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第2章
再会
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屋敷に戻り兄の部屋を目指して歩きながら、リズは頬が緩むのを抑えられなかった。
廊下にかけられている天使の絵を見て、口元まで綻ぶ。
この天使に負けない程、従弟は愛らしかった。
愛らしい従弟は魔力も強く、そのため、ヒューは神に愛されている天使だと、子供心にリズは思っていたぐらいだ。
歳はリズと変わらないけれど、ヒューは小柄で、リズよりも拳一つ分ぐらい背が低く、いつも大きな瞳でリズを見上げてくれていたものだ。
にこにこと自分を見つめてくれる大きな瞳を見ると、リズは何となく兄が自分を可愛いと思ってくれる気持ちが分かった気がした。兄にとってはリズが天使だが、リズにとってはヒューが愛らしい天使だった。ヒューが可愛くて、頭を撫でたい思いがし、気が付けばよく撫でていた。
リズに「弟」への愛を感じさせるものは瞳だけではなかった。
丸みを帯びた柔らかな頬は、薄っすらと赤く、思わずリズがそっと指でつついてしまうと、ヒューは困ったような眼差しを向けた後、笑みを深めてくれるのだった。
あら、私、ヒューに意地悪をしていたのかしら。
自分の過去の行いを振り返り、穏やかな笑みに苦笑を混ぜながら、兄の部屋のドアをノックし、返事も待たずに開けた。
「ヒュー!」
リズの弾んだ声に、ソファに腰かけていた二人がこちらへ視線を向け、立ち上がった。
部屋の奥側に座っていた兄のアンソニーは、今朝見た時よりも、血色がよい。ヒューに治癒してもらったのかもしれない。
そして、手前に座っていた男性を見て、リズは緩み切っていた顔が固まるのを感じた。
見知らぬ男性、そう言っていい男性だった。
「ヒュー?」
気が付けば、小さく問いかけてしまう。
そんなリズに困ったような表情を浮かべて立っている男性は、リズの記憶にある神に愛された愛らしい天使ではなかった。
そこには、美しさと強さを兼ね備えた、神を護る天使がいた。
魔力が強いためだろうか。静謐な空気を纏っているのに底知れぬ強さを感じてしまう。
そして、容貌もリズをほほ笑ませた愛らしい天使ではなかった。
整った顔立ちであることは幼い時と変わらなかったが、どうしても突きたくなる柔らかな頬の丸みは失せ、どちらかと言えば精悍さを感じさせるすっきりした線を描いている。
瞳は男性にしては大きいものだが、そこに宿るものは愛らしさではなく、何事も呑み込むような穏やかな深い海だった。
リズよりも、もしかしたら兄よりも背が高いと思われる長身に、絹糸のような栗色の髪が腰まで伸ばされ一つに束ねてあり、厳かな印象を持たせている。
「リズ。信じられないようだけれど、彼は確かにヒューだよ」
呆然と立ち尽くしていたリズに、アンソニーが可笑しそうに瞳を輝かせて、彼女の意識を引き戻した。
動揺するリズを見て、くすりとヒューが笑ったとき、彼から穏やかな魔力がゆるりと立ち上った。
それは、心地よい、馴染みのある、紛れもないヒューの魔力で、リズはようやく笑顔を取り戻し、待ち受ける従弟の胸に飛び込んだ。
◇
「すごいね!まさかこれほどとは!」
ヒューはリズの毒草の園を一目見て、魔力を立ち上らせるほど興奮している。
6年ぶりの再会を果たしてすぐ、ヒューからこの園を見せてほしいと懇願された。
アンソニーも不思議なことに二人が庭に行くことを満面の笑みで勧め、リズはヒューを先ほどまで手入れしていた自分の園に連れてきていた。
魔法学園では薬草の勉強もあり、毒草についても学んだというヒューに、自分の育てた草を披露できるのは、リズの胸をくすぐる。
「よくこれだけ育てられたね!」
興奮冷めやらぬまま、ヒューは賞賛の言葉を紡ぎ続ける。あまりに純粋な誉め言葉にリズは少し恥ずかしさを覚えてしまった。
