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第2章

お妃教育2

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 朝露が残るまだ朝も早い時間。
 マーレイ公爵家の庭は賑やかな空気に包まれていた。

「すごいのね!ヒュー!さすがだわ!」

 感激から弾むリズの声が、彼女の愛すべき庭に響く。
 リズから数歩離れた所に立っているヒューが魔力を使い、リズの庭に雨を降らせてくれたのだ。それだけでも感嘆するところだが、ヒューは庭から1歩離れた位置にいるリズには雨がかからないように調整しているのだ。
 リズはこの感動を分かち合いたくて、護衛で控えているポールに顔を向けた。
 ポールはリズの視線に気が付くと、笑顔を慌てて浮かばせる。お世辞にも上手いとは言えないその作り笑いに思うところがあったリズだが、ただ完璧な笑顔をポールに返すに留めた。

 そして、リズにとって勝負どころのお妃教育に向かう馬車の中、ポールの僅かに寄った眉を見つめたリズは、一旦、別の勝負に出る決断した。

「ポール様。殿下の護衛に戻りたいのではないですか?」
「な、何をおっしゃるのです…!」
 ポールは目を見開いて、信じられないとばかりにリズを見つめた。リズはしっかりと視線を受け止める。

「最近、浮かない顔をなさっていることが多いですから」

 最近、というよりも厳密にはリズが初めてのお妃教育で登城した日の帰りから、ポールの顔に憂いが漂っていた。
 リズの護衛に配属された当初は、「疚しいことがなくなりました」と意味が不明なことを口にして、驚くほど晴れやかな顔をしていたポールのその変わりように、リズは否が応でも原因を考えてしまったのだ。登城し、同僚たちと会ったことがきっかけだとすれば――、

「私の護衛では、ポール様の活躍の場がなくなってしまうのではないでしょうか」

 リズの言葉に、ポールの目はこぼれんばかりに見開かれ、僅かながら口までも開かれた。一瞬後、護衛たる緊張感を持った顔に引き戻したポールは、姿勢を一段と正した。

「エリザベス嬢。このお役目は、殿下が私を信頼し認めて下さった証と思っております。いえ、殿下は信頼していない者にエリザベス嬢の護衛を任せることは絶対にありえません。何があっても任せません。その点は恐いほど確信しています。つまり、私は心からエリザベス嬢の護衛を光栄なことに思っております」

 一部、リズの方が恐さを感じる部分があったものの、敢えてそこは聞き流すことにした。今は他に訊くことがある。
「では、浮かない顔をなさっていたことは――」
 納得がいかないリズは食い下がろうと言葉を続けたが、決断した場所が悪かった。馬車にはリズとポール以外にも乗っている者がいたのだ。

「リズ。ポールは子離れできていないだけだ。さらに言うなら、ポールは出世に興味がある人間ではないし、出世しても苦労を背負い込むだけになる人間だ。出世しない方が幸せだから、気にする必要はないよ」
「ポールがこの役目に不満を持つ人物だったら、アンソニーはとっくに追い返しているよ」
 兄とヒューが力強く、リズの抱く疑惑を否定する。
 そして、意外なことにポール自身が、目元を緩ませながら、とどめを刺した。

「私はエリザベス嬢が妃殿下となられましたら、引き続き妃殿下付きの護衛となるよう希望を出すつもりです。長くお傍にいさせてください」

 思わぬ方向に話が流れてしまい、完璧な笑顔を浮かべてやり過ごしたリズは、ポールの憂いについてそれ以上追及することを諦めたのだった。



 城に着き、侍従長に連れ去られるようにして離れていく兄を見送った後、リズとヒューは、宰相の応接室に通された。もちろん、この部屋もリズは足を踏み入れたことのない場所である。
 殿下や王妃殿下の部屋と比べて、格調の高さよりも実用性を重視した雰囲気に整えられている。
 今、リズの前にあるテーブルは、重厚な造りであるが、あちこちに瑕も見られ使い込んでいる様子がうかがえる。
 こうした部屋の空気は、程よい寛ぎをもたらすはずだったけれど、今のリズは寛ぎという言葉からはるか彼方に位置していた。

