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最終章 狂酔編
第268話 カケララ戦‐リオン帝国⑤
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それは最後の仕上げだった。
カケララはキーラを発狂まで導くシナリオを、思い描いたとおりに完璧に辿り、これから最後の一手というところまで来ていた。
ここからが真に最高の瞬間。恍惚と愉悦の絶頂が待っている。
カケララは想像して楽しんだ。
キーラの涙を酸に変えて、彼女は自分で自分を溶かす。顔に激痛が走り、それを拭う腕にも激痛が走る。
涙を止めれば済む話なのに、とめどなく流れてくる涙を止められない。
心と体を同時に極限まで痛めつけられ、哲学の領域を越えて思考が思考でなくなり、堕ちるのか、昇りつめるのか、辿り着くのは狂気。
想像で楽しんで、現実でも引き起こして、それを鑑賞して愉しむ。
カケララが放心状態のキーラに近づき、頬に手を伸ばす。
「ケホッ」
思わず咳き込んだ。カケララが咳き込んだ。
急に視界が暗くなり、埃っぽい空気が流れ込んできたのだ。
咳き込んだのはカケララだけだった。キーラはただ泣いている。カケララが咳き込むほどであれば、絶対に先にキーラが咳き込むはずなのに。
「これは……」
空気の色が濃くなった。よくよく見ると、その色の濃さにもムラがある。明らかに濃度が操作されている。
音がする。殺意の音。刃物が空を切って迫る音。
カケララはその音がする方に腕を出して防御した。
「くっ」
黒い刃がカケララの腕に食い込んでいた。腕には真紅の血が滲んでいる。
黒い刃はカケララから離れると、細かい粒子と化して霧散した。黒い刃は砂鉄の集合体によって形作られており、それが形を崩したのだ。
砂鉄は再び集合体となり、今度は流動的に動きまわる槍となってカケララを突き刺そうと追いまわす。
スピードはカケララのほうが速いので黒い槍を掴もうとするのだが、手に触れた瞬間に形を崩して逃れてしまう。
カケララなら砂鉄を一瞬で溶かすこともできる力を持つが、いまはそれができない。さっきから口の中に侵入を続けている煙のほうを溶かしているからだ。
「カケララさん、あなたは砂と鉄を同時に溶かせない。なぜならあなたは物質を溶かす能力を持っているのではなく、体内で酸を精製して分泌するからだ。酸で溶かすというのは化学反応であり、溶かす対象によってその成分も異なってくる。二種類を溶かそうとそれぞれの成分を同時に出せば、それは混酸となり成分が変わってしまう。だから同時に別種の物質を溶かせない。少なくとも速度は落ちる」
「スモッグ・モック。煙の操作型魔導師。なるほど。煙と見なせるなら、それを構成する物質の種類は問わない、というわけね。砂にガラス粉に灰に、いろいろ混ぜてくれたわね」
カケララの視線の先にいるのは、煙の鎧を着たスモッグ・モック工場長と鉄の鎧を着たロイン・リオン大将だった。
二人とも自分が着る煙の鎧と鉄の鎧をそれぞれ操作することにより宙に浮いている。
カケララはさきほどとっさに工場長の心を読んだが、そのときに違和感を抱いていた。視ようとする心に白いモヤがかかっていたのだ。
そのモック工場長の姿を見て違和感の正体を知る。
「おまえたち、その白いオーラは何なんだ。なぜ白いオーラが出ている」
二人にとって、カケララが答えを欲して質問してくるというのは意外なことだった。心を読めるカケララに分からないということは、二人の中にも答えがないということ。
しかし後から分析することはできる。この質問の答えを出したのはロイン大将だった。
「そうだな。歳を取ると分をわきまえるようになるから、かもな。分不相応にも貴様に挑もうというのだ。どれだけ勇気がいることか」
それを何度も頷きながら聞いていたモック工場長が後に続く。
「我々は純粋におまえが強すぎて恐いから、相当な覚悟が必要だったということです」
カケララは二人のことを睨みつけていたが、フッと表情を緩めた。
モック工場長とロイン大将の表情は笑っているが、明らかに強がりの笑みだ。二人の表情はカケララより硬い。
「なんにせよ、白いオーラで強化された攻撃であの程度の威力なら、脅威でも何でもないわ。いちばん可能性のあるこの娘はもう壊れている。あなたたちに勝ち目はない」
「どうかな?」
モック工場長とロイン大将の連携でカケララに砂と砂鉄の波状攻撃をしかけ、カケララをキーラから遠ざける。そして二人はキーラとカケララとの間に入り、カケララに対して身構えた。
キーラはいまだに塞ぎこんで泣いている。
そんなキーラに対し、ロイン大将が背中越しに語りかけた。