「でも、特殊な草のかなりのものは、殿下が集めて下さったの」
正直に申告したものの、ヒューの瞳の輝きは変わらなかった。
「これだけの種類を育てるのは、大変だろう?生半可な気持ちでできることではないよ!」
心からの感嘆の響きに、リズの頬は熱を持った。
「ありがとう」
小さく答えて、何とか熱を逃がそうと目についた草に話を向けた。
「この『涙の草』はウィンデリアでも育てられているのでしょう?」
小さな草だが、皮膚に潤いをもたらす薬効と――乾燥させた実はかぶれを引き起こすのだが――、魔力の素を含んでいるものが多いことで有名だ。
当然、魔法大国であるウィンデリアでは大切に育てられている。
ヒューが懐かしそうに目を細め、ゆっくり頷く様を見つめ、リズは疑問を口にした。
「ヒュー。この草でもやはりウィンデリアの方が、魔素が多いかしら?」
彼は草を見つめたまま、もう一度ゆっくりと頷いた。
魔法が使えないリズには幸か不幸か感じ取れないことだが、ヒューによるとクロシア国の魔素は少しずつ減少を見せているらしい。
幼いころ、ヒューはリズの目の前で震えながら泣き出したことがある。
――この国の魔素は少なくなっている。今に無くなってしまうのかもしれない。
あの時の恐怖に満ちた彼の悲鳴は、今でも鮮明にリズの耳に蘇る。魔法を使えない自分には、彼の恐怖を真に分かることができないことが、もどかしく、悲しく、苦しかった。
5歳だったリズは震えるヒューを必死に抱きしめ、震えが収まるまで背を撫で続けることしか見つけられなかった。
そのような未来におびえた過去を一切感じさせない、あらゆることを呑み込むような穏やかさを身に纏う従弟の美しい顔を眺めながら、問いかけた。
「どうして戻ってきたの?」
ヒューは草から視線を外し、リズに顔を向けた。凪いだ海を思わせる穏やかな瞳はリズの疑問を受け止めている。リズはその眼差しに導かれるように、疑問を投げかけ続けた。
「魔素も魔法使いも多いウィンデリアの方が、ヒューには過ごしやすかったのでしょう?どうして離れることにしたの?」
ヒューは目元を緩ませた。
「僕の一番大切なものが、ウィンデリアにはなかったから」
「大切なもの…」
彼に魔素より大切なものがあるのだろうかと、さらに疑問を深めたリズに、ヒューは目を伏せ、長い睫毛で瞳を隠してしまった。
「それがないと僕は幸せにはなれない。だから、戻ってきたんだ」
瞳を見ることはできなかったけれど、彼の深い思慮はその声で伝わる。
それでも、リズは彼の考えに納得できなかった。
「ヒューにとっての魔素は、空気のような、食べ物のような、命の糧のようなものでしょう?」
「リズ。昔、君が教えてくれたじゃないか。魔素がなくてもしっかりと幸せに生きていくことはできるはずだと」
確かに5歳のあのとき、彼にそう伝えたことは覚えている。
毒で突然に死を迎えたリズには、生きているということは、それだけで光を放つほど素晴らしいことに思えるからだ。
そのことは、変わっていない。
けれど、あの時とヒューを取り巻く環境は違う。
「それでも、魔素が豊かな場所があるなら、敢えてそこから離れなくても――」
まだ食い下がるリズに、ヒューは目元を緩めた。彼からふわりと優しい魔力が立ち上る。
「僕が幸せでないように思う?」
幼馴染という気安さから、礼儀に反して、気が付けばリズは頷いてしまっていた。
「リズ。君が教えてくれたように、魔素が少なくとも、僕はこの国で生きていくことができる。魔力も使うことができる。だから、僕の幸せは、一番大切なもののある場所で暮らすことなんだ」
まだ「彼の幸せ」を共感することはできなかったが、穏やかに話す彼の声に耳を傾け、「彼の幸せ」が魔素を求めることではないことはリズにも伝わった。
複雑なリズの思いが顔に出ていたのだろうか。
ヒューはもう一度くすりと笑いを零し、穏やかに魔力を立ち上らせた。
「分かってもらえないかもしれないけれど、僕は幸せになるために、戻ってきたんだ。たとえ魔力が使えなくなっても、僕の幸せはここにあるんだよ」
