男性に近寄れない吸血鬼令嬢は孤独な王に囚われる

石里 唯

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吸血鬼令嬢は自ら王に囚われる

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 三日前、あれほど華やかな煌めきを見せていた大広間は、もうすっかり片付けられ、城は平素の穏やかさを取り戻し、夜会の名残は集った人々の記憶の中にしかなくなっている。そして、その記憶すらも日々の日常におされつつあったが――、

 城の応接の間では、夜会から一睡もできず、日常に戻れないチャーリーが頭を抱えていた。
 あれ以来、ジェシイに会えていない。加えて、クリストファーは夜会の主催者であったのに結局夜会に顔を出すこともなく、同じくこの三日寝室にこもり続けている。

 自分の目の前から転移で消える前の、渇望に呑まれた彼女の様子を思えば、どうみてもジェシイはクリストファーの血を飲んだとみるべきだろう。
 あそこまで渇望が高ぶり、しかも相手が魂の片割れとあれば、止められるものではない。
 伯父上には気の毒だが、――本当にどこまでも気の毒だと思うが、チャーリーとしては、そこはもう諦めていた。

 しかし、どうしても消せない嫌な予感がチャーリーを眠らせてくれなかった。
 以前、ジェシイがクリストファーの血を飲んだ時は、血に込められた彼の強い魔力の為に3週間寝込んでいた。
 だから、三日寝込んだとしても、不思議はない。
……不思議はないはずなのだが、クリストファーが執務も放置して、一時も寝室から顔を出さないことが、胸騒ぎをかきたてる。

 単に、魂の片割れが心配で離れられない、ということなのだろうか、ぜひそうあってくれと切に願うものの、過去に5歳のジェシイに血を飲ませた前科を持つクリストファーだ、どうしても考えたくない可能性が頭から離れない。

「チャーリー様。今日のお茶には果物を混ぜております」

 この三日、悶々と気を揉み続けるチャーリーとは対照的に、穏やかな表情と手厚いもてなしを崩さないコリンが、今も穏やかな声でお茶を勧めてくる。
 思わず、じっとりと恨みを込めてコリンを見つめた。
 コリンはクリストファーの侍従を務め、10年間、クリストファーが目覚めの時を迎えたか確認し続ける役目を担っていた。つまり、今、クリストファーが寝室から出てこない状況も、コリンにその気があれば確認できるはずなのだ。その気がありさえすれば。

 しかし、コリンはチャーリーの視線にも、どこ吹く風で表情は揺らがない。
 コリンの優先順位は決まっている。従妹を案ずる青年の心の平穏よりも、仕える陛下の安らぎの時間が大切なのだ。そこに倫理も正義も入る隙はない。
 それでも、さすがに三日も気もそぞろなチャーリーにいくばくかの憐憫を覚えたのか、コリンはお茶を勧める以外の言葉を発した。

「チャーリー様。万一、お疑いの事態が起きていたとしても、永い時を経れば順番の違いなど小さなことになりましょう」

 伯父上には絶対に聞かせられない言葉だと、チャーリーはカップを下ろし、天を仰いで溜息を付いた。


◇◇◇
 生まれ変わったかのような清々しい心地と、身体から滾々と漲る力に押し出されるように、ジェシカは瞳を開いた。
 周りは明かりもなく薄暗いものの、不思議なほど今の彼女には色々なものを見ることができる。
 夜目が利くようなったのだ。彼女は自分が成体へ変化したことをはっきりと悟った。
 寝台の天蓋に描かれたノックス王国の国章に似た文様も明確に見ることのできたジェシカは、自分がどこにいるのかを薄っすらと把握した。それを裏付けるように、甘やかな香りが彼女を包む。
 ジェシカは魅かれてやまない香りの持ち主にゆっくりと目を向けた。
 薄暗い中で淡い光を放つ美しい菫の瞳は、彼女の視線を受け止め、ふわりと喜色を滲ませた。
 その純粋な喜びを見て、ジェシカの胸に痛みが走った。
 彼の血はジェシカに彼の記憶を見せた。ジェシカと別れた後、彼は疲弊した身体を限界まで酷使し、政務の指示を出していた。彼の指示を受ける一族の者は、皆、その顔に王への敬慕を浮かべ、真摯な態度であったが、王の魔力に気圧され、彼から離れて向き合っていた。視線を合わせられない者も数多くいた。
 そして、再び一人となった彼の記憶の中で、最も鮮烈な印象を持って刻まれていたものは、ジェシカがクリストファーとの出会いの記憶を失った報告を受けたものだった。

