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第1章

リズの趣味

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王都にある公爵家の庭は、腕の良い庭師により、訪れたお客の目を楽しませるように、大木や低木、芝などが計算して配置された上で、美しく整えられ、貴族の間でも評判の庭である。

けれど、その庭の外れに、庭師の素晴らしい能力をもってしても、明らかに調和を崩した一角がある。
見栄えがあまり良くない多種多様な草木が、一見すると無秩序に植えられている。
目を凝らせば草木の中には小さな温室までも配置されている。
その多種多様な草木に、今日、更に新たな草が加わることになった。

「殿下、このアルテミジアは日当たりが良い方がいいのですか?」

「いや、日陰の方がよいそうだ。水は地面が乾いたころにあげる程度でいいらしい」

リズはしばし庭を見遣り、育てる場所を考えていた。

――クッシュン

背後で小さなくしゃみが出された。

「お兄様。無理はなさらないでください」

リズは庭の一角の端に立つ兄を心配し、声をかける。

美に自信のある女性でもその隣立つことは嫌がると噂される銀の美貌が、一枚の布で覆われている。
それでも、くしゃみを防ぐことは出来ず、エメラルドの瞳も潤んでいる。

どの草木が影響を及ぼすのか特定できていないのだが、この一角には何かしら兄の苦手な草木があるようで、兄はほんの数分この場に立つと、くしゃみや涙が止まらなくなるのだ。

けれど、兄だけでなく、この場に立つ殿下とリズも、特に苦手な草木はなくとも、顔は一枚の布で覆い、手には手袋をしている。
この庭に植えられている草木の特性を考えてのことである。

ここはリズの「趣味」が凝縮された庭だった。
無秩序に植えられている草木は、リズにはしっかりとした秩序がある植え方なのである。
植える草の生育に最適な環境を選んで植えているのだ。
そのため、高さのバランス、見た目の美しさも、考慮されていないに等しいものになっている。

統一感のない多種多様な草木は、リズにとっては一つの分類しかない。
今生を長生きするために必要な草木だ。

入手しやすいもの――リズにとっては使われやすいものともいう――、効果が劇的なものなら入手が困難なものも含めて、この庭には毒草がひしめいている。

リズは前世、薬湯の匂いがおかしいと思いながらも、薬なのだからと思い込み、口にしてしまったために、死に至った。
今生はそのような過ちは犯したくないと、文字が読めるようになると、父と兄に縋り、毒草に関する知識を手あたり次第吸収し始めた。

この時点で、父は幼い娘の嗜好に幾ばくか不安を覚えたものの、目に入れても痛くない可愛い娘の頼みに、その知識欲を感激するだけに止め、不安を追究することは放置していた。

リズの知識欲は、その後も一分野に特化し、深化し、ついには違う国の本まで手を伸ばし始めたころ、転機が訪れた。

初めての王宮のお茶会で寝込んだ際、リズの部屋に所狭しと置かれた香草は殿下が自ら育てたものだと、回復した後にリズは知った。

読む本の偏りと読書量以外は普通の貴族の令嬢として過ごしていたリズは、自分で草木を育てるという発想に大きな衝撃を受けた。
百聞は一見に如かず
本で書かれた香りの文言よりも、自分の嗅覚で香りを覚えた方が確実で安全と、リズは早速、手に入れられる毒草を育てることにしたのだった。

この時には、父は娘の嗜好を明確に把握していたものの、愛らしい娘が長く寝込んだ後の頼みごとに、やはり娘の嗜好について考えを追究することは放置した。

貴族の令嬢が庭仕事をすること自体がまれであるが、育てるものが美しい花ではなく、毒草ともなれば、もう古今東西を巡ってもリズ一人で間違いはないと言えるだろう。

そして、リズにとっては生き延びるための栽培であり、その熱意は貴族の令嬢の趣味に収まるものではなく、庭に向かう時間は植える草が増えるにつれ伸びていき、今では空いた時間の全てを栽培に充てている。