凪いだ瞳をみて、リズは引き下がるしかなかった。リズから見た「ヒューの幸せ」と彼から見た「彼の幸せ」は違うのだ。
幼い時には恐怖を覚えた過ごしづらい環境を選ぶほど、大切なものがある従弟に、驚きを覚えると同時に、リズは少しばかり自分が置いて行かれたような寂しさを覚えた。
そして、そのような決断をできる従弟に微かに羨望を覚えてもいた。
――どんなものなのかしら。それほど大切なものは。
幼い時から、「穏やかな人生」以上に大切なものを考え付かなかったリズには、想像もつかなかった。けれど、想像もつかないそれはとても輝いたものに思える。リズは確かに羨望を覚えていた。
静かに瞳を閉じて、心を鎮めながら口を開いた。
「ごめんなさい。私はヒューの気持ちを無視していたわ」
複雑な思いにけりをつけたリズはようやく微笑みを浮かべて、言うことのできていなかった言葉を紡いだ。
「ヒュー。卒業おめでとう。あなたとまた会えてうれしいわ」
その瞬間、凪いだ海の瞳に輝きが宿り、嬉しさと微かな照れを含んだ眼差しがこちらに向けられた。その眼差しは、かつての愛らしさを彷彿させながらも、くらりとするような甘さと色香を漂わせた。
――とんでもない天使だわ
リズは息を吸い込み、急いで新たな話題を振った。
「ヒューはこれから領地に戻るの?」
「いや、王都で過ごすよ。白の守護師の下で手伝うことになっているから。だけど、国を離れて久しいので、まずは、リズのお妃教育に少し同席させてもらうことになっているんだ」
「まぁ…。それは知らなかったわ…」
――私はそこで勝負をかけるつもりなのだけれども。
ゆっくりと言葉を紡ぎながら、何の含みもないヒューの笑顔に、リズは完璧な笑顔を返し、新しい衝撃をやり過ごした。
婚約破棄を目指すリズは、お妃教育を最大の――、最後の機会と考えている。
気心の知れた幼馴染がその場にいることは、果たして自分の勝負に吉と出るのか凶と出るのか――、予想もつかない先のことを考えることは止めて、リズは従弟に再び草を説明し始めた。
廊下にかけられている天使の絵を見て、口元まで綻ぶ。
この天使に負けない程、従弟は愛らしかった。
愛らしい従弟は魔力も強く、そのため、ヒューは神に愛されている天使だと、子供心にリズは思っていたぐらいだ。
歳はリズと変わらないけれど、ヒューは小柄で、リズよりも拳一つ分ぐらい背が低く、いつも大きな瞳でリズを見上げてくれていたものだ。
にこにこと自分を見つめてくれる大きな瞳を見ると、リズは何となく兄が自分を可愛いと思ってくれる気持ちが分かった気がした。兄にとってはリズが天使だが、リズにとってはヒューが愛らしい天使だった。ヒューが可愛くて、頭を撫でたい思いがし、気が付けばよく撫でていた。
リズに「弟」への愛を感じさせるものは瞳だけではなかった。
丸みを帯びた柔らかな頬は、薄っすらと赤く、思わずリズがそっと指でつついてしまうと、ヒューは困ったような眼差しを向けた後、笑みを深めてくれるのだった。
あら、私、ヒューに意地悪をしていたのかしら。
自分の過去の行いを振り返り、穏やかな笑みに苦笑を混ぜながら、兄の部屋のドアをノックし、返事も待たずに開けた。
「ヒュー!」
リズの弾んだ声に、ソファに腰かけていた二人がこちらへ視線を向け、立ち上がった。
部屋の奥側に座っていた兄のアンソニーは、今朝見た時よりも、血色がよい。ヒューに治癒してもらったのかもしれない。
そして、手前に座っていた男性を見て、リズは緩み切っていた顔が固まるのを感じた。
見知らぬ男性、そう言っていい男性だった。
「ヒュー?」
気が付けば、小さく問いかけてしまう。
そんなリズに困ったような表情を浮かべて立っている男性は、リズの記憶にある神に愛された愛らしい天使ではなかった。
そこには、美しさと強さを兼ね備えた、神を護る天使がいた。
魔力が強いためだろうか。静謐な空気を纏っているのに底知れぬ強さを感じてしまう。
