男性に近寄れない吸血鬼令嬢は孤独な王に囚われる

石里 唯

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吸血鬼令嬢は夜会へ 後

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 ふわりとした一瞬の浮遊感が収まり、転移を終えた馬車が着地すると、ジェシカは王の居城にたどり着くことができていた。チャーリーの優しい協力の下、健康状態は良好で、ジェシカは夜会に向けて期待に胸をときめかせる余裕もあった。
 小高い丘の上に、辺りを見下ろすように建てられた城には、王の魔力が満ち、さながら結界の様相を呈している。王自身との距離が近いためだろう。魔力の強さは、先日の銀の球のものよりもかなり強い。城に収まり切れず馬車の近くまで溢れ出ている銀の魔力に魅入られたように、気が付けばジェシカは手を伸ばして触れていた。
 どこまで強く、哀しい程清く澄み切った魔力を感じたとき、
 
 トクリ――。
 
 鼓動が跳ね、ジェシカは思わずに胸に手を当てる。鼓動と共に体に熱い渇望が駆け抜けた。
 久しぶりに血への渇望が訪れたのだ。

――私ったら、少し、夜会に期待しすぎているのかしら?

 唐突に訪れた自分の身体の反応に、ジェシカは内心で苦笑してしまう。
 不思議そうな顔をしながらも、穏やかな気配でジェシカに手を差し出して立ち止まっているチャーリーに笑顔を向けて、城の中へと足を進めた。



 馬車の外は月明かりも美しい夜の闇が広がっていたが、居城の一角は、夜の静寂も夜の闇も忘れさせるほどの華やぎを見せている。
 夜の闇を払いのけるかのように、大広間に余すところなく施された煌びやかな装飾、それに引けを取ることのない華やかな衣装に身を包み、久しぶりの再会に笑顔で言葉を交わす人々――厳密には吸血鬼で、広間は埋め尽くされていた。

 どこから見ても盛り上がりを見せている広間の片隅で、白金の髪と鮮やかな濃い緑の瞳が特徴的な若い男女は人目を忍ぶかのように静かに佇んでいた。彼らは兄妹のように似通った容貌を持ちながら、その表情は対照的だ。瞳を潤ませ顔も体も強張らせているジェシカと、どこか遠い目をして早くも疲れを隠せないチャーリーだ。

 ほんの数十分前まで瞳を輝かせていたジェシカの夜会への夢も期待も破れ、もはや微塵も残されていはいない。
 幸か不幸か、その事実にジェシカが落ち込む余裕はなかった。

――私が間違っていたわ…!お願い、誰か、せめて窓を開けて頂戴…!

 彼女は内心で悲鳴を上げていた。 
 色も形もない臭いがいつもどおり存在感を遺憾なく発揮し、広間にむせ返るように溢れ、ジェシカを容赦なく襲う。
 やはり、吸血鬼であろうと男性臭アレルギーは発症してしまうという現実を突きつける。
 父方の従兄のエリックに対してアレルギーの反応が出ていた時点で、少しばかりは心の準備をしていたジェシカだったが、ここまで招待客が多いとは予想していなかった。
 
 ジェシカは広間に集う人々に目を向ける。ジェシカがこれまでの人生で出会ったすべての人間と吸血鬼を足し合わせてもまだ足りない程の多さだ。
 
 これだけ同族がいるのに――

 刺激臭に瞳を潤ませたジェシカは悔しさを堪えきれず、呟いてしまう。
「選り好みなんてしていないのに…、飲めればそれでいいのに…」

 アレルギーが出ているのに、いつもと違い血の渇望は鈍く燻ぶり続け、生殺しに近い状態なのだ。
 けれども、彼女の心情の吐露は共感を得られなかった。

「それ、失礼な発言だって気づいている?」

 従兄の感想は聞き流し、ジェシカは潤む瞳を叱咤し、人々を眺め続けるが事態は変わらない。
 この中には、チャーリーのように、ジェシカがあまり反応を起こさない男性もいるかもしれない。ジェシカが血が吸える女性もいるかもしれない。けれども、反応を引き起こす男性が多すぎて、ジェシカはとても探索できなかった。森の中で一本の木を探すようなものだ。

 今すぐここから逃げ出したいけれども、両親の反対を押し切って参加した手前、ここまで戦果がない状態で引き上げることもできない。

 陛下が広間に入場すれば、退却の言い訳が得られるものの、少しでも娘の出会いの為の時間を伸ばそうと、父ウィレムの計らいで人間の王と側近が陛下に挨拶に訪れている。
 ありがたくも辛いことに、正大な退却までの時間はまだ残されている。

 ジェシカは唸るように呟いた。
「もうこうなったら、私でも血が吸える相手が、向こうから私に気づいて、来てくれるのを待つしかないわ」
「奇跡が二つも必要だね…」

 疲れが増したように呟かれた従兄の感想は、即座にその正しさを証明された。
 ジェシカの容姿に目を留めた男性が、引き寄せられるように足を動かし、同時に臭いも彼女に近づく。

――来ないで…!私を見ないで…!

