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【幕間話】次期皇帝の執務室にて(前編)
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側室を迎えたらどうか。その話を最初に聞かされた時、あり得ないと思った。
アイリスとの茶会を終えて癒されたところにこんな話をするなんて、いくらなんでもあんまりだろう。
今日もアイリスは美しく、愛らしかった。あまりに素晴らしすぎて、言葉を発することさえ一苦労だ。彼女を妻に迎えられるとは、なんという幸運だろう。
「必要ない。アイリスさえいれば十分だろう? 身分だって申し分ない」
この話を持ちかけたエドが、渋い顔をした。この男は昔なじみで、いわゆる腹心というやつだ。
「そうは言うっすけどね……。貴族連中から恨み買っちゃまずいっすよ」
「側室を迎える、だなんてアイリスが聞いたらどう思うか……! 彼女に悲しい思いをさせるなんて耐えられない」
そう、エドから持ちかけられた話とは、国内の有力貴族から側室を迎えろ、という内容である。
各代の皇帝たちが、多くの側室を囲っていたのは知っている。先代にあたる伯父だって、数十人単位の側室や愛妾を後宮においていた。
そしてそれは、決して自分の欲求を満たすためだけのことではないということも。
「先代陛下から譲位されたならいいんすよ、それが順当なら誰も文句言わないっす」
「実際、即位できる血筋と言えば、他にはアイリスしかいないはずだが」
「不満持ってるやつはどこにでもいるって、わからないほど馬鹿じゃないっすよね」
エドの言うことは正しい。娘を政略の道具として使うことはごく一般的だ。それを受け入れるだけで、肩入れしてくれる貴族もいるだろう。
そうすれば政治を行いやすくなる。国が安定する。それは重々理解している。
エドの遠慮も容赦もない言葉は、心配してくれているからだということも。
「……でも、アイリスが」
「皇女殿下だってその辺は理解あると思うんすけどね……」
「ほんの少しでも心を乱したくないんだ」
神々に愛されたとしか思えない美しさ。つらい生活の中でも失われなかった優しさや素直さ。その純粋さは色に例えるなら迷いなく白を選ぶほどだ。
どう考えても釣り合わないほど素晴らしい彼女を妻として迎えるからには、どんな憂いも取り去ってやりたい。
アイリスは神から与えられた光だ。彼女の笑顔には何ものにも変えられないほど価値があるし、表情を曇らせることなんて許されはしない。
帝国に次期皇帝として戻ってからの日々はあまりに忙しくて、アイリスの顔を見ることさえままならない。
知り合いもいないアイリスにはさぞ心細い思いをさせていることだろう。それなのに、その上に、側室を迎える? 絶対にあり得ない。
「……わかってるんすか。国が乱れたら、また愛しの皇女殿下を路頭に迷わせるんすよ」
「当たり前だ。国を安定させるには側室を迎えるほうがずっと楽だということもな」
「わかっててそれっすかぁ……。昔っから言い出したら聞かないんすよね」
楽だからと言って、アイリスを悲しませる道は選ばない。
ただでさえ、隣国で彼女はひどくつらい思いをしたのだ。皇女という、誰よりも尊き身分でありながら、それを知らされずに愛人の娘として育てられた。
何の力も持たなければ、守りたい人を守ることもできないのだと思い知らされた。だから母国を復興するという、最も厳しい道を選んだ。
「知っているだろう? なぜ皇帝なんて面倒なものになると決めたのか」
エドはため息を吐いた。胃のあたりを何やら押さえている。ストレスだろうか。
「今から自分が言うことは全部ひとりごとっすよ。フィンリー殿下には伝えるなと厳命されてるっすから」
口角を引き上げて頷く。エドの視線は、何もない空中に向けられている。
彼も相当働かせているから、疲れているはずだ。城で育たなかったせいで、心から信頼できる部下というものがほとんどいない。
そのわずかな腹心である彼にはすっかり苦労をかけ遠しである。
「宰相閣下は、どうしてもフィンリー殿下に側室を迎えさせたいみたいっすねぇ……。特に自分の孫娘を」
宰相、カナリッチ侯爵は、伯父の代に宰相職についていた人物だ。アルバム王国の侵攻を受けてからも、アルバム王国の意向に従いつつ、国の政治をとっていた。
アルバム王国の王子は戦馬鹿で、政治には全く関心がなかったらしい。侯爵は、彼の目を盗んで、皇都での戦いのときは内部で色々と手引きをしてくれた。
切れ者なのは間違いない。だから、功績と経験を理由に宰相に迎えることを約束しているのだ。
どうやらエドにこの話をさせたのは、宰相であるらしい。
一度話をする必要がありそうだ。側室なんて、皇帝本人が望んで迎えるのでないならば、周囲が勝手に決めるのが当たり前ではある。
それはわかっているが、それでもアイリスをないがしろにすることは許せない。
「すでに、何人かは側室になることが決まっていて、城に滞在しているとか聞いたっすね」
「何だと?」
とんでもない話が耳に入ってきた。
「ひとりごとっすからね! ……そのうち皇女殿下と偶然会うこともあるかもしれないっす」
立ち上がると、エドがあわてる。
「どこ行くんすか。まだ書類は山ほど」
「カナリッチ侯爵のところに決まっているだろう。アイリス以外の妻を迎える気はないと、はっきり言ってやらなくては」
「さすがに先触れくらい出さないとまずいっすよ。相手は侯爵なんすから」
それもそうだと思い、エドに侯爵の元に向かうよう命じる。彼はぼやきながらも部屋を出て行った。
早く片をつけなくては。この話がアイリスの耳に入る前に。