そして、容貌もリズをほほ笑ませた愛らしい天使ではなかった。
整った顔立ちであることは幼い時と変わらなかったが、どうしても突きたくなる柔らかな頬の丸みは失せ、どちらかと言えば精悍さを感じさせるすっきりした線を描いている。
瞳は男性にしては大きいものだが、そこに宿るものは愛らしさではなく、何事も呑み込むような穏やかな深い海だった。
リズよりも、もしかしたら兄よりも背が高いと思われる長身に、絹糸のような栗色の髪が腰まで伸ばされ一つに束ねてあり、厳かな印象を持たせている。
「リズ。信じられないようだけれど、彼は確かにヒューだよ」
呆然と立ち尽くしていたリズに、アンソニーが可笑しそうに瞳を輝かせて、彼女の意識を引き戻した。
動揺するリズを見て、くすりとヒューが笑ったとき、彼から穏やかな魔力がゆるりと立ち上った。
それは、心地よい、馴染みのある、紛れもないヒューの魔力で、リズはようやく笑顔を取り戻し、待ち受ける従弟の胸に飛び込んだ。
◇
「すごいね!まさかこれほどとは!」
ヒューはリズの毒草の園を一目見て、魔力を立ち上らせるほど興奮している。
6年ぶりの再会を果たしてすぐ、ヒューからこの園を見せてほしいと懇願された。
アンソニーも不思議なことに二人が庭に行くことを満面の笑みで勧め、リズはヒューを先ほどまで手入れしていた自分の園に連れてきていた。
魔法学園では薬草の勉強もあり、毒草についても学んだというヒューに、自分の育てた草を披露できるのは、リズの胸をくすぐる。
「よくこれだけ育てられたね!」
興奮冷めやらぬまま、ヒューは賞賛の言葉を紡ぎ続ける。あまりに純粋な誉め言葉にリズは少し恥ずかしさを覚えてしまった。
「でも、特殊な草のかなりのものは、殿下が集めて下さったの」
正直に申告したものの、ヒューの瞳の輝きは変わらなかった。
「これだけの種類を育てるのは、大変だろう?生半可な気持ちでできることではないよ!」
心からの感嘆の響きに、リズの頬は熱を持った。
「ありがとう」
小さく答えて、何とか熱を逃がそうと目についた草に話を向けた。
「この『涙の草』はウィンデリアでも育てられているのでしょう?」
小さな草だが、皮膚に潤いをもたらす薬効と――乾燥させた実はかぶれを引き起こすのだが――、魔力の素を含んでいるものが多いことで有名だ。
当然、魔法大国であるウィンデリアでは大切に育てられている。
ヒューが懐かしそうに目を細め、ゆっくり頷く様を見つめ、リズは疑問を口にした。
「ヒュー。この草でもやはりウィンデリアの方が、魔素が多いかしら?」
彼は草を見つめたまま、もう一度ゆっくりと頷いた。
魔法が使えないリズには幸か不幸か感じ取れないことだが、ヒューによるとクロシア国の魔素は少しずつ減少を見せているらしい。
幼いころ、ヒューはリズの目の前で震えながら泣き出したことがある。
――この国の魔素は少なくなっている。今に無くなってしまうのかもしれない。
あの時の恐怖に満ちた彼の悲鳴は、今でも鮮明にリズの耳に蘇る。魔法を使えない自分には、彼の恐怖を真に分かることができないことが、もどかしく、悲しく、苦しかった。
5歳だったリズは震えるヒューを必死に抱きしめ、震えが収まるまで背を撫で続けることしか見つけられなかった。
そのような未来におびえた過去を一切感じさせない、あらゆることを呑み込むような穏やかさを身に纏う従弟の美しい顔を眺めながら、問いかけた。
「どうして戻ってきたの?」
ヒューは草から視線を外し、リズに顔を向けた。凪いだ海を思わせる穏やかな瞳はリズの疑問を受け止めている。リズはその眼差しに導かれるように、疑問を投げかけ続けた。
「魔素も魔法使いも多いウィンデリアの方が、ヒューには過ごしやすかったのでしょう?どうして離れることにしたの?」
ヒューは目元を緩ませた。
「僕の一番大切なものが、ウィンデリアにはなかったから」
「大切なもの…」
