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第三章:静寂の火花
3-3. 騎士の背信
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レオンが葛藤に沈んでいた頃、中立都市シルスにあるイーゼン王国の迎賓館でもまた、一つの裏切りが静かに進行していた。
「――アルヴィン。顔色が良くないな」
最上階の執務室。イーゼン国王である、セオドア・グランツの穏やかな声が、跪く騎士団長に降り注いだ。王は、深々とソファに腰掛け、白髪交じりの銀髪を揺らしながら、柔和な面持ちで、静かにアルヴィンを迎え入れていた。
「申し訳ございません、陛下。……署名式の警護で、些か神経を使ったようです」
アルヴィンは頭を垂れたまま、嘘をついた。顔色が悪いのは疲労のせいではない。今この瞬間も、胸の中で渦巻く背信の罪悪感が、胃を焼き焦がしているからだ。
「無理もない。あの傲慢なアグナス国王と対峙したのだ。……だが、お前が後ろに控えていてくれたおかげで、私は一歩も引かずに済んだ」
セオドアは、アルヴィンの肩に触れた。その手は、幼い日に悪夢に怯える自分を撫でてくれた時と同じように、温かく、そして重い。
「お前は、この国の『盾』だ。お前がいる限り、イーゼンは決して凍てつく冬に閉ざされることはない。……私は、心からお前を信頼しているよ、アルヴィン」
(……信頼、か)
その言葉が、鋭利な刃となってアルヴィンの心臓を抉る。この平和を愛する王は、アルヴィンを実の息子のように案じ、国の命運を預けてくれている。だというのに、今夜、その信頼を泥で塗るような真似をしようとしている。
敵国の、それも最高戦力である司令官との密会。発覚すれば、自分一人の首では済まない。騎士団の仲間や、王の顔にまで泥を塗ることになる。
(それでも……)
脳裏に焼き付いて離れない、あの金色の瞳。溺れる子供のように、声なき声で助けを求めていたレオン・キニスの姿。もし今手を差し伸べなければ、あの光は永遠に闇に飲まれてしまう。
王への忠義と、魂の渇望。天秤にかけることさえ烏滸がましい選択肢だったが、アルヴィンの本能は、既に答えを選んでしまっていた。
「……勿体なきお言葉です、陛下」
アルヴィンは、深く平伏した。これが、騎士団長として王に向ける、最後の純粋な忠誠になるかもしれない。
「下がっていい。明日の出発まで、ゆっくり身体を休めなさい」
「……はっ。失礼いたします」
アルヴィンは立ち上がり静かに一礼し、背を向けて部屋を後にした。退室するその背中には、セオドア王の温かい視線が注がれ続けている。その温もりが、今は焼鉄のように痛かった。
廊下に出ると、壁に寄りかかっていた副官のエドリック・ハーヴェイが、無言で顎をしゃくった。
「……済んだか?」
「ああ」
「王は?」
「……いつも通り、お優しかったよ。俺が地獄に落ちるには十分すぎるほどにな」
アルヴィンは自嘲気味に笑い、歩き出した。向かう先は自室ではない。装備を整え、闇に紛れるための準備だ。
「行くんだな、アルヴィン」
「止めるなよ、エド」
「止めはしない。……ただ、覚えておけ。お前が選んだその道が、茨の道だとしても、俺はお前の背中を守る」
エドリックは、すれ違いざまに一枚の羊皮紙を押し付けた。アルヴィンとレオンが再会する予定の、廃聖堂周辺の見張り配置図だ。彼は裏で手を回し、アルヴィンが抜け出せるルートを確保していたのだ。
「戻ってきたら、一杯奢れよ。団長」
「……ああ。高い酒を用意しておく」
エドリックは答えず、ただ一度だけ頷く。アルヴィンは親友の気遣いに、短く感謝を告げた。もう、迷いはない。
王を裏切り、国を欺いてでも、救わなければならないものが、あの廃墟にはある。アルヴィン・フェルムは、白き騎士の誇りを胸の奥にしまい込み、覚悟を顔に刻んでシルスの夜闇へと消えた。