 奇跡はそう簡単に起こらないから、奇跡なのだ。ジェシカは悲鳴を上げながら「魅了」を使って彼らが傍に来ることを避けていた。

「あまり『魅了』を使うと、発覚したときに面倒だからほどほどにしてくれないかい」

 チャーリーが、声を押し殺して囁いた。同族に魅了を使うことは、礼儀に反することで、チャーリーの頼みは当然のことだった。何しろこれで4度目なのだ。
 ジェシカとてそれは十分分かっていたけれど、男性に近寄られればそこで限界を迎える彼女は答えを避け、話題を逸らすことにする。

「ねぇ、チャーリー」

 従兄は片眉を上げ、疑問を露わにしつつも、頷いて先を促す。
「何か気が紛れるように、話をしてくれないかしら」

 うっ、という音を抑えきれない程、動揺を見せた従兄は、しばらく視線を彷徨わせた後、言葉をひねり出した。
「人が多いね」
「………」
 まるで5歳の子どものような言葉に、ジェシカは冷めた視線を向けてしまう。彼女の表情を的確に読み取ったチャーリーは、眉を顰めた。
「だから、内乱の後、10年も眠りについて表舞台から消えていたのに、陛下はしっかりと一族の信頼を得ていると言いたかったんだ」

 なるほど、5歳児ではなかったのねと少し従兄への評価を上げながら、ジェシカは広間に目を遣った。これだけの人数が参加し、加えて参加した同族は和やかで、不満の色は見られない。確かに陛下は一族の結束に成功している。史上最強の王の威厳ということなのだろう。
…ここに、ジェシカとチャーリーの、さらに言えばエリックの、両親の姿はないけれども、そこは無視してもよいだろう、…よいと思いたい、とジェシカは希望的観測をする。

 ともあれ、新しい視点をもらったことで、ジェシカも臭い以外のことに目を向けることができた。
 深夜を迎えつつある広間は、煌びやかな装飾と照明があっても、皆の瞳は薄っすらと光を放っている。身体が夜行性へと変化した「成人」の特徴だ。中には触れ合う身体から光が瞬いている男女もいる。ジェシカは瞬く光に目を留めた。

――素敵、「魂の片割れ」ね。

「魂の片割れ」は、ジェシカに限らず吸血鬼の女性には憧れの関係だ。
吸血鬼は人間の血の匂いには敏感だが、吸血鬼に流れる血の匂いは感じ取ることができない。同族同士で血を狩りあうことにならない為の機能だといわれている。
けれども、ごくごくまれに、血の香りを感じられる存在に出会えることがある。お互いの血の香りに引き寄せられ、惹かれ合う男女が血を分け与え合うと「魂の片割れ」となる。
 
 その結びつきは寿命も分け合うほど強く、激しく、お互いの血で定められた運命の相手とも言え、加えて、片割れ同士の体が触れ合う場所は淡く光が瞬く神秘的なところも、女性の心をつかんで離さない。
 ジェシカの友人たちも、自分に「片割れ」はいないかと、会う度に盛り上がる、欠かせない話題となっている。
 
 もっとも、ジェシカには、「血を分け与える」時点で、二重の意味で遠い高嶺の花だ。
 今のジェシカには、魂の片割れでなく、とにかく血が吸える相手が存在していてほしい、それが最大の願いであるのは確かだけれど――、

 離れた場所で瞬く光に僅かに目を細めたジェシカは、気が付けばポツリと言葉を漏らしていた。
「大人にならなくても、恋はできるわよね」

 彼女が何を見てその発言に至ったか分かったチャーリーは、彼女の頭に手を置いて、しっかりと頷いた。
「恋に理屈は通用しないんだ。恋だって婚姻だってできるさ」

 従兄の瞳に真摯な輝きを見たジェシカは、その場しのぎではない、心からの励ましが胸に沁み、小さく笑んで頷いた。
 チャーリーはそんなジェシカを見つめ、何か言いたげな表情を見せたものの、逡巡の後、瞳を閉じ、息を小さく吐いた。再び開いた瞳には、穏やかな、けれども強い意志が見えていた。