 彼女の目の前には、今日の講師陣である、内相と外相、そして部屋の主の宰相が並んでいたのだ。
 国政の重責を担う3人は、「審査者」である。リズは身の引き締まる思いだった。
 対する3人の外見は、決して威圧感を感じさせるものではない。

 内相ハワードは、人が好さそうだという言葉を浮かび上がらせる表情の持ち主だった。丸顔の平凡な容姿は相手に警戒感を忘れさせ、笑顔は人懐っこさを感じさせる。頭頂部が光っていることも相手を和ませる効果を生み出していた。

 対して、外相ジョーダンは生真面目という言葉をリズの頭に浮かび上がらせる。厳めしさを帯びた整った容姿は崩れることがなく、挨拶の時もほんの僅かに口の端が上がるだけだった。――ちなみに、艶のある黒髪は豊かで、隣のハワードと対照的だった。
 容姿だけを見れば、逆の役職を思い浮かべてしまう二人だった。

 そして、3人の中で最年長の宰相ロナルドは、見た目こそ皺は笑顔に彫り込まれ、人当たりが良さそうな好々爺と言った面立ちである。――思わず視線を走らせた頭頂部は、茶色の髪でしっかりと覆われていた。
 しかし、挨拶の際にリズに向けられた一瞥は、こちらの全てを見通すような奥深いものだった。クロシア国の敏腕な宰相として国内外に名を轟かせていることに、リズは素直に納得した。
 
 穏やかな気配を纏っていながらも、国の要職をこなしている、色の濃い3人を前にして、隣にヒューが座っていても完璧な笑顔を張り付けてしまうリズであったが、ハワードが人懐っこい笑顔と共に切り出した言葉を聞いた途端、顔を輝かせた。

「エリザベス嬢の関心がおありのところから、話を始めましょうか」

――これよ。これこそお妃教育だわ。私の想定内の言葉だわ。やはり、お妃教育はこうでなくては。

 お妃教育の否定や、殿下が自分をどう落としたかといった想定外の始まりではなかったことに、リズは自分の想定と常識への自信を取り戻した。
 リズの隣に座っているヒューがむせているが、舞い上がったリズは、用意していた、いたって無難でなおかつ下心が入った答えを、微笑みを浮かべて返す。

「ラタ帝国との関わり方を通して、国内情勢を教えてください。公爵家では私を案じて、しっかりと教えてくれる者がいないのです」

 リズは、ヴィクター殿下と妃殿下の実家のプロス侯爵家の動向についての情報を切望していた。兄に尋ねてみても、「僕は僕の天使以外に興味がない」と、微妙に本音が入っていそうなはぐらかしばかりで、答えをくれない。
 リズは知らないままでは居たくなかった。

 ハワードはリズの要望に対し、にこにこと笑みを浮かべ頷いた。
「国内は、エリザベス嬢もご存じの通り、ラタ帝国との交易に関して意見が割れていました。主な理由は、自己の利益、ひいては自国の利益を心配してのことです」

 リズは小さく頷いた。先日の舞踏会で身を以て、交易に反対する動きを知ったところだ。
 ハワードは目を細めて、頷きを返す。

「ですが、この1週間で情勢は変わりつつあります。
エリザベス嬢のお父上、マーレイ公爵は、反ラタ帝国の筆頭ともいえるプロス侯爵家を始めとして、今までラタ帝国との交易に乗り出してこなかったところに対して、交易の仲介を交渉なさっています」

 リズは大きく目を見開いた。父の事でありながら、全くその動きを知らなかったのだ。そして、自分の知らない父の最新の動きを把握しているハワードにも驚いた。
 人が良いだけでは内相は務まらないのだ。この人の好い笑顔の裏で、どういったことが繰り広げられているのだろうかと、リズは薄ら寒いものを覚える。

