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第1章
金の髪と銀の髪と護衛
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「殿下、お兄様、私はこれで失礼いたします。どうぞお二人でごゆっくりなさって下さい」
庭から戻り、アンソニーの体調が戻ったことを確信するまで談笑していたリズは、見る者の心まで温かくするような笑顔を兄に向けて――殿下には社交上の完璧な笑顔を向けて――部屋から出ていくのを、殿下付きの護衛、ポールは直立不動で見送っていた。
護衛に相応しい、凛々しい雰囲気を纏っているポールだが、リズから目を逸らしたい衝動と、己の胃を摩りたい衝動を必死に堪えていた。
ポールは別にリズの愛らしくも美しい容姿に戸惑っているわけではない。
初めて彼女の容姿を見た時は、アンソニーが「僕の天使」と呼んでいることに深く納得したものだが、職業柄、鍛えた表情筋は一切動かさずにやり過ごせた…はずである。
そのとき、ポールの向かい側に立っていた殿下から、凍るような鋭い視線を一瞬向けられたことも、…錯覚だろう。
警備自体も、この公爵邸は、油断は禁物であるものの、客観的にみて危険の少ない場所である。
公爵家の護衛も背後を預けるに足る精鋭ぞろいだ。
しかし、ポールには確かに、リズから目を逸らしたい衝動と、己の胃を摩りたい衝動を感じているのだ。
部屋のドアが閉まり、リズの姿が消えた途端、それまで部屋に漂っていた朗らかな空気は消え去り、冷えきった空気が部屋を支配した。
耐えろ。何事も終わりの時間が来る。
ポールはそっと奥歯を噛み締め、これからの時間に備え始めた。
「アンソニー」
たった今まで甘く艶めいていた声は、硬く冷めた声へと切り替わる。
声と同時に、その表情も「氷の王子」に相応しい、何も読み取れない、見つめられれば思わず居住まいを正したくなる威圧感を全面に押し出したものとなる。
ポールは常々感心するのだが、この殿下の切り替わりに対して、公爵家の継嗣であるアンソニーがたじろぐ様子は一切ない。
平然と、その眼差しを受け止め、さらには不快な眼差しを送り返す。
「何だい?エドワード。君も承知の通り、僕は君と話したい気持ちはないんだ。もったいぶらないでさっさと言ってくれないかな」
王太子殿下を、敬称を付けず呼びかけるのは、国王、王妃の両陛下を除いて、彼一人である。
これほどのぞんざいな口の利き方をするのも、もちろん彼だけだ。
その点もポールが感心する点である。
殿下は次代の王に相応しい類まれな覇気を纏っている。
自分も含めて、大抵の者はその覇気に圧され、気が付けば彼に恭順の意を何らかの形で示しているのだが、アンソニーは気圧されることは全くないようだ。
そして、この冷めた空気しか漂っていない二人に強固な協力関係が出来ているのも、ポールは感嘆する点である。
リズにお見合いなどさせたくない二人は、「敵の敵は味方」という立場で、手を組んでいるのだ。
いつもの通り、殿下はアンソニーの態度に不快な様子を示すこともなく、淡々と言葉を発する。
「私は、ジョンに対しては何も動いていない」
ちらりと殿下はポールの方へ視線を向ける。
殿下に対してはやましいことなど一切ないにもかかわらず、大抵のものに含まれるポールは思わず唾を飲み込んだ。
「それに、ジョンに問題があるとの報告は受けていない」
ポールはしっかりと頷いた。
リズがお見合いを始めてから、殿下は、その相手に関して詳細な調査をするようにポールに命じている。
その目的は相手の問題を見つけて、婚約を阻止するためだ。
そして、調査の内容を、アンソニーと交換しているのだ。
アンソニーの友人と言えども、公爵家も、リズの将来のため、総力を挙げてお見合い相手を調べつくしているが、お互いの穴を補うため、この二人の協力関係は築かれた。
