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第2章

帰国

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 クロシア国の西に国境を接するウィンデリア国には、魔法使いとなるための学園が設立されている。
 多くの偉大な魔法使いを送り出し、また、その卵である生徒たちが過ごすことで、校舎にはいつしか魔力がそこかしこに蓄積されている。
 
 それほどの歴史ある校舎の中で、一際強い魔力が漂う一室に、二人の魔法使いが強固な結界を張り、完全な密室を作り上げ、向かい合っていた。
 
 その一人は、この部屋の主であり、ウィンデリア史上、間違いなく最強の守護師でもある。
 一度、彼を目にすれば生涯忘れることのできない印象を相手にもたらす存在感が、守護師にはあった。
 彼の桁外れな魔力もさることながら、艶を帯びた真っ直ぐな腰まで届く銀の髪に、長い銀のまつ毛に縁どられた紫も入ったように見える濃い青の瞳が特徴的な、この世の美を全て集めたような美しさは、神々しいと評されている。
 
 彼の濃い青の瞳は美しいだけでなく強い魔力を帯び、その瞳に見つめられれば、何も隠すことを許されなくなるが、彼はその瞳を、目の前の青年、――成人を迎えたばかりの年若い魔法使いに、特に魔力を抑えることもなく向けた。

 まだあどけなさを面立ちに残している年若い魔法使いは、守護師の魔力に委縮することもなく、光の加減によっては青にも見える不思議な色合いの緑の瞳で、守護師の眼差しを静かに受け止めた。
 
 銀の守護師は、泰然とした彼のその様子に口元を僅かに緩め、空気に染み込むような深い声を部屋に響かせた。

「これが、そなたから、そして、そなたの国の王太子からも頼まれたものだ」

 穏やかで静かな気配を纏っていた青年に、初めて鮮やかな喜びが浮かび、彼の淡い緑の魔力がふわりと浮かび上がった。

 その様を守護師は微かに目を細めて眺め、右手を優雅に差し出し、眩い銀の魔力を立ち上らせると、一つの箱を取り出した。
 青年はそっと箱を受け取り、守護師に視線を向けた。
 目を伏せることで了承を示した守護師に、頷きを返してから、青年は白い香木で作られた箱を細心の注意を払って開けた。

 箱の中に敷かれた光沢のある美しい青い布の中央に、目にするだけで全てを忘れることができそうな癒しを覚える、白金の魔法石が収められていた。
 その魔法石は、守護師の姪に当たる、ウィンデリア史上、最高の治癒の力を持つ魔法使いシルヴィアが作った治癒の魔法石だ。

 石を眺めた青年から淡い緑の魔力が緩やかに立ち上ったのは、その見事な魔法石の力に陶然としたためかもしれない。
 魔力を収めると、彼は跪き頭を垂れた。

「ありがとうございます。銀の守護師と、白金の魔法使いシルヴィア様に心からの感謝を捧げます」
 
 彼の真摯な思いは、淡い緑の魔力を再び立ち上らせ、銀の守護師を一瞬包み込んだ。
 淡い緑が消え去ると、空気に染み込む声が、幾分、笑いを含んだものになった。

「この特例を認めるか、王城でかなり議論されたのだが――」

 青年は良心の呵責を覚えて、目を伏せた。
 白金の魔法使いシルヴィアの治癒の力は、この近隣諸国で知らぬものはいないほどの強さだ。
 彼女の治癒の力を分けた魔法石をもらうことは、近隣諸国中から同じものを、その治癒の力を求めるものが押し寄せることにもなりかねない。
 
 白金の魔法使いにそのような危険を負わせることは、魔法石を依頼する時点で青年の胸を重くしたが、それでも青年は自分の願いを選んだ。
 王太子エドワードは、自身の婚約者の身を思ってその魔法石を求めたが、青年は、エドワード殿下とは異なる目的でこの魔法石を求めた。
 彼の目的は、彼の迷いを押しのけるほどに、切迫したものであった。
 
 ぬぐい切れない罪悪感と未来への緊張をはらんだ彼の物思いを、 銀の守護師は、はっきりと笑いをにじませた声でかき消した。

「シルヴィはそなたの恋を知ると、周りを口説き落としていた」
 
 銀の魔力は楽しそうに揺らめいている。
 自分の想いが想定外に広く知られたことを知り、青年は耳まで真紅に染めた。
 あまりの羞恥に、今日、この慣れ親しんだ地を離れることに、安堵すら覚える。
 穏やかな彼には珍しく幾分慌てて瞳を閉じ、息を吸い込んで動揺を抑え、青年は魔法石に右手をかざした。

「シルヴィア様の名を出さないよう、私の最善を尽くします」

 淡い緑の光が魔法石を包むと、白金の魔力は覆われ、魔法石は淡い緑の輝きを放っていた。
  
 年若い魔法使いの鮮やかな手並みに、銀の守護師は「素晴らしい」と一言呟いた後、染み入る声に僅かな重さを乗せて、青年に言葉を投げかけた。

「その石を使うことがないことを祈るのは無駄だろう」

 青年は再び静謐さを身に纏い、己の強い魔力がもたらした予知で見たその時を思い返しながら、静かに目を伏せ守護師の言葉を受け止めた。
 エルフの生まれ変わりである銀の守護師も、当然にその予知は得ている。
 
 部屋に、一拍の沈黙が訪れた後、銀の守護師は僅かに目元を緩めた。

「まぁ、予知に抗うのも一興だ」

 対する、年若い魔法使いは口角を微かに上げて、賛同を示す。
 抗うために、彼は居心地の良いこの国を離れ、母国に戻るのだ。
 
 年若い魔法使いの心意気を見て、守護師は銀の魔力を優しく揺らめかせた。

「そなたと、そなたの想い人に幸運があることを祈る」

 祝福の魔力を受け取り、銀の守護師への最後の挨拶としてお辞儀を終え、絹糸のような栗色の髪をふわりとなびかせながら、青年が踵を返したとき、銀の魔力が再び揺らめいた。

「あぁ、ヒュー、言い忘れたことがあった」

 ヒューは体を戻して、守護師に向き直ると、神々しい美を持つ偉大な守護師は、不敵な笑みを浮かべてその美に迫力を増した。

「ウィンデリアは、優秀な魔法使いをいつでも歓迎する。いつでも駆け落ちしてくるといい」

 ヒューは静謐な空気を消し去り、不敵な笑みを返した。

「ありがとうございます。彼女が望む地で暮らしたいですから、そのお申し出は胸に刻み付けておきますよ」

 彼女の心を手に入れたとしても、あの殿下が自分の目の届かない地へ彼女をやることなど、全てをかけて阻止するはずだと思いつつも、ヒューは彼女のためなら己の持てるすべてを費やして、殿下の手をすり抜ける覚悟はできていた。
 
 彼女の心を得られるなら、どのような努力も惜しまない。
 この6年の留学も、彼女のためだったのだから。

 ヒューの思念を読み取った守護師は、その心意気にクスリと笑い、光を増した銀の魔力を立ち上らせた。
 
「それでは、贈る言葉を一つ加えよう。ヒュー。健闘を祈る」

 ヒューは、はっきりと口角を上げることで祈りに応えると、6年を過ごした学び舎を後にした。
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