「僕も、伯父上も伯母上も、ジェシイの幸せを願っているんだ」

 彼の眼差しにも、声にも、励ましを通り越した強さがある。
 息を呑むほど気圧されたジェシカを見て、チャーリーは一瞬苦笑し、ふっと表情を緩めた。

「それに、歳をとったり、病気になったりして、体質が変わるかもしれない」

 空気を和らげてくれた従兄に合わせ、ジェシカも応じる。
「ふふふ。私、健康なのよ…、今まで寝込んだことは――」

 ない、と言いかけて、記憶から閃くものがあった。
「あったわ。5歳の時、3週間も寝込んだそうよ。大変な病気だったみたいね。あまりに辛かったようで、記憶が飛んでいるのよ」

 だから寝込んだことを思い出せなくても仕方ないわね、とチャーリーに笑いかけたけれど、彼は広間を見つめたまま頷くだけで、視線は合わせてくれなかった。
 つられるようにジェシカも視線を移し、二人して広間をしばらく眺めていたが、ジェシカはとうとう白旗を上げた。会話が途切れたところで、限界が来てしまったのだ。

「チャーリー。今日は諦めたわ」
「今日は?」

 チャーリーが僅かに首を傾げた。チャーリーの疑問に、ジェシカは刺激に潤む瞳でできる最大限の決意を込めた。

「次は小規模な夜会にする。まだ、吸血鬼の男性にも女性にも努力を尽くしたとは言えないわ」

 さすがジェシイだ、とチャーリーは小さく笑って再びジェシカの頭を撫で、広間から退出するために、腕を差し出してくれた。


◇◇
 広間を出て長い廊下に出ると、臭いも遠くなり、人の姿もなく静かで、ジェシカはほっと安堵の息を吐いていた。そんな彼女の様子を見過ごさず、チャーリーは声をかけた。

「大丈夫かい?馬車に乗る前に少し休憩する?」

 優しい気遣いに大丈夫だと首を振ろうとした瞬間、ジェシカは天啓を得た。
 ジェシカはすっと目を伏せた。さしもの彼女もチャーリーの瞳を見たままでは、言葉を紡ぐことはできなかった。
 従兄よりも自分を選んだ彼女は声を絞り出す。
「少しだけ休憩したいわ」

 目を伏せ良心の咎を隠した彼女は、傍から見れば疲れて見えたのだろう。チャーリーはジェシカを支えるように腰に腕を回し、休憩室へと足を向けてくれた。
 
 そして、初めて足を踏み入れた休憩室を見て、ジェシカは口の端を上げた。
 昔はコルセットの締めすぎで体調を崩した女性や、慣れない靴で足を痛めた女性のために休憩室は用意されていた歴史があり、慣習として人が横になっても余裕のある大きなソファが、部屋の中央に置かれていたのだ。

 従妹への配慮に満ちたチャーリーによってソファに運ばれたジェシカは、謝意を込めて彼を見つめる。穏やかに微笑してその視線を受け止めたチャーリーは、次の瞬間、目を見開いた。

「なっ――!ジェシイ!」

 良心の呵責から、魅了が中途半端な強さとなってしまったらしい。
 チャーリーの意志はしっかりと残っている。
 それでも、身体は魅了によって縛られた彼は、ジェシイが軽く肩を押しただけで、ソファに倒れ込み、起き上がれずそのまま固まっている。

「身内に魅了を使うなんて、どういうことだ…!」

 喚くチャーリーの上に、ジェシカは馬乗りになった。
 このまま帰るのはやはり悔しい。ジェシカは試してみたかった。
 いつもなら何とか側に居られるチャーリーに血の渇望を覚えることはないけれど、城で煽られた渇望が燻ぶる今なら、吸えるかもしれない。
 
 彼女が僅かに伸ばした牙を見て、意図を悟ったチャーリーは青ざめた。
「僕を殺す気か!?」
「失礼ね。何とか吸えるかもしれないぐらいよ!」
「失礼はどっちだ!」
「黙って、従妹に献血してよ!」

 ジェシカはチャーリーの首筋に顔を近づける。この距離ではチャーリーでも瞳が潤み始める。短期決戦だ。彼女は覚悟を決めて口を開いた。

「待て!止めろ!!ここでは絶対だめだ!!殺される!!」
 
 チャーリーの悲鳴が部屋に響き渡った、刹那、押し寄せた銀の魔力で、部屋のドアも天井も吹き飛んでいた。
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