アンソニーは艶やかな銀の髪を掻き上げながら、爽やかな笑顔で言い放った。
「ああ。確かにお見合い前に問題はなかった。ジョンは素晴らしい男性だ。だが、その後、非常に残念なことに、僕がお見合いを断ったご令嬢が、ジョンに見合いを持ち込んだのだよ」
ポールは胃が騒ぎ出すのを感じたが、鍛え抜かれた表情筋のすべてを抑制し、表には出さなかった。
「それは、本当に残念だったな。問題のない人間に思えたのに」
目の前に女性がいたら、失神させてしまうほどの輝く笑顔を見せて、殿下は答えた。
ポールはつばを飲み込んだ。
この後の展開が、6度目ともなると読めている。
殿下が例のごとく、尋ねる。
「それで、どうやって断ったんだい?」
エメラルドの瞳は、例のごとく全く動じることなく、淡々と返事を返す。
「リズはそのご令嬢と仲が良くて、君とお見合いを続けることが心苦しいそうだと、断ったんだ」
ポールはつばをもう一度飲み込むことで、溜息を飲み込んだ。
残念ながら、胃が疼きだすことは抑えきれなかった。
リズは露ほども知らないことだが、これまでのお見合いは、相手から断られたことは1度もない。
公爵家の当主ロバートを通さずに、友人のアンソニーから断るか、相手の弱みを見つけ出した殿下が圧力をかけるかして、話が流れているのだ。
アンソニーは、意図的に自分のお見合いを断り、もしかするとアンソニー自身が仲介してジョンに見合いの話を持ち込んだのだろう。
これまでの経験から、ポールは確信を持っていた。
女性と見紛うほどの美貌と線の細い印象を持つ、この銀の貴公子は、自分の友人との友情と妹を秤にかけることは一切しない。
行動理念は、ひたすら妹を手元に置く、その一点だ。
この理念の前には、友情は全く重みをもたない。友人を、いわば、嵌めることも厭わない。
「素晴らしい。君の手腕に驚くよ」
自分の恋敵を許さない殿下は、しみじみと頷き、締めくくった。
エリザベス嬢。自分にはこの二人を止めることはできないのです。
このような二人の妨害を何も知らずに、断られたと落ち込むリズを見て、今日も目を逸らしたくなったポールは、心の内で懺悔するのであった。
庭から戻り、アンソニーの体調が戻ったことを確信するまで談笑していたリズは、見る者の心まで温かくするような笑顔を兄に向けて――殿下には社交上の完璧な笑顔を向けて――部屋から出ていくのを、殿下付きの護衛、ポールは直立不動で見送っていた。
護衛に相応しい、凛々しい雰囲気を纏っているポールだが、リズから目を逸らしたい衝動と、己の胃を摩りたい衝動を必死に堪えていた。
ポールは別にリズの愛らしくも美しい容姿に戸惑っているわけではない。
初めて彼女の容姿を見た時は、アンソニーが「僕の天使」と呼んでいることに深く納得したものだが、職業柄、鍛えた表情筋は一切動かさずにやり過ごせた…はずである。
そのとき、ポールの向かい側に立っていた殿下から、凍るような鋭い視線を一瞬向けられたことも、…錯覚だろう。
警備自体も、この公爵邸は、油断は禁物であるものの、客観的にみて危険の少ない場所である。
公爵家の護衛も背後を預けるに足る精鋭ぞろいだ。
しかし、ポールには確かに、リズから目を逸らしたい衝動と、己の胃を摩りたい衝動を感じているのだ。
部屋のドアが閉まり、リズの姿が消えた途端、それまで部屋に漂っていた朗らかな空気は消え去り、冷えきった空気が部屋を支配した。
耐えろ。何事も終わりの時間が来る。
ポールはそっと奥歯を噛み締め、これからの時間に備え始めた。
「アンソニー」
たった今まで甘く艶めいていた声は、硬く冷めた声へと切り替わる。
声と同時に、その表情も「氷の王子」に相応しい、何も読み取れない、見つめられれば思わず居住まいを正したくなる威圧感を全面に押し出したものとなる。
ポールは常々感心するのだが、この殿下の切り替わりに対して、公爵家の継嗣であるアンソニーがたじろぐ様子は一切ない。
平然と、その眼差しを受け止め、さらには不快な眼差しを送り返す。