「今まで警戒していた相手と、直接、交易をするのではなく、しかし利益を得ることができるという形は、同意を得やすいものだったようです。
 プロス侯爵家は了承しました。恐らく他の家や商会も追随するでしょう。
 マーレイ公爵は、1年が経ち、直接交易したい希望があれば、仲介から手を引くという、破格の条件を提示したのです。ラタ帝国との交易を反対するところは著しく減るはずです」

 舞踏会の後、プロス侯爵家の恨みを買うと諦めていたリズであったが、どうやら父によってそれは回避された状況のようだ。確かに、父は舞踏会の前から、ラタ帝国の需要に応えようと伝手を求めていた。父にも利点があったのだろう。
 それでも、ここまで迅速に父が動いた背景には、リズへの反感を弱める目的があったはずだ。素直に父に対し感謝を捧げたリズは、ふと、破格の条件をだした父は、どういった利点を見込んでその条件を出したのかと疑問を覚える。将来、先方から仲介への不満が生じるのは必然との考えだろうか。

 リズの思案は、ジョーダンの穏やかな声に遮られた。
「私からも付け加えさせていただきますと、ヴィクター殿下は、ラタ帝国への特使として帝国へ出発なさいました。1年は王宮に滞在し、その後は王都に居を構える予定です。反ラタ帝国派に与していたヴィクター殿下の着任は、反帝国派の勢いをそぐことの後押しをするはずです」
 図らずも知りたかったもう一つの事実に触れることができ、リズは思わず反帝国派の動きよりも殿下について質問を投げかけてしまった。
「まさか、二度とこちらにお戻りにならないということですか?」

 ジョーダンは初めてはっきりとした笑みを浮かべた。
 美しく、そして意外にも温かみを感じさせるその笑みにリズは目を瞬かせた。生真面目だけでは外相は務まらないのだ。この笑顔を効果的に織り交ぜて、妥協を引き出しているのかもしれない。
 
「それこそ、まさかです。エリザベス嬢。特使は5年が任期です。任期が終わればお戻りになる予定です。帰国して、得た知識と人脈を国に広めていただかなければなりませんから」

 王室法では、他国に一月以上滞在する王族の継承権順位は、人質となる危険性を考慮して、最下位になる定めがある。
 この定めを考えると、国内の反帝国派を抑えるためだけでなく、ヴィクター殿下への処分の意味合いも込められているとも思える。
 リズは胸に重いものを覚えた。
 ヴィクター殿下は、リズにとって良心を感じさせる人物だった。リズを脅そうとしたことは事実であるけれども、殿下は自身の身を危険にさらす手段を取り、リズに直接危険を向けることはなかった。
 あれほど劇症となることを承知で、その方法を選んだ殿下に、リズは良心を感じたのだ。
 更に言うならば、ヴィクター殿下が表立って、はっきりと自身の手で脅しをかけたことも、事を公にし、交易反対派に過激な行動を起こさせないためだったのではないかと疑ってもいる。

 リズの物思いを、低く重みのある声が打ち破った。ロナルドは好々爺たる笑みを浮かべていた。
「元来、真面目な方です。交友の顔となる特使を引き受けられたヴィクター殿下は、必ず両国の友好を深めるために尽力なさると、我々も信頼して特使に推薦いたしました」

 リズの物思いに配慮したロナルドの言葉に、リズは微かに頷き感謝を示した。これ以上は望める立場でもなく、ヴィクター殿下の未来は殿下自身の力量にかかっている。知りたかった事実を得て、リズは心に決着をつけることにした。

――では、残る私の課題は、趣味に話題を誘導することね

 リズは講義の流れを誘導しようと気合を入れた時、通常の生真面目な顔に戻ったジョーダンから先手を取られてしまった。
「エリザベス嬢は交易再開についてどう思われますか?」
「重い決断だったと拝察いたします。ラタ帝国にこれ以上の領土拡大がないと判断する必要があったのですから」

