公爵家を乗っ取った男爵一家は、家系図から消えました 〜偽公爵令嬢は王太子妃を夢見たようですが、本物の私は公爵として並び立ちます

エスビ

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第二十三話 鉱山へ送られる男

第二十三話 鉱山へ送られる男

王宮の裏門に、鉄格子つきの護送馬車が止まっていた。

華やかな正門ではない。

貴族たちが行き交う広い回廊でもない。

罪人を運び出すための、石畳の冷たい中庭だった。

アルベルトは、両手に枷をはめられたまま立たされていた。

昨日まで男爵と呼ばれていた男。

つい最近まで、公爵家の屋敷で上座に座り、公爵代理などと名乗っていた男。

けれど今、王宮兵は彼を名で呼ばない。

「労役奴隷一名。北部鉱山へ移送」

書記官が淡々と読み上げる。

アルベルトの肩が震えた。

「私は……」

言いかけて、彼は口を閉じた。

男爵だ。

そう続けようとしたのだろう。

だが、その言葉はもう使えない。

貴族籍は剥奪された。

爵位は消えた。

家名も消えた。

残っているのは、返しきれない負債と、王家欺瞞の罪だけだった。

護送兵が短く命じる。

「乗れ」

アルベルトは動かない。

「聞こえなかったのか」

「待て」

かすれた声だった。

「私は、王宮に再審を願う権利があるはずだ」

書記官は書類から目を上げない。

「判決は確定している」

「私はグランディア公爵家の血を――」

「その一族からも除名済みだ」

冷たい返答。

アルベルトの顔が歪む。

血。

それだけが、最後の拠り所だった。

兄の弟であること。

公爵家の血を引くこと。

自分がただの男爵ではないと思いたかったこと。

けれど、そのすべては一族会議で切り捨てられた。

家系図には、もう彼の名はない。

「乗れ」

護送兵がもう一度言う。

今度は肩を掴まれた。

アルベルトは反射的に振り払おうとした。

「触るな!」

その声に、周囲の兵が冷ややかな視線を向ける。

「労役奴隷に、拒否権はない」

その一言で、アルベルトの顔から血の気が引いた。

労役奴隷。

その言葉が、現実として彼の身体に落ちてくる。

彼は歯を食いしばり、護送馬車へ押し込まれた。

鉄の扉が閉まる。

重い音が響いた。

がちゃん、という音。

それは、かつて彼がいた世界から締め出される音だった。

馬車の中は狭く、冷たかった。

向かいには、別の罪人が二人座っている。

誰も彼に興味を示さない。

かつての名も、爵位も、服装も、もう何の意味もない。

アルベルトは自分の手枷を見る。

重い鉄。

手首に食い込む輪。

「こんなはずでは……」

思わず漏れた声に、向かいの男が鼻で笑った。

「ここに来る奴は、みんなそう言う」

アルベルトは睨みつけた。

だが相手は動じない。

「昔は貴族だったとか、商会主だったとか、騎士だったとか。鉱山に着いたら、全部同じだ」

「黙れ」

「お前こそ黙って体力を残せ。北部鉱山は、口では石は割れねえ」

その言葉に、アルベルトは唇を噛んだ。

馬車が動き出す。

王宮の裏門を抜ける。

白い城壁が遠ざかる。

彼は小さな窓から外を見た。

遠くに、王都の屋根が見える。

あの街で、彼は公爵家の馬車に乗った。

商人たちが頭を下げた。

貴婦人たちが笑顔を向けた。

自分が本当に公爵になったような気がしていた。

いや、いつか本当にそうなると思っていた。

エレノアさえ黙っていれば。

エレノアさえ、当主の座にしがみつかなければ。

その考えが浮かんだ瞬間、アルベルトは拳を握った。

手枷が鳴る。

けれど、もう遅い。

何もかも遅い。

同じ頃、王宮の別室では、エレノアが返還手続きの書類に目を通していた。

机の上には、王宮から渡された目録が並んでいる。

没収された男爵家財産。

公爵家へ返還される金額。

商会への弁済予定。

王宮罰金の控除。

ルークが静かに説明する。

「まずは宝飾品と馬車の売却益が公爵家への返還に充てられます」

「足りませんね」

「はい。大幅に不足しております」

エレノアは書類を閉じた。

「だから労役なのですね」

「その通りでございます」

ルークは少しだけ間を置き、言った。

「アルベルトは、すでに北部鉱山へ出立したとのことです」

「そうですか」

エレノアの声は揺れなかった。

ルークは彼女の横顔を見る。

「お会いにならなくて、よろしかったのですか」

「会う必要はありません」

即答だった。

「最後に何を言われても、判決は変わりませんから」

窓の外では、王宮の庭に白い花が咲いている。

穏やかな景色。

けれど、その外では護送馬車が北へ向かっている。

同じ王都の空の下で、未来は完全に分かれた。

ルークが静かに頭を下げる。

「公爵家としては、これで一つ区切りでございますな」

「いいえ」

エレノアは書類をもう一度開いた。

「まだです」

「まだ、と申しますと」

「男爵夫人とセシリアの処分が残っています」

ルークは頷いた。