中立都市シルスの外れ。かつては信仰の場であったその場所は、今は風化した石柱と、崩れかけた壁だけが残る「廃聖堂」となっていた。都市の灯りも届かぬ深い闇の中、月光だけが瓦礫の山を蒼白く照らし出している。
「――アルヴィン。顔色が良くないな」
最上階の執務室。イーゼン国王である、セオドア・グランツの穏やかな声が、跪く騎士団長に降り注いだ。王は、深々とソファに腰掛け、白髪交じりの銀髪を揺らしながら、柔和な面持ちで、静かにアルヴィンを迎え入れていた。
「申し訳ございません、陛下。……署名式の警護で、些か神経を使ったようです」
アルヴィンは頭を垂れたまま、嘘をついた。顔色が悪いのは疲労のせいではない。今この瞬間も、胸の中で渦巻く背信の罪悪感が、胃を焼き焦がしているからだ。
「無理もない。あの傲慢なアグナス国王と対峙したのだ。……だが、お前が後ろに控えていてくれたおかげで、私は一歩も引かずに済んだ」
セオドアは、アルヴィンの肩に触れた。その手は、幼い日に悪夢に怯える自分を撫でてくれた時と同じように、温かく、そして重い。
「お前は、この国の『盾』だ。お前がいる限り、イーゼンは決して凍てつく冬に閉ざされることはない。……私は、心からお前を信頼しているよ、アルヴィン」
(……信頼、か)
その言葉が、鋭利な刃となってアルヴィンの心臓を抉る。この平和を愛する王は、アルヴィンを実の息子のように案じ、国の命運を預けてくれている。だというのに、今夜、その信頼を泥で塗るような真似をしようとしている。
敵国の、それも最高戦力である司令官との密会。発覚すれば、自分一人の首では済まない。騎士団の仲間や、王の顔にまで泥を塗ることになる。
(それでも……)
脳裏に焼き付いて離れない、あの金色の瞳。溺れる子供のように、声なき声で助けを求めていたレオン・キニスの姿。もし今手を差し伸べなければ、あの光は永遠に闇に飲まれてしまう。
王への忠義と、魂の渇望。天秤にかけることさえ烏滸がましい選択肢だったが、アルヴィンの本能は、既に答えを選んでしまっていた。
「……勿体なきお言葉です、陛下」
アルヴィンは、深く平伏した。これが、騎士団長として王に向ける、最後の純粋な忠誠になるかもしれない。
「下がっていい。明日の出発まで、ゆっくり身体を休めなさい」
「……はっ。失礼いたします」
アルヴィンは立ち上がり静かに一礼し、背を向けて部屋を後にした。退室するその背中には、セオドア王の温かい視線が注がれ続けている。その温もりが、今は焼鉄のように痛かった。
廊下に出ると、壁に寄りかかっていた副官のエドリック・ハーヴェイが、無言で顎をしゃくった。
「……済んだか?」
「ああ」
「王は?」
「……いつも通り、お優しかったよ。俺が地獄に落ちるには十分すぎるほどにな」
アルヴィンは自嘲気味に笑い、歩き出した。向かう先は自室ではない。装備を整え、闇に紛れるための準備だ。
「行くんだな、アルヴィン」
「止めるなよ、エド」
「止めはしない。……ただ、覚えておけ。お前が選んだその道が、茨の道だとしても、俺はお前の背中を守る」
エドリックは、すれ違いざまに一枚の羊皮紙を押し付けた。アルヴィンとレオンが再会する予定の、廃聖堂周辺の見張り配置図だ。彼は裏で手を回し、アルヴィンが抜け出せるルートを確保していたのだ。
「戻ってきたら、一杯奢れよ。団長」
「……ああ。高い酒を用意しておく」
エドリックは答えず、ただ一度だけ頷く。アルヴィンは親友の気遣いに、短く感謝を告げた。もう、迷いはない。
王を裏切り、国を欺いてでも、救わなければならないものが、あの廃墟にはある。アルヴィン・フェルムは、白き騎士の誇りを胸の奥にしまい込み、覚悟を顔に刻んでシルスの夜闇へと消えた。
中立都市シルスの外れ。かつては信仰の場であったその場所は、今は風化した石柱と、崩れかけた壁だけが残る「廃聖堂」となっていた。都市の灯りも届かぬ深い闇の中、月光だけが瓦礫の山を蒼白く照らし出している。
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