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番外編

空を眺めて遠き紫水晶に想いを馳せる

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 こんな人がいるんだ…。
 ヒューはそれまでの緊張を驚きに変えて、目の前の自分とさほど歳の変わらない華やかな美を持った王太子を見ていた。

 ヒューは初めて王城に上がり、王太子と謁見していた。
 魔力が強いため、万が一、魔力が暴走した場合を恐れて、それまで人の集まる場所に出たことはなく、リズとアンソニー以外の歳の近い子どもと接することもなかった。
 アンソニーが王太子の学友として城に上がるようになっても、ヒューは城に足を踏みいれたことはなかった。
 今まで自分と同じく王城に行ったことのないリズも、先日、とうとう王太子主催のお茶会に招かれていた。
 もっともお茶会の後、リズは寝込んでしまっているという。一体、何があったのかアンソニーに尋ねても、彼は答えをくれないどころか思念も閉ざして、頑なに答えることを拒否してきた。
 少しばかり自分が取り残された気がして、気が滅入っていたヒューだったが、突然、王太子から城に招かれたのだ。
 
 謁見の日、魔力の暴走に備えて、白の守護師とアンソニーが同行してくれた。
 それでも多くの人が忙しそうに行きかう城中は、ヒューに緊張と僅かばかりの興奮を覚えさせた。
――いつかは自分も自由に生きたい場所に行けるようになりたい
 今まで気が付かなかった願いが沸き上がると、白の守護師は目を細めて頭を撫でた。

「行けるようになるとも。その時が来たら、私の補佐も少しはしてくれるとありがたいぞ」

 優しい声で紡がれた未来に、ヒューはまた僅かばかり胸を躍らせた。
 そして、たどり着いた王太子の応接室で、ヒューは驚きに包まれたのだ。

「よく来てくれたね。会えるのが待ち遠しかったよ」

 耳に心地よく、けれども意志をはっきりとのせた声と、朗らかな笑顔でヒューを出迎えた王太子は、アンソニーとは違った美を持つ少年だった。
 艶やかな金の髪に、サファイアの思わせる濃い青の瞳が特徴的な華やかな美は、外交的な笑顔を効果的にしていた。
 けれどもヒューを驚かせたことは、その意志の強さだった。
 アンソニーのような思念の魔力をもっていないはずなのに、全く意志が漏れてこない。
 王太子の胸元から白の守護師の魔力を感じるが、その魔力は特に結界を張っている様子もない。
 それなのにヒューは意図して魔力を用いなければ、王太子の思念を読むことはできない状態だったのだ。
 生まれてからこの方、思念が欠片も漏れてこない人間に出会ったことはなかった。
 これほどの意志の強さに驚嘆すると同時に、この強い意志の持ち主は何を胸に秘めてここまでの強さを持っているのか、ヒューはそこにも関心を寄せた。

 アンソニーなら読めるのだろうか?

 それを確かめようと彼に視線を送る暇はなかった。

「私はエドワードだ。君のことはヒューと呼んでもいいかな」

 慌ててヒューは礼を取り、挨拶を述べようとしたところをエドワードに遮られた。

「ここには礼にうるさい人間はいない。楽にしてほしい」
「ありがとうございます。ヒューとお呼びいただけるなら光栄です」

 軽く目礼をするヒューに、鷹揚に頷いてエドワードは椅子を勧めてきた。
 白の守護師もアンソニーも遠慮なく座る様を見て、ヒューもそれに倣う。心地よいクッションに感心すると、エドワードはくすりと笑った。

「お気に召したようでよかったよ。この椅子は評判がいいんだ」
「僕も父にこの職人を勧めてみた」
 アンソニーは寛いでいる。寛いでいるけれども、ヒューは彼の様子に違和感を拭えなかった。
 アンソニーは思念を閉じていたのだ。
 殿下に対抗しているのかと思いかけ、ヒューはその可能性の低さを思い即座に否定した。
 傍若無人なアンソニーが誰かに対抗することなど、あり得ない。
 ヒューの頭にアンソニーの吹雪が吹き込み、ヒューは苦笑を懸命に抑えた。
 閉じるならこういったところも閉じていてほしいと、抗議したとき、朗らかな声がヒューを引き戻した。

「君の魔力は白の守護師よりも強いと聞いた。君に頼みたいことがある」

 ヒューは緊張した。今まで、他人の思考は難なく読めていたため、相手が自分に何を言うかは分かっていた。
 けれども、今、ヒューは初めて相手が何を言うか分からない経験を味わう。
 王太子の願いは、実質的には命令と同じだ。
 彼は自分に何を求めるのだろう。
 殿下ははっきりした声で求めを言葉にした。