「お嬢ちゃん、ずいぶんと綺麗な恋してんだな。世の色恋はもっとドロドロしたもんだぞ。私なんか、愛した女性に人生を捧げると誓って皇帝家から離れたのに、その相手を工業殿に取られちまったよ。そして二人はそのまま結婚しちまいやがった。いまな、そんな恋仇と共闘してんだ。ふっ、笑っちまう。いまの私がどんな気持ちか分かるかい? おい、カケララのお嬢さんよ。こういうドロドロしたの好きなんだろう? 『ねえねえ、いまどんな気持ち?』って、私にも訊いてくれよ」
ロイン大将のキーラへの語りかけは、いつの間にかカケララへの挑発に変わっていた。
挑発というものには大きく分けて二種類が存在する、というのがロイン大将の持論だ。
一つは強がったり煽って愉しむといった自己の精神充足を目的としたもの。
もう一つが挑発によって相手から平常心を奪い戦いを有利に導くための戦略的なもの。
圧倒的強者に対して挑発するのは後者でしかあり得ない。
当然ながらカケララはロイン大将の意図を探るため、ロイン大将の心を覗き見ようと考える。
結局それはロイン大将の挑発に乗るのと同じ行為なのだが、心をすべて視ることのできるカケララに対して嘘はつけないので、ロイン大将の思考という情報を得て損をすることはまずないだろう。
それに、ロイン大将は失恋話を自虐のネタにしているが、本人も気づいていない深刻なネタが深層心理に眠っている可能性は高い。
お望みどおり心を読んで、本人にも想像し得なかった大ダメージを精神に与えてやろうとカケララは考えた。
「お望みどおり心の中を視てあげるわ。こういうのは大口を叩くほど後悔も大きいものになるのよ」
カケララがロイン大将の心を覗く。
ロイン大将の白いオーラはさっきよりも強くなっていて、それが読心の邪魔をするが、本人に開示する意思があるのだから覗けないことはない。
カケララはロイン大将の心に漂う白いモヤをかい潜って、彼の思考を覗き込む。
…………。
カケララの表情が歪んだ。
それを見て、ロイン大将がニタッと笑った。
「まあ、なんてこと! 不快極まりない! 雑魚のくせに、下等な存在のくせに、この私に対して劣情を抱き、あまつさえその不潔な妄想をこの私に見せつけるなんて! この私が恥じらいに怯むことはないけれど、あまりにも分不相応すぎて吐き気がするわ」
ロイン大将の隣でモック工場長が同じようにニタッと笑った。
「おまえさん、元の姿は幼子で露出の少ないドレスだったじゃないか。それをわざわざ魅惑的な大人の姿に変身して、わざわざ体のラインを強調する露出度の高いドレスに召しかえるなんて、我々を誘惑したかったんじゃないのかい?」
「おまえもかあああ!」
カケララはキーラを発狂まで導くシナリオを、思い描いたとおりに完璧に辿り、これから最後の一手というところまで来ていた。
ここからが真に最高の瞬間。恍惚と愉悦の絶頂が待っている。
カケララは想像して楽しんだ。
キーラの涙を酸に変えて、彼女は自分で自分を溶かす。顔に激痛が走り、それを拭う腕にも激痛が走る。
涙を止めれば済む話なのに、とめどなく流れてくる涙を止められない。
心と体を同時に極限まで痛めつけられ、哲学の領域を越えて思考が思考でなくなり、堕ちるのか、昇りつめるのか、辿り着くのは狂気。
想像で楽しんで、現実でも引き起こして、それを鑑賞して愉しむ。
カケララが放心状態のキーラに近づき、頬に手を伸ばす。
「ケホッ」
思わず咳き込んだ。カケララが咳き込んだ。
急に視界が暗くなり、埃っぽい空気が流れ込んできたのだ。
咳き込んだのはカケララだけだった。キーラはただ泣いている。カケララが咳き込むほどであれば、絶対に先にキーラが咳き込むはずなのに。
「これは……」
空気の色が濃くなった。よくよく見ると、その色の濃さにもムラがある。明らかに濃度が操作されている。
音がする。殺意の音。刃物が空を切って迫る音。
カケララはその音がする方に腕を出して防御した。
「くっ」
黒い刃がカケララの腕に食い込んでいた。腕には真紅の血が滲んでいる。
黒い刃はカケララから離れると、細かい粒子と化して霧散した。黒い刃は砂鉄の集合体によって形作られており、それが形を崩したのだ。
砂鉄は再び集合体となり、今度は流動的に動きまわる槍となってカケララを突き刺そうと追いまわす。
スピードはカケララのほうが速いので黒い槍を掴もうとするのだが、手に触れた瞬間に形を崩して逃れてしまう。
カケララなら砂鉄を一瞬で溶かすこともできる力を持つが、いまはそれができない。さっきから口の中に侵入を続けている煙のほうを溶かしているからだ。
「カケララさん、あなたは砂と鉄を同時に溶かせない。なぜならあなたは物質を溶かす能力を持っているのではなく、体内で酸を精製して分泌するからだ。酸で溶かすというのは化学反応であり、溶かす対象によってその成分も異なってくる。二種類を溶かそうとそれぞれの成分を同時に出せば、それは混酸となり成分が変わってしまう。だから同時に別種の物質を溶かせない。少なくとも速度は落ちる」