 ジェシカは思いを言葉に紡いだ。
「忘れてしまって、一人にしてしまって、ごめんなさい」

 一瞬、菫の瞳は丸く見開かれたものの、すぐに蕩けるように目元は緩められ、艶のある低い声が空気に入り込むように響いた。
「ジェシイが生きていてくれたことが、私には全てだ」
 
 言葉を紡ぎ終えると、彼は一段と顔を輝かせた。

「いや、ジェシイが生まれてきてくれたこと自体が、私には神の恵みだ」

 薄暗い寝室を照らすようなその笑顔に、ジェシカは、自分が喜んでいいのか、哀しんでいいのか分からなくなり、感情の波に動かされるように起き直り、クリストファーの手に自分の手を重ねた。 
 重なった手から光が瞬く。
 けれども、その光が無くとも、幼いころとは異なり、今のジェシカの全身全霊がクリストファーの存在を分かっていた。

――私の魂の片割れ。

 自分自身よりも大切な彼から放たれ続ける香りに酩酊するも、彼の血を得て、先ほどまでの我を忘れる程の渇望は鎮まっている。それでも、彼をもっと近くで感じたいと、片割れの温もりをもっと強く感じたいと、身体は寂しさともどかしさを訴え続ける。

 そんな彼女の願いを察したかのように、クリストファーの手が動き、彼女の手を握り締めた。片割れに握られた手は、喜びに脈打ち、熱を持つ。
 ジェシカは身体から沸き上がる喜びに身を任せ、目を閉じた瞬間、彼女は抱き込まれていた。
 髪に口づけを落とされ、その度に確かめるように名前を耳元で囁かれる。ジェシカは、夢中でクリストファーを抱きしめ返した。
 この腕の中が自分の場所だった。自分が望んでいた場所だった。
 彼女は何度もクリストファーを抱きしめ、彼も息が苦しいほどに彼女を抱き返した。
 
 お互いの鼓動に耳を傾け、時も忘れて甘い香りに陶然と浸っていたが、しばらくして、クリストファーは体を起こし、ジェシカの顔を両手で包み込んだ。
 菫の瞳は、彼女だけを映している。
 美しい瞳を自分が独り占めできたことに、ジェシカは恍惚とし、紫の瞳に自ら囚われた。
 紫の瞳は彼女を捕らえたまま、ふわりと緩んだ。
 彼は親指で、優しくジェシカの目尻を撫でた。
 菫の瞳に映る自分の瞳が、彼の指で呼び起される快感に目を細め、淡い光を揺らしたのが見えた。
 
「私の血で大人になってくれた」

 クリストファーの艶のある声に潜む甘美な響きは、ジェシカの身体をゾクリと震わせた。
 彼女の震えを感じ取ったクリストファーは、纏う空気の色を変える。
 彼の放つ香りが濃さを増し、ジェシカの身体に流れる彼の血は熱を持ってその存在を知らしめる。
 熱に煽られ思わず喘ぐ彼女に、紫の瞳は色を深め、強さを持ち、容赦なく彼女を絡めとる。

「君に、私が片割れでよかったと思ってもらえるまで、待つべきなのは分かっている」

 身体に沁み込むような低い声を追いかけるように、クリストファーの長い指が、ゆっくりとジェシカの頬から首へと下りていく。
 片割れに触れられた肌は、火のような熱を持ち、長い指が止まった首は、音が聞こえそうなほど強く脈を打った。
 クリストファーが小さく呻くのと同時に、長い指から爪が伸びる。
 片割れの渇望に、ジェシカの血は身体を溶かすように高ぶり、強い脈は彼の爪を微かに揺らした。
 どちらのものか分からない甘い香りが、重さを感じる程立ち込める。香りに沁み込むように、熱を帯びた低い声が囁いた。