彼に魔素より大切なものがあるのだろうかと、さらに疑問を深めたリズに、ヒューは目を伏せ、長い睫毛で瞳を隠してしまった。
「それがないと僕は幸せにはなれない。だから、戻ってきたんだ」
瞳を見ることはできなかったけれど、彼の深い思慮はその声で伝わる。
それでも、リズは彼の考えに納得できなかった。
「ヒューにとっての魔素は、空気のような、食べ物のような、命の糧のようなものでしょう?」
「リズ。昔、君が教えてくれたじゃないか。魔素がなくてもしっかりと幸せに生きていくことはできるはずだと」
確かに5歳のあのとき、彼にそう伝えたことは覚えている。
毒で突然に死を迎えたリズには、生きているということは、それだけで光を放つほど素晴らしいことに思えるからだ。
そのことは、変わっていない。
けれど、あの時とヒューを取り巻く環境は違う。
「それでも、魔素が豊かな場所があるなら、敢えてそこから離れなくても――」
まだ食い下がるリズに、ヒューは目元を緩めた。彼からふわりと優しい魔力が立ち上る。
「僕が幸せでないように思う?」
幼馴染という気安さから、礼儀に反して、気が付けばリズは頷いてしまっていた。
「リズ。君が教えてくれたように、魔素が少なくとも、僕はこの国で生きていくことができる。魔力も使うことができる。だから、僕の幸せは、一番大切なもののある場所で暮らすことなんだ」
まだ「彼の幸せ」を共感することはできなかったが、穏やかに話す彼の声に耳を傾け、「彼の幸せ」が魔素を求めることではないことはリズにも伝わった。
複雑なリズの思いが顔に出ていたのだろうか。
ヒューはもう一度くすりと笑いを零し、穏やかに魔力を立ち上らせた。
「分かってもらえないかもしれないけれど、僕は幸せになるために、戻ってきたんだ。たとえ魔力が使えなくなっても、僕の幸せはここにあるんだよ」
凪いだ瞳をみて、リズは引き下がるしかなかった。リズから見た「ヒューの幸せ」と彼から見た「彼の幸せ」は違うのだ。
幼い時には恐怖を覚えた過ごしづらい環境を選ぶほど、大切なものがある従弟に、驚きを覚えると同時に、リズは少しばかり自分が置いて行かれたような寂しさを覚えた。
そして、そのような決断をできる従弟に微かに羨望を覚えてもいた。
――どんなものなのかしら。それほど大切なものは。
幼い時から、「穏やかな人生」以上に大切なものを考え付かなかったリズには、想像もつかなかった。けれど、想像もつかないそれはとても輝いたものに思える。リズは確かに羨望を覚えていた。
静かに瞳を閉じて、心を鎮めながら口を開いた。
「ごめんなさい。私はヒューの気持ちを無視していたわ」
複雑な思いにけりをつけたリズはようやく微笑みを浮かべて、言うことのできていなかった言葉を紡いだ。
「ヒュー。卒業おめでとう。あなたとまた会えてうれしいわ」
その瞬間、凪いだ海の瞳に輝きが宿り、嬉しさと微かな照れを含んだ眼差しがこちらに向けられた。その眼差しは、かつての愛らしさを彷彿させながらも、くらりとするような甘さと色香を漂わせた。
――とんでもない天使だわ
リズは息を吸い込み、急いで新たな話題を振った。
「ヒューはこれから領地に戻るの?」
「いや、王都で過ごすよ。白の守護師の下で手伝うことになっているから。だけど、国を離れて久しいので、まずは、リズのお妃教育に少し同席させてもらうことになっているんだ」
「まぁ…。それは知らなかったわ…」
――私はそこで勝負をかけるつもりなのだけれども。
ゆっくりと言葉を紡ぎながら、何の含みもないヒューの笑顔に、リズは完璧な笑顔を返し、新しい衝撃をやり過ごした。
婚約破棄を目指すリズは、お妃教育を最大の――、最後の機会と考えている。
気心の知れた幼馴染がその場にいることは、果たして自分の勝負に吉と出るのか凶と出るのか――、予想もつかない先のことを考えることは止めて、リズは従弟に再び草を説明し始めた。
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