「スモッグ・モック。煙の操作型魔導師。なるほど。煙と見なせるなら、それを構成する物質の種類は問わない、というわけね。砂にガラス粉に灰に、いろいろ混ぜてくれたわね」
カケララの視線の先にいるのは、煙の鎧を着たスモッグ・モック工場長と鉄の鎧を着たロイン・リオン大将だった。
二人とも自分が着る煙の鎧と鉄の鎧をそれぞれ操作することにより宙に浮いている。
カケララはさきほどとっさに工場長の心を読んだが、そのときに違和感を抱いていた。視ようとする心に白いモヤがかかっていたのだ。
そのモック工場長の姿を見て違和感の正体を知る。
「おまえたち、その白いオーラは何なんだ。なぜ白いオーラが出ている」
二人にとって、カケララが答えを欲して質問してくるというのは意外なことだった。心を読めるカケララに分からないということは、二人の中にも答えがないということ。
しかし後から分析することはできる。この質問の答えを出したのはロイン大将だった。
「そうだな。歳を取ると分をわきまえるようになるから、かもな。分不相応にも貴様に挑もうというのだ。どれだけ勇気がいることか」
それを何度も頷きながら聞いていたモック工場長が後に続く。
「我々は純粋におまえが強すぎて恐いから、相当な覚悟が必要だったということです」
カケララは二人のことを睨みつけていたが、フッと表情を緩めた。
モック工場長とロイン大将の表情は笑っているが、明らかに強がりの笑みだ。二人の表情はカケララより硬い。
「なんにせよ、白いオーラで強化された攻撃であの程度の威力なら、脅威でも何でもないわ。いちばん可能性のあるこの娘はもう壊れている。あなたたちに勝ち目はない」
「どうかな?」
モック工場長とロイン大将の連携でカケララに砂と砂鉄の波状攻撃をしかけ、カケララをキーラから遠ざける。そして二人はキーラとカケララとの間に入り、カケララに対して身構えた。
キーラはいまだに塞ぎこんで泣いている。
そんなキーラに対し、ロイン大将が背中越しに語りかけた。
「お嬢ちゃん、ずいぶんと綺麗な恋してんだな。世の色恋はもっとドロドロしたもんだぞ。私なんか、愛した女性に人生を捧げると誓って皇帝家から離れたのに、その相手を工業殿に取られちまったよ。そして二人はそのまま結婚しちまいやがった。いまな、そんな恋仇と共闘してんだ。ふっ、笑っちまう。いまの私がどんな気持ちか分かるかい? おい、カケララのお嬢さんよ。こういうドロドロしたの好きなんだろう? 『ねえねえ、いまどんな気持ち?』って、私にも訊いてくれよ」
ロイン大将のキーラへの語りかけは、いつの間にかカケララへの挑発に変わっていた。
挑発というものには大きく分けて二種類が存在する、というのがロイン大将の持論だ。
一つは強がったり煽って愉しむといった自己の精神充足を目的としたもの。
もう一つが挑発によって相手から平常心を奪い戦いを有利に導くための戦略的なもの。
圧倒的強者に対して挑発するのは後者でしかあり得ない。
当然ながらカケララはロイン大将の意図を探るため、ロイン大将の心を覗き見ようと考える。
結局それはロイン大将の挑発に乗るのと同じ行為なのだが、心をすべて視ることのできるカケララに対して嘘はつけないので、ロイン大将の思考という情報を得て損をすることはまずないだろう。
それに、ロイン大将は失恋話を自虐のネタにしているが、本人も気づいていない深刻なネタが深層心理に眠っている可能性は高い。
お望みどおり心を読んで、本人にも想像し得なかった大ダメージを精神に与えてやろうとカケララは考えた。
「お望みどおり心の中を視てあげるわ。こういうのは大口を叩くほど後悔も大きいものになるのよ」
カケララがロイン大将の心を覗く。
ロイン大将の白いオーラはさっきよりも強くなっていて、それが読心の邪魔をするが、本人に開示する意思があるのだから覗けないことはない。
カケララはロイン大将の心に漂う白いモヤをかい潜って、彼の思考を覗き込む。
…………。
カケララの表情が歪んだ。
それを見て、ロイン大将がニタッと笑った。
「まあ、なんてこと! 不快極まりない! 雑魚のくせに、下等な存在のくせに、この私に対して劣情を抱き、あまつさえその不潔な妄想をこの私に見せつけるなんて! この私が恥じらいに怯むことはないけれど、あまりにも分不相応すぎて吐き気がするわ」
ロイン大将の隣でモック工場長が同じようにニタッと笑った。
「おまえさん、元の姿は幼子で露出の少ないドレスだったじゃないか。それをわざわざ魅惑的な大人の姿に変身して、わざわざ体のラインを強調する露出度の高いドレスに召しかえるなんて、我々を誘惑したかったんじゃないのかい?」
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