 ジョーダンは再び笑みを浮かべて、頷いた。
「そうです。貴族の間で、交流再開の時に、その点が議論されました。
 さて、ラタ帝国の動きの前に、我が国を取り巻く諸国の関係を見てみましょう。
 我が国と領土を接する大国は、ウィンデリア国、ラタ帝国、レクタム国の3か国です。
 このうち、ラタ帝国とレクタム国は、両国の間で長年にわたり戦が頻発しています。
 そして、その戦は、レクタム国の制度が原因にあると、我々は見ています」

 リズは微かに首を傾げた。2国に戦が起きていたことは、家庭教師からも父からも教わっていたが、その原因については何も触れられていなかった。

 ジョーダンは僅かに口の端を上げて、リズの疑問を解消していく。
「レクタム国は、建国から100年ほど経ったときに、建国時の王家の血が途絶えました。以来、現王家は王政を強めるために、戦のたびに貢献のあった貴族や騎士に褒美という形で領地を与えています。過去には、現王政に反対する勢力を崩すために、領地を与える制度は効果がありました。
 ですが、領土には限りがあります。2代前の王のころから、国内に反王政派はいなくなり、制度の維持が厳しくなっています。それでも、現王家の勃興以来の風潮で、レクタム国の民は武勇を重んじ、自分の領地を広げることを至高の目標としています。
 王家は、今では、貴族に何かしらの不始末を見つけ出し、領地を取り上げて褒美に使ったり、ラタ帝国の領土を侵攻したりして、褒美の土地を手に入れようとしているのです。
 2代前のころは、ラタ帝国は小国が群立していた状態でしたから、侵攻しやすかったのです」

 リズは知らなかった歴史の背景に、驚きを隠せなかった。レクタム国が好戦的であることはリズも知識として持っていた。けれども、今の説明では、昔からの制度のために戦を起こしているということになる。隣国が必然的に好戦的であるという状況に、リズは唾を飲み込んだ。
 ジョーダンはリズを励ますように笑みを浮かべ、穏やかに話し続ける。

「ラタ帝国の祖であるラタ国は、フランク陛下が王位に就いた後、瞬く間に6つの国を併合しました。どの国も、レクタム国に侵攻された過去を持つ小さな国です。この領土拡大がどこまで続くかに関して、我がクロシア国も警戒をしました。
 しかし、帝国を築き、レクタム国を領土から追い返すことに成功してから10年ほどが経ちましたが、侵略を諦めないレクタム国との戦はありますが、ラタ帝国は、一切、領土拡大をしていません。
 エドワード殿下は、ラタ帝国の領土拡大はレクタム国に対抗するためのものだったと判断し、交流再開を決断なさいました。」

 その判断をするために、何度も殿下はラタ帝国を極秘に訪れていたのだろう。希少な布を手に入れることができるほどに。
 リズは布の入手の経緯を氷解した。ジョーダンは話をレクタム国に移した。

「ラタ帝国が強国になったことで、土地を手に入れることが難しくなったレクタム国は、別のところに目を向けたようです」
 リズは目を見開いた。レクタム国の隣国は、クロシア国とウィンデリア国だ。どちらも侵略された事実はなかったと記憶している。
 リズの動揺を見透かしたように、ジョーダンは微かに口の端を上げた。

「ウィンデリアでは5年前、成人を迎えたリチャード王太子殿下が暗殺を仕掛けられる事件が起こりました。王太子殿下は、ウィンデリアを過去に侵略しようとしたフィアス国の血が流れているため、殿下の立場について国内は割れていたのです。
 しかし、力の強い魔法使いたちによって、暗殺は食い止められました。巷の噂は、暗殺はかつての敵国フィアス国によるものとされていましたが、やがて、暗殺を企んだのは、レクタム国であろうという情報がウィンデリアから非公式にもたらされたのです」
 