「はい」

「公爵家の名を使ったのは、アルベルトだけではありません」

エレノアは淡々と言った。

「誰が何をしたのか。それぞれの責任は、それぞれが負うべきです」

その言葉に、迷いはない。

彼女は復讐に酔っているわけではなかった。

ただ、公爵家の損失を回収し、名誉を正し、秩序を戻している。

それだけだった。

北へ向かう護送馬車は、王都を抜け、石の街道へ出た。

道は少しずつ荒れていく。

空気は冷たくなる。

アルベルトは何度も座り直し、手枷の重さに顔をしかめた。

「北部鉱山とは……どのくらいの場所だ」

向かいの男が答える。

「馬車で五日。そこから山道を一日」

「そんな遠くへ……」

「逃げても戻れねえ場所だからな」

アルベルトは黙り込んだ。

逃げる。

その選択肢すら、最初から潰されている。

夜になると、馬車は中継所に止まった。

罪人たちは粗末な小屋へ入れられる。

食事は硬い黒パンと薄い汁だけ。

アルベルトはそれを見て、顔を歪めた。

「これは人の食うものではない」

看守が冷たく言う。

「では食うな」

アルベルトは息を呑む。

誰も取り替えてくれない。

誰も頭を下げない。

誰も彼を特別扱いしない。

しばらくして、彼は震える手で黒パンを取った。

硬い。

味も悪い。

けれど、腹は減っている。

噛みしめるたびに、屈辱が込み上げる。

かつて公爵邸の食卓で、彼は料理に文句をつけた。

塩が足りない。

肉の焼き加減が悪い。

公爵家の食卓なら、もっと洗練されているべきだ。

そう言っていた自分が、今は黒パンを水で流し込んでいる。

「こんなはずではなかった」

また、同じ言葉が漏れた。

けれど、それを聞く者はもういない。

二日目。

三日目。

馬車は北へ進む。

雪を抱いた山が見え始める。

四日目には、空気が鋭く冷えた。

五日目の夕方、遠くに黒い煙が見えた。

北部鉱山。

山肌を削るように坑道が口を開け、灰色の煙が空へ上がっている。

アルベルトは鉄格子越しにそれを見つめた。

喉が乾く。

背中に冷たい汗が流れる。

「あそこか……」

誰も答えない。

答える必要もない。

馬車が止まる。

鉄の扉が開く。

護送兵が命じる。

「降りろ」

足元は泥と石。

冷たい風が吹きつける。

アルベルトはよろめきながら馬車を降りた。

監督官が書類を受け取る。

「王家欺瞞、爵位僭称、公爵家財産横領。終身労役」

淡々と読み上げる。

「名前は」

護送兵が答える。

「アルベルト」

監督官は名簿に目を落とし、羽ペンを走らせた。

「以後、労役番号七二一」

アルベルトの顔が強張る。

「番号……?」

監督官は彼を見た。

「ここでは名前では呼ばれん」

「私は――」

「番号七二一」

遮られる。

「明朝より第三坑道へ入る」

アルベルトは唇を震わせた。

「私は、グランディアの血を……」

監督官は少しも表情を変えなかった。

「ここで必要なのは血ではない。腕だ」

それだけ言って、彼を労役小屋へ押しやる。

中には、粗末な寝台が並んでいた。

湿った藁の匂い。

汗と土の匂い。

アルベルトは立ち尽くした。

公爵邸の寝室。

柔らかな寝具。

暖炉。

銀の燭台。

それらが、幻のように遠ざかる。

労役小屋の扉が閉まる。

外から鍵がかかる音がした。

その夜、アルベルトは眠れなかった。

寒さと恐怖。

そして、怒り。

だが、怒りをぶつける相手はいない。

翌朝。

鐘が鳴った。

まだ夜明け前だった。

「起きろ、七二一!」

監督官の声が響く。

アルベルトは反射的に顔を上げる。

一瞬、自分が呼ばれたのだと分からなかった。

だが、すぐに気づく。

七二一。

それが、今の自分。

彼は震える足で立ち上がった。

外は薄暗く、風は氷のように冷たい。

手渡されたのは、重い鎚だった。

監督官が指差す。

「第三坑道へ」

アルベルトは坑道の暗い入口を見た。

生涯、ここで石を割る。

生涯、番号で呼ばれる。

生涯、戻れない。

その現実が、ようやく彼の胸に落ちた。

王都の公爵邸では、その朝、エレノアが執務室の窓を開けていた。

春の風が、薔薇の香りを運んでくる。

ルークが静かに報告する。

「アルベルト、北部鉱山に到着。労役番号七二一として登録済みとのことです」

「分かりました」

エレノアは短く答えた。

「記録庫へ」

「はい」

それだけ。

彼女は振り返らない。

過去に情を残さない。

アルベルトが公爵を名乗ろうとした日々は終わった。

彼はもう、名ではなく番号で呼ばれる。

その事実だけが、公爵家の記録に残る。

エレノアは机に向かい、新しい書類を開いた。

男爵夫人の労役先。

セシリアの処分。

まだ処理すべきことは残っている。

公爵家を取り戻す戦いは、終盤に入った。

だが、終わるまで彼女は気を緩めない。

偽りの代償は、ひとつずつ形になっていく。
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