、ない、と思いたい
ロバートは、心の平安のために、それ以上、この点を考え続けることを放棄した。
熱く語り続ける娘と、蕩けそうな笑顔を浮かべ娘の話に頷く殿下、眉間にしわを寄せた息子が揃って部屋を出ていくのを見送ったロバートは、堪えきれず、大きな溜息を吐いた。
隣にいた妻がクスリと笑いながら、ロバートの背を撫でる。
「殿下も今年が最後の機会ですもの。いずれにせよ決着が着きますわ」
妻の労わりの言葉に頷きを返しながら、ロバートは再び溜息を吐いた。
世の中、上手くはいかないものである。
――そう、
見合いをするまでもなく、娘の趣味に深い理解を示し、娘を一途に溺愛し、娘に求婚している相手がいるのだ。
身分も能力も、更には容色までも申し分ない相手である。
問題は、娘が全くその相手に嫁ぐ気がないということだけである。
もちろん、ロバートとしてはリズがその気にならない限り、嫁がすつもりは全くない。
王太子妃という立場を、あの娘が幸せにこなすためには、殿下に想いを寄せることは必須だ。
これは、可愛い娘を手離したくないという思いだけで出した結論ではない。
――幾分かは含まれていることは認めるものの、結論に変わりはない。
愛しい娘を奪うつもりなら、まずは娘の心を奪ってもらう。
しかし、ここまで欠点を付けられない相手が眼中にない娘は、どういった相手が理想なのだろう。
娘の理想に思いを巡らせて、ロバートはふと思いが過った。
いや、欠点がないというものの、少々、娘への愛の示し方が度を…
ロバートは王室への敬意を取り戻し、思考を中断したのであった
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