 他国の王太子を弑そうとするなど、一体、どのような決断の下で行われたのかリズには理解できず、戦慄を覚えた。ジョーダンの静かな声が淡々と情報を伝えていく。

「暗殺失敗を機に、レクタム国内でも、褒賞制度と侵略戦略の限界を主張する一派が生まれました。その筆頭が正妃からお生まれになった第2王子殿下です。
 これに対して、側妃からお生まれになった第1王子殿下は、現状の制度の維持と領土拡大を唱えています。
 現在、レクタム国は次期王位と制度の存続をかけて、第1王子殿下と第2王子殿下がし烈な権力闘争を繰り広げています」

 公爵家が最近、レクタム国との取引を最低限に絞っていることを思い出し、父は内戦を警戒しているのかもしれないと、リズはそのし烈さを実感した。
 隣国の厳しい情勢に、顔の強張りを覚えたリズは、ふと、ジョーダンとロナルドの間で視線が交わされたことに気が付いた。
 ジョーダンが小さく頷くと、リズに視線を向け直す。

「ここからの話は、極秘扱いの情報です。王太子妃に内定していらっしゃる、エリザベス嬢と将来の守護師であるヒュー殿でいらっしゃるため、特別にお話いたします」

 リズは激しく動揺した。
 婚約破棄を望んでいる自分には、秘密を守って欲しかった。知ってしまえば、ますます自分の立場が固まってしまう。

「私には…、成婚後に教えていただきたく思います。成婚までに何が起こるか分かりませんから」
 好々爺ロナルドは、年季の入った明るい笑顔をリズに向けた。
「その通りです。何が起こるか分かりません。妃殿下としての自覚は早くから持っていただくに越したことはありません。私は、今すぐにでもエリザベス嬢を妃殿下とお呼びしたいほどです」

 笑顔で易々と、話の方向を期待とは逆に向けられてしまい、狼狽えたリズの背を、ヒューがそっと撫でてくれた。
 凪いだ海のような瞳を持つ天使は、リズを見つめ、微笑んだ。
「何か起きたときには、秘密を守ればいいだけだよ」
 
――え?

 果たしてそれは許されることなのだろうかと、リズが疑問に囚われている間に、ジョーダンは話を進め始めてしまった。

「殿下は、第1王子殿下と第2王子殿下の争いの報告を受け、強い警戒を抱かれました。
 クロシア国は交易が盛んな国です。それは地理的に諸国がクロシア国に入りやすいためです。そしてそのことは、転じて諸国がクロシア国に攻めやすいということを意味しています」
 
 リズはテーブルの下で組み合わせた手を強く握りしめた。

「レクタム国内が不穏な状況になれば、過激な行動を起こす者が出る可能性もあります。
あれだけ大掛かりな暗殺が失敗したウィンデリアには当分、攻めることはできないでしょう。勢いをつけたラタ帝国に対しても然りです。
 殿下は次の矛先がクロシア国に向けられることを警戒したのです」
 
 リズは体が冷えていくのを感じていた。今まで何も知らず、平穏な人生を求め、毒草を育てることに腐心していた自分は、いかに視野が狭かったのかを思い知らされる。
 ジョーダンは穏やかに、国の重要な情報を教え続ける。
 
「殿下は交易再開だけでなく、ラタ帝国との同盟を結ぶ決断をなさいました。厳密にいえば、同盟を結ぶための前段階として、交易を再開したのです。そして、ウィンデリアとも同盟を結ぶことを決断されました。加えて、ウィンデリアに対して、ウィンデリアの隣国フィアス国と同盟を結ぶよう要望を出しています」

 リズは衝撃を抑えきれず、息を呑んだ。
 それは、レクタム国への包囲網を築こうと殿下は画策していることになる。それは心強い味方を得ると同時に――、

「そうです。レクタム国に対して明確にけん制する意図を表明することになります」

 ジョーダンが言葉を紡ぎ終えたとき、部屋には沈黙が訪れた。
 好戦的な国へ、牽制という刺激を与えるということがどれほど危険なことであるか、殿下もここにいる3人も、分からないはずはない。
 その上で、大きな決断をしたのだ。
 レクタム国が領土拡大を諦めるならば、それでよし。もし、これを機にレクタム国が攻めることを選ぶなら――、戦になれば、同盟国でレクタム国を潰すことを、殿下は決断したのだ。
 国の行く末に対する重い決断に、リズは膝に置いた両手を握り締め、その重みを逃がした。
 週に1度、蕩けるような笑顔を見せていた殿下が、このような重みに耐えていることなど全く気が付かなかった。リズの脳裏に、舞踏会で周りに畏怖を覚えさせながら一人佇んでいた殿下の姿が過った。