父は愛する娘を理解しようと、ついに「貴族の令嬢の趣味」という言葉の定義を変え、娘の趣味を黙認し放置することにしたのだ。

こうして、父の稀有な包容力の結果、リズの日常は、成人を迎えた今では貴族の令嬢の生活からかけ離れたものになっている。

しかし、リズとて、父の、海よりも深そうな愛に甘えるばかりではなく、現実というものを痛い程認識し、由緒正しい公爵家の体面を保つことに配慮していた。

貴族の令嬢と生活がかけ離れれば、思考も引きずられるようにかけ離れていく。
リズの自然と零れる話題は、育てた毒草の状態と効能、今後育てたい毒草の効能だった。

令嬢同士のおつきあいにも、お見合い相手にもこの話題は振れない。絶対に振れない。

リズは現実を見据え、令嬢たちとのお茶の時間、お見合いの時間はしっかりと自分の趣味を封印している。
間違っても、「好きな花は?」と聞かれて、「トリカブトです」などと答えることはしない。

封印するだけでなく、社交界向けの「表の趣味」も用意している。

この表の趣味についても、殿下を参考にして生まれたものだった。
香草、香木について知らないものはないと評される殿下は、毒草についてもその知識は広く深かった。

「どんな草に素晴らしい香りが秘められているか分からないからね」

リズが初めて殿下の毒草の知識に驚いたとき、美しいサファイアの瞳に穏やかな光を湛えて殿下はそう答えた。
そして、瞳にリズだけを映しながら、柔らかな声で殿下は付け加えた。

「それに、私の女神の好きなものは、何でも、どれだけでも、私は知りたいのだよ」

なぜだかその瞳に吸い込まれそうな心地を覚え、サファイアの瞳に映る自分の姿を見つめながら、リズは公爵家とっての妙案を思いついていた。

毒草について、毒だけを見つめるのではなく、毒草の「良い」面を、趣味として備えようと決意したのだ。

毒草も量を変えれば、薬として使われているものが多い。
リズはその毒の薬としての作用、特に美容に効く作用に注意するようになった。
皮膚の炎症に効く草、疲れや健康に効く草、はたまた、爪を美しく染めることのできる草など、リズは社交界では美容と健康のための薬草の第一人者として名を馳せている。
爪を染める草は令嬢たちやご婦人たちに人気を博し、依頼されて草を育てているほどなのである。

――それでも、貴族の令嬢の一般的な趣味からは遠いものがあるけれど、秘密裏にしなければならない趣味で無くなった時点で、父は愛しい娘の配慮に感涙し、一般的な趣味との乖離は黙殺したのだった。

しかし、乖離は黙殺したものの、父は、そして公爵家一同は、娘がこのように素の自分を隠した状態で、めでたく結婚した後に生活が営めるのだろうかと、疑問に思うところがあるのだが、――アンソニーは「僕の傍でありのままに暮らせばいいんだよ」と力説しているが――、

当人は父に似たのか、その点を全く追究せずに、今日に至っているのである。



「ハッ…クシュン!」

兄のくしゃみは大きくなった。そろそろ限界なのだろう。
リズは急いで苔の近くにアルテミジアを植え、庭から離れようと立ち上がった。
隣で様子を見守っていた殿下も無駄のない動きでリズに続く。

「私の女神は、この庭にいるときが一番輝いているね。あなたの輝きは私の心を照らしてくれる。この素晴らしい時を味わうために、私に嫁いでくれたときには、あなたのための庭を造ることにしよう」

いつもどおりのうっとりと蕩けるような、けれど出会った頃にはなかった艶を含んだ声が耳元に落とされ、リズは一瞬何も考えられなくなった。
自分が何も考えられないことに驚き、自分の鼓動を感じたとき、

「僕の天使は生涯僕の傍にいるのだから、そんな庭は要らない」

底冷えのする低い声がリズの頭に入り込んだ。
リズの庭から離れ、調子を取り戻した兄がリズの隣に割り込みながら、殿下に対して答えを返してくれていた。
リズはそっと小さく息を吐き、自分を取り戻すことが出来たのだった。


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