「何だい?エドワード。君も承知の通り、僕は君と話したい気持ちはないんだ。もったいぶらないでさっさと言ってくれないかな」
王太子殿下を、敬称を付けず呼びかけるのは、国王、王妃の両陛下を除いて、彼一人である。
これほどのぞんざいな口の利き方をするのも、もちろん彼だけだ。
その点もポールが感心する点である。
殿下は次代の王に相応しい類まれな覇気を纏っている。
自分も含めて、大抵の者はその覇気に圧され、気が付けば彼に恭順の意を何らかの形で示しているのだが、アンソニーは気圧されることは全くないようだ。
そして、この冷めた空気しか漂っていない二人に強固な協力関係が出来ているのも、ポールは感嘆する点である。
リズにお見合いなどさせたくない二人は、「敵の敵は味方」という立場で、手を組んでいるのだ。
いつもの通り、殿下はアンソニーの態度に不快な様子を示すこともなく、淡々と言葉を発する。
「私は、ジョンに対しては何も動いていない」
ちらりと殿下はポールの方へ視線を向ける。
殿下に対してはやましいことなど一切ないにもかかわらず、大抵のものに含まれるポールは思わず唾を飲み込んだ。
「それに、ジョンに問題があるとの報告は受けていない」
ポールはしっかりと頷いた。
リズがお見合いを始めてから、殿下は、その相手に関して詳細な調査をするようにポールに命じている。
その目的は相手の問題を見つけて、婚約を阻止するためだ。
そして、調査の内容を、アンソニーと交換しているのだ。
アンソニーの友人と言えども、公爵家も、リズの将来のため、総力を挙げてお見合い相手を調べつくしているが、お互いの穴を補うため、この二人の協力関係は築かれた。
アンソニーは艶やかな銀の髪を掻き上げながら、爽やかな笑顔で言い放った。
「ああ。確かにお見合い前に問題はなかった。ジョンは素晴らしい男性だ。だが、その後、非常に残念なことに、僕がお見合いを断ったご令嬢が、ジョンに見合いを持ち込んだのだよ」
ポールは胃が騒ぎ出すのを感じたが、鍛え抜かれた表情筋のすべてを抑制し、表には出さなかった。
「それは、本当に残念だったな。問題のない人間に思えたのに」
目の前に女性がいたら、失神させてしまうほどの輝く笑顔を見せて、殿下は答えた。
ポールはつばを飲み込んだ。
この後の展開が、6度目ともなると読めている。
殿下が例のごとく、尋ねる。
「それで、どうやって断ったんだい?」
エメラルドの瞳は、例のごとく全く動じることなく、淡々と返事を返す。
「リズはそのご令嬢と仲が良くて、君とお見合いを続けることが心苦しいそうだと、断ったんだ」
ポールはつばをもう一度飲み込むことで、溜息を飲み込んだ。
残念ながら、胃が疼きだすことは抑えきれなかった。
リズは露ほども知らないことだが、これまでのお見合いは、相手から断られたことは1度もない。
公爵家の当主ロバートを通さずに、友人のアンソニーから断るか、相手の弱みを見つけ出した殿下が圧力をかけるかして、話が流れているのだ。
アンソニーは、意図的に自分のお見合いを断り、もしかするとアンソニー自身が仲介してジョンに見合いの話を持ち込んだのだろう。
これまでの経験から、ポールは確信を持っていた。
女性と見紛うほどの美貌と線の細い印象を持つ、この銀の貴公子は、自分の友人との友情と妹を秤にかけることは一切しない。
行動理念は、ひたすら妹を手元に置く、その一点だ。
この理念の前には、友情は全く重みをもたない。友人を、いわば、嵌めることも厭わない。
「素晴らしい。君の手腕に驚くよ」
自分の恋敵を許さない殿下は、しみじみと頷き、締めくくった。
エリザベス嬢。自分にはこの二人を止めることはできないのです。
このような二人の妨害を何も知らずに、断られたと落ち込むリズを見て、今日も目を逸らしたくなったポールは、心の内で懺悔するのであった。
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