 瞬間、胸に走った痛みに思わず瞳を閉じたリズを、緊迫した情勢に呑まれたと解釈したのだろうか、リズの気を解すように、ハワードが人の好い顔で新しい話題を投げかけた。

「エリザベス嬢は、美容に良い薬草を婦人方やご令嬢たちに分けていらっしゃいますが、その中には諸国の草もあるそうですね。諸国の草にも詳しくていらっしゃるとは素晴らしい」
 
 なぜだか、ヒューが微かに息を呑むのを感じながら、ハワードの気遣いに何とか応えようと、リズは笑顔を浮かび上がらせた。唇の強張りをねじ伏せ、返事をする。
「ありがとうございます。私は毒を持つ草に関心が集中していますが、それぞれの国にしかない草がありますので」

 気が付けば、当初のリズの最大の目標を達成していたが、リズには何の感慨もわかなかった。この情勢に対応することが求められる国の重鎮には、リズの毒草の趣味など塵にも等しい些事のはずだった。
 そして、リズの考え通り、毒草という言葉は、目の前の3人に期待した衝撃はもたらさなかった。
 いや、むしろ想定とは違った方向での衝撃はあったようだ。
 人の好いハワードは瞳を輝かせて、話題を掘り下げる。

「ほう、毒草も詳しいのですか。珍しい。ちなみに毒草は、薬草と同じ経路で手に入るのでしょうか」

 こうやって、相手から情報を引き出すのだと、ハワードの手腕に感心しながら、リズは答えていた。
「ほとんどは同じです。毒と薬は表裏一体の面がありますので。庭師の人脈で手に入るもの、薬師の人脈で手に入るものが大半です。
ですが、危険な毒草は国によっては王室が管理していることもあります。レクタム国は特にその管理は厳しいと耳にしています」

 レクタム国には、リズが一度は見てみたいと思っている、近隣諸国の中で最強の毒草が生えている。その強さのあまり、王室が王城の中でのみ栽培しているほどだ。
 レクタム国という言葉に惹かれたのだろうか、今度はジョーダンが身を乗り出して問いかけてきた。

「公爵家の伝手で、そのような難しい草を入手できるのでしょうか」

 リズはようやく心からの笑みを浮かべて、小さく頭を横に振った。
「いいえ。少なくともマーレイ家では試したことはありません。それに、そもそも我が家では難しい草は――」

 そこまで口にして、リズは羞恥のあまり全身が熱を持つのを感じた。
 頭の中は火のような羞恥だけになり、緊迫した情勢は吹き飛んでいた。
 ジョーダンはリズの変貌に目を瞬かせている。恥ずかしさのために目が潤むということをリズは生まれて初めて体験した。
 隣のヒューがくすりと柔らかく笑いを漏らすのを聞いて、リズは諦めて口を開いた。出てきた声は、小さく囁くようなものだった。

「入手が難しい特殊な草は、エドワード王太子殿下が取り寄せて下さるのです」

 言い終えて、リズはテーブルに突っ伏したい衝動を必死に堪えつつも、俯いてしまうことは抑えられなかった。部屋には沈黙が訪れた。
 やがて、遠慮のないヒューのくすくすと笑う声に、涙目のまま顔を上げ、重鎮3人の生温かい眼差しに迎えられると、リズはとうとうテーブルに突っ伏してしまった。

――殿下が私を甘やかすからですわ…!
 
 リズは恥ずかしさから、八つ当たりは百も承知で、入手してくれた殿下に恨み言を心の内に叫んでいた。
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