「ジェシイ。待てない。君の血が欲しい…」

 囁きが甘い香りを揺らし、彼女の熱を煽る中、ジェシカの抱いた望みはただ一つだった。

「私をあなたの中に入れて」

 望みを紡ぎ終わるやいなや、彼女は首に小さな痛みを感じた。痛みはすぐに酩酊へと変わった。
 血を吸われる感覚が呼び起す快感と、片割れが自分の血を味わっている――その事実が、彼女を酔わせた。
 牙から溢れた血を、クリストファーの舌が舐め上げると、ジェシカは高まる快感にのけ反り、声を上げていた。

「あぁぁっ…!」

 片割れの甘い悲鳴に、クリストファーの香りは脳を痺れさせるような強さを放ち、ジェシカの息を乱す。
 そして彼の中に入り込んだ彼女の血が、彼と溶け合った瞬間、彼女の世界は熱に染まった。
 ジェシカの中のクリストファーの血と、彼の中のジェシカの血が片割れを求めて呼び合い、狂気を孕んだ熱を生んだ。
 全てを溶かすような熱に、もう何も見えなくなり、自分の意識も溶けていく。
 初めての時と異なり、ジェシカは自分が無くなることへの恐さはなかった。
 彼女にあるものは、唯一つの渇望だった。

 片割れと溶け合いたい――

 片割れと自分を遮るものは、自分の身体ですら厭わしく、この灼熱に自分が溶けてしまってもいいとすら思えた。
 熱に侵され、喘ぐジェシカの口に、更なる熱が入り込み、容赦なく彼女の口を蹂躙する。
 ジェシカは夢中でその熱を追い縋り、舌を絡めた。舌が触れ合った瞬間、お互いの熱が駆け巡り、ジェシカの眼裏に閃光が走る。
 過ぎた鮮烈な快感に体を跳ねさせた彼女を気遣い、クリストファーは舌を離し、浅い息を繰り返す。
 
「いやっ、離れないで…!」
 片割れの熱が離れたことに、取り乱したジェシカの耳元に、熱に浮かされた低い声が落とされた。

「もう頼まれても、離さない」

 その言葉通り、クリストファーは彼女を寝台にそっと横たえ、ジェシカの身体に覆いかぶさり、囲い込むと、彼女のあらゆる部分に口づけ、舌で味わい、牙で甘噛みをし、熱を与え始めた。
 ジェシカは、身体の内に流れるクリストファーの血と、身体に刻まれていくクリストファーの熱に挟まれ、溶かされていく。
 押し寄せ続ける熱と快楽に、ジェシカがすすり泣いても、クリストファーは彼女の身体を暴くことを休むことはなかった。
 
 
 ――王の寝台は、片割れと重なり合い、溶け合う二人から放たれる、銀と白金の光が瞬き続けていた。
 


◇◇◇
 一族の王の目覚めを祝う夜会で、王の魂の片割れが現れたことは、瞬く間に一族中に知れ渡り、夜会から半年で婚姻の式を挙げることになった。

 輝くような笑みを浮かべ、美と幸せを体現した王の隣に座す王妃は、愛らしさのある美しい容姿で若い男性の参加者の目を奪っていたが、不思議なことに、王妃の顔には銀の魔力で繊細な結界が張り巡らされていた。
 もっとも、式の間中、笑顔を交わし合う王と王妃の仲睦まじさに、参加者はその結界の不思議さは忘れ去られ、微笑ましい二人の門出を祝っていた。

 不思議なことはもう一つあった。
 参加した吸血の一族は、この慶事に、明るい顔で祝いの気持ちを表していたが、王妃の両親の血族、特に父であるクラーク辺境伯ウィレムは、式の間中、苦虫を噛み潰した面持ちだったのだ。

 ウィレムの苦虫が去り、元の容姿が分からない程まで蕩けきり、相好を崩すのは、国王陛下夫妻に第一子が誕生するまで時間がかかる。
 銀の髪と、神々しい父の美貌にどこか愛らしさが混じった容姿と、濃い緑の瞳を持った男児は、アレッドと名付けられ、父に勝るとも劣らぬ賢王として、一族の歴史に名を残すことになる。
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