(話の進行の都合上、フィンリーの話は一旦ここで区切ります。本編がもう少し進んだところでもう一回フィンリー視点の話が挟まる予定です)
アイリスとの茶会を終えて癒されたところにこんな話をするなんて、いくらなんでもあんまりだろう。
今日もアイリスは美しく、愛らしかった。あまりに素晴らしすぎて、言葉を発することさえ一苦労だ。彼女を妻に迎えられるとは、なんという幸運だろう。
「必要ない。アイリスさえいれば十分だろう? 身分だって申し分ない」
この話を持ちかけたエドが、渋い顔をした。この男は昔なじみで、いわゆる腹心というやつだ。
「そうは言うっすけどね……。貴族連中から恨み買っちゃまずいっすよ」
「側室を迎える、だなんてアイリスが聞いたらどう思うか……! 彼女に悲しい思いをさせるなんて耐えられない」
そう、エドから持ちかけられた話とは、国内の有力貴族から側室を迎えろ、という内容である。
各代の皇帝たちが、多くの側室を囲っていたのは知っている。先代にあたる伯父だって、数十人単位の側室や愛妾を後宮においていた。
そしてそれは、決して自分の欲求を満たすためだけのことではないということも。
「先代陛下から譲位されたならいいんすよ、それが順当なら誰も文句言わないっす」
「実際、即位できる血筋と言えば、他にはアイリスしかいないはずだが」
「不満持ってるやつはどこにでもいるって、わからないほど馬鹿じゃないっすよね」
エドの言うことは正しい。娘を政略の道具として使うことはごく一般的だ。それを受け入れるだけで、肩入れしてくれる貴族もいるだろう。
そうすれば政治を行いやすくなる。国が安定する。それは重々理解している。
エドの遠慮も容赦もない言葉は、心配してくれているからだということも。
「……でも、アイリスが」
「皇女殿下だってその辺は理解あると思うんすけどね……」
「ほんの少しでも心を乱したくないんだ」
神々に愛されたとしか思えない美しさ。つらい生活の中でも失われなかった優しさや素直さ。その純粋さは色に例えるなら迷いなく白を選ぶほどだ。
どう考えても釣り合わないほど素晴らしい彼女を妻として迎えるからには、どんな憂いも取り去ってやりたい。
アイリスは神から与えられた光だ。彼女の笑顔には何ものにも変えられないほど価値があるし、表情を曇らせることなんて許されはしない。
帝国に次期皇帝として戻ってからの日々はあまりに忙しくて、アイリスの顔を見ることさえままならない。
知り合いもいないアイリスにはさぞ心細い思いをさせていることだろう。それなのに、その上に、側室を迎える? 絶対にあり得ない。
「……わかってるんすか。国が乱れたら、また愛しの皇女殿下を路頭に迷わせるんすよ」
「当たり前だ。国を安定させるには側室を迎えるほうがずっと楽だということもな」
「わかっててそれっすかぁ……。昔っから言い出したら聞かないんすよね」
楽だからと言って、アイリスを悲しませる道は選ばない。
ただでさえ、隣国で彼女はひどくつらい思いをしたのだ。皇女という、誰よりも尊き身分でありながら、それを知らされずに愛人の娘として育てられた。
何の力も持たなければ、守りたい人を守ることもできないのだと思い知らされた。だから母国を復興するという、最も厳しい道を選んだ。
「知っているだろう? なぜ皇帝なんて面倒なものになると決めたのか」
エドはため息を吐いた。胃のあたりを何やら押さえている。ストレスだろうか。
「今から自分が言うことは全部ひとりごとっすよ。フィンリー殿下には伝えるなと厳命されてるっすから」
口角を引き上げて頷く。エドの視線は、何もない空中に向けられている。
彼も相当働かせているから、疲れているはずだ。城で育たなかったせいで、心から信頼できる部下というものがほとんどいない。
そのわずかな腹心である彼にはすっかり苦労をかけ遠しである。
「宰相閣下は、どうしてもフィンリー殿下に側室を迎えさせたいみたいっすねぇ……。特に自分の孫娘を」
宰相、カナリッチ侯爵は、伯父の代に宰相職についていた人物だ。アルバム王国の侵攻を受けてからも、アルバム王国の意向に従いつつ、国の政治をとっていた。
アルバム王国の王子は戦馬鹿で、政治には全く関心がなかったらしい。侯爵は、彼の目を盗んで、皇都での戦いのときは内部で色々と手引きをしてくれた。
切れ者なのは間違いない。だから、功績と経験を理由に宰相に迎えることを約束しているのだ。
どうやらエドにこの話をさせたのは、宰相であるらしい。
一度話をする必要がありそうだ。側室なんて、皇帝本人が望んで迎えるのでないならば、周囲が勝手に決めるのが当たり前ではある。
それはわかっているが、それでもアイリスをないがしろにすることは許せない。
「すでに、何人かは側室になることが決まっていて、城に滞在しているとか聞いたっすね」
「何だと?」
とんでもない話が耳に入ってきた。
「ひとりごとっすからね! ……そのうち皇女殿下と偶然会うこともあるかもしれないっす」
立ち上がると、エドがあわてる。
「どこ行くんすか。まだ書類は山ほど」
「カナリッチ侯爵のところに決まっているだろう。アイリス以外の妻を迎える気はないと、はっきり言ってやらなくては」
「さすがに先触れくらい出さないとまずいっすよ。相手は侯爵なんすから」
それもそうだと思い、エドに侯爵の元に向かうよう命じる。彼はぼやきながらも部屋を出て行った。
早く片をつけなくては。この話がアイリスの耳に入る前に。
(話の進行の都合上、フィンリーの話は一旦ここで区切ります。本編がもう少し進んだところでもう一回フィンリー視点の話が挟まる予定です)
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