「ウィンデリアの魔法学園に留学してほしい。君の魔力の使い方を高められるだけ高めてほしい」

 予想外の求めに、ヒューは目を瞬かせた。隣国のウィンデリアは魔法大国であり、魔法を持つ者が学ぶ学園があるということは耳にしていた。
 あの学園は他国にも門戸を開いていたのだろうか?
 ヒューが驚きから立ち直る時間は与えられなかった。エドワードの求めはまだ続きがあった。

「そして、帰国したら、エリザベス嬢に君の最高の守護を与えてほしいのだ」

 ヒューは目を見開いた。
 殿下の要望に驚いたことも事実だが、それよりも彼に衝撃を与えたものがあった。
 殿下がリズの名前を口にした途端、彼から思念が溢れ出たのだ。今や、ヒューは思念の魔力を閉じたいと思うほど、溢れ出ていた。
 部屋に満ちると思われるほどの強さを持った、けれども複雑な思念だった。
 眩しいほどの光のような思念であったが、深い闇も伴っていた。

 リズへの愛しさ、彼女に会いたいという切望、彼女と出会えた喜び、そして――、

 押し寄せるエドワードの思念に圧倒されていたヒューは、読み取った思念に驚愕する。
 思わず礼儀を忘れて、隣のアンソニーを振り返った。彼は銀の美貌を崩すことなく、思念を完全に閉じていた。

 白の守護師の諭すような視線を感じ、ヒューは慌てて答えを待つ殿下に向き直った。
 ヒューの困惑は消えていた。殿下のサファイアの瞳に視線を向けた。
 サファイアの瞳には、強い期待が浮かび上がっている。
 ヒューは息を吸い込み、自身の最も大切な思いを告げた。

「留学のお話を受けさせていただきます。私にとって、エリザベス嬢は光をくれた人です。私の光そのものです。私も彼女を護りたいと思っていました」

 殿下の美しい金の眉が微かに上がった。ヒューは臆することなく、思いを伝え続ける。

「彼女を護る力を身に着けることができたら、彼女の傍で私の全てをかけて護り続けるつもりです」

 殿下から表情が抜け落ち、美が凄みを増したことで、ヒューの想いが伝わったことが分かった。
 部屋に沈黙が訪れた。
 ほんのわずかな時間だったろう。殿下は目を伏せ、息を吐いた。
 そして再びヒューに視線を向けた時には、サファイアの瞳に揺らぎはなかった。
 澄んだ瞳は真っすぐにヒューを貫いた。

「なるほど。君の想いは分かった。彼女を護る力を身に着けているなら、君の想いを咎める権利は私にはない」
「僕にはある」
 アンソニーが言葉を挟んだが、ヒューはサファイアの瞳から視線を逸らすことはなかった。
 リズへの想いが殿下に負けることはないと思っているが、殿下の彼女への想いの深さは分かってしまった。
 
 殿下は彼女を護ることを第一に考えている。
 
 ヒューは自分が微かに殿下の深さに悔しい思いを抱いたことに気が付き、目を伏せた。



 静寂が支配する夜に、ヒューは自室の窓から空を見上げた。
 夜空に浮かぶ星々の位置は隣国であるためか、大きく変わることなく、慣れ親しんだ空に美しい永遠の存在感を放っていた。
 ヒューは星に魅入り、夜空を見上げ続けていたが、部屋に吹き込んだ風がかさりと手紙を揺らして我に返った。

 ヒューが留学してから、10日が経ったところだ。
 殿下との会見を終えた後、あっという間に留学の手続きが整えられ、ヒューは学園に入学した。
 母国と異なり魔素がそこら中に満ちているこの学園は、ヒューにとっていきなり新鮮な空気を与えられたかのような、開放感があった。
 魔力を持たない人間がいない学園は、ヒューに「普通」の概念を変えさせてくれた。
 ヒューは予想もしなかった、これまで経験したことのない心地よさを手に入れたのだ。

 けれども、彼は手の中の手紙に視線を戻した。
 彼のことを案じ、彼の幸せを祈る手紙は、今日、届いたばかりだ。
 どれほど自分のことを案じてくれているのだろう。
 リズは魔力が使えないのに、手紙にはわずかではあるが彼女の魔力が宿っていた。
 ヒューの全ては歓喜に彩られた。

――ヒューが好きだと言っていた星を見て、ヒューの幸せを祈っています。

 リズが書いてくれた言葉が蘇り、ヒューは再び夜空に魅入りリズを想った。

 リズ。これからは僕も星を見る度に、君の幸せを護る夢を思い出すよ。
 
 ヒューは留学の目的を胸に刻み、窓を閉めた。
 

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 番外編 完 